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助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


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第64話:ヒロインに距離 干渉減らす

屋敷の廊下を、冷たい夜気が通り抜けていく。

かつては喧騒と、剥き出しの欲望が渦巻いていたこの場所も、今はアグナードを中心に据えた歪な平穏に沈んでいる。

だが、その平穏こそが、彼にとっては最も肌に合わない、不気味な粘り気を持った毒のように感じられていた。


近い。

いつの間にか、彼女たちとの距離が、あまりにも近すぎた。


いつからだろうか。

当たり前みたいに、彼が足を止めれば背後に気配が立ち、彼が視線を動かせば誰かの瞳がそれを受け止めるようになったのは。

言葉を交わさずとも、沈黙のなかに過剰なまでの意味が詰め込まれている。

何も言わないのに、彼女たちの視線は常に何かを求めてくる。

肯定か、否定か、あるいは自分という存在を認識したという微かな証か。


カレンは、皮肉な笑みの裏に焦燥を隠し、一歩踏み出しかけては、自ら課した制約に足をとられて止まる。

リリスは、狂おしいほどの独占欲を貼り付いたような微笑みで覆い、影の中からその輪郭をなぞり続けている。

クラリスは、すべてを支配下に置こうとする統治者の目で彼を観察し、その「正解」を導き出そうと神経を研ぎ澄ませている。

レオニアは、戦えないことへの苛立ちを隠さず、拳を握りしめてその熱量をぶつける先を探している。

セリスは、均衡を破る最初の一歩を踏み出した責任に震えながらも、なおも止まったまま、彼の一挙手一投足を注視している。


全部、分かる。

鈍感なふりをしていても、この肌に突き刺さるような密度の高い「期待」に気づかないわけにはいかない。

それはなんとなく、だが確実に、アグナードの自由を奪い、その輪郭を侵食し始めていた。


(……面倒だ)


アグナードは、深く、肺の底から澱んだ空気を吐き出すように息をついた。

自分は何もしていない。

英雄になりたいわけでも、彼女たちの救世主として崇められたいわけでもない。

ただ、目の前の不快を消してきただけだ。

それなのに、いつの間にか自分は巨大な神輿の上に担ぎ上げられ、彼女たちの生きる意味そのものにされてしまっている。


知らない。

関係ない。

ずっとそう自分に言い聞かせ、線を引いてきたつもりだった。


でも。

もはや無視できない距離に、彼女たちは入り込んでいる。

このままでは、彼女たちの人生という名の重荷を、望まぬままに背負わされることになる。


アグナードは、一歩、下がった。

物理的な距離だけではない。

内面において、明確に、意識して。

これまで許してきた曖昧な領域を、力ずくで切り離す。


「……関係ないだろ」


誰に向けるでもなく、独り言ちる。

それは、彼女たちの熱量を拒絶し、自分という個を独立させるための、冷徹な一線。

踏み込ませない。

これ以上、自分の領域に他人の意思を寄せない。

徹底して、関わらない。


空気が、一瞬で凍りついた。

その「拒絶」の気配を、彼女たちが察知しないはずがない。


カレンの足が、目に見えて止まる。

リリスの口元に浮かんでいた笑みが、微かに、だが決定的に揺れる。

クラリスの鋭い目が、獲物を逃したかのように細くなる。

レオニアは、その冷たさに真っ先に反応し、吐き捨てるように舌打ちした。

セリスは、ただ唇を噛み締め、何も言えずに立ち尽くした。


距離。

明確に引き直された、冷たい線。

今までは、どこか曖昧だった。

近づこうと思えば、そこに手が届くような錯覚があった。

彼が何も言わないことを「許容」だと解釈し、そこに甘えていた部分が、彼女たちにはあった。


でも、違う。

アグナードは、その甘えを許さない。


「……自分でやれ」


彼は言葉を投げた。

優しさも、激励も、憎しみさえも含まない。

ただ、手元のゴミを捨てるような、雑で、そっけない突き放し。


助けない。

導かない。

お前たちの行く末も、抱えている苦しみも、俺には知ったことではない。

勝手に期待し、勝手に止まっていたのは、お前たちのやり方だろ。

それを俺のせいにするな。


アグナードは、彼女たちから完全に視線を外した。

もう、その反応を確認することさえしない。

関わらないと決めた以上、彼女たちが絶望しようが、憤慨しようが、彼には等しく無価値な事象に過ぎない。


ヒロインたちは、動けなかった。

一瞬。

あまりにも唐突な断絶に、思考が、感情が、氷結して固まる。

すがっていた基準が、唯一の拠り所だった光が、目の前で消え去ったのだ。


……そして。

その凍りついた時間のなかで、彼女たちは気づく。

もう、誰も助けてくれない。

もう、彼の背中を追いかけるだけでは、一歩も進めない。


それぞれが、ゆっくりと、別の方向を見始めた。

頼れない。

寄れない。

その絶対的な孤独を突きつけられたとき、彼女たちの内側に眠っていた「個」が、ようやく目覚めを強要される。


自分でやるしかないのだ。


カレンは、折れそうなほど強く拳を握り、自分の足で立つために奥歯を噛み締める。

リリスは、目を伏せ、彼を独占するという夢の残骸を飲み込み、冷徹な自分を取り戻そうとする。

クラリスは、狂った計算式を捨て去り、自分の知略を彼のためではなく、自分の目的のために回し始める。

レオニアは、滞っていた熱量を爆発させるために、自らの肩を荒々しく回した。

セリスは、静かに深く息を吐き、騎士としての誓いを、彼のためではなく、自分自身の正義のために立て直した。


動く。

それぞれが。

バラバラに。

アグナードという中心軸を失い、バラバラになった星々が、それでも自分だけの軌道を描こうと動き出す。


アグナードは、そのまま背を向け、闇の向こうへと歩み去った。

関係ない。

本当に、そう思っている。

重荷が取れ、ようやく一人に戻れたという静かな安堵だけを抱いて。


でも。

確実に。

彼は切ったのだ。

依存という名の、生温い繋がりを。


そして。

世界は――。

中心を失い、カオスへと回帰しながらも。

かつてないほどに生々しく、力強く、再び動き出した。

ヒロインたちが自らの意思で歩き出すその足音が、夜の静寂を塗り潰していく。






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