12
リリアの家は留守だった。
母親くらいいるだろうと、レナは呼び鈴を鳴らして、しばらく玄関に立っていた。しかし、いくら待っても家主が顔を出す気配がない。ノックをしても、返事はないままだった。
「変だな」
リリアが不思議そうに首をかしげた。
「朝のこの時間、あの人がいないはず、ないのに」
「あの人? 家族の他に、誰か住んでるの?」
レナがたずねると、リリアはぶんぶんと、大きくかぶりを振った。
「違います。えっと、その……お母さんがいないの、変だなって、思っただけです」
俺もパトリシアも、リリアのその返事に目を細めた。母親とうまくいっていないのだろうか。母親のことを口にしようとすると、やけに口ごもるのも、それが原因かもしれない。
レナはその場を離れ、また街を歩き出した。
次にやってきたのは、中流階級の生活区、メイン・ストリートの中ほどにある病院だった。リリアの本体を拾ったのが、なにもそういう輩と決まったわけではないのだ。となれば、抜け殻の本体が担ぎこまれた場所は限られてくる。病院は、その候補の筆頭だった。
バッグの中にいるから、外の様子は見えない。
それでも音は聴こえるから、あたりの状況は何となくわかった。たくさんの声や足音が絶え間なく、ざわざわと空気を震わせている。待合はかなり混んでいるらしかった。
レナが受付に立ち、若い受付嬢にたずねた。
「面会したいのですが、よろしいですか」
「はい、お名前をどうぞ」
「リリアナ・キャンベラ。昨夜、街中で倒れているところを運びこまれたと聞いたので」
若い受付嬢はその名前を繰り返し、書類をめくり始める。入院患者のリストでも見ているのだろう。「えっと、えっと……」不慣れなのか、かなりまごついている。
それを、隣にいた先輩の受付嬢が見とがめたらしい。
「ちょっと、何やってんのよ」と声をいがらせて、若い受付嬢を叱りつけた。
「す、すいません」
「リスト漁るだけでしょ。どんくさいんだから」
先輩の受付嬢がリストをひったくり、慣れた手つきでリストをめくり出す。やたらとページをめくるのが速いうえ、途中、眠そうにあくびをしていた。二十秒と経たず、ぱたん、とリストが大仰に閉じられた。
「いないわ」
「いないって?」
「そのままの意味よ。そんな入院患者はいないってこと。わかったら、出直してきて」
レナがわざとらしく声をうわずらせた。
「ほんとうに? よく探してみてください」
「しつこいわね。何度だっていうわよ。リリアナ・キャンベラなんて患者はいない。チップを渡されても答えは同じ。いいから、出直して」
レナはひとつ息をついて、
「それじゃあ、フィンリー・ハンバーさんは?」
「はい?」
「フィンリー・ハンバーさんです。入院していませんか?」
「……あんた、何しに来たの?」
「これが最後ですから」
先輩の受付嬢は、またリストを開き、ゆっくりとめくっていく。
それから、またリストを閉じた。
「いないわ。ねえ、そろそろ警備員を呼んでいいかしら」
「お構いなく。それでは」
レナは踵を返し、病院を後にした。
中流階級の病院は、少し離れたところに、もう二軒あった。
その二軒とも、返事はほとんど同じ。受付嬢の中には、リストをじっくり眺めたり、実際に病室のほうに確認に行ってみたりするひともいたが……結局は、「そんな患者はいない」「冷やかしなら帰ってくれ」とあしらうばかりだった。
ところ変わって、レナが向かったのは、遺体安置所だった。
労働者階級の居住区、ラバー・ストリートの裏側にある小さな通りだ。周囲はやたらと大きな長屋が立ち並び、日の光はほとんど届かない。——相変わらずの曇り空だから、日差しなんて期待すべくもないのだが。——路面はあちこちひび割れ、やけに空気が淀んでいる。遺体安置所は、そんな場所にあった。
入り口にはふたりの警官が立っていた。若い警官と壮年の警官だ。それぞれ反対の方向に目を光らせて、番をしている。
レナは物かげに隠れて、のどを数回鳴らす。
ひとつ息をつき、物かげから歩み出た。
若い警官がレナを見つける。頭から足先までさっと観察して、にこやかに声をかけた。
「お嬢さん。こんな暗いところを歩いたら危ないよ。表の通りに戻りなさい」
「あの、えっと、その……」
レナはまるで、最初からそんな性格だったというように、口調をおどおどと落ち着かなくさせた。
「妹が、ここに、来てませんか?」
あまりの豹変っぷりに、思わず眉をひそめた。服装といっしょに性格まで変わるのか? この女、底が知れない……。
壮年の警官も近づいてきて、「なにかあったのか?」と心配そうに言った。
レナはこくりとうなずいて、
「昨日の夜から、帰ってこなくて。この街、いま、物騒だから……もしかしたら、ここにいるのかもって、思って」
レナの声が少しずつ震えだした。
「い、嫌な想像が、ずっと消えないんです。わたし、あの子に、ひどいこといってしまって。も、もし死んでたら、わたし、あの子に一生、償えなくなって……」
こらえきれなくなったように、レナはしゃっくりを上げた。
「妹さん、何歳くらいかな」
「は、八歳、です」
警官たちは互いにうなずき、若い警官が建物の中に急いだ。そう時間が経つことなく、若い警官が戻ってくる。柔らかいほほ笑みを浮かべ、ひとつうなずいてみせた。
壮年の警官もうなずいて、レナの頭を優しくなでた。
「大丈夫。妹さんは、ここにはいない」
「ほ、ほんとう、ですか?」
「ほんとうさ」若い警官がいった。「ここ数日、子どもは運ばれていないよ」
そうですか、とレナが胸をなで下ろした。
「とはいえ、何か事件に巻きこまれていたら、大変だ。シティ警察に、捜索願を出しておくよ。念のため、住所を控えさせてもらっていいかな」
レナは、「C102番地」と、職場の住所として「B12番地」を告げ、その場を立ち去った。警官たちの気配が遠ざかる。レナはまた物かげに隠れて、のどを数回鳴らした。
「ハズレね」
淡々といって、レナはすぐさま、表通りに足を向けた。
その切り替えの速さに、俺はまたひとつ、背筋が震えた。




