表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/90

第38話:任務

朝の光が、王都の中枢に位置する石造りの重厚な建築物を白く照らしていた。

ここは国家の意思が決定され、膨大な情報が処理される心臓部。高い天井と厚い壁に囲まれた回廊には、冷徹な静寂が常に淀んでいる。


その一角にある会議室の重い扉が開かれ、一人の女性騎士が足を踏み入れた。

セリス。

彼女の白銀の鎧は磨き抜かれ、一切の無駄を排したその佇まいは、規律そのものを体現しているようだった。


部屋の中には、数名の役人が円卓を囲んで座っていた。

彼らの前には山積みにされた書類。その多くには、最近王都とその周辺で起きている「奇妙な連鎖」についての報告が記されている。


「……報告は以上か」


円卓の奥、中央に座る年配の役人が、低い声で問いかけた。


「……ああ」


セリスは表情を変えずに答える。

「……現象は依然として拡大中。背後で何者かが糸を引いている形跡はない。民衆が自発的に『助ける』という行為を連鎖させている。……現時点では、制御不能」


「だが」と、セリスは言葉を継いだ。

「……直接的な違法行為、あるいは国家への反逆を唆すような言動は、一切確認できない。彼らはただ、目の前の誰かを無償で助けているだけだ」


事実。

法典のどこを捲ろうとも、隣人を助け、余った荷を分け与える行為を罰する条文など存在しない。


「……厄介だな」


役人の一人が、苦々しく眉を寄せた。

「取り締まる根拠がないというのは、最もタチが悪い。善意の名の下に既存の秩序が書き換えられようとしている。……しかし、放置はできん」


別の役人が、苛立ちを隠さずに手元の書類を叩いた。

「……すでに流通に明らかな影響が出ている。本来、貨幣が動くはずの場所で、物品が『善意』として無償で動いているのだ。商業のバランスが崩れ始めている。貴族間でも、この得体の知れない流れを『不気味な扇動』として問題視する声が上がっている」


沈黙が部屋を支配した。

秩序を守る側の人間にしてみれば、管理できない「善」は、予測できる「悪」よりも恐ろしいものだった。


「……結論を出せ」


中央の男が、セリスを真っ直ぐに見据えた。

「……近衛騎士団、そして治安維持局として、どう動くべきか」


視線が、セリス一点に集中する。

彼女は数秒の猶予も置かなかった。すでに、この部屋に来る前から、自身の胸中では一つの解が導き出されていた。


「……監視を強化する」


簡潔に、彼女は告げた。

「……対象――アグナードという男を中心とした、すべての関与者の行動記録を集める。誰が、どこで、何を、誰に与えたか。その因果関係をすべて数値化し、記録し続ける」


「……異常、あるいは明確な法への逸脱が出た時点で、即座に介入する。今は、そのための牙を研ぐ期間だ」


「消さないのか」


役人が冷酷な問いを投げる。起点となる男を排除すれば、流れは止まるのではないか。そう言いたいのだ。


「……現時点では不可だ」


セリスの声には鋼のような硬度があった。

「正当性がない。民に崇拝され始めている男を理由なく捕らえれば、それこそ暴動の火種になる」


「……それと」


一瞬の間を置き、セリスはより深刻な事実を口にした。


「……失敗した場合、この流れは地下に潜り、完全に制御不能になる。……あの男は、何もしていないからこそ、消すことが難しいのだ」


正確な分析。

部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を役人たちは覚えた。

彼らは理解した。これは、力ずくで押さえ込めば、逆に爆発して自分たちを飲み込む「触れれば崩れる繊細な構造」なのだと。


「……」


中央の男が、ゆっくりと深く頷いた。


「……なら、任せる。セリス卿、貴殿に全権を与えよう」

「……治安維持として動け。個人の感情や、過去の恩義に引きずられるな」


男は短く、釘を刺すように付け加えた。

「……過剰な介入はするな。だが、一分一秒の逸脱も見逃すな。この街の理を乱す者が現れた時、真っ先に剣を振るうのは貴殿だ」


「……了解」


セリスは静かに答えた。

彼女にとって、それは重い任務として、自身の魂に刻み込まれた。


「……以上だ。解散」


号令と共に、役人たちが席を立つ。

セリスは背を向け、迷いのない足取りで部屋を後にした。


高い回廊を、彼女のブーツの音がリズミカルに叩く。

「……」

歩きながら、手の中に渡されたばかりの正式な命令書に視線を落とす。


内容は、極めて単純。

監視。記録。そして、必要時の介入。

やるべきことは、これまで彼女が個人的な懸念から行ってきたことと、大差はない。


だが。

意味は決定的に変わった。

これはもう、彼女個人の執着ではない。

国家の、そして秩序の番人としての「義務」だ。


屋敷の外に出ると、春の柔らかな光が溢れていた。

眼下に広がる王都の街並み。

そこには今日も、無数の人々がうごめいている。

荷を運ぶ少年。立ち話をする老婆。互いに会釈し、手を貸し合う市民たち。

その温かな連鎖は、止まる気配を見せない。


「……」


セリスは目を細め、その流れの中心を――街のどこかを歩いているであろう黒い外套の背中を探した。

アグナード。

彼は今も変わらず、自分が背負わされた「罪」や「期待」にも気づかず、ただ不快を消して歩いているのだろう。


対立は、終わっていない。

むしろ、ここからが本番だ。

彼というあまりに巨大な「現象」と、自分が守るべき「法」という名の壁。

どちらが先に折れるのか。


――この日。

セリスは、アグナードを追う「一人の騎士」から、彼を監視する「国家の執行官」へと変わった。

個人の意思を任務という鎧で包み込み、彼女は喧騒の中へと踏み出した。


街に流れる「恩」という名の不確かな正義。

それを冷徹に裁くための、美しくも残酷な日々が幕を開けた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ