第七六話 カエルのシースルーはヒトのエゴで存在します その2
「んなわけないじゃん」
アタシは冷静に、チビアディーのバカげた言葉を鼻で笑って打ち消した。
「一体何の根拠があって言ってんの。冗談にしても、全然面白くないから」
けれどチビアディーは、冗談では済ませてくれなかった。
「冗談じゃないから、面白くなくて当然でしょう」
その表情は真剣そのもので――デフォルメ三頭身のせいでギャグの前振りにしか見えなくても――、アタシは顔に浮かべた薄ら笑いを収めざるをえなかった。
「根拠は?」
「それは、この男が説明するわ」
チビアディーはそう言って、夫であって夫でない男にハリセンを見舞った。
バシィィン。
派手な音が何もない空間に虚しく響き渡る。
何故イチイチ叩くのか? 最早訊くまい。
叩かれている当の本人が酷く満足げだからだ。
イヤ、マジで変態。
そんなアタシの冷ややかな視線など気にもせず、変態若作り中年は軽く咳払いをしてから話し始めた。
「そなたが自分の身体に戻る時、どのような状態なのか知っておるか?」
「視界がぼやけて薄くなってくよ」
「それはそなたから見た状態であって、他者から見ればぼやけて薄くなっているのは、そなたの方なのだ」
「そうなの?」
チビアディーを振り返って訊ねると、
「現実に戻る時は私もあなたの中に戻るから、私には分からないの」
それもそうか。
けどそういやあ、ムダメン共が生き返る時そんな風だったと思い出す。
生き返るって言っても、ただ単に連中が死んでると思い込んでただけなんだけれどもさ。
てことはつまり?
「ひょっとしてさっきのアタシは、本体に戻る途中で止まってたって感じ?」
「うむ。その様な状態であったな」
だからさ~、イチイチ偉そうに言うの止めてくれないかな?
そりゃ生前は偉かったかもしれないけどさ~。
もう死んでんだし。
もっと謙虚になろうよ、人として。
というアタシの気持ちは、チビアディーが代弁してくれた。
バシィィンッ!
正確には、チビアディーのハリセンが。
けれどそれも効果はイマイチ怪しそうだ。
何故なら変態若作り中年は、マジで変態だからだ。
嬉しそうに頬を染めながら叩かれたトコロを愛おしそうに撫でる姿は、真夜中にリズの寝顔を眺めながら苦痛に表情を歪めていた男とは似ても似つかない。
こう言っちゃあなんだけど、リズにバレる前に死んでくれてよかったよ。
そんな非道なことを思っても、アタシの良心は一欠片も痛まない。
「まあ、なんでアタシが身体に戻れないって考えたのかは分かったよ」
でもさ、そうなると。
「原因は何よ?」
身体に戻れない時は、以前にもあった。
アディーリアと出会ったあの時、自覚はなかったけれどアタシは確かにそんな状態だった。
アディーリアの声が脳裏を過ぎる。
――生きるには、足りていないのよ。
――魂が。
そもそも「魂が足りてない」ってのがイマイチピンとこないけど。
事故とか家族を亡くしたショックとかで、精神的なダメージが強くて生きる気力がなくなってた、てな風に解釈すれば分からない事もない。
でも今は、そんな大それたダメージもなく日々平穏に生きてるし。
アタシはふとさっきの夢を思い出して、そっと後頭部に掌を当てた。
今は勿論痛まない。
けれど、そうだ、三号に入る前。
確かに頭に激痛を感じなかったか…??
アレは正夢?
てことはまさか…。
金だらいが、原因なんてことは…??
イヤ! 待て!! あれは夢だっ!! ただの夢っ!!
金だらいで魂が欠けたとか、悲しすぎるっっっ。
アタシは激しい目眩を覚えて、身体をふらつかせた。
いやまあ、身体はないけどさ。
気持ちだよ気持ちっ。
大切なのは意志の力だっ。
アタシは意志の力で、地面にくずおれた。
………。
何か虚しい。
原因はおいといて、重要なのは結果だ、結果。
「何かよく分かんないけど、アタシまた魂欠けちゃってるワケ?」
脱力しながら問いかけると、チビアディーは重そうな頭を軽く振って答えた。
「それがそうとも言えないの。少なくとも私には、何も感じられないわ」
「それって、分かるモンなの?」
「魂の瑕疵は心の奥底にあるの。誰だって、そんな傷見たくないでしょう? そのため無意識の中に押し込んでしまうのよ。普段あなたの無意識領域にいる私には、だからそれが感じられるの。多分」
最後の「多分」って何??
アタシの心の疑問を、チビアディーは拾って答えた。
「感じられない可能性もあるってことよ。ほら、魂は『沈黙の臓器』って言うでしょ?」
「そりゃ肝臓だよっ!」
「ほうほう、それが世に言う魂心のツッコミか」
「違うわ! ボケッ!」
何だここは!?
ボケの国か??
ボケキャラ天国か!?
「まともに話しできるヤツはおらんのか!?」
そんなアタシの魂の叫びに、答える声が五つ。
「オゲェ」
「ゲコゲコ」
「ケロケロ」
「キュルッル」
「………ッ」
いや、四つか。
何時からそこにいたのか、カエルがまん丸い目をギョロつかせてアタシを見上げてた。
「………なんでアンタら、半透明なの??」
言って置くけど、内臓は見えてないよ?
「オゲェ、オゲオゲオゲ、オゲェオゲェオゲオゲゲ、オゲゲゲゲ、オゲゲ、オゲ、オゲゲゲゲゲゲェエエエ」
「キュルッキュ、キュルルルル、キュルルンルルンルルンルルルルル、キュルルルキュルルキュルルル」
「ゲコゲコ、ゲココ、ゲコココ、ゲコゲコゲコーゲココゲコ、ゲコゲコ、ゲコココ、ゲコォゲコー」
「ケロケロケロ、ケロロケロ、ケロロロロケロケロケロ、ケロロケロケロケロロロケロ、ケロケロケロロケロロケロ」
「………ッ、ッ、………ッ、……ッ、………ッッッ」
半透明になったカエル共は頻りに何かを訴えようと鳴くけれど、相変わらず何が言いたいのかサッパリ分からん。
ていうか、もう黒いのは無理に鳴こうとしなくていいよ。
「………で、何て言ってんの?」
アタシは連中の言ってる事が分かるらしいチビアディーに問いかけた。
けれども返ってきた答えははかばかしくないモノで。
「それが、何を言っているのか、私にも分からないの」
「なんで?」
「何と言えばいいのかしら。調子の悪いラジオを聞いている感じ?」
なんだそりゃ、電波障害か??
ギーギーガーガー五月蠅いってか?
それなら半透明のカエルも、電波事情の悪いテレビ映像みたいなもんか?
てか3D?
うわ~、何気にハイテクだなっ。
なんて感心していたアタシは、その場にローテク人間がいることをすっかり忘れていた。
「なんだその、『線のない見えない波を受ける装置』とは?」
変態若作り中年のキョトンとした表情は、中身を知らなければ微笑ましけど。
中身を知っているので、全然微笑ましくも何ともない。
しかも何だそりゃ、その謎の装置は。
無線電波受信装置って言いたいのか?
すっかり忘れがちになるけれど、ご都合主義的自動翻訳機能は事ある毎に働いている。
向こうにない言葉やこっちにない言葉を、ご丁寧にも翻訳してくれワケなんだけど。
そりゃ向こうにラジオはないけど。
そもそも電波も発見されてないけれど。
電波を「見えない波」って何だよっ。
確かに電波は見えないけどさ。
カエル語の翻訳できないんなら、せめて人語の翻訳はまともにやれよっ。
オラアッ! 責任者出てこいやっ!
と言いたいけれど、本当に「責任者」とやらに出てこられても困るので、心の中だけにとどめておく。
そんな心の鬱積を、アタシは変態若作り中年を無視することで解消した。
「『見えない波』とはなんだ? 見えないのに何故『波』だと分かるんだ?」
断っておくけど、決して電波をどう説明すればいいのか分からないからではない。
「しっかし、このまんまんじゃあ、状況の把握も難しいな」
「そうね。少しでも情報が欲しいところだけれど、彼らがあの様子ではね」
チビアディーの言葉に再びカエル共へと視線を向ければ。
「う~ん、ますます電波事情が悪化してるって感じ?」
カエル共が半透明なのは相変わらずだけど、時々ぶれるように形が歪む。
おお、画像が乱れてる乱れてる。
こりゃ本格的に電波障害だな。
まあ尤も、夢の中でカエルのぬいぐるみに憑依してイロイロ企んでますだなんて、他人からすりゃあ、アタシも十分「電波障害」なんだろうけどさっ。
そこでアタシはふと思った。
「あのさ。アタシが一号に入ったのって『二日後』なんだよね」
「ええ、そのようね」
「それもさ、電波障害? てか通信事故? あれ? 転送事故か??」
「間違って違う座標に届けられたと言いたいのね?」
「そうそう。サーバーが不具合起こしてるみたいな?」
「つまり、あなたが未来に転送されたのも、身体に戻れないのも、システムに何らかの不具合が生じているせいだと言うわけね」
「そうそう」
でなけりゃ、アタシの方に問題があるってコトになる。
アタシ自身に不具合が。
「アタシに何か変化があったワケじゃなし、問題があるとは思えない」
「変わったことなら、あるでしょう?」
「そりゃ」
事故の時の記憶が戻ったり、三頭身キャラがアディーリアの記憶の管理人に収まったりと、確かに変わったことはある。
「そうなると、アンタにも問題があるっていう可能性も出てくるじゃん」
アタシがそう指摘すると、チビアディーはキッと眦をつり上げて否定した。
「私に問題があるはずないでしょうっ。第一私は姿形こそ変わったけれど、随分前からあなたの中に存在してるのよ? それを今更問題なんて、あるはずがないでしょう」
それを言うなら、事故の時の記憶だってそうだ。
アタシに自覚がないだけで、ソレはずっとアタシの中に存在してた。
アタシ達は互いに原因がないことを確認しつつ、同時に手がかりが掴めず途方に暮れた。
「その『システム』というものが復旧するまで、このまま待つしかないのかしら?」
「ともかく原因が分かんないんじゃあなあ…」
アタシとチビアディーはそう言って、「電波障害」状態のカエルを見つめる。
「ゲコ――ガーピー――ゲコゲコ。ゲコゲ――ギギー――コ、ゲコーゲコゲコォオッ」
「キュル――ギー――キュルキュル、キュル――ガガー――ルンキュルルッ」
「オゲオ――ピー――ゲェオゲ、オゲゲ――ガーギー――ゲゲゲゲェエエエ」
「ケロロケロ、ケロッロ――ガガガガガ――ロロロケロケロケロ」
「……ッ、…ッ――ピーガー――ッッ、…―――ピー―ッ」
いよいよ通信状態が悪いのか、鳴き声までもが雑音混じりになってきた。
「ちょっと、これってマジでヤバくない?」
「そうねえ。ちょっと怖いわね」
なんて怖じ気づいていると、すっかり存在を忘れられていた人間が抗議の声を上げた。
「おい! 先程から何を言っているのだ!? 『見えない波の障害』とは何だ!? それに何故余を無視する!? とくと説明しろっ!」
うわっ。
何その物言いっ。
勝手に人の夢に入ってきといて、偉そうにしやがってっ。
ソレが人にモノを訊ねる態度か!?
と思って気がついた。
あるじゃん。
変わったコトが。
いや、変わったモノが。
「アディー」
アタシの呼びかけに意を介したチビアディーは、戸惑うように呟いた。
「でもまさか。あなたに必要だから、入ってこられたのじゃないの?」
「コンピューターウィルスと一緒で、まともなファイルのフリして入ってきたのかもよ?」
よく考えりゃあ、コイツがアタシに必要だからここに入ってこられたってんなら、あのムダメン共だってアタシに必要だったって事になる。
けど連中は、何の役にも立たずに戻っていった。
「ムダメン共が入ってきたのは事故だとしても、ひょっとしたらその時一緒に紛れ込んできたんじゃないの?」
ホラ、良くあるじゃん。
普通のメールにウィルスがくっついてきてたって事が。
それといっしょでさ、ムダメン共にくっついて入ってきたとか?
そもそもさ、コイツ、半年前に死んでんだよ?
何で半年前に現れなかったんだって話じゃね??
一度抱いた疑念は、見る見る間に膨らんでいく。
多分チビアディーも同じ事を思ったんだろう。
「魂が彷徨ううちに変質したのかしら?」
「自分でも知らないウチにウィルス化してたと?」
アタシとチビアディーの冷たい視線を受けて、変態若作り中年があからさまに狼狽える。
「な、何故余をそんな目で見る!? まるで、病原菌でも見るような目で!!」
その姿に国王としての威厳はない。
まあ、とっくの昔にそんなモノなくなってるんだけれどもさ。
遙か頭上で、赤い月が震えたような気がした。
誠に勝手ながら、来週はお休みさせていただきます。