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助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


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第43話:一言

夜の帳が屋敷の裏庭を深く包み込み、木々の隙間から差し込む月光が、石畳の上に冷たく青白い斑紋を描き出していた。

昼間の喧騒は遠のき、静寂が支配するその場所に、数人の子供たちが整列していた。

いずれも顔は煤け、服は埃にまみれている。肩で激しい息をついている者もおり、彼らがつい先ほどまで王都の影を全速力で駆け抜けてきたことを物語っていた。

その中心に立つリンもまた、乱れた呼吸を整えようと深く肺に空気を送り込んでいた。


「……報告は以上です。対象の現在位置、動線、同行者の人数。すべてこの通りです」


リンの声は、幼さに似合わぬ硬質さを帯びていた。

その報告を受け、月光の下で佇んでいたシスター・マリアが、慈愛に満ちた仕草で深く頷いた。


「……位置、人数、動線。すべて正確です。事前の予測と寸分の狂いもありません」


彼女の言葉は事務的で、一見すれば冷徹な事実の確認に過ぎない。

だが、その声音には、情報の精度に対する高い信頼が明確に宿っていた。


「……で?」


その横で、壁に背を預けていたカレンが、面白がるように口を開いた。

彼女は腕を組み、挑発的な視線を子供たちに向ける。

「……やれたでしょ? あんたたちの位置なら、誰にも気づかれずに喉元まで手が届いたはずじゃない」


軽く、突き放すような問い。

その言葉に、並んでいた子供たちがわずかに動揺し、肩を震わせた。

彼らの中には、自分たちの技術を証明したかったという血気盛んな熱が、まだ燻っていたからだ。


「……」


リンは答えなかった。

ただ、真っ直ぐに前方を見据え、自身の内側に渦巻く衝動を押し殺している。


「……やらなかったんでしょ。あんたたち」


カレンが、逃げ道を塞ぐように言葉を重ねた。


「……ああ」


リンが短く、確信に満ちた声で答えた。

「……やらなかった」


「……理由は?」


「……迷惑になる。アニキの知らないところで勝手に血を流せば、後始末で手を煩わせることになる」


「……それだけか?」


カレンの瞳に鋭い光が宿る。本質を見抜こうとする、略奪者としての鋭敏な感覚。

一瞬の間を置き、リンはより冷静な分析を口にした。


「……確実じゃない。一人でも逃げられる可能性がある。不完全な攻撃は、敵を刺激するだけの無駄なリスクだ」


冷徹。

そこにあるのは、未成熟な子供の激情ではなく、目的を達成するための最も合理的な判断だった。


「……」


カレンが、ふっと口角を上げた。

「……いいじゃない。ちゃんと自分の頭で考えてる」

その言葉は軽いが、紛れもない「肯定」だった。

「……ただの道具じゃないってことね」


その時、重厚な足音が石畳を叩いた。

レオニアが、重圧を伴う沈黙を引き連れて子供たちの前に進み出た。

彼女の背後に負った大剣が、月光を反射して不気味に輝く。

レオニアは数秒間、何も言わなかった。

ただ、そこに立つ子供たちの一人一人の瞳を、射貫くように覗き込んでいく。

逃げ場のない、戦士としての峻烈な視線。子供たちは思わず息を呑み、身体を硬直させた。


「……」


そして。


「……よく耐えた」


その一言だけを、彼女は落とした。

短く、飾り気のない言葉。

だが、歴戦の猛者である彼女が口にしたその重みは、どんな美辞麗句よりも深く子供たちの胸に突き刺さった。


「……」


子供たちの表情が、劇的に変わった。

驚きに目を見開き、そして、張り詰めていた緊張が解けるように、その強張った顔がわずかに緩んでいく。

リンもまた、無言のままレオニアを見上げていた。

何もしていない。

敵を倒してもいないし、誰かを華々しく救ったわけでもない。

ただ「じっとしていただけ」だ。そう思っていた。

自分たちの臆病さが、あるいは躊躇いが、叱責されるのではないかとさえ危惧していた。


だが、違った。

“やらなかった”こと。

自分の衝動を、自分の力で抑え込み、基準を逸脱しなかったその「抑制」が、肯定されたのだ。


「……行動しないという判断は、行動するよりも遥かに難しいものです」

マリアが、聖母のような笑みを浮かべて静かに説いた。

「……自分たちの力を誇示したいという欲求を捨て、あの方の平穏を優先できた。それは立派な成長です」


カレンも肩をすくめ、彼らを見渡した。

「普通なら、やっちゃうからね。子供ならなおさらよ。自分ができるってところを見せたくて、後先考えずに飛び出す。……そこで踏み止まったのは、偉いわよ。本当にね」


軽く言っているが、彼女の瞳は真剣だった。

自分勝手な略奪を繰り返してきた彼女だからこそ、その「止まる」ことの難しさを誰よりも理解していたのだ。


「……」


子供たちは、何も言わなかった。

だが、その瞳には確かな熱が灯っていた。

認められた。

敵を殺したときよりも、金を手に入れたときよりも、ずっと深い場所が満たされていく感覚。

それは、アグナードという基準の一部として受け入れられたという、何物にも代えがたい帰属感だった。


レオニアが、最後に釘を刺すように言った。


「……次も同じだ」

その声は、地を這うような重低音だった。

「……やれる時にやるな。やれる力があることと、やるべきであることは別の話だ」

「……やるべき時だけやれ。それ以外は、牙を隠しておけ」


短く、だが絶対的な教え。


「……」


リンは、深く、静かに頷いた。

他の子供たちもそれに習う。

言葉は交わされない。だが、その場にいる全員の心に、一つの明確な輪郭が刻み込まれた。

それは、アグナードが見せた「不快を消すだけ」という、あまりに透明で、あまりに強固な“基準”。


「……戻れ。明日に備えろ」

レオニアの合図で、子供たちは一礼し、影に紛れるようにして庭から去っていった。

その足取りは、先ほどよりもずっと確かなものになっていた。


――この日。

子供たちは、初めて本物の評価を手にした。

それは、血を流した武功ではなく。

己を律し、主の平穏を守るために選んだ“不作為”という名の勝利。


彼らはもはや、ただの浮浪児ではなかった。

自らの意志で「やらない」ことを選べる、アグナードを支える静かなる一部。

その小さな成長は、王都の闇の中で、より深く、より静かに根を張ろうとしていた。


夜風が吹き抜け、裏庭に再び沈黙が戻る。

中心にいた男の影を追いながら、彼らは自らの牙を、より鋭く、より冷徹に研ぎ澄ませ続けていた。






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