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2/8 【海藤道之助】

「海藤が間者?」

土方は、眉を顰め、口元を緩ませながら近藤をちらりと見た。

「ああ、平隊士、海藤道之助は、志士たちと通じている」

きりりと口を結んでいるのは近藤。その横で、一人将棋盤の駒をじっと見つめているのは、近藤達と同門の沖田総司だ。一番隊隊長を務めている。

「へえ。やけに自信たっぷりなんですね。私は、海藤君が間者には見えないけどな。何て言うんだろ——」

沖田はそう言うと、一つ駒を手に取った。取ったかと思うと、また同じ位置に駒を置いた。

「総司の言う通りですよ。近藤さん、ありゃ間者じゃねえよ」

土方は、口元がいつもの冷静な形に戻ったが、目が笑っていた。

「ふむ。なぜそう思う。あいつは肥後の出だぞ」

近藤は、それだけの理由とでも言うのか、やけに強気だった。

「あいつは、純粋な剣士だ。そこまで頭が回らねえってことだ。態度も実直で、腹も黒くねえ。胡麻も擂って来ねえところをみると、出世欲もあまり見られねえ。とりあえず今のところは安全だと思うぜ」

「ほう。お前にしては、やけに大雑把なものの見方だな」

近藤は感心した。

「ちげえねえ。だが何か腹に一物あるような奴は、目つきでわかるもんよ」

先にも述べたが、土方は鼻が利く男だった。この男なりの勘も持ち合わせていて、全てはその辺の効力が、この男を安心させているのであろう。

そこに理由などない。これには近藤も沖田も対処のしようがなく、どうすることもできない。しかもこの男の勘はよく当たる。土方はそういう男だった。

「総司、海藤は一番隊だったな。様子はどうだ?」

近藤が聞いた。沖田は、顔をこちらに向けなかったが、駒を動かす手はそこで止まった。

「土方さんの言う通りですよ。別にこれといって怪しい事などありません。市中見廻りの時も、積極的に動いてくれます。この間も変な連中を見つけて、彼だけ京中を追っかけ回していましたよ。あれはなかなかの働きぶりですね。——ただね」

土方が、初めて総司を見た。総司も初めて近藤たちの方に顔を向けた。二日前に吐血したばかりだったためか、顔が透き通るように白い。総司は、労咳だった。

「あいつ、入隊した時から比べると、腕がメキメキ上達してきています。稽古場でも、永倉さんと長く打ち合っていたほどです。もちろん一本取ったのは、永倉さんでしたけどね——」

二番隊隊長の永倉新八は隊の中でもかなりの実力者であり、一番隊の沖田、三番隊の齋藤一と並ぶ組頭の三本指に入っていた。隊内では、文句なしに強い連中である。

ほう、そんなに永倉君と——。

近藤は、先ほどとは違った感情を海藤に向けていた。

「彼の流儀は何だったかな?」

これには土方が即座に答えた。このような話に特別興味があるようだ。

「薩摩から流れ出た『示現流』だ。古剣術さ」

「二の太刀要らずか——」

近藤が思い出したようにポツリと言葉を発し、天井の木目を見た。日当たりの悪い陰気くさい部屋だった。

示現流とは、戦国時代より伝わる一撃必殺の全力型殺人剣である。

脳天から、真っ二つになるほどの威力を発揮し、その気合いも凄まじいものと言われている。発祥地である薩摩の武人達は、幼少の頃よりこの示現流の稽古に力を注ぎ、成人になれば同流派の立派な使い手になると言われている。

近藤勇は、まだこの示現流と剣を交えたことはまだ無かったが、彼の信念では、「最初の一撃だけ避けさえすれば、あとは何とかなる!」だった。

それ以上のことは、いちいち考えないことにしていた。この男の考え方は至極あっさりしていて、物事を土方のように深く追求したりしない。

土方に至っては、この示現流を深く調べていた。もちろん彼の好奇心から来ている理由もあったわけだが——。

だから既にこの海藤道之助の腕前も、稽古場で見させてもらっていた。

(剣筋が通っている。信念のある打ち方だ。気合も十分にある——)

入隊時はあまり腕前が良くなかったが、土方はこの男の一つの信念のような剣に気がついて、入隊を許したのだった。

そして、情報の入りやすい総司の一番隊に就かせることにした。

つまり近藤が彼を間者と気にする気にしない以前に、土方はハナからこの海藤道之助という男をちゃんと気にしていたのだった。

「ありゃ、ちゃんとくっ付いてきてくれる男だぜ」

土方はそう言うと立ち上がり、近藤の肩をポンと叩く。

「どこへ行く?」

「俺が行くとこだ。祇園に決まってら」

取り立てて有事もなく、土方の気が休める時こそは、祇園へ出向くと決まっていた。

局長も緊張が取れたか、鼻だけで笑うことができた。


ある日、海藤の師と名乗る男が西本願寺に現れた。

男は同じく肥後出身で、名は川上宗右衛門と言った。これには海藤も驚いたようで、両者はお互い話を弾ませた。

またこの男も海藤同様に物腰が柔らかく、最初は本願寺屯所の門前でただ立っているばかりで遠慮して入らず、更に上がれば上がったで居住まいを全く崩さずに正座に徹しているばかりだった。

隊士が、茶や氷菓子を進めても決して口にせず、用件だけ済めば結構と逆に謝って来るのである。

海藤も師の気質をこれで思い出したようで、腑抜けていた何かが引き締まったかのように、自分も倣って無駄口を叩かず、師が何か言うより動くより先には何もしないことにした。

さて、川上宗右衛門の用件というのは、是非良ければ局長か副長にお目にかかりたく、また日頃の道之助に対する世話への礼を述べたいということだった。

近藤と土方もさして多忙でも無く、この男に会ってみることにした。

体躯のいい、大柄な男だ。

無精ひげを生やし、身なりはこざっぱりしていてやや薄汚い。だが礼儀はわきまえているようで、終始低い姿勢でいる。

継ぎ接ぎの着物ではあるが目立った糸くずは垂れておらず、無駄に膨らみなど出ないよう常に帯はきつく締めていた。刀と脇差を抜いて己が身の横に、きちんと並べ寝かせる気遣いがあり、また一言一言の控え目な発言も好印象を与えた。

更に土方はその汚い中にも、どこか上品さを思わせる独特な雰囲気を持ち合わせていることを感じ取った。それは外見からではなく、内なるモノから醸し出している剣客としての魅力的なナニカだった。

(武人にしては、なかなか神経質そうな男だ。だが、人への気遣いや武士としての気構えも充分にある)

しかも訛りがほとんどなかった事にも驚かされた。頑張って京や隊の者たちと意思疎通を図ろうと配慮しているかのようで、益々気に入ることとなった。

「この道之助が、近藤殿、土方殿に多大な迷惑をかけているのではないかと、この男の師である拙者としては、やはり大いに気がかりでございました」

宗右衛門は頭を決して上げずに、両手を地面に付いている。

「なに、心配は御無用だ。海藤君は、しっかりと隊務を果たしてくれている」

土方はそう簡単に言ったのだが、宗右衛門は何も答えずにやはり下を向いている。

同じく横にいた海藤道之助は、師に囁いた。

「こう見えても、わしは唯一の示現流の使い手。皆様方からも重宝がられとるんばい。やけん、何も心配は要りまっせんばい。師匠!」

宗右衛門は、その時ピクリと動いたようだった。

「師匠、どうしたと?」

その時突然、宗右衛門は両手で海藤を地面に叩き付けた。凄い剣幕である。

「『がられとる』だと! 自身への驕りも大概にせんか! 貴様のお蔭で、隊士の方々は皆手間を取ってくださっているというのに! 貴様それでも武士か。腐った戯言を吐きおって!」

海藤は、震える様子で平伏している。宗右衛門のかなりの怒声に、近藤、土方も目を丸くした。これまでの腰の低い様子が、全て嘘に見えた。


近藤は間を埋めた。こういう処置には、この男がなかなか向いている。

「はっはっは。流石は師匠。師たるものそうでなくてはならん。ところでどうかね川上君。内の隊士と一つ打ち合ってみては? 君の示現流というものを是非一目見てみたいのだがな——」

この発案の一言で、その場は丸く収められた。

そして宗右衛門は、道場で二番隊士・永倉新八と打ち合うことになったのである。


勝負は、真剣ではなく木刀。

本来、示現流の刀は、一般的な刀とは異なる。薩摩拵えと呼ばれており、一般的には柄の長さがやや長く、返角は独特の形か或いは無用としているものが多い。

そこで宗右衛門は、海藤が用いている示現流木刀(三尺四寸五分)を使うことにした。使い古しているが、使い込んであると言ってもいい。宗右衛門にとっても、この得物は調子が良かった。

対する永倉の木刀も三尺とあまり変わらなかったが、何より異流の木刀を使うことが、宗右衛門にとって嫌だったのだ。

「永倉君——」

近藤は、道場内で同志を呼ぶ。

「私で良ければお相手となりましょう」

永倉は、ゆっくりと正座姿勢から立膝をついた。



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