第八四話 カエルは宇宙酔いします その7
NPC。
略してノンプレイヤーキャラクター。
あ、逆か。
まあともかく、チビアディーがそんな単語を知っているのは、勿論アタシが知ってるからだ。
そしてアタシは、恵美からその単語を学んだ。
去年だったか、とあるオンラインゲームにはまった恵美が、これまたとある店の看板娘のNPCにひたすら話しかけるという行為によって。
客として話しかけると商品の売買トークが始まるけれど、裏口から入って話しかければ個人的な話ができるんだとかで、何度も何度も裏口から入っては追い出されていた。
何が面白くてそんなコトをやっていたのか?
恵美に言わせると、そのキャラクターが大変好みだからというコトだった。
因みに恵美がそのゲーム内でやったことは、NPCに話しかけるというコトだけだった。
ダンジョンに入って経験値を積むコトもなく、イベントを進めることもなく、はたまた他のゲーマーとの会話に花を咲かせるコトもなく。
それはゲームにハマっているんじゃなくて、完全に女の子にハマっているだけなんじゃないだろうか?
ていうか、マジでヤバい方向に行ってないか? 我が幼なじみはYO。
なんてコトを考えながら、ナマ温かい目で見守ったものだ。
ところがドッコイ。
恵美のゲームのゲーム性を完全に無視するという、ゲームそのものへのアンチテーゼとしか思えない行為は、意外な結末を迎えることとなった。
なんと、NPCへの話しかけが一万回となった瞬間、NPCは超激レアキャラへと変貌し、仲間になると言ったのだ!
超激レアイベントとして世界中のゲーマーが見守る中、しかし超激レアキャラが恵美の好みからかけ離れていたため、恵美はアッサリとそれを断った。
そして今度は、別の店の看板娘に声をかけ始めたのだった…。
その超激レアイベントは一度きり。誰かが発動させると、二度と発動させられない。
かくして超激レアキャラはネットの海の藻屑となり、恵美は「ある意味勇者」伝説を作った。
ウソかホントか知らないけれど、今でもオンラインゲーマー達の間で語り継がれているらしい。
で。
アタシが何を言いたいかというと。
「エセド変態に一万回話しかけたら、本物のド変態になるんじゃね?」
きっと多分あのド変態もココにいる。
問題は、ドコにいるのかってことだ。
「アレはただのNPCかもしれなくってよ? あの根性の捻くれたド変態が、分かりやすく自分自身に入り込んでるとは考えにくいわ。だとすれば、また別の人間に一万回話しかけるの?」
「う~ん、効率悪いか」
もしそんなことになったりしたら、何時ココから出れるのか分かったモンじゃない。
「それに、別に超激レアキャラじゃないんだから、そこまでの手間はいらないんじゃないかしら?」
多分その通りだとは思うんだけど、仮にも夫だった記憶があるんだからもうちょっと気遣いを、とは思わない。なんせ相手はド変態だし。
そのド変態(少年の方ね)はといえば、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた侍女さん達に、何処へともなく連れ去られて行ってしまった。グルグル巻きの簀巻きにされて。
血統第三位の王太子をそんな扱いして大丈夫なんだろうかと思ったけど、彼女達が仕えるのは血統第一位。第三位如き恐るるに足らずってコトなんだろう。
それにしても、駆けつけてきた侍女さん達の表情は凄まじかった。
ムンクの「叫び」も顔負けの無言の叫び。
綺麗ドコロが勢揃いしてそんなもんだから、余所サマの王太子相手に流石にやり過ぎたのかと一瞬思った。
けれど彼女達をそうさせたのはイスマイル王太子の満身創痍な惨状ではなく、トンデモないコトになっていた王女サマの頭髪だった。
当然の如く、アタシは説教された。
コンコンと。そりゃもう、コンコンと。
お陰で、久しぶりに視界が滲むという経験をした。
そしてアタシが説教を受けてる間に、エセド変態少年はグルグル巻きにされ…。
アタシはアタシで、半泣き状態のまま王女の私室に連れ戻された。
「今日一日は部屋から出られませんように。ジェイディディア、アナタは何かしようとは考えないように」
そこまで言うなら二人きりにしなけりゃいいのにと思うけど、二人きりの方がありがたいので、アタシは素直に頷いた。
それはそうと。
と、アタシはジェイディディアの小さくて細い手をジッと見る。
細い指は六号くらいだろうか。
こちらの人間は欧米人並に大柄だから、六号なんて相当細いことだろう。
さぞかし繊細な動きが似合いそうだと思うのに。
「………言っておくけれど、不器用なのはそのジェイディディアじゃなくて、アナタなのよ」
やっぱり?
「う~ん、料理する分には不自由ないんだけどなあ」
かつらむきや飾り切りができるとは言わないけれど、それなりに使える手だと思っていただけに、実は密かにショックだったりするのである。
「ていうか、今更な疑問なんだけど」
「一々『ていうか』という癖は止めなさい」
「なくて七癖。癖なんて止めようと思って止められるモンじゃないんだよ」
「……年々へりくつばっかり覚えていくわね」
チビアディーの呆れた様な眼差しに、ムッとしたアタシはぞんざいに言い返す。
「分かったよ。止めるように努力するよ。だから話進めようよ」
そんなアタシにチビアディーは小さく溜め息を吐くと、
「わかったわ。で、何の疑問なの?」
「いや、ジェイディディアって、実在したのかなと思って」
「………それこそ今更だけど、その可能性は高いでしょうね。誰かの記憶が元になっているのなら、その誰かが知らないもしくは覚えていない人間なら、そこらへんにいるへのへのもへじ顔のNPCみたいに曖昧な造作になってるはずよ。でもジェイディディアは顔立ちもハッキリしているでしょう?」
なるほど。
「じゃあなんで、アタシがジェイディディアに入ってると思う?」
アタシがそう訊ねると、チビアディーは一瞬難しい顔をして、
「この夢が、ジェイディディアの夢だから。そう思うのはおかしな事かしら?」
アタシもそうじゃないかと薄々は思ってたんだけど。
なんでジェイディディアの夢がアタシの夢と繋がっているのか?
アタシの夢の「バグ」とどう関係してるのか。
疑問が尽きる事はないけど、答えは一向に得られない。
「ジェイディディアって、年齢的に『まだ』生きててもおかしくはないよね?」
「城勤めなら、戦渦に巻き込まれて亡くなった可能性も高いわよ」
「死んでる人間の夢って、アリなの?」
アタシがそう訊ねると、チビアディーは少し思案して、
「そうね…。例えば、亡くなった人の夢を見る事があるでしょう?」
「………うん」
アタシも、つい最近見たばかりだ。
「それはね、アヌハーン神教では、亡くなった人が私達の夢に出ているのではなく、私達が亡くなった人の夢に入り込んでいると考えるのよ」
「えっと。死後も人は夢として存在してるって事?」
「少し違うわ。余りに強い思いを残したまま死んでしまうと、その人の記憶が、夢の双性神の胎内に残ると言われているの。だから死んだ人の夢をみないというのはね、その人が思い残すことなく亡くなったという風に解釈するの」
アタシはちょっと悩んだ。
ひょっとして両親は、カエルのお面を被れなかったのが未練であんな姿に…。
なんて考えてしまったからだ。
どんだけカエルのお面に思い入れが…。
我が両親ながら、その思考回路がよく分からない。
いやいや、コレはあくまでもアヌハーン神教の解釈であって、二一世紀の日本人であるアタシとは関係ないハズだ。
アタシの両親に、カエルのお面に対する未練はない。多分。
「とにかく、生死に関わらずジェイディディアの『夢』は存在するって解釈でいいのかな」
死後の世界がどうとかってのは、アタシには分からない。
けれど多分重要のは、何をどう信じているかという事なのだ。
でなけりゃ実際やってらんねえよ。夢の中での謀略なんて。
「そうね。ただ、ジェイディディアにあなたが入り込んでいるということは、ジェイディディア本人はもう存在していないのかもしれないわ」
「……………」
一年後に起こるゴーシェのクリシア侵攻の事を考えると、憂鬱になる。
会った事のないニレニア王女も、このジェイディディアも、ココで知り合った魔女っ子美少女ルディナリアも、童顔巨乳美少女サリナも。
みんなみんな、アタシよりももっとずっと若い。幼いと言ってもいいくらいだ。
アタシは何となくだけど、ジェイディディアの「夢」が存在し続けている意味が分かったような気がした。
だって。
みんな、ここにいるみんながみんな、死んじゃったのだ。
アディーリアを除いて。
夢の中でだけでも存在して欲しい。
ジェイディディアはそう願ったんじゃないだろうか。
強く、強く。
それは優しくて、けれどとても悲しいことだ。
願うことしかできないなんて。
けれどアタシは違う。
リズの幸せを願う。
そしてそのために、行動する。
「よっし! さっさとココから出て、リズの元に戻ろう!」
アタシは立ち上がると、拳を振り上げて宣言した。
「と、突然やる気になったわね。けれど、どうやってド変態をあぶり出すつもりなの?」
「う~ん、カエルの王子サマ作戦?」
「却下」
「まだ詳細言ってないじゃん」
「言わなくても分かるわよ。いいこと? 私はド変態とは恋愛できなの。それならカエルとキスする方がマシよっ」
「けど、ド変態のお姫様はアディーリアなんだし」
「私はアディーリアであってアディーリアではないわ」
「そりゃそうだけど。ここは一つ目を瞑ってよ。ココから出るためにさ」
「………じゃあ、訊くけど。アナタ、あのモザイク顔の神官とキスできる?」
なんでそこにモザイク顔の神官が出てくるのかは分かんないけど。
ド変態を引き合いに出されるよりはマシだろう。
「あっはっは、ムリムリムリムリムリッ。そもそも口の位置すらわかんないしっ。それにさ、アタシには嫁入り前の少女の身柄を預かっているという重大な責任があるのだヨ」
オトメの魂に掛けて、成人したての少女を三十半ばのオッサンの毒牙に掛けてなるものか。
そんな決意を込めてそう言うと、チビアディーはキッと眦を釣り上げた。
「三歳のアディーリアは、もっと嫁入り前よっ!」
「うっ」
そこを突かれると、確かにイタイ。
しかも困った事に、あのド変態はこの三歳児に既に懸想している。
「ん?」
「どうしたの?」
「そういやあさ、前にド変態が言ってたよね」
「何を?」
「ホラ。初めてアディーリアに会った時、この美しい少女を娶れる幸せがどうとかって…。それってさ、まるで『今』既にアディーリアとの結婚が決まってるみたいじゃね?」
「それは、おかしいわね。だって、『今』はまだニレニアが婚約者のはずよ?」
最初からニレニアと結婚するつもりなく婚約したってコトか?
情報通のルディナリアの話によると、イスマイル王太子の正妃候補にはゴーシェの王女も挙がっていたらしい。
「王太子のウチは、一人しか正妃をとれないんだったっけ?」
だから、リズ兄も今はまだ正妃は一人だけだ。
「そうよ。それだけに、第一正妃の選考は重要よ」
そりゃそうだ。王太子時代の権力基盤になるワケだし。
結局クリシアは滅んで、ゴーシェは罰として上位の血筋とは結婚できなくなって、だからナディシスの王女を第一正妃として迎える事になるワケだけど。
「けどさ、ゴーシェを蹴ってクリシアを選ぶ理由って何?」
アタシがそう訊ねると、チビアディーはゆるりと首を振って言った。
「正直言って、ないわ。クリシアはゴーシェよりも血統順位は高いけど、所詮は二二位。イスマイルでいえば子爵クラスよ。鉱物資源の豊富なゴーシェとの婚姻の方が、余程メリットがあるでしょうね。でももし、既にド変態と神教との間に何らかの合意ができていたとしたら、話は違ってくるわ」
アディーリアとの婚姻を前提としたニレニア王女との婚約。
「………めちゃめちゃクサそうなんだけど」
謀略の匂いが。
「………プンプンするわね」
あのド変態の腹の中に一体どんな謀略が潜んでいるのか。
それは、「ヴィセリウス」が二人存在するコトと、何らかの関係があるのか。
「全てはド変態を捕まえてからよ」
かくして、アタシとチビアディーのド変態あぶり出し作戦が始まった。