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助ける。でも選ぶのはお前だ ~救った結果、世界が止まったので壊すことにした~  作者: 慈架太子


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第11話:騎士団いじめ救済

訓練場には、午後の重苦しい熱気が淀んでいた。

高い壁に囲まれたその場所は、本来、国を守る盾となるべき者たちが己を磨く神聖な場であるはずだった。しかし、今そこで響いているのは、向上心に満ちた気合の声ではなく、湿った、不快な衝撃音だった。


――ドン。


鈍い音が石畳に反響する。

「立て」

短い命令。冷酷な響きを含んだその声の主は、分厚い胸当てをつけた上官の男だった。

その足元には、一人の若い騎士が倒れ伏している。支給されたばかりの鎧はあちこちが歪み、土埃と脂汗にまみれていた。過呼吸に近い荒い息が、格子の隙間から漏れ出す。


「……立てと言っているのが聞こえないのか。そんな軟弱な精神で、王宮の門を守れると思っているのか?」

上官は無表情に、しかし確実に愉悦を瞳の奥に宿して見下ろしていた。

周囲には数人の騎士が並んでいるが、誰も止めようとはしない。ある者は関心なさそうに空を眺め、ある者は同調するように鼻で笑った。


「は……っ……ぁ……っ」

若手騎士が、震える腕に力を込めて、どうにか体を起こそうとする。

その瞬間だった。

「遅い」

容赦のない拳が、若者の腹部を正確に捉えた。

再び石畳に叩きつけられる。内臓を揺さぶる衝撃に、若者は悲鳴を上げることすらできず、胃液を吐き散らした。


周囲から、下卑た笑い声が漏れる。

「おいおい、それで騎士か?」

「貴族様の坊ちゃんは、寝転がっているのがお仕事かよ。楽なもんだな」

嘲り。それは「訓練」という大義名分を隠れ蓑にした、純然たる暴力だった。閉鎖的な組織の中で作り上げられた、歪なカーストの縮図。


「……やめろ」

小さな、消え入りそうな声。

別の若手騎士が、震える拳を握りしめながら言った。

「……あ?」

上官の視線が、獲物を変えるようにその若者へ向けられる。

「今のは……訓練じゃない。やりすぎだ……。彼はもう動けない……」

空気が、瞬時に凍りついた。

「ほう……口答えか。連帯責任という言葉を教えてやらねばならんようだな」

上官が、ゆっくりと歩み寄る。

太い手が、若者の胸ぐらを掴もうと伸びる。


そのとき。


「……騒がしいな」


天から降ってきたような、ひどく冷徹な声が訓練場を支配した。

全員が弾かれたように、門の方を振り向く。

そこには、陽光を背負い、漆黒の外套を羽織った男が立っていた。

アグナード。

彼は何に憤るでもなく、ただそこに不都合なノイズがあることを不快に感じているかのような、静かな佇まいでいた。


「……誰だ、貴様」

上官が眉をひそめ、手を止める。

「ここは騎士団の聖域だ。関係者以外は立ち入りを――」

言い終わるよりも早く、アグナードの指先が、微かな残像を残して動いた。


「バインドバレット」


透明な魔力の弾丸が空気を裂く。

直後、上官の男の周囲から不可視の鎖が編み上げられ、その巨躯をがんじがらめに縛り上げた。

「なっ……!? なんだこれは、体が……動かん!」

もがけばもがくほど、見えない力は増し、男を石像のように固定する。


「止めただけだ」

アグナードは一歩、訓練場の中へ足を踏み入れた。

「……貴様、ふざけるな! これは正当な訓練だ! 民間人が騎士団の教育に口を出す権利などない!」

縛られたまま、男が喚き散らす。


「違うな」

即答だった。アグナードの瞳が、倒れた若者と、歪んだ鎧を冷ややかに捉える。

「教育ではない。ただ、壊しているだけだ。無駄な作業だ」

静かな、しかし有無を言わせぬ否定。

その正論ゆえの冷酷さに、周囲の騎士たちが息を呑む。


「……貴様、やっていいことと悪いことが――!」

他の騎士たちが一斉に抜剣しようとした。

だが、彼らが柄に触れるよりも先に、二射目が放たれた。


「ウィンドバレット」


物理的な破壊ではなく、鋭利な「突風」の弾丸。

それは正確に騎士たちの手元を弾き、抜かれかけた数振りの剣を、同時に天高く跳ね上げた。

金属がぶつかり合う高い音が響き、剣は無造作に地面へ突き刺さる。


「……」

誰も動けなかった。

アグナードの放つ圧は、殺気とは異なる。それは、逆らえない自然現象と対峙しているような、圧倒的な無力感を強いるものだった。


「……終わりか?」

アグナードが問う。

そこにあるのは勝利の優越感ではない。片付けが終わったかどうかを確認するだけの、空虚な問いだ。


「……貴様は何者だ」

別の、落ち着いた声が訓練場に響いた。

取り囲んでいた騎士たちが左右に割れる。


そこに現れたのは、一人の女騎士だった。

長く美しい髪を無造作に束ね、傷一つない白銀の鎧を纏っている。

その瞳は鋭く、そして冷静に場の状況を分析していた。

騎士団の中でも一際高い階級を持つ女性、セリス。


「……通りすがりだ」

アグナードは、いつもと同じ答えを返した。

「……通りすがりが、事もあろうに我が騎士団の内部規律に干渉するのか?」

セリスの口調は穏やかだが、その背後には法を背負う者の重圧があった。

「目についた。不快だった。それだけだ」

「……それだけの理由で、国家の剣を縛るというのか」

「そうだ」


アグナードの言葉に迷いはない。

セリスはわずかに目を細め、目の前の男を観察した。

悪意はない。しかし、善意に基づいた正義漢とも違う。

ただ、己の尺度だけで世界を修正していく、絶対的な「個」。


「……あなたの行動、その根源にある判断は正しい。あの男の行為は訓練の域を超えていた」

セリスは静かに、拘束された上官を一瞥した。

「だが。やり方が雑すぎる」

アグナードは無言で先を促す。

「騎士団には規律がある。罪には罰を、不祥事には手順がある。あなたがこうして武力で制圧してしまえば、後の処理が滞る。法を守るために法を壊すのは、我々の流儀ではない」


「……知らん」

即答。

セリスの完璧な論理を、アグナードは一秒で切り捨てた。

「……知らん、では済まない。組織とは、ルールによって成り立つものだ」

「済む。俺にとっては、目の前の不快を消すのが最優先だ。ルールは、お前たちが勝手に守ればいい」


二人の視線がぶつかり合う。

理論と、現象。

秩序と、超越。

完全に相容れない二つの在り方が、訓練場の中央で激しく火花を散らした。


沈黙が続く。

やがて、セリスがふっと短く息を吐いた。

「……そうか。理解した、という言葉は使いたくないが……認識はした」

彼女は理解したのだ。

この男に社会の理屈を説くのは、嵐に向かって道徳を説くのと同じくらい無意味であることを。

彼はルールの外側に座し、ただ通り過ぎるだけの嵐なのだ。


「……この場の不始末は、私が処理する」

セリスは毅然とした態度で言い放った。

「その男の拘束を解け。逃がしはしない。騎士団の法に則り、相応の処分を下すと約束しよう」


アグナードは少しだけ彼女を見た。

そして、その瞳に嘘がないことを確認すると、指を弾いた。

解呪。上官を縛っていた見えない鎖が霧のように消散する。


上官は腰を抜かしたまま崩れ落ち、セリスの放つ冷徹な視線に、ようやく事の重大さを悟って顔を青くした。

「処分は下す。正式にな。……それが我々の誇りだ」

セリスが言う。


「好きにしろ」

アグナードにとって、その約束が果たされるかどうかさえ、すでにどうでもいいことだった。

目的は達した。

不快な音は止み、事態は動いた。

彼はそれ以上何も言わず、漆黒の外套をなびかせて踵を返した。


「……待て」

セリスが呼ぶ。

アグナードは止まるが、やはり振り返らない。

「名前を聞いていない。公式な報告書に記載する必要がある」


「……アグナード」


低く、温度のない名を残して、彼は訓練場の門をくぐり、喧騒の中へと消えていった。


静寂が戻った訓練場で、セリスは立ち尽くしていた。

地面に突き刺さった数振りの剣。震えながら立ち上がる若手騎士。そして、自分の足元で震えている卑怯な上官。

彼女はアグナードが消えた先を、じっと見つめ続けた。


「……正しい」

彼女は、誰に聞かせるでもなく呟いた。

その「正しさ」は、彼女が守り続けてきた法や秩序よりも、ずっと純粋で、それゆえに鋭利だった。


「だが――それゆえに、危険だ。秩序を必要としない力など、いつか世界そのものを壊しかねない」


セリスの瞳に宿ったのは、彼に対する感謝でも、畏怖でもない。

もっと深く、重い――義務感に似た執着だった。

いつか、この男を「理」の内側に引きずり込まなければならない。

さもなければ、この国の誇りも法も、彼という嵐の前ではただの砂細工に成り下がるだろう。


――この日。

規律を重んじる一人の騎士は、人生で初めて、正論が通じない「絶対的な正しさ」に遭遇した。

その出会いは、セリスの心に深い楔を打ち込んだ。

正しくないやり方で、正しさを成し遂げる男。

セリスは自らの剣を握りしめた。

アグナード。その名を忘れることは、もう二度とない。


壊滅を免れた訓練場に、新しい風が吹き抜ける。

それはアグナードが残した冷たい余韻であり、同時に、新しい波乱の予兆でもあった。






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