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——どんどん、どんどんどん!
何度目かのノックで、やっと家の中で物音がした。
軽い足音が近づいてきて、人形用の扉が開け放たれる。
やってきた金髪人形は、その手に果物ナイフをにぎっていた。
「いったい何時だと思っていますの! 礼儀のなっていない輩は、王族だろうとなんだろうと、容赦しませんわ!」
寝間着姿のパトリシアは、眠気と怒りのせいか、両目を不自然に吊り上げていた。彼女は金色の糸で編まれた髪を振り乱し、真っすぐ俺につっこんできた。突然の襲撃に対応できるわけもなく、パトリシアのナイフが俺の体に突き刺さる。先のとがったナイフが、ガリッと嫌な音を立てて、ブリキの体に真新しい傷をつけた。
想定していた感触ではなかったのか、パトリシアはきょとんと目を丸くした。それで眠気も飛んだらしい。焦点のあった両目が俺をとらえた。
パトリシアは訝しげに目を細めて、
「あなたですか。もうご自分の体を見つけましたの? 仕事が早いのは素晴らしいですが、いらっしゃる時間を考え直してください」
さっさと扉を閉めようとする。
俺はすかさず、ブリキの体を扉の隙間に滑りこませた。
パトリシアがぎょっと振り向く。
「ちょっと待て。まだ体は見つかってない」
「はい? 用もないのに、真夜中に扉を叩いたのですか。あなた、頭に脳みそが詰まっていませんの?」
「詰まってるわけねえだろ。ブリキ人形だぞ」
「ああ、それもそうですわね。それでは脳なしのブリキ人形さん。いまは夜も遅いですから、また明日、ここにいらしてください。明日の意味がわかりますか? 太陽がのぼり、街全体が明るくなって、しばらくしてから、という意味ですよ」
「……おまえ、皮肉の使い方を改めたほうがいいと思うぞ」
「それではあなたは時計の読み方を勉強してください。深夜に人様の家に行くのは大馬鹿者のすることだとよくわかるはずですわ! さあ、もう出ていってください!」
パトリシアは俺を担ぎ上げ、さっさと外に追い出そうと、人形用の扉を開け放つ。
そして、不自然に足を止める。
彼女が何を見たのか。
玄関の前にいたのは、俺だけではなかったのだ。
玄関に続く段差の下には、うさぎのぬいぐるみが行儀よく座っていた。赤い目尻を下げて、俺の行く末を不安そうに見守っている。
担がれたまま、俺は言った。
「とりあえず、中に入れてくれないか」
その夜は、結局、レナの家で眠ることになった。
レナは朝まで起きないらしく、ぬいぐるみの事情聴取は翌朝に持ち越された。
うさぎのぬいぐるみは、体にあう寝具がなく、パトリシアが用意したバスタオルを敷いて、その上で丸くなった。最初はもぞもぞと体の位置を調整していたが、あっという間に寝息を立て始めた。
パトリシアの寝床は、小棚の上にある、豪奢なベッドだった。もちろん人形用にしつらえたベッドだから、小物程度の大きさしかない。ミニチュアベッドに寝転がる様は、ままごとの後で片づけられたおもちゃのようだった。
俺は床に散らかった雑誌の上に寝転がった。俺にはタオルなり布なりが用意されないのかとも思ったが、パトリシアの俺嫌いは今日一日で十分すぎるくらいに理解したし、ブリキ人形の中身(青年)とぬいぐるみの中身(子ども)のどちらに寝床を提供するかなんて、考えるまでもなかった。正直、目を開けているのもやっとで、雑誌だろうと床だろうと、眠れるならどこでもよかった。
暗く静かなリビングに、時計が針を打つ音が小さく響いている。
「長い一日でしたわ」
パトリシアはつぶやき、寝返りを打った。