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開いた口がふさがらない。
唖然とする俺に、金髪人形が首をかしげた。
「どうなさいました? もしや声が出ませんの? 野良猫に顎を砕かれたようには見えませんが」
俺は震える手を持ちあげて、そいつを指差した。
「人形が、しゃべってる」
「あら、しゃべれるじゃありませんか」
「そりゃあ、しゃべれるけど……はあ? なんで人形がしゃべってるんだ」
「はい? いまはあなたも人形でしょう」
そう言って、金髪人形は手袋をしたまま、右手を伸ばしてきた。
白い手を取って立ち上がり、金髪人形をまじまじと見つめる。
金髪人形は、俺とほとんど同じ大きさだった。四頭身で、頭と胴体と下肢がほどよい均整を保っている。持ち主に手入れされているのか、それとも自分で手入れしているのか、金髪にもドレスにも、汚れひとつ見当たらなかった。
金髪人形は軽く挨拶をするように、俺の手を小さく揺らした。
「わたくしはパトリシア・リーズ。あなたは?」
「えっと。フィンリー・ハンバー」
「ミスター・ハンバー。どこか具合が悪いところはありませんか? 足が動かないとか、頭が働かないとか」
「いや、そういうのは、まったく」
パトリシアは「そうですか」と穏やかにほほ笑んで、
「では、あとは、おひとりで何とかできますね」
「え?」
「それでは、さようなら」
彼女はいきなり別れの挨拶を告げ、にぎっていた手を離し、俺に背中を向けた。
「ちょっと、待って!」
俺はあわてて後を追い、彼女の前で通せんぼするみたいに両手を広げた。
「頼む、おいていかないでくれ!」
パトリシアは不審そうに目を細めて、
「なんですか。精彩を欠いた男性なんて、相手にしたくないのですけれど」
せいさ……なんだって? いや、いまは言いまわしなんてどうでもいい。やっと似たような存在に出会えたんだ。こんな絶好の機会、逃すわけにはいかない。
勢いこんで訴えた。
「頼む、助けてくれ!」
「頼まれません。勝手に助かってください」
「お願いだ! お礼ならする。なんでもする!」
またしてもどこかへ行こうとする金髪人形の前に、俺はまた腕を伸ばした。
パトリシアは面倒くさそうに眉をひそめ、それから、生涯の仇を前にしているといわんばかりの調子で、
「あなたのように頭を下げてきた男性を、これまで20人ほど相手にしてきました。その誰もが礼儀のなっていない野蛮人でした。……あなた、しゃべり方からして、どこぞの労働者でしょう? 下賤な輩を相手にするなんて、ごめんですわ」
ぐいっと肩を押される。女性(声質からして女性)、かつ人形の姿とは思えないほどの力に、俺はすっころげた。初対面の相手に対して、あまりにも無礼な態度……それでも、あきらめるわけにはいかない。
俺は地べたを這い、白いフリルにしがみついた。
パトリシアがぎょっと目を丸くして、俺の手を振りほどこうと、ドレスを引っ張った。引きはがされまいと、俺は両手に力をこめた。
「ちょっと、もう! 離してください!」
「お願いだ、頼む! こんな姿になって、わけがわからないんだ。ブリキ人形になってるのに、どうして声が出せるんだ。手足も動くし、物を触る感触も……ああいや、温度とかにおいとか、そういうのはわからないけど……耳! 耳も聞こえる! そもそも、人間の体じゃないのに、どうして人間みたいに動けて!」
やがて、パトリシアは苦々しく顔をゆがめて、力なく肩を落とした。
「はい、はい、わかりました。わかりましたから、もう黙ってください」
パトリシアがドレスを引っ張って、俺の手を引き離す。
俺がつかんでいたフリルには、赤黒い錆がついていた。
「ああもう、洗わないと……」
彼女は汚れたフリルを持ち上げて、先を歩き出す。
「ついていらしてください。あなたのような存在を専門に扱っている方のところに、ご案内します」




