表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/90

第32話:セレスティア登場 全体を俯瞰

高い。

天空に近いその場所からは、世界のすべてが箱庭の迷路のように見えた。

風が、遮るもののない高所を縦横無尽に吹き抜けていく。冷たく、澄んだその流れは、地上の喧騒や汚れを一切寄せ付けない清潔な断絶。


セレスティアは、その高い尖塔の縁に、羽毛のような軽やかさで立っていた。

彼女の長い髪が風に煽られ、白銀の糸のように空に舞う。

見下ろす視界の先。

豆粒のように小さな人々が、街の血管――通りや広場を蠢いている。

普段ならば、それは無秩序なノイズの集積に過ぎない。欲望、打算、偶然が複雑に絡み合い、常にどこかで綻びが生じ、誰かが誰かの足を引く。それが彼女の知る、人間社会という名の不完全な機構だった。


でも。

今日のそれは、違っていた。


「……妙だな」


セレスティアは、その水晶のような瞳を細めた。

彼女は「観る」。

単に視覚で捉えるのではない。街を流れる魔力の淀み、人の意識の指向性、そして出来事の連続性が生み出す、目に見えない巨大な「流れ」を。


誰も命じていない。

玉座から発せられる勅令も、軍を率いる将軍の怒号も、そこには介在していない。

誰も誰かに従っていない。

人々は相変わらず、自分の日々の糧を求め、自分の都合で歩いているだけに見える。


それなのに。

乱れないのだ。

ある場所で荷が崩れれば、近くの誰かが当たり前のように手を貸す。

ある場所で諍いが起きれば、周囲が静かに、だが確実にその火種を消し去る。

まるで街全体が、一つの意志を持った巨大な生命体であるかのように、自己修復を繰り返している。


(制御がない)


セレスティアは思考を巡らせる。

通常、秩序を保つためには外側からの強大な力が必要だ。法、軍事、あるいは信仰。それらが人々を縛ることで、かろうじて社会という体裁は維持される。

しかし、今、この街を包んでいるのは、そうした「縛り」ではない。

均されているのだ。

すべての凸凹が、見えない大きな重力によって平準化されている。


「……自然じゃないわ」


彼女は、音を立てずに尖塔の縁を歩いた。

視点を変える。

高さを変える。

角度を変える。

彼女の瞳には、地上の点と点、線と線、そして人と人の「間」にあるものが映し出されていた。

全部が、目に見えない糸で繋がっている。

だが、その糸を編み上げた工匠は、どこにも存在しない。


「……起点ソースは、どこだ」


源を探す。

この不自然な均衡、この静かな連鎖を引き起こしている中心点を。

彼女の視線が、王都の迷路を一本ずつ辿っていく。

流れる情報の川。人の意識の向き。

それらがすべて、一箇所へ、ある一つの存在へと収束していくのが分かった。


人。

たった、一人。


アグナード。


彼は、何もしていない。

広場の隅にあるベンチに腰を下ろしているのか、あるいは名もなき路地を通り過ぎようとしているのか。

彼は旗を掲げない。

演説もしない。

誰かを教え諭すこともしない。


なのに。

すべてが、そこを基準にして揃ってしまう。

彼が「殺さない」から、周囲も「殺さない」ことを選ぶ。

彼が「助けた」から、救われた者が「助ける」ことを真似る。

彼というあまりに冷徹で、あまりに強固な「基準」が世界に投じられたことで、周囲の人間たちが磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、勝手に形を整えていくのだ。


(……歪んでいる)


それは、セレスティアの知る美しき調和とは、根源から異なるものだった。

支配ではない。

命令でもない。

もちろん、愛や慈悲といった温かなものでもない。

それは、ただの「現象」だ。

アグナードという異物がそこに在るというだけで、世界の理が少しずつ、だが致命的に書き換えられていく。

彼の無関心さが、かえって人々の執着を狂気的なまでに加速させ、歪な秩序を生み出している。


「……厄介だわ」


セレスティアは、小さく息を吐いた。

この流れは、完全に管理することができない。

なぜなら、アグナード本人がこの流れを制御しようとしていないからだ。

あるじのいない軍勢。

意思のない洪水。

止めようとしても、止めるべき中心に「やる気」がないのだから、交渉の余地さえない。


でも。

無視することもできない。

この歪みが拡大し続ければ、既存の王権も、神殿の権威も、すべてはこの名前のない連鎖の中に飲み込まれ、形骸化していくだろう。

人々が「自分で選ぶ」ことを覚え始め、「アグナードの影」に寄り添うことを至上の喜びとし始めたとき、世界はもはや元には戻らない。


セレスティアは、観測に徹することに決めた。

今は。

触れない。

不用意に手を出せば、この繊細で巨大な均衡は一瞬で崩壊し、制御不能な爆発を引き起こすだろう。

動かさない。

今はまだ、この歪みがどのような果実を結ぶのかを見届ける必要がある。


ただ。

理解する。

この現象が何なのか。

神がもたらした均衡か。

それとも、たった一人の男が偶然にも引き起こしてしまった、絶望的なまでに美しい「偶然の連鎖」なのか。


視線を落とす。

街の影を歩くアグナードの姿は、あまりに小さく、脆そうに見える。

それでも、彼は間違いなく中心にいる。

彼が足を止めれば世界が止まり、彼が歩み出せば運命が動き出す。

本人の意図とは無関係に。


「……面白いわね」


セレスティアの唇に、薄い笑みが浮かんだ。

それは、長すぎる生の中で退屈を貪っていた観測者が、初めて見つけた「未知の遊び」への期待。

興味が、冷たい氷の奥で芽生えていた。


セレスティアは尖塔の上に立ち続ける。

まだ、関わらない。

介入するには、まだ早い。


だが――見続ける。

この奇妙な構造。

この美しい歪み。

誰もが彼を救世主と呼び、あるいは悪魔と呼び、それぞれが自分勝手な「執着」を彼に押し付けている。

この重圧に満ちた均衡は、いずれどこかで耐えきれなくなり、崩れる。


その時。

自分が何を選ぶのか。

世界を元の退屈な秩序に戻すのか、それとも、この歪みの果てにある「新しい闇」を愛でるのか。


その瞬間。

地上の喧騒が、一層激しくなった気がした。

王都に集う人々。

交差するヒロインたちの視線。

連鎖する無名の善意。

それらすべてを、上空から一望する瞳。


“観測者”が、一人増えた。

アグナードの歩む道の先に、また一つ、逃れようのない視線が刻まれた。


風は、さらに強く吹き荒れる。

セレスティアの姿は、陽光に溶けるようにして、静かにその場から消えていった。

後に残されたのは、世界を見下ろす高い空の、冷たく透き通った沈黙だけだった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ