5/8 【川上宗右衛門】
一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者切腹申付ベク候也
その日の朝は、やけに寒かった。
雀の鳴き声が妙に耳煩く、そしてなぜか左のこめかみがやたらと痛かった。
副長・土方は空いた道場を一人寂しく、また考え事をしながらうろうろと彷徨っていた。
隊士が腹を切る日は、決まって道場を歩くのがこの男の習慣でもある。そして、その理由が不明瞭なら尚更歩きたくなるのだ。
剣術道場は、神聖な匂いがする。
真剣を交えることなど一切なく、血の匂いなどするはずもなかった。それがまた、この男をどこか安心させていた。
またこの男は、俳句の道にも通じていた。
句を作ると心が休まり、また春という言葉を大いに好み句に用いていた。すべては心を休ませるためなのである。
安寧を求め、句でも詠もうかと思った程だが、結局一文字も作れなかった。
なぜ、一番隊隊士・海藤道之助が腹を切らねばいけないのか。
罪状は、局中法度に反する「私ノ闘争ヲ不許」である。
昨晩、海藤は小料理屋である男を斬った。理由はよくわからないが、揉め事にまで発展したようだ。
どっちが先に斬りかかったのかと局長は問い詰めたが、海藤はそんなことはどうでもよく、隊務以外での人の殺生は、この上ない恥辱であると自らを責めていた。
それだけで、もうこれは立派な隊規違反であり充分に切腹に値するものだと、こう説いた。
元来、この男は、口の多いところがあるが、至って真面目で実直な人物であった。自分が決めたことは、頑として曲げようとはしない——。
土方は、慎重派である。
なぜ男を斬ったのか。またなぜ小料理屋などへ出かけ、素性のよくわからない男と会っていたのか。そして何を話していたのか。
海藤は、黙して語らなかった。また小料理屋へも自ら一人で出かけていったと話している。
その時、道場へ暗い顔をした男が入ってきた。
三番隊組長の斉藤一である。今回の海藤切腹にあたり、その介錯を務めると決まっていた。
「済んだのか?」と、土方が聞いた。
「——済んだ。骸はそのままにし、莚を被せてある」
斉藤は簡単にそう言って、会釈をするとすぐに出て行った。
なるほど隊服に血痕が飛び散っていた。あいつの暗い顔はもともとだったが、今日はそれがよく強調されている。
海藤は死んだ。全ては闇に葬られたのかもしれない。
土方が、そう思った時だった。
「副長。今回の一件で少しお話が——」
監察の山崎丞が、洛中から帰ってきた。
物腰が柔らかく、声もやたらと甲高い。商人のような男だ。しかし、嫌いではなかった。
先ほどの斉藤とは大違いの印象に、土方も思わず「おう」と声を高らかに発してしまった。
局長の部屋には、幹部たちが集まっていた。
近藤、土方、監察の山崎、参謀の伊東甲子太郎、そして平隊士で伊東派の内海次郎がいた。
山崎の調べによると、昨晩内海と海藤が夜道の中、東山の方へ歩いていくのを別隊士が目撃したらしいのだ。
「君達は、相変わらず祇園へ通い詰めているそうだな」
伊東が内海をちらりと見た。内海は少し照れた感じに笑う。
「おっしゃる通りです。最近私と海藤は、祇園の方へ行っとりました。変な癖がついてしまいまして」
「すると事が済んだ後に、海藤とは別れたってわけか」と、土方は問う。
「いかにも。理由はよくわかりませんが、どっかの料亭で古い友人と会うとか言い、海藤君だけそちらの方へ向かわれましたようで」
内海は、淀みなくすらすらと説明した。伊東は隣で澄ましている。
局長・近藤は腕組をしていた両腕を解いた。
「古い友人と言ったのか。奉行所の調べでは、その斬られた相手は薩州人だったそうだな。奴は一体どこで薩摩の人間なんかと知り合いになったのだろうか」
近藤はそう言いながら、土方の方をちらりと見た。土方はといえば、畳のささくれをじっと見ながら下を向いている。近藤も難しい顔を解かない。
また局長が喋りだした。
「まあ、同じ九州出だから、どっかで知り合う機会でも得たのかもしれんな。だが、何故斬り合いにまで発展したのだろうか。海藤は頑として口を開こうとしなかったのだが、もしかしたらあいつらは間者同士だったのかもしれぬ」
そこで、伊東が初めて口を開いた。
「ほう。近藤先生、その見方は私と同じ。奴らは、我ら新撰組に対し、秘密裏に調査を入れていたのかもしれませんね。しかし、話が何かで縺れて抜刀にまで発展したのではないでしょうか。所詮九州出といっても、熊本と薩摩では思想の違いも大いにあるかと思われます」
「しかし、料亭の主人に聞きましたところ、昨晩は三人客人が来ていたと言っていました。そして料理も三人分確かに出したと言っております」
監察の山崎丞が、横からすかさず割って入った。
すると、それまで黙っていた土方が、おもむろに伊東を睨んだ。
「事件をそう簡単に片付けて貰っては困るんだよ。その料理屋に居た三人目の人物が、怪しい。そいつは恐らく斬り合いに参加していないだろう。そして海藤は、そいつをかばうようにして死んだとも思える」
伊東は、鋭い眼光を前にした土方に対しても引く事なく涼しげな顔をしている。いや、むしろ周りを包む込むほどの柔和な笑みさえ出ていた。
「奥歯に物の挟まったような言い方だが土方君、何が言いたいのかね?」
土方は、鋭い眼光を伊東から隣の内海に移した。こちらは鬼の副長を前にややたじろいでいる。
「内海、お前祇園を出てから直ぐに帰らなかっただろう。昨晩、子の刻に門番の隊士が、お前が帰ってきたのを見ている。それから一刻後に海藤も帰って来た。全身返り血を浴びてな」
内海は、少し間を置いてから口を開いた。
「それがしは、ずっと祇園の方に残っていたのです。何なら、相手の深雪太夫という女に私が居たことを聞いてみるとよろしいでしょう」
土方の方も、少し間を置いていたが、やがて同じように口を開く。
「調べればわかることだ。山崎!」
山崎はすぐに立ち上がり、調査に出かけた。伊東はその素早い行動に、些か呆れた表情で見送った。
結局その後は、具体的な話までには発展せずに、話し合いは終わりを迎えることとなった。
京は三条にある肥後示現流道場において、川上宗右衛門も道場主・市村兵太郎の右腕として立派に働いていた。
脱藩後、京でもしこの市村に出会わなければ、川上もまた不逞浪士として幕府に捕縛されていた恐れがある。
市村はできた人物であり、川上同じく肥後の出だが佐幕派である。
だが、剣の腕を上げるという強い意志が、宗右衛門を彼に出会わせた。市村は既に黒船来航以前より、京のこの町で道場を開いており、市中見廻り組の武士育成などの場ともなっていることで、幕府からの信頼はなかなかに厚かった。
万延期(1860~1861)に入ると、老いた市村は体を弱くし始め、代わって数ヶ月前に入った宗右衛門が指揮を取り出した。道場の活性は巷でも有名になり、次の文久期(1861~1864)に入ると道場の入門者は、100名を越えていた。
もっとも教える剣術は専ら西方示現流であり、それを学ぼうとする者は九州の武士たちが多く、中には倒幕思想を掲げている輩も少なくはなかった。
鼻が利く市村は、察しがつくと手っ取り早く見廻り組に通告し、その手の輩を捕縛し続けた。
つまり、この市村道場は、鵜飼の如く不逞浪士たちを掬い上げる恰好の場でもあった。
慶応期(1865~1868)に入ると、そんな胡散臭い連中も道場には入って来なくなった。ただ純粋に徳川を慕い、正義の為に己の剣を貫こうとする九州男児たちが集まる場一色となったのである。
十年以上遅れて京へやってきた新撰組には、この道場の存在を深くは知らなかった。
今までは耳に入る程度であり、先日宗右衛門が西本願寺へ弟子の海藤を参観したことを機に、漸く知るようになった。
そんな宗右衛門に、ある日刺客が現れた。
道場からの帰り道、宗右衛門は安酒を飲んでいた。やや千鳥足である。寺の脇道で薩摩の志士二人に怒号の響きで声を掛けられた。
「何者か! おぬしらは、またしても我が道場に対して盾突く輩どもか!」
志士たちが使う示現流を幕府側のために開いた市村道場に対し、刃を向ける不逞浪士が実際少なからずいた。
敵二人。多くはない。
体格のいい薩摩の志士が、宗右衛門を睨んだ。暗くて顔がよくわからなかったが、目が殺気でギラギラしているのはわかる。
「仇討ちじゃ! 我ら薩摩が同志・後藤田壱衛門は、おはんの弟子に討たれたんじゃ! そいつの未練を今ここで晴らさせてくれるわ!」
「拙者の弟子? 道之助のことか⁉」
「無論じゃ!」
「何と浅ましき事! 当然ではないか! 我が弟子道之助は、今や幕府の警護組織、新撰組の隊士である! おぬしら不逞浪士を斬るは、至極当然!」
「抜かせ!」
体格の良い薩摩志士の横にいた、やや小柄な薩摩志士がいきなり抜刀した。抜いて飛び込み、上から振り下ろす。
しかし宗右衛門の動きは速く、鞘から半身出た自身の刃で、それをさして動じずに受け止めた。
宗右衛門にとって、その男の腕前は大したことはなかった。太刀筋が悪く、素人剣法の類だ。
宗右衛門は右足で小柄な男の腹を蹴り、それと同時に自身も抜刀し、右上斜めより敵左腕を素早く斬り裂いた。
「ぎぃやああああ!」
小柄な男は刀を落としたが、すぐに右手で拾うと背中を向けてもう一人の男の方へ逃げた。
背中を見せた男を、宗右衛門は斬りたくなかった。
相手は雑魚だ。
「何故我が弟子ではなく、師である拙者を殺めようとするのか! その訳を言え!」
宗右衛門は、まず右手を出して斬り合いを静止した。腑に落ちない点を聞きたかった。
が、体格の良い志士は既に抜刀している。
「おはんの弟子は、既に隊内で腹を斬っちょ! ならどう意趣返しをせえちゅうど!」
耳を疑った。
「何じゃと? 道之助が死んだというのか?」
「何も糞もあるか! もはや死人に対しては、何もできんちゅうことじゃ!」
宗右衛門には、事情が掴めなかった。ナゼ、不逞浪士を斬った隊士が、腹を斬らねばならぬのか。
解せない。師は解せなかった。
「なぜじゃ! なにゆえじゃ! そんな解せないことはない! なぜ道之助は腹を斬った!」
宗右衛門の動揺は、薩摩の志士に隙を与えた。
「わしが知るか! おはんも一緒に死ねばよかど!」
敵の「蜻蛉」が襲ってきた。
一歩動くのが遅かった宗右衛門は、真っ向から「蜻蛉」に挑む形となった。
自身の脳天に振り下ろされる敵の刃に対し、その実績から斬り合い場での動揺は全く現れなかった。
振り下ろされる寸前に、右足を軸に腰を低めながら体を左後ろ周りで一回転させた。自動的に右横一歩移動した宗右衛門は、敵の激しい「蜻蛉」を刹那にかわし、右手の業物を敵の左脇腹に喰い込ませた。
生地の良くない着物が災いし、刃は敵の脇腹に深く入り、滑り込ませながらその刀を勢いよく引き抜く。
同時に、大きな血飛沫!
「ぬっ……ぐうっ!」
体格の良いその志士も、痛みに堪えながら横払いで宗右衛門の刀とぶつかった。
キイイィィンッ!
宗右衛門が強く刀を押しやろうとするが、腸が些か外に垂れつつも、敵もなかなかどうして強い。
「死に晒せ! 幕府の犬め!」
小柄な志士が右手だけで刀を持ち、宗右衛門の背中を、斬りつけてきた。太刀筋も悪く、対して威力など無かったわけで傷は恐らく浅い。が、小憎たらしい痛みは走る。
舌打ちを一度し、冷静さを欠くまいと目を一瞬細める。現状を俊敏に対処する必要があった。
眼前の男の脇腹から飛び出ている腸を、宗右衛門は瞬時に引き抜いた。
ズルルルルルッ!
腸が血と脂で滑り流れる音と共に、ソレが体外に飛び散る。蒼白の男は激痛のため態勢を崩し、同時に刀は自由になった。
前に倒れこむ形で、眼前の男は、尚も迫って来た。
宗右衛門は、敵の首が自身の刀の側までやってきたので、頚動脈を一気に切断した。
新たな血飛沫の中、間髪入れずに180度体を回転させ、目の前にいる小男を右上から左斜め下に上半身を斬り裂いた。
小男の志士は斬られる前に失禁していたようで、刺激臭が立ち込めていた。
二人の刺客は、こうして絶命した。
斬り合いの中でも宗右衛門は、弟子の切腹のことで終始頭が一杯だった。
この男の表情はとっくに修羅さながらであったが、この時既に心の内奥にまでその修羅が侵入しつつあった。




