第14話:選別
森の静寂を切り裂いた惨劇の余韻は、鉄錆のような血の匂いとなって空気の底に澱んでいた。
地面には、つい先ほどまで略奪の快楽に酔いしれていた男たちが、物言わぬ肉塊となって転がっている。
かつて名を馳せた盗賊団は、漆黒の外套を纏った一人の男によって、跡形もなく粉砕された。
「……終わりか」
アグナードは低く呟く。その声には、強敵を屠った高揚感も、悪を断罪した正義感も宿っていない。ただ、目の前の障害を排除し終えたという無機質な確認があるだけだった。
周囲には、まだ動ける者が三人いた。
盗賊団の幹部であったジン、ドーラ、そしてグレン。
彼らは深い傷を負い、肩で荒い息をつきながらも、辛うじてその場に踏み止まっていた。
「……」
アグナードが、一歩踏み出す。
石畳に散った枯れ葉が、カサリと乾いた音を立てる。
彼は三人の間合いへと、無造作に歩み寄る。
三人は動かなかった。
逃げようと背を向けることも、無駄だと悟りながら武器を構え直すこともしない。
ただ、自分たちの命運を握る「死神」の瞳を、真っ向から見据えていた。
「……殺すのか」
沈黙を破ったのはジンだった。
彼の声は低く、地を這うような重みがあった。
喉の奥は焼けるように熱く、全身の細胞が恐怖で悲鳴を上げているはずだが、その声は微塵も震えていなかった。
「……知らん。決めてない」
アグナードの回答は、あまりに不透明で、それゆえに冷酷だった。
ジンたちの生死は、彼にとって「どちらでもいい」事象に過ぎない。
「……そうか」
ジンは短く頷いた。
助かりたいと願う浅ましさも、慈悲を乞う卑屈さもない。ただ、返答という事実を事実として受け入れる。
「……言っとく」
不意に、ドーラが口を開いた。
彼女は腹部の傷を片手で押さえ、溢れ出る血を厭わずに言葉を紡ぐ。
「……あたしらは盗った。襲った。……殺したこともある」
淡々とした告白だった。
自らの罪を飾り立てることも、境遇を言い訳にすることもしない。
「……でも、全部じゃない。女と子供はやってない。……守ったこともある」
彼女の視線は、アグナードの空虚な瞳から一瞬たりとも逸らされなかった。
それは、死の間際に吐き出す、泥だらけの真実だった。嘘をついて生き延びるよりも、己の在り方を汚さないことを選んだ者の目だ。
「……」
グレンが、血の混じった唾を吐き捨てて鼻で笑った。
「……今さらだな。どうせ俺たちは、あんたの手で死ぬ」
彼は肩をすくめ、自嘲気味に笑みを浮かべる。
「……でも、嘘はつかねえ。怖いけどな、あんたのその力は。だが、地獄へ行く前に自分に嘘をつくのは、趣味じゃねえんだよ」
アグナードは、三人を順に見た。
冷静沈着なジン。
業を背負いつつ筋を通すドーラ。
恐怖を認めながらも虚勢を張らないグレン。
「……命乞いは」
アグナードが短く問う。
「……しねえ。する意味ねえだろ。あんたはそんなもので動く男じゃない」
ジンが答える。
「……ああ、やったことは消えない。なら、受けるだけだ」
ドーラも、覚悟を決めた瞳で頷く。
「……」
グレンもまた、黙ってその決意を共有した。
沈黙。
風が吹き抜け、森の木々がざわめく。
血の匂いが霧散し、静謐な冷気が場を包み込む。
アグナードは、もう一歩近づいた。
三人の目の前、手を伸ばせば届くほどの、あまりに無防備で、あまりに絶対的な距離。
彼は三人の魂の重さを測るかのように、数秒の時間を置いた。
そして。
「……行け」
その言葉は、彼らの耳を疑わせた。
「……は?」
グレンが呆然とした声を漏らす。
「……聞こえなかったか。行けと言ったんだ」
繰り返される言葉。
「……殺さないのか。俺たちは、多くの血を流してきた悪党だぞ」
ジンが、信じられないものを見るような目で問い返す。
「……今はな。お前たちを殺す理由は、俺の中に今は存在しない」
「……条件は?」
ドーラが目を細め、裏にあるはずの要求を探る。
「……ない」
即答だった。
「……ただ、嘘はつくな。次はないと思え」
静かな宣告。
しかし、その一言には、先ほどのウィンドバレット以上の重圧が宿っていた。
もし次に出会ったとき、彼らが自分自身に、あるいは世界に嘘をついていれば、その瞬間に首が飛ぶ。
それは慈悲ではなく、魂の鮮明さを保つことを強いる、残酷なまでの「選別」だった。
「……」
三人は、肺の中の空気をすべて吐き出すように息を呑んだ。
これは許しではない。
生かされたのではない。「生きる価値があるか」を、常に証明し続けなければならない呪いを与えられたのだ。
「……分かった」
ジンが、ゆっくりと、深く頷く。
「……ああ。覚えておくよ、その言葉」
ドーラも、血に濡れた唇で微笑んだ。
「……マジかよ。あんた、とんでもねえ男だな……」
グレンは震える足で立ち上がり、少しだけ笑った。
三人はアグナードに背を向けた。
もはや、彼を襲おうなどという狂った思考は欠片も残っていない。
一歩、また一歩と、自分たちの人生を歩き出す。
振り返ることも、足を止めることもなく、彼らは森の深淵へと消えていった。
アグナードは、その背中を追わなかった。
彼が求めたのは、悪の根絶ではない。
ただ、目についた濁りの中にある「純粋さ」を、少しだけ残してみたに過ぎない。
――この日。
森を騒がせた悪は、すべてが消し去られたわけではなかった。
だが、残されたのは。
死を前にしても、己の罪と向き合い、決して「嘘をつかなかった悪」だけだった。
彼らがこれから、誰を救い、あるいは誰を傷つけるのか。
アグナードは知らない。
ただ、その背中を見守る彼の外套が、夜風に冷たく揺れていた。




