20
翌日。
俺、レナ、パトリシアの三人は、パーク・ストリートB12番地に帰ってきた。
ギディとの取引は成立した。
レナはアスポートを使い、ギディの魂を本体に戻した。同時に、クリスに囚われていたパトリシアが解放され、それを見届けてから、兵隊人形に入っていたサイモンの魂が戻された。
目を覚ましたギディは、瑛国紳士の見た目に似合う、穏やかな調子で言った。
「取引は成立だ。明日の朝、コンテナ機関車が出発するのに合わせて帰りなさい」
レナの肩に乗ったパトリシアが耳打ちする。
「レナさん、注意してください。紳士だなんだと謳っていますが、相手は賊です。油断した隙に、後ろから……」
「おいこら」クリスが声をすごませる。「失礼なこと言ってんじゃねえぞ。マジで首をへし折ってやろうか」
おびえるパトリシアに、ギディは優しくほほ笑んだ。
「ミス・パトリシア、ご安心ください。これもまた、最初に言ったとおりです。取引とはつまり、コミュニケーションです。成立した取引をないがしろにするなど、あってはならない。背後からとか、寝こみを襲うとか、そういうやり方は紳士的ではありません」
パトリシアは言葉を失ったように黙りこんだ。
朝陽がのぼると同時に、レナはコンテナ機関車に乗り、ピジョン・シティへと帰還した。
B12番地に帰るなり、レナはシャワーを浴びに浴室に向かった。パトリシアはリビングの隅で膝を抱えて、「みっともない日々でした」と、何やら落ちこんでいた。シャワーから上がったレナは、パトリシアに声をかけることなく、寝室に入ってしまった。それから、何か書き物をしているらしく、しばらく部屋から出てこなかった。
やることのない俺は、窓の桟に立って、朝日に照らされた通りを見つめていた。
……そう。
俺はまだ、自分の本体に戻れていなかった。
ギディの魂が元に戻った時点で、俺の本体は空っぽになっていた。だからレナは、これまでと同じように、ブリキ人形と俺の本体に手を当てた。……しかし、レナの両手はまったく光らなかった。
アスポートが使えない。
レナ自身も予想していなかったのだろう。彼女はブリキ人形を握ったまま、首をひねるばかりだった。
結局、レナひとりで青年の体を運ぶのは難しく、後ほど、ギディがB12番地まで届けてくれることになった。
夜。
レナが食後の紅茶を飲んでいるときに、表の玄関がノックされた。
レナが出ると、玄関の前に、スーツ姿の男性が立っていた。トップの長い帽子を被っている。黒い手袋をした左手には、『J』の字を逆さにしたようなステッキがにぎられている。彼は大きなバッグを背負っていた。ギディだ。
「こんばんは、レディ。要求の件で、参上いたしました」
恭しく頭を下げる彼を、レナはリビングに案内した。
ギディはレナの対面のソファに腰を下ろし、興味深そうにリビングを見回した。
「とても良い部屋だ。ソファは上等。床も壁の木材も一級品だ。ほかにも部屋があるみたいだけど、何の部屋だい?」
「てきとうな資料室とか、シャワー室とか」
「ほお。ずいぶんと凝った家だ。パーク・ストリートにあるにしては上等すぎる」
「内装なんてどうでもいい。本題に入りましょう」
ギディは「やれやれ」と肩をすくめ、「まずは検品を」と、側に下ろしたバッグを開けた。バッグの中には俺の本体が入っていた。
「そのままバッグに入れておいて。床に置いたら汚れる」
俺の本体を汚れもの扱いしないでほしい。いや実際、煤やら汗やら、相当に汚れているんだけど……はっきり言われると心にくるものがある。
ギディは素直にバッグを閉めた。
「さて。約束どおり、ひとりで来たわけだが……どんなもてなしをしてくれるのかな」
レナは立ち上がり、一度寝室に入って、一通の封筒を手に戻ってきた。
テーブルに差し出された封筒を、ギディはまじまじと見つめた。
「これを、ある場所に届けてほしい。追加のベットは、まだ余力があるでしょう。それを使わせて」
「それは構わないが……どこに持っていけばいい?」
レナは一呼吸分、間をあけて、
「《トワイライト島》、そこにある別荘まで。名前は、《ドロシー・ハウス》」
俺とパトリシアは、ぽかんと口を開けた。
レナはいま、どこだと言った?
聞き間違いじゃなければ、確かそこは……。
ギディも目を丸くして、こわごわとたずねた。
「レナさん、あなたは、ほんとうに何者ですか? トワイライト島のドロシー・ハウス? そこがどういう場所が、あなたはご存じなのですか?」
レナは「もちろん」とうなずいた。
「その島は、現・瑛国の女王様の避暑地。あの人が滞在するとしたら、ドロシー・ハウスしかない。ここしばらく、女王様が公務にいらした様子はないから、その別荘にいるのは間違いない」
「……少々お待ちください」
ギディは考えこむように目を閉じ、まぶたを押さえた。
「まさか、この封筒を、女王陛下の元に届けろ、なんて言いませんよね」
「そのまさか——」
俺たちがぎょっと肩を揺らすのを見て、レナが肩をすくめる。
「——っていうのは冗談。女王様はここ最近、お家騒動やらなにやらで、ずいぶん疲れてるみたいだから。そんな女王様のところに行けなんて言わない」
つまり、お疲れでなかったら当人のところに行けと言っていた、ってことだろう。
ギディが探るように視線を上げたのを見て、レナは続ける。
「女王様のそばには、王族家族の他にも側近がいる。そのうちのひとりに、この封筒を渡してほしい。稀代の大泥棒なら、船に忍びこんで、小島に行くくらい、なんてことないでしょう?」
「ええ、まあ、そのくらいは容易く……それで、その相手は、どんな人物ですか?」
「占い師」
レナは短く答えた。
「その占い師と一緒に、女王様の付き添いで、ドロシー・ハウスに行ったことが何度かある。もう二、三年も前の話だから、正確には覚えてないけど……占い師の部屋は、東側の廊下のつきあたりにあったはず。そこに投げこむだけでいいから」
「簡単に言いますね……封筒の中身は?」
「手紙。王室の近衛兵と調査団を、ピジョン・シティに送ってほしいっていうお願いが書いてある。その占い師に頼めば、そのくらいのことはしてもらえるから」
レナは窓の方に目を向け、物憂げにため息をついた。
「わたし、この街の労働者がストライキを起こしていたのを知らなかった。けど、ストが起こっても、この街は変われなかった。国の南部じゃあとっくに守られているはずの、あらゆる労働者向けの法律や子どものための規律がまったく順守されていない。 そのツケを払ってもらいましょう」
レナは小さくうつむいた。
「子どもが悪いことをしているのを見たら、親は叱るでしょう? それと同じ。一度、お母さんにこっぴどく叱られないとね」
ギディがさらに何かをたずねようと口を開いた。
しかし、レナがそれをさえぎった。
「わたしの要求、覚えてる?」
レナは三本の指を立ててみせた。
ギディはまばたきして、それから、余裕を取り戻した様子で口元をゆがめた。
「もちろんです。今回の一件に関して、私を含め、レナさんの力を見た者は、その一切を口外しない。そして、あなたについても深追いはしない。約束しよう」
ギディが黒い手袋を外し、左手を伸ばす。レナはそれをにぎり返した。
こうして、レナとギディの取引が終わりを告げた。
ギディは封筒をスーツの内ポケットにしまい、玄関を出る。それから、思い出したように振り向いた。
「あなたたちの安全を保障する、という約束もありましたね。それを守るうえで、ひとつ警告を。……いま、この街に殺人鬼がいるのはご存じですね」
レナがうなずく。
「その正体はおそらく、クマのぬいぐるみです。愛らしい見た目をしているが、その行いは常軌を逸している。私も腕には自信がありましたが、防戦一方でした。詳しくは、フィンさんから聞いていただくとして……くれぐれもご注意ください。私たちも、しばらくは都市部での襲撃を控えます。殺人鬼と対峙して、命を狙われてはたまりません。せっかくこうしてつながった命なのだから。……もしかしたら、」
ギディは胸ポケットに視線を向けた。
「この封筒が、私たち義賊の終焉となってくれるかもしれませんね」
ギディは深く一礼し、
「それではごきげんよう。フィンさんが人間に戻れることを、祈っています」
そう言って、夜の暗闇に消えていった。
ギディが去って、しばらく。
リビングに、パトリシアの声が響き続けた。
「レナさん、さっきの話は何ですか! トワイワイト島? ドロシー・ハウス? レナさんは王族の方だったのですか? もしくはその関係者? 部屋の調度品、内装の豊かさ……パトロンとは女王陛下ですか? それとも先ほどおっしゃっていた占い師? ああ、もう、わたくしはどう気持ちを整理すれば!」
「パティ、うるさい」
レナはパトリシアの全身にクッションを押し当てた。
ふたりを差し置いて、俺はギディが持ってきたバッグを見つめていた。俺の本体はここにある。あとは、俺の魂が本体に戻れば、それですべてが終わる。それなのにどうして、俺は本体に戻れないのだろう。
レナの力が使えなくなったわけではない。現にレナは、ギディの魂もサイモンの魂も、元に戻してみせた。
原因があるとすれば、それは……。
「タイムリミットは更新された」
レナが言った。
「これまでギディが入っていたから、しばらく肉体が腐ることはない。少なくとも、あと二週間は余裕がある。焦る必要はないから、その間に、ハンバーさんの魂が本体に戻れない理由を考えよう」
「……ああ」
夜が更けていく。
その日、俺はバッグの側で眠った。
いつもより、深い眠りにつけたような気がした。
——第3章 了——
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