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ドールズ・ミッション  作者: 神田 伊都
第1章 不審死の真相、うさぎの事情
7/14

 空がすっかり暗くなる。

 街の方では、点灯夫(街中のガス灯に火をつけて回る仕事人)が走り回ったのだろう、いくつものガス灯がともっていた。


 パトリシアが墓石の間を縫い、俺の後ろに立った。

「そろそろ帰りましょう」

「まだ、もう少しだけ……」

「墓石は逃げません。それに、夜になれば、良からぬ輩が墓場に集まってきます。安酒で酔った連中に捕まっても知りませんよ」

 そう言われたら、中断するしかない。

 パトリシアにうながされて、俺は丘を下る。

 探し始めた時間が遅かったせいか、墓石を半分も当たれなかった。そのどれにも、俺の名前はなかったわけだが……。こんな調子で、俺の本体を見つけられるのだろうか。

「まあ、あなたの本体が墓地にある可能性は、限りなく低いでしょうね」

 パトリシアは先を歩きながら、

「これまでの様子を見るに、あなたの魂がブリキ人形に入りこんだのは、ごく最近のことでしょう。直近で見つかった不審死体は、大通りで倒れていた男性のものです。身元も割れていて、すでに家族の手で埋葬されています。……となれば、あなたの抜け殻はまだ見つかっていないか、身元不明として、遺体安置所に運ばれた可能性が高いです」

「だったら最初から、そっちに行けばよかったのに」

「レナさんの話を聞いていましたか? 家を出た時間からして、墓地以外の候補地を回る時間はありませんでした。それに、遺体安置所は夜遅くまで労働者が働いています。この街で十四時間労働なんて当たり前ですからね。人形の姿で向かおうものなら、あっという間に見つかってしまいます」

「でも、そこが一番有力なんだろう? なら行くしかない」

「行きたいならどうぞご自由に。あなたの写真と捕獲依頼が、ゴシップ紙の一面を飾っても、わたくしは一向に構いません」

 と、パトリシアはさっさと歩みを速めた。

 坂道を下り、橋を渡る。

 労働者のアパートメントが立ち並ぶ大通りを抜けて、来た道を戻るように路地に入った。ガス灯の光は届かない。いま通っている路地だって、本当は真っ暗なはずだ。それでも、俺の目は透視しているみたいに先まで見通せた。人形の体なことを度外視すれば、ある意味で便利な目だった。


 パトリシアに続いて路地に入り、大通りを横切り、また路地に入る。曲がり角を折れる。また進む。そのうち、あたりはすっかり夜の闇に沈んでいた。どんどん路地が奥まっていく。もしかして、レナの家から遠ざかっているんじゃないか?

 どこまで行くんだろうと思っていると、パトリシアが立ち止まり、振り向いた。


「あなたとは、ここでお別れです」


 ……突然の言葉に、バカみたいに口を開けてしまった。

「どうして、そんな阿呆みたいに口を開けているのですか」

「……助けてくれるんじゃ、ないのか?」

「何度も言わせないでください。そんなこと、わたくしは一言も言っていません」

「はあ⁉」

 パトリシアが両手で耳を覆って、忌々しそうに俺をにらみつけた。

「こんな間近で大声を出さないでください。耳が壊れます」

「知るかよ! だったらいったい、どこに連れて行こうってんだ」

「どこって、周りを見ればわかるでしょう? あなたと最初に会った路地です」

 あたりを見回せば、たしかに、見覚えのある赤煉瓦の行き止まりが見えた。

 パトリシアが言う。

「どこの馬の骨とも知れない輩を、レナさんの家に泊めるはずないでしょう。あなたの本体探しは、明日以降に持ち越します。今日一日で、目星をつけた場所を回り切るなんて、とうてい不可能ですので」

「何言ってんだ! 俺の本体は一刻を争うんだろう? なら、さっさと探さないと、マズいじゃないか!」

「ほんとうにうるさいですね。人形になっていても、人間のころと同じく、夜になれば眠くなります。眠気を押し殺して動き回っては、明日以降に支障が出るでしょう。そんなこともわからないのですか?」


 かっ、と目の奥が熱くなる。こっちはこんなに焦ってるってのに、なんでそんなにすましてられるんだ? おれはいまの状況について何も知らない。ああそうだ、何も知らないんだ。それなのに、訳を知ってる相手にこうも傲慢な態度で居られて、腹を立てるなというのが無理な話だ。


 パトリシアが深くため息をつく。

 そして、この世の不満をぶちまけるみたいに投げやりな声で言った。

「これだから、いまの世の男性が嫌いなのです。やかましく、尊大で、あきらめが悪い。怒鳴り散らせば自分の思い通りに物事が進むと思いこんでいる。甘やかされた子どもと、何も変わりません」

「こっ……の、クソ女!」

 怒りに任せて、俺はパトリシアの胸倉につかみかかった。


 パトリシアは俺を冷やかににらんだ後、ふっ、と俺の前から姿を消す。


 えっと思ったのも束の間、パトリシアは俺の足元に屈みこんでいた。ブリキの腕が、金髪人形の細い手でつかまれる。息つく間もなく、俺はパトリシアに背負われ、その勢いで投げ飛ばされた。がちゃん、とブリキの背中が地面に打ちすえられる。……それで、ようやく、頭が静かになった。


 逆さまになった視界で見上げると、パトリシアはドレスの汚れをはたいていた。

 彼女は金髪の毛先を軽くすいて、淡いブルーの瞳で俺を見下ろした。

「遺体安置所と、病院の場所をお教えします。遺体安置所は、ラバー・ストリートの脇にある小道を進めば見つかります。目星をつけた病院は三か所です。メイン・ストリート、C13番地。工場区画南側。あとは、鉄道での移動になりますが、ホーク・バレーという鉱山街にも、小さな病院があります。蒸気機関車の使用には、本来それなりの料金が必要ですけれど、人形なので、荷台に隠れれば問題ありません」

 そう言って、パトリシアは踵を返す。

「次にお会いするのは、あなたが本体を見つけた後にしましょう。それまでは、あの家に近づかないようにお願いします。人形の体なら、多少地面が固くても、寝るには困らないはずです」

 パトリシアの背中が遠ざかる。

 俺は転がるように起き上がった。

「待ってくれ! 俺にはもう、おまえらしか当てが……」

 ぴたっと、パトリシアが立ち止まる。

 それから振り向いた彼女の目は、汚いものでも見るかのように、据わっていた。


「では、教えてください。——あなたの使命はなんですか?」


 静かな路地にあって、彼女の声はよく聞こえた。

 問いの意味をとらえかねている間に、パトリシアは続ける。

「人間には魂があり、魂があるからこそ、ひととして生きていけます。——古くさい考え方ですが、その魂には、そのひとにあるべき使命が宿るといわれています。わたくしにはわたくしの使命があり、レナさんにはレナさんの使命がある。年齢、性別、階級の差は関係ありません。わたくしたち人間は、ひとつの使命をもって、この世界で生きています」

 ビスクドールが再び問う。

「ミスター・ハンバー。あなたの使命は何ですか」

 と。

「ブリキ人形に入ってしまった、その魂にもあるはずです。少なくない時間、あなたはこの世で、人間として生きていた。その間に見つけた、あるいは気づいた、あなたの使命。魂に刻まれたそれは、何があっても忘れがたいもののはず。それはいったい、何ですか?」

 暗い静寂が、俺とパトリシアを包みこむ。

 一際強い風が吹き抜けた。しかしその風は、俺たちの沈黙を拭い去ってはくれなかった。ただ吹いて、どこかに消えていっただけ。風の音が消え、さっきより色濃い沈黙があたりを満たしていく。

 おれはただ、パトリシアを見つめるしかできない。

 パトリシアは、俺の心を察したように、路地のかげに消えていった。


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