10-2
その日、ギディは数人の仲間を連れて、ホーク・バレーの大通りに向かった。
いつか、どこかで聞いたことがある。この国より植民地の方がまだましな生活をしているらしい。遥か南方の国から奴隷を集め、綿や麦を栽培させる。植民地の地主の性格にもよるのだろうが、そもそも飢えることがないらしい。
それなのにどうして、国内はこれほど荒れ果てているのだろう。
ギディは大通りを見回し、暗く目を細めた。アパートメントの階段には、働けなくなった大人たちが酔っ払って転がっている。路地には飢えた子どもや野良猫がいて、人目から逃げるように、身を縮めている。
ホーク・バレーの住人にとって労働とはただの労苦でしかなかった。まるで祖先の犯罪を清算するために、その手足に重い枷をされているように、この街では働き続けなければいけない。男と小さな子どもはホーク鉱山で、女とその他の子どもは洗濯場や織物工場で。鉱山は常に崩落や爆発の危険がつきまとう。洗濯場や織物工場では、たちこめたガスで肺を壊し、強い洗剤で手足は荒れ放題になる。
長時間働かされて、真面に頭が働くはずもない。心身ともに疲弊した彼らは酒におぼれ、快楽に身を落とす。家に帰る間もなく、道端で夜を明かす。ジン横丁もかくやというような景色が、ホーク・バレーには広がっていた。
「いつ見ても、ひでぇもんですね」
サイモンが苦々しくうなる。他の仲間たちも、一様に暗い表情をしていた。
「俺らは頭についていくことを選んだ。みんなもそうしたらいいんだ。この街は……この国はもう、平和的に変わっていくことはできない。行動で示すしかないんだ」
「……みんながみんな、選ぶ力を持っているわけじゃないさ」
ギディは努めて平静に言った。
「何かを選ぶためには力がいる。力を出すためには、腹を満たす食事と、心を満たせるだけの余裕が必要だ。ここにいる者はみな、その力さえ奪われている」
役人が鞭を打つ名目は「国の発展」、「街の発展」のため。……そのためなら、同じ人間さえ道具のように使い潰す。そんなことができる奴らなのだ。そんなことしかできない奴らがこの国には蔓延っている。発展するための足場を支える者を足蹴にしていることさえ、彼らは意識しない。
重く沈む気持ちを打ち消すように、ギディは顔を上げた。
「そんな、か弱い者を守るために、俺たちはいるんだ。アジトでも説明したとおり、私がギディだというのは、くれぐれも伏せおくように。無用な混乱を生むかもしれないし、役人の耳に入ったらこの体でも襲われかねない。……さあ、始めよう」
ギディの合図で、仲間たちは散っていった。
昨日の戦利品を、貧しい民に配って回る。
貴族への抗議と、貧民たちの救済を同時に行う。
どちらか片方では成り立たない。
ギディが出した答えは、この盗賊活動にこそ現れている。
義をもって盗みを為す——義賊だった。
ギディも小さな袋を持って、倒れる大人や、路地の子どもたちに金品を配った。それがあれば数日分の食糧を買えるし、もっといい寝床にありつくこともできる。
「西に行けば、少ないが寝床と食事がある。どうしようもないなら、そこへ行くんだ」
大人も子どもも、うつろな目を向けるばかりだった。
少しでも顔を上げてくれるなら儲けものだ。しかし、ギディの声かけはどれも空振りに終わった。誰も彼も、誰かの言葉に耳を傾ける力さえ残っていない。
そんななかでも、行動することを選択できる人は希少だ。自分を助けるためだろうと、国に訴えるためだろうと、何かの意思を掲げて行動できる人間は強い。
昨日助けた、あの少女のように。
彼女の瞳には、そういう意思が宿っていた。やり方は、とてもレディらしくなかったが、それでも彼女は行動した。行動したからこそ、ギディの仲間に入ることができた。誰もが彼女のように動き出してくれれば……
(そういえば、名前を聞いていなかったな)
帰ったら聞いてみよう。いまは、やるべきことをやる時だ。
ギディは再び、別の民に盗品を分けようと歩き出した。
「ああ!」
突然上がった大声に、ギディは足を止めた。声の方に向くと、ひとりの少年が、右足を引きずりながら駆けてきた。顔も服も煤で汚れている。鉱山労働者の子どもだろう。フリータイムで学校に行こうとしているのか、彼の後ろには同年代の子どもがたむろしていた。
その少年はギディの前で止まった。
「フィン! 大丈夫だったの?」
「……失礼、人違いではないか?」
「え?」
少年が声を上ずらせた。
「フィンって、そんなしゃべり方だったっけ?」
そこで思い至った。いまの私は、ギディ・ブラックバードの体ではなかったな。
ギディはひとつ咳払いして、
「すまない。実は、しばらくいない間に、記憶をなくしてしまったらしいんだ」
少年はぎょっと目を見開いた。
「やっぱり、あのとき頭を打ったんだ。それか排煙を吸っちゃったんだ。鉱山の灰は、麻薬より体に悪いって聞くし」
慌てふためく少年を、ギディは「どうどう」となだめた。新しい言い訳を(いくつ嘘を重ねるんだろうと思いながら)考えている間に、別の案が浮かんだ。
ギディは腰をかがめて、少年と目線の高さを合わせた。
「キミ」
「なんだよ、俺の名前も忘れたのか。キュールだよ」
「キュール少年。よかったら、私の記憶を取り戻すために、少し話を聞かせてくれないか。……フィンという人物が、どういうふうに見えていたのか」
キュールは心強そうに胸を叩いて、ギディの手を引いた。
「学校より、そっちの方が楽しそうだ!」