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助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


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第37話:断る理由

正午を告げる鐘の音が、王都の上層区にある石造りの館に重々しく響き渡った。

ここは権力と伝統が呼吸する場所だ。磨き抜かれた廊下には、歴史ある絵画が並び、外の世界の喧騒は厚い石壁によって完璧に遮断されている。


その館の一室、重厚な装飾が施された扉の内側に、三人の女たちが集まっていた。

カレン、マリア、そしてレオニア。

それぞれが異なる「救い」の形をアグナードという男に見出し、彼の影を追う者たち。彼女たちは今、一つの大きな試練と対峙していた。


部屋の中央、豪華な円卓を挟んで彼女たちと向き合っているのは、この街の政治的実権の一端を握る伯爵だった。

伯爵は一分の隙もない仕立ての服を纏い、革張りの椅子に深く腰掛けている。その口元には、百戦錬磨の政治家特有の、余裕を孕んだ微笑が湛えられていた。


「……お呼び立てして申し訳ない。多忙なあなた方の時間は貴重だろう」


伯爵は丁寧な口調で切り出した。だが、その瞳の奥には、相手を値踏みするような鋭い光が宿っている。


「……本題に入りましょう」


彼は間を置かずに続けた。

「……単刀直入に言う。あなた方を、我が陣営の正式な協力者として迎えたい」


静かな宣言。だが、その言葉に込められた重みは相当なものだった。

「……立場と権限を与える。騎士団、あるいは神殿、商工会。どこであれ、あなた方が活動しやすい地位を用意しよう。もちろん、現在の活動の自由も、公的に保証する」


提示された条件は、この街で生きる者にとって破格を通り越し、奇跡に近いものだった。

後ろ盾のない個人が、国家の庇護ひごと権力を手に入れる。それは、あらゆる障害を排除し、目的を達成するための最強の切符であるはずだった。


「……見返りは?」


カレンが、退屈そうに指先で髪を弄りながら聞いた。彼女の声は平坦だが、その視線は伯爵の「腹の内」を正確に射抜こうとしていた。


「……簡単だ」


伯爵は唇の端をわずかに吊り上げた。

「……流れを、管理させてもらう」

「管理?」

「そうだ。あなた方の背後にある、あの名前のない影響力を、我々の手で正しく使いたいのだ」


支配。

伯爵は言葉をオブラートに包んだが、その本質はあまりにも明白だった。


「……」


重苦しい沈黙が部屋を満たす。

マリアが、静かに、だが凛とした声で問いかけた。


「……具体的には、どのような管理を想定されているのですか?」


「……優先順位の策定だ。どこに、誰に、いつ何を渡すべきか。感情的な救済ではなく、社会的な必要性に基づいた最適解を導き出す。……無駄を排除するのだ」


伯爵の声には、文明を統治する者としての確信がこもっていた。

「……はっきりと言おう。現在、あなた方が行っている『恩の連鎖』は、あまりに非効率だ。救うべきでない者を救い、届けるべき場所を見逃している。あなた一人の善意では、世界は救えない」


「……」


レオニアが、腕を組んだまま、少しだけ目を細めた。彼女の放つ殺気が、わずかに室温を下げる。


「……悪くない話だろう」


伯爵はさらに畳み掛ける。

「力を持ちながら、組織を持たない。それはもろい。一歩間違えれば、あなた方はただの暴徒や異端者として処理される運命にある。……だが、我々の庇護に入れば――」


「……いらないわ」


カレンが、伯爵の言葉を遮った。

その声は、羽毛のように軽かった。

だが、その響きには、どんな分厚い城壁よりも堅牢な拒絶が込められていた。


「……理由を聞こう。感情に任せた判断は、あなた方の命取りになるぞ」


伯爵の余裕は崩れない。彼はまだ、自分に有利な交渉のテーブルに座っていると信じていた。


「……簡単よ」


カレンが、ふっと鼻で笑った。

「……面倒になるから」


「面倒?」


「そうよ。あんたらが間に入ると、全部の“意味が変わる”の」

彼女の瞳に、暗く鋭い光が宿る。

「……ただの助け合いが、あんたらの手を通した瞬間に『取引』に化ける。貸しを作り、借りを返すための道具に成り下がる。……それは、最高に不愉快だわ」


言い切る。

それは、損得勘定で生きてきたかつての自分への決別であり、アグナードが見せた「無償の気まぐれ」に対する彼女なりの純粋な執着だった。


「……それは悪いことではないはずだ」

伯爵が反論する。

「取引になれば持続性が生まれる。組織化すれば管理ができる。それが平和を永続させる唯一の方法だ」


「……そうね。あんたの理屈は正しいわよ」

カレンは頷いた。

「……でも、それはもう“別のもの”なの」


マリアが、静かに言葉を継いだ。

「……伯爵。現在のこの美しい流れは、“誰にも命令されていない行動”の集積で成り立っています。報酬を期待せず、罰を恐れず、ただあの方の背中を見たから動く。……そこに統制という名の不純物が入れば、人々の自発性は消え、残るのは乾いた義務だけです」


「……それでも構わないではないか」

伯爵は譲らない。

「結果として、餓死者が減り、治安が維持されれば、人々の心などどうでもいい。結果が出ればいいのだ」


「……違う」


レオニアが、地を這うような低音で言った。

彼女は一歩、円卓に向かって踏み出す。その一歩だけで、伯爵の背後に控えていた護衛たちが、無意識に武器の柄に手をかけた。

「……結果だけじゃないんだ。あいつがやっているのは、お前らが語るような『人助け』なんかじゃない」


「……では、何だ」

伯爵が、わずかに眉を寄せた。


「……知らねえよ」

レオニアは吐き捨てるように答えた。

「……でもな。あいつがやらねえことは、俺たちもやらねえ。あいつが望まねえ枠に、自分たちを押し込める気はねえ。……それだけだ」


沈黙。

伯爵は、ゆっくりと、深く、肺の中の空気を吐き出した。

「……感情論か。理屈なき、ただの心酔だな」


「……そうよ。悪い?」

カレンが即座に、不敵な笑みを浮かべて返した。


「……非効率極まりないな。そんな砂上の楼閣、いつか必ず崩壊する」


「……知ってるわよ、そんなこと」

カレンは肩をすくめた。

「……でも、それでいいの。あの方が歩いた後に残ったこの不完全な景色を、あんたらの灰色のペンキで塗り潰させるわけにはいかないのよ」


マリアが、最後の一押しとして、祈るように告げた。

「……伯爵。私たちは、既に一つの『基準』を持ってしまいました。あの方が示した、あの孤独で絶対的な正しさを。……それを外れて、安易な利便に縋ることは、私たちにはできません」


丁寧に。

だが、その言葉は完全に扉を閉ざす音がした。


「……」


伯爵は数秒の間、三人の顔を順に見つめた。

そこに宿る、損得を超越した狂気的なまでの意志。

彼は、自分がどれほど高価な餌を用意しようとも、この女たちが食らいつくことはないと悟った。


「……分かった。了解した」


伯爵は短く言い、静かに立ち上がった。

「……今回は引こう。私の負けだ」

彼は背を向け、窓の外に広がる王都の景色を見つめた。


「……だが。覚えておきなさい。その熱が冷めたとき、あるいはあの方という支柱が折れたとき、あなた方の物語は最も無残な形で終わりを迎える」


「……そうね」

カレンが、去り際の背中に声を投げた。

「……でも。今は持ってるわ。それで十分よ」


伯爵はそれ以上何も言わず、部屋を去っていった。

重厚な扉が閉まり、室内には再び三人の女たちが残された。


「……」


静寂。

カレンが、大きく溜め息をついた。

「……はぁ。権力者ってのは、どうしてこうも話が通じないのかしら。疲れるわね」


「……ええ。ですが、必要な拒否でしたね」

マリアが穏やかに微笑みながら頷いた。


レオニアは何も言わなかった。

ただ、自らの剣の柄に触れ、その感触を確かめていた。

彼女たちの心は、揺れていなかった。


提示された地位も、財産も、安全も。

アグナードという一人の男が残した「不快感の除去」という名の純粋な行動に比べれば、あまりにも安っぽく、無価値に感じられたのだ。


――この日。

歴史を動かす力も、莫大な利益も、正面から跳ね返された。

彼女たちが選んだのは、合理的な楽園ではなく、不条理なまでの「基準」の遵守。


理由は唯一つ。

自分たちが救われたあの日から、世界を測る物差しは、すでにあのアグナードという男に奪われていたからだ。


扉の向こう、王都の空には。

何の色にも染まらない、透明な決意が静かに漂っていた。






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