第七五話 カエルのシースルーはヒトのエゴで存在します
夢?
そうか、夢なんだ。
そりゃそうだよね。
二十歳を超えた女が謎の「ニャ」言葉を使ったり。
お握りの具がイチゴジャムや生キャラメルや、果てはブート・ジョロキアだったりなんて。
そんな事が、現実であるはずが。
ない。
とは言い切れないのが、恵美と恵美の血筋の凄いところだ。
「……………」
どう考えても変なのに、リアルに思えてしまうとは。
恐るべし、恵美遺伝子。
「ええと」
軽い頭痛を覚えたアタシは、こめかみを揉みながらチビアディーに問いかける。
「一号に入ったのは?」
「それは『現実』よ」
「現実」ってか、夢だけれどさ。
てことは、ムダメン共を軟禁したのは本当で。
「じゃあ、アタシが恵美のばあさんちで、ブート・ジョロキア入りのお握りを喰ったコトは」
「そんなの知らないわ」
チビアディーは長い紫の髪をサッと振り払って、何故と問い質したくなるほどの高飛車加減で言い放った。
「………」
いやもう、高飛車なのはデフォルトって事で。
恵美のおかしさ加減と同様、疑問に思った方が負けなのだ。
「てことは、現実に戻った事の方が『夢』か」
夢の中で夢を見る。
まあ、そんなこともあるだろう。
と思ったけど。
あれ、ちょっとまてよ。
「基本的な疑問なんだけど」
「何よ」
「アタシが現実に戻ってる間って、ここはどうなってんの?」
ここが「アタシの夢」なら、アタシが目覚めている間は「ない」んじゃないだろうか?
そう思って訊いてみたけど、チビアディーからは答えは得られなかった。
「あなたが現実で目覚めている間は、私もあなたの中にいるから、ここがどうなってるかは知らないわ」
アタシとチビアディーは目を合わせて、同時に変態若作り中年の方を振り返る。
視線で何を問われているのか分かったのだろう。
変態若作り中年は、顎に手を当てながら意味もなく偉そうに言った。
「ここは、そち達がおらぬ間も存在しておるぞ」
チビアディーが高飛車なのはいいとして、コイツが偉そうなのは何か腹立つ。
と思ったのはアタシだけじゃなかったのか。
「余は赤い月を見上げながら、健気にも孤独に耐えておるのだ」
シミジミと頷きながらそう言う変態に。
バシィイイイン。
「『健気』などとおこがましいっ! 世のあらゆる『健気』に謝罪なさいっ!!」
チビアディーの容赦ない制裁が襲いかかった。
「す、すまん」
変態若作り中年は、殆ど反射的に謝った。
但しその言葉に誠意はなく、寧ろ慣れきった匂いがした。
きっと、身に染みているのだろう。
是非はさておき、とりあえず謝っておこうという姿勢が。
あの苦悩に爛れたおっさんが、こんなに情けないキャラだったとは。
この変態を「とうさま」と呼んで慕っているリズには、絶対内緒にしておこう。
そして出来ることなら、ここで、「アタシの夢の中」で、抹殺しておこう。
アタシはそんな決意を秘めつつ、辺りを見回す。
相変わらず何もない場所だ。
幾ら目を凝らしても、天と地の境すらあるかどうかも分からない。
「つまりさ。アタシが現実に戻ってる間は、『アタシ』はここにいないけど、『ここ』は存在してるって事だよね?」
「そうね」
「そうだな」
「アタシが『夢』を見てないのに、『夢』は存在してるって事?」
普通、寝てる時しか夢は存在しないんじゃないだろうか?
その疑問に答えたのは、変態若作り中年だった。
「当然だろう」
「なんで?」
「夢幻界は夢の双性神の胎内だ。人が夢を見ようが見まいが、存在するのは当然だろう」
「………」
変態若作り中年の夢見がちな意見はさておき。
「夢は無意識の産物で、無意識はアタシの認識とは別に存在しているから、って事でいいのかな?」
問いかけられたチビアディーは、難しい顔で答えた。
「二人の意見はそれぞのれ『正しい』と思うわ。けれど正解かどうかは分からない」
そりゃそうだ。
「私はアディーリアの記憶と澄香の知識を持っているけれど、言ってしまえばただそれだけの存在よ」
そんなチビアディーの言葉に、アタシはちょっとビックリした。
「何よ」
「いやだって、アディーが『ただそれだけ』とかそんな謙虚な事いうなんて」
「うむ。やはりそなたはアディーリアであるが、同時にアディーリアではないのだな」
どうやら漸く変態若作り中年も、チビアディーがアディーリアと違うって事を認めだしたらしい。
そしてチビアディーはチビアディーで、アディーリアともアタシとも違う、己の道を歩き始めたのかもしれない。
なんてシミジミ思っていると、ふと疑問が浮かんだ。
「そういやあ、アタシがリズんとこに行ってる間って、アディーはどうなってんの?」
「私は基本的にここにいるわ」
簡潔にそう言った後、
「これはまだ推測でしかないのだけれど、」
と、少しだけ言い難そうに言葉を続けた。
「覚醒した私はアディーリアの生きていた世界、つまりリズナターシュのいる世界ではあなたの中にいることができないのだと思うの」
「でも前に、五号に入ったよね?」
「ええ。今思えば、あの時はあなたの中からはじき出されたと言った方がいいかしら」
「はじき出された?」
「そう。あなたが『寿限無』を唱えたことで、封印が解け私が覚醒したでしょう? その途端、追い出されたって感じだったわ」
「んで、追い出された先が五号だったと」
「ええ。アディーリアの記憶を持つ私が、サウザードに入るのは必然だった」
「なんで?」
「だって、アディーリアは『彩の聖者』だもの」
意味が分からん。
アディーリアが「彩の聖者」なら、なんで五号に入るんだ?
「サウザード・ネルス・ケロタウロスと言えば分かるでしょう?」
いや、全然全く分かりませんが?
アタシの頭の中の疑問符は増えるばかりだったけど、変態若作り中年は違ったらしい。
「なるほど。『夜』か」
まだワケが分かっていないアタシに、夫婦であって夫婦でない二人は交互に説明し始めた。
「虚無から光と闇、次いで夢が生まれた事は知っているな」
うん。アヌハーン神教の聖典でそうなってる事はね。
「そして夢の双性神が最初の男と女を作った事も」
うん。ありがちな人類創世神話だよね。
んでもって最初の人間が紫の髪と目を持つ所謂「冠の聖者」で、その子孫である人類が何でいろん色の髪と目をしてんだって疑問は、今のところは蓋をしとくよ。
「夢の双性神は、光の双性神と闇の双性神から滴を貰い受け、それを元に人を創った」
いや、断言されても困るけど。
「夢の双性神は、光の滴で瞳を、闇の滴で髪を創ったのよ」
「そして光の双性神は風火地水を生み、闇の双性神は夜を生んだ。これで分かったであろう?」
いや、何一つ分かった事はありません。
アタシはチラリとチビアディーを窺い見た。
チビアディーのことだから、アタシの心の声は聞こえているハズ。
と思ったら、案の定チビアディーは苛立たしげに言い放った。
「んもうっ、鈍いわねっ。つまり『玉の聖者』は光の属性を持ち、『彩の聖者』は闇の属性を持っているって事よ!」
ええと、よく分かんないんだけど。
「闇属性の『彩の聖者』であるアディーリアは、同じく闇属性の五号に入ったってコト?」
分からないながらも、言葉を継ぎ足しそれらしい答えを口にする。
「ええ、そうよ」
良くできましたとばかりに頷くチビアディーに、アタシは何とも微妙な笑みを返すしかなかった。
でも、アレ?
「なんで夜は『ネルス』で、夜の神サマの名前は『ヨグナ』なワケ?」
「『ネルス』は皇国時代に使われていた言葉で、単に日が落ちてから昇るまでの時間を示し、『ヨグナ』は神の名前ではなく、夜の双性神に対する尊称だ」
ややこしいな。けど尊称ってのは「様」とか「殿」のコトだよね?
「『ヨグナ』は夜の双性神にのみ使われる尊称なのよ」
夜の神サマにしか使わないんじゃあ、もう固有名詞と同じじゃね?
とは思ったけど、敢えて口にしなかった。
それが日本人の和の心ってヤツだからだ。
別に面倒くさかったってワケじゃない。
「………あのさ」
そんなことより、気になることが一つある。
「なあに?」
「まさか、この前、この変態と契約したら昼間動けるようになるってのは、この変態が光り属性の『玉の聖者』だから?」
「そうよ」
「んなバカな」
アタシは、散々悩んだのがバカみたいだと脱力する。
「じゃあ、今まで夜しか行動できなかった訳を説明できる?」
「そりゃ、できないけどさ」
チビアディーの言い分を信じるには、アタシの中の近代科学が邪魔をする。
って、ファンタジーな状況で言っても全然リアルじゃないけどさっ。
この手の話は、あんまり深く追求しないでおこう。
ほら、日本人は外国人と政治と宗教の話はしない方がいいって言うし。
外国人っていうか、異世界人だけど。
でもそれも全部アタシの妄想だったら、笑うけど。
いや、笑えないか。
何だかドツボにはまっていきそうな思考を振り払い、話を元に戻すことにする。
って、一体何の話だったっけ?
「ええと。何でアタシがここで眠ってた話しだよね」
「分からないわ。あなた、突然戻ってきたと思ったら、そのまま倒れるように寝てしまったのよ」
「アタシが寝てる間、アディーはどこにいた?」
「ここにいたわ。半透明になったあなたを、必至で起こそうとしていたの」
なんですと?
「だから、あなた、半透明になってたのよ」
なんじゃそれ。
半透明って。
何か中途半端だなあ。
それならいっそ透明にでもなればいいのに。
と思ったけど、それはそれで見えないから困るのか?
そういやあ、半透明なカエルってのをネットで見たことがある。
皮膚が殆どシースルーで、内臓やら骨格が透けて見えるのだ。
何らかの異常で色素細胞が一つしかないのが原因らしいけど。
劣性遺伝のそれは、自然界では生きていけない存在だ。
実験室でも、せいぜい一~二ヶ月しか生きられないらしい。
そんな儚く散る存在を、人は何故創るのか?
とかなんとか悲観してみる。
生物学的に重要だとか言ってるけど、ホントのトコロ、ただ創りたかっただけに違いない。
人間って、結局そんなものだ。
なんてちょっとばかり世を拗ねてみたりなんかして。
アタシは好奇心に心を委ねて、内臓スケスケの自分を想像してみた。
シュールだ。
シュール過ぎて笑えるっ。
そんなアタシに、不意にチビアディーが真剣な表情で言った。
「ねえ、澄香」
「何?」
「あなた、もしかして、自分の身体に戻れなくなっているのじゃなくって?」
は? 何でそうなる?