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ドールズ・ミッション  作者: 神田 伊都
第4章 人形たちの使命(ドールズ・ミッション)
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15

 クマのぬいぐるみは、それきりしゃべらなくなった。

 黒々とした瞳の前に、俺はひざまずいた。

「お前がどういう人生を送ったのか、それはわかった」

 こいつは、ひとつの理念でもって行動してきた。

 無目的に、あるいは都会のきらびやかさに憧れて、この街にやってきたわけじゃない。誰かを守るために来た。自分が困っていたとき、助けてくれた友人がいた。その人のように、誰かを守ろうとした。

 その意思には確かな形があって、ある意味では美しく輝いていたと思う。



 少しだけ、こいつがうらやましかった。

 俺には、そういう、何かひとつのことを為そうという思いはなかったから。

 たくさんの言い訳を抱えて都会に出てきた、哀れな若者のひとりだから。

 でも……だけど……



「お前のことも、やっぱり認められない」



 人殺しは悪だ。

 家畜を殺すのとはわけが違う。

 どんな理念があろうと、どんな正義を掲げていようと、誰かの命に手をかけるのは間違っている。

 このクマのぬいぐるみは、ローガン・レクターを英雄だと称した。

 だけど俺は、どんなに肯定的に考えてみても、ローガンを英雄だと思えなかった。

 俺はギディを許せない。

 実家の畑泥棒を許せない。

 街行く子どもが食べかけのリンゴを捨てるのを許せない。

 人としてすべきではないことを、俺は許せない。

 それによって悲しむ人がいるのを、知っているから。



 クマのぬいぐるみは、断ち切りバサミとともに、丘の上まで運ばれた。

 レナは一度家に帰り、ランタンを手に墓場へと引き返した。開けたところに陣取り、芝生を少しだけ避け、むき出しになった土の上に、ぬいぐるみを横たえる。そして、ぬいぐるみの毛先にランタンの火を移した。

 ぱちぱちと寂しそうな音を立てて、小さな炎が広がっていく。

「南部の田舎町では——」パトリシアが言う。「——ガイ・フォークス・デイという、手作りの人形を焼くお祭りがあるそうです」

 パトリシアは風に揺れる炎を見つめて、

「いろんな理由があるそうですが、健康祈願とか、悪魔祓いとか、そういう目的のために行われるお祭りです。作った人形に病気や悪魔をつかせて、燃やして、将来を健康に、幸福に過ごせるようにという、おまじないなんだとか」

 炎は大きくなり、ぬいぐるみの全身を包みこんだ。

 暗い夜の闇のなか、その炎だけが、煌々と燃え上がっている。

 その様子を、俺たちはじっと見つめていた。

「そういえば、」

 俺はレナにたずねた。

「どうして、一緒にこいつを探そうとしたんだ? 生身で会って、ターゲットにならないとも限らなかったのに」

 レナは燃えるぬいぐるみを見つめて、

「正式な検死が済んだ時点で、この人の本体は解剖されてぼろぼろだった。それがなくても、大量の睡眠薬で体がダメになっているはずなのに、このぬいぐるみは動きつづけた。不審死になった魂は、肉体がダメになったら消えてしまう——そのルールの例外を、確かめたかった」

「例外って?」

 レナは、立ち上るかすかな煙に沿って、暗い空を見上げる。

「結局、人間って、意志の強さで、どうにでもなっちゃうんだなって。肉体がぼろぼろでも、薬漬けになってても、意志を……魂を強く持っていれば、数週間の命の期限なんて、関係なくなっちゃうんだって」

 そう言う彼女の瞳には、ぬいぐるみを包む温かな炎が揺れていた。



 火が消えるのを待つことなく、俺とパトリシアはレナの肩に乗った。

 レナが丘を下るにつれ、墓場が遠ざかっていく。

 途中、俺は肩越しに振り向いた。丘の頂上に目を向けると、蛍火のようにかすかな光が見えた。その光はしりすぼみに小さくなり、いま、ふうっと夜空に溶けていった。

 俺は言った。

「俺が本体に戻れなかった理由、なんとなくわかったよ。……それに、思い出した。俺がこれまで、どういうふうに生きてきたか。どういうふうに考えていたか」

 レナは俺を横目に見て、

「聞かせてもらっていい?」

「ああ、もちろん」

 帰りの道すがら、俺はとつとつと口を開いた。

 おどけるでも隠すでもなく、ありのままを話して聞かせた。

 自分の身の上を話すなんて、誰にでもできることだと思う。子どもだったら、わけなくできてしまうだろう。だけどそれは、大人に近づくたびに難しくなってしまう。失敗した自分や、考え違いをした自分……そういった、忘れてしまいたい出来事が、心に枷をしてしまうのだと、そう思った。



 パーク・ストリートは霧に包まれている。

 夜の暗闇と霧の白さが重なって、一寸先さえ見えなくしている。

 この街に朝があったことさえ忘れそうになるくらい、夜は深い。

 でも、しばらくすれば、新しい朝がやって来る。

 のぼる朝日は夜闇も霧も消し飛ばし、街中を明るく照らし出す。

 人形の目でなくとも、俺はそれを、美しいと思うだろう。


      ———————第4章 了———————

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