第八二話 カエルは宇宙酔いします その5
澄香。
そう呼ぶ声は、アタシの魂の奥底まで響き、一滴の水がことごとくを潤すように瞬く間に全身へと広がっていった。
なんちゃって。
イヤ勿論、感慨はあった。
三歳児に呼び捨てにされたし。
じゃなくて。
久しぶりに自分の名前を呼ばれたし。
けれど疑問の方が勝った。
どっちだろう。
本物のアディーリアの方なのか、或いは三頭身デフォルメキャラの方なのか。
頭身だけでいえば、デフォルメの方に近いけど。
沢山の侍女さん達に平然と傅かれている様は、正しく王妃アディーリア。
アタシのそんな迷いは、顔に出ていたのだろう。
三歳児のアディーリアは、三歳児には似合わない憮然とした表情で言った。
「あなたが心の中で、『チビ』と呼んでいる方よ」
勿論、ヒソヒソ声で。
「あ~」
バレてたのか。
思わず口をついて出た気の抜けた声に、侍女さん達の視線が一層キツくなる。
別に夢だからいいといえばいいんだけれど、やり難い。
それは三歳児のアディーリアになった三頭身のアディーリアも同じだったらしく、
「貴女たち、下がりなさい」
「聖下っ」
「その様な何者とも知れぬ者と聖下を二人きりにはさせらません」
アディーリアの呼び方で、彼女達の立ち位置が分かる。
クリシア王国第一王女殿下を「聖下」と呼ぶ侍女。
それは即ち、神教側の人間だ。
分かっちゃいたけど、やっぱりここも神教系列の人間で固められていたんだな。
皇家の人間は、神教に守られている。
というか、縛られている。
そもそも亡国の皇帝の血筋が、細々ながらも何故今も永らえているのか?
それは神教が秘密裏に保護していたからだ。
皇族の存在を公にしたのは、大陸の情勢が安定した約七百年前。
「彼ら」が皇族である事を誰も否定できなかった。
「彼ら」が余りにも、肖像画に残る皇帝達にソックリだったから。
んなわけあるか~い。
というツッコミは、フランシーヌ、アディーリア、リズのソックリ三世代の前に霧散する。
そのソックリ具合は、実はバイオテクノロジーで遺伝子とか弄ってたりなんかするんじゃないんだろうかと疑いたくなる程だ。
「ていうかさ」
「澄香、『ていうか』の前の文章が抜けてるわよ」
「そんなの言わなくても分かんじゃん」
表層意識共有してるんだから。
アタシの言外の言葉を正確に把握したチビアディーは、けれども首を振って否定した。
「それが分からないの。分かれば、あなたを捜すのだって苦労しなかったわ」
「え? 意識共有してねえの?」
と言った後で、王女殿下に対してあんまりにもフランク過ぎると気がついた。
これは流石のチビアディーでも、侍女さん達の怒りを止められないだろう。
と思ったんだけど、いつの間にか侍女さん達はいなくなっていた。
「あれ? 誰もいない?」
キョロキョロと辺りを見回し、部屋にアタシとチビアディーしかいないことを確認する。
アレだけ反対してたのに。
よく引き下がったな~。
と思ったけど。
「あなたはあの母上が連れてきた人間だもの。文句があるなら母上に言いなさいと言ったのよ」
なるほど。
何かよく分からないけど、あの妃殿下には逆らえないような気がする。
色んな意味で。そしてあらゆる意味で。
「ていうかさ」
「だから『ていうか』の前がないと」
「そこら辺は飛ばしてよ。話進まないから」
「………」
沈黙を承諾と受け取って、アタシは先を続けた。
「妃殿下、『所望の者を連れてきた』とか何とか言ったよね?」
「言ったわね」
「それってアディーが何か言って、アタシが連れてこられたってこと?」
「そうよ。見ての通り、今の私はこの通りの身体でしょう?」
チビアディーはそう言うと、心底憂鬱そうに溜め息を吐く。
「本当に、三歳児の身体って不便なのよ。一人で出歩けないし、歩けたとしても距離も知れてるし」
三頭身の時と大して変わらないと思うけど。
ていうか寧ろ頭身が人間として正しくなった分、足は長くなったんじゃないかと思う。
それでも本人が不便だと言うんだから不便なんだろう。
「で、母親に頼んだと」
「そうよ」
「で、なんて頼んだワケ?」
当然ながら、チビアディーはアタシがジェイディディアなんて侍女に入っているとは知りもしない。
けれどリズ祖母は、アタシを見つけ出してチビアディーと引き合わせた。
一体どんな呪文を使ったのか?
「私のお付きの侍女は、母上に唯々諾々の者では困るから、母上の眼力をものともせしない人間を連れてきてって言ったのよ」
なんだそりゃ。
「アタシ、すっごいビビッたよっ」
アタシは、妃殿下に頭のてっぺんから爪先まで値踏みするように睨め付けられた時の事を思いだして身震いした。
「妃殿下って、アディーリアの被ってる巨大猫取っ払って、しっぽを倍増させた狐を被ったライオンじゃんっ」
妃殿下兼皇女兼聖者。
その煌びやかな肩書きに相応しく、高貴が服を着て歩いているような美女だけど、そこには「亡国の皇女」の悲劇性や「彩の聖者」の神聖さは微塵も存在しない。
寧ろ隙あらば取って喰ってやる的な威圧感がヒシヒシと…。
「……言ってる事はよく分からないけど、言いたいことは分かるわ」
「因みに、アディーリアに母親の記憶は」
「殆ど無いわ。戦死したとだけ。お付きの侍女も殆ど母上と命運を共にしたから」
つまり、思い出を語ってくれる人は殆どいなかったと。
「あら、でも確か一人だけ生き残ってたんじゃないかしら。朧にだけど、母上の話を聞いた記憶があるわ」
チビアディーはそう言って小首を傾げて考え込んだ。
その仕草が、イヤマジでリズにソックリ!
本物じゃないけど、この際コレで我慢しようっ。
「まあ、普通に考えて小さい時の記憶なんて無いのが普通だし」
三歳以前の事なんて、平々凡々な幼児期しか持ち合わせていないアタシにだって記憶にない。
「戦争の記憶なんて、ない方がいいじゃん」
なんてありきたりのコトをいいつつ、ワキワキと手を伸ばす。
それを目敏く見咎めたチビアディーが、身体をのけぞらせながら訊いてくる。
「な、何なの? その手は」
「気にしない気にしない。ちょっと癒して貰うだけだし」
「お、王女に一介の侍女が慣れ慣れ良いわよっ」
「大丈夫大丈夫、アタシもうリズのお付きの侍女だし」
「まだ正式な手続きは済んでないわ。それにお付きの侍女は、そんなに手をワキワキさせたりしないっ」
「あの妃殿下だから、書類なんか叩っ切る勢いで手続きなんか済ませるよ。それに妃殿下が選んだお付きの侍女は、手をワキワキさせるんだな、コレが」
ジリジリと互いの間合いを計り合う攻防は、けれども絶対的なリーチの差で早々に決着した。
「あっ! あんなトコロにド変態がっ!」
ベタな引っかけに素直に引っかかってくれたチビアディーの金色の瞳が逸らされた瞬間、アタシは素早く腕を伸ばし、ガッシリとアディーリアの身体を抱き込んだ。
「うおおおおお。癒される~~~~~~っ!」
グリグリと頭に鼻先を押しつけながら、フンガフンガと匂いを嗅ぐ。
おしいっ。リズの匂いとちょっと違うっ。
けれど幼児特有の匂いに、懐かしさが胸を過ぎる。
「ちょっ。止めなさいっ。変態じみてるわよっ」
「可愛いモノを可愛がるのは、変態じゃない。アンタが蝶よ花よと傅かれてる間、アタシは日がな一日は働きづめだったんだから、これくらい我慢しなっ。新米侍女ってのは、毎日毎日マジで忙しいんだからねっ」
「~~~~~~っ!」
チビアディーは尚もモガモガと何かを喚いてるけど、ジェイディディアの貧相な胸がそれを封じる。言っておくけど、貧相なのはジェイディディアの胸であってアタシの胸ではない。アタシの胸も豊かとは言い難いが、ジェイディディア程ではない。
と思う。
全ては主観で希望的観測でしかないかもしれないけれど、希望を持つ自由は誰にだってあるっ。
一通り癒しを堪能したアタシは、漸くチビアディーを解放した。
「もうっ。せっかく結って貰った髪が、乱れちゃってるじゃないっ」
チビアディーは眦を釣り上げながら文句を言うけど、頬が赤い。きっと照れ隠しなのだろう。決して窒息しかかって頭に血が上ったせいではない。多分。
「じゃあ、髪を結い直してあげるよ。お付きの侍女として」
こうしてアタシは、チビアディーとの再会を穏やかに過ごしたのであった。
てなつもりだったんだけど。
いや、つもりはある。今でもちゃんと。
けれど悲しいかな、人には向き不向きというモノがアルのである。
「もうっ。なんなのこれっ! 鳥の巣だってもっとまともよっ!」
バシンッ。
アタシの持ってたブラシを床にたたき落として、チビアディーが地団駄を踏む。
その希有な紫の髪は、どうしてこうなった!? と誰もが驚きを隠せないほど爆発してしまっている。
実際やった本人であるアタシも驚いている。
「おかしいなあ。理論的にはお団子ヘアになるはずなんだけど」
それはどう見ても団子というよりは、餃子。餃子と言うよりはラーメン。ラーメンと言うよりはラーメンライス。最早自分でも何を言っているのか分からないけど、とにかくそれくらいワケの分からないコトになっている。
「何の理論よっ、何のっ」
「いや、こう二つに分けて三つ編みして、それをグルグルッ巻けば…」
「分けるところから間違ってるじゃないっ。これじゃあ二つじゃなくて、三つじゃないのっ。数も数えられないのっ、あなたはっ!」
「二つに分けたつもりだったけど、余ったから…」
「そこはやり直すところでしょうっ」
「いや~、このジェイディディアちゃんは不器用なんだね。ビックリしたよ」
「ビックリしたのは私よっ。どれだけ不器用なのよっ」
「う~ん。よく考えたら、アタシ髪とかアレンジしたことないんだよね。はっはっはっ」
そうなのだ。
そもそもアタシは、自分の髪すらまともに結ったことがない。
子供の頃はショートだったし、今は手抜きでもバレないシャギシャギな肩下のミドルだし。
「ほら。母親が早くにしんじゃって、叔母さんの手を煩わせないようにって、気を遣って髪短かったじゃん?」
「あなた、幼稚園の時からショートでしょうっ」
「なんで知ってんの」
「当然でしょっ。深層にいた私には、あなたが覚えてないコトだって知っているのよっ」
チビアディーが勢い込んで言った言葉に疑問が浮かぶ。
「じゃあなんで、アディーリアのは覚えてないワケ?」
アタシの指摘に、チビアディーも気づいたらしい。
「………アディーリアの深層にいたわけじゃないから、かしら?」
「……………深層も表層も、死んじゃったら関係ないんじゃねえの?」
生きていく上で不都合だから、深層に抑圧する。
ってモンなんじゃないんだろうか?
心理学者じゃないから、分かんないけど。
アタシとチビアディーは互いの顔を見合わしたけど、直ぐには答えは見つかりそうにない。
「………取りあえず、ここから出ること考えようか」
「………そうね。ここから出ないことには、どうしようもできないわ」
「そもそもココが何処なんだって話なんだけど」
「誰かの夢であることは間違いないと思うのだけど」
「「問題は誰の夢ってことだ」」
「よね」
「わね」
カエルに飲み込まれて、辿り着いた場所なんだから、アタシ達に無関係な人間ってワケじゃないだろう。
因みに、カエルのお面を被った両親については、無視の方向で。
だって、アタシの両親は、あんな間抜けなカエルのお面を被ったりしない。
と言い切れないところがイタイところだ。
「あのさ」
「なあに?」
「ヴィセリウス神官にはもう会った?」
「いいえ。そういえば、師父様もいるんだったわね」
チビアディーは今気づいたとばかりにそう言った。
どうやらアタシを探し出すことにばかり意識がいって、ヴィセリウスのコトは思い浮かべもしなかったらしい。
「その『師父様』なんだけど、多分『師父様』じゃないよ」
「どういう事?」
「だってすげえ鈍くさいし気が弱いし気が利かないし」
「……師父様とは縁のない言葉ばかりね。名前が同じだけの別人なのではなくって?」
「そういうワケじゃないと思うよ。だってわざわざ顔にモザイクかかってるし」
「は?」
「だからモザイク」
「どこに?」
「顔に」
「………顔に?」
「そう顔に」
再度アタシに確認したチビアディーは、難しそうに眉を顰めて考え込んだ。
三歳児がそうすると、むずがっている様にしか見えないな。
とは思いつつ、賢いアタシは口にしない。
ただ黙って、チビアディーの考えが纏まるのを待った。
やがてチビアディーが意を決したように顔を上げ、口を開く。
「どうしてモザイクなの? ぼかしでも良いのじゃなくって?」
ツッコミドコロはソコではございません。
と、お付きの侍女として教育的指導をするべきか否か、それが問題だ。
遅くなりました。そして長くなりました。すいませんでした。
拙作をお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m。