第七四話 カエルは分類学上「無尾目」です その4
その時のセルリアンナさんの表情を、アタシは一生忘れないだろう。
「知られたのなら致し方ありません」
セルリアンナさんは凍て付いた表情でそう言うと、スラリと腰の剣をを抜いた。
え?
ちょっとっ!
振りかぶられた白刃が、揺らめく蝋燭の炎を映し妖しく光る。
マジかっ!?
セルリアンナさんは青い瞳に決意を湛え、
「短い間ではございましたが、ケロタウロス様方にはご愛顧賜り厚く御礼申し上げます」
いやっ。その挨拶はおかしくないか!?
「それではまた何時の日か、夢幻の園にてお会いいたしましょう」
ちょっと待て!
アタシ奇跡だよ?
流石にそれはヤバいだろうがっ。
振り下ろされる白刃から両手で己を庇いながら、必至になってアタシは叫んだ。
「お奇跡様々だよっ!?」
「ぶはっ! ニャんじゃそりゃ~~っ!!」
「あっはっはっはっは。ホント、面白いコね! 澄香ちゃんって!」
途端に浴びせかけられた哄笑に、アタシはパチクリと眼を開く。
人工の光に満ちた明るい視界に、一瞬思考が途切れる。
「はれ?」
視界に入ったのは、純和風の天井と壁と、それから。
年を取ってもなお美しい我が親友、桧山恵美子。
ななんとっ。
とうとう現実世界でも時間を飛んでしまったのか!?
しかも、今の恵美はどう見ても六十過ぎ。てことは、遙か未来に飛んじゃった??
いや、それ程長い時間寝てたとか??
なんてこったいっ。
怖れていた事態が、とうとう起こってしまったらしい。
ひょっとして、これが夢の世界で未来へ飛んだ副作用か。
それにしても、時間というのは偉大だ。
あの恵美が、口元に手を当て上品に笑うという術を会得していようとは…。
「って、何時までも寝ぼけてんじゃねえよっ」
パシンッと軽く額を叩かれて、視線を向ければ。
「恵美!?」
正真正銘、アタシの記憶通りの恵美がいた。
正しい(?)恵美の顔を見た途端、恵美と一緒に恵美の祖母さんちに来てたことを思い出す。
何だか随分昔の様な気がするけれど。
アタシの脳裏に沢山の出来事が走馬燈の様に流れてく。
事故の時の記憶が戻った事。
何故か三頭身になってしまったアディーリアであってアディーリアじゃないアディーリア。
ヴィセリウス大神官が急死と。
苦肉の策、リズの立太子大作戦。
それからそれから。
なんでか突然未来に飛んじゃったり。
カエルが「尾のない獣」かもしれなかったりと。
余りにも盛りだくさんな内容に、アタシはどれから話せばいいのか分からなくなって。
後頭部に鈍い痛みすら覚えた。
ん?
後頭部に。
痛み?
アタシは恐る恐る体を起こして頭を摩る。
「痛っ」
こぶがある。
しかも結構デカい。
何で?
いつの間に?
ていうか、なんでアタシ布団で寝てんの?
確かスイカ食ってたんじゃなかったっけ?
沢山のクエスチョンマークを頭に浮かべるアタシに、恵美が典雅な美貌を厳かに引き締めて言った。
「スミも全くムチャをする。飛んでる金だらいに頭突っ込んでいくニャんてさ」
「なワケあるかっ!!」
恵美の無茶な言い分にすかさずツッコミを入れると、年を取った方の恵美=恵美の祖母さんがケラケラと笑って言った。
「澄香ちゃん! 凄いわっ! いいツッコミよ!」
そんな、優雅な和服姿で「いい笑顔」浮かべながら親指立てられても…。
恵美に沢山話したい事がある。
恵美に沢山聞いて貰いたい事がある。
けれどもボケは控えめでお願いします。
一体どこからどこまでが夢だったんだろう?
いやまあ、全部夢っちゃあ夢なんだけれどもさ。
セルリアンナさんが、ケロタンに剣を振り下ろすハズがない。
しかもあんな妙な口上、言うワケがない。
けれどもあの凍り付いた表情は、確かにセルリアンナさんの顔に映し出されたもの、だったっけ?
マジ夢と夢との境目が分からない。
そもそもいつの間に一号から離脱したのか?
離脱した時の記憶がイマイチ曖昧だ。
そんな事は今まで無かったモンだから、アタシはウンウンと頭を悩ませた。
まさか未来に飛んだ副作用とか?
ていうかさ~。
結局勇気を出して尋ねた質問の答えが、聞けてない。
何故、ヴィセリウス大神官を殺したのか?
勿論、セルリアンナさん達がが実行犯だとかそういう意味じゃない。
セルリアンナさん達には、完全なアリバイがある。
けれど少なくとも、ヴィセリウス大神官を殺した側の人間だ。
いやまあ殺したかどうかも、定かじゃないんだけれどもさ。
全部アタシの思い込み、とも言い切れないワケだしさ。
「バッカッ! 殺しだよっ、殺しっ。陰謀とくれば暗殺。コレジョーシキね」
そう楽しそうにのたまったのは、麗しき悪友桧山恵美子である。
眠っている間――というか気絶している間――にあった出来事が余りにも多すぎて、何をどう話せばいいのか分からなかったアタシは、アディーリアであってアディーリアじゃないアディーリアの出産(?)シーンは抜きにして、向こうの世界での出来事の殆ど全てを話した。
話し終わる頃には夜も更けて、というか気がついたのが既に夜だったので、夕飯喰って風呂入って、何故か大量のお握り握って、これまた何故か停電もしてないのに蝋燭の火だけで怪談宜しく語ったワケである。
「ニャるほど」
アタシが寝てる(気絶してる)間に一体何があったのか。
何故か恵美は「な」を「ニャ」と発音することにハマっていた。
恵美が言うには、それもこれも台風のプラスイオン効果らしい。
台風も、そんな事の理由に使われては甚だしく迷惑だろう。
因みに台風は、夜明け頃に最接近するらしい。
古い日本家屋は締め切った雨戸がガタガタと鳴って、雨漏りが金だらいにタンタンタンとリズミカルに落ちる。
近代的な家屋もしくはマンションにしか済んだことのないアタシには、それが物凄く新鮮だった。
大量のお握りを握るハメになったのは、夕食の時にお祖母さんが昔を懐かしんで、
――昔はねえ、台風と言えば買い出しして、蝋燭用意して、沢山お握り作ったものよ。
と言ったのを、恵美がやりたがったからだ。
恵美の祖母さんちは田舎で、昔は道が悪くて、土砂崩れなんかで道がふさがったりすることもあったからなんだろうけど。
といっても握ったのはアタシとお祖母さんで、お握りを握る力を加減ができない恵美はひたすら具を渡す係をやった。
おかずがない分、多種多様な具が入っているお握りは。
梅干し、おかか、イチゴジャム、鮭、昆布、ピーナッツバター、そぼろ、マシュマロ、生キャラメル、ツナマヨ、野沢菜、ワサビ漬け、ハラペーニョ、ハバネロ、ブート・ジョロキア。
その美しくも繊細な外見に似ず、結構デンジャラスだったりしたりする。
流石は恵美のルーツ。
ありふれたお握りさえも、タービュランス!
「ほんの数時間の間に、随分盛りだくさんな経験したニャ」
そして恵美の頭の中はデスティニー!
「イヤマジで。何時戻れんのかとヒヤヒヤしたよ」
アタシはそう言いながら、どのお握りがアタリか、或いは「ある意味アタリ」なのか、見極めようとお握りの山を睨み付ける。
「で、スミの一番の懸案事項はニャにさ」
「う~ん。大神官の死を何で伏せてるかってことかな。神殿が何考えてんのか分かんないからさあ。ひょっとしたらトンでもないカード持ってそうじゃね? とか思うワケよ」
「ニャるほど。ところでさ、そのニャんとかっていう大神官が殺される理由ってニャに?」
「そりゃ勿論、リズの後見人の座を狙ってだよ」
リズが神人になることが、どれくらい神教内で周知されてんのかは知らないけれど。
この時期ヴィセリウス大神官を殺す理由って言ったら、どう考えてもソレだろう。
といっても、次の後見人になれるのは、大神官クラスの人間だけだ。
「残る大神官が六人、ヴィセリウス大神官が死んで新しく大神官になるのが一人。取りあえず首謀者はその七人って事になると思う」
「んで実行部隊は、懐刀とかって言われてるニャんとかって神官なんだ? それってさ、どんだけ人望ニャいんだよって話じゃね?」
アディーリアの記憶では、ヴィセリウス大神官は上昇志向の強い野心家で、人並みに不正だとか汚職だとかはあるけれど、そんなのは珍しい事じゃない。自分がのし上がって来たからか家柄に拘らないところがあって、寧ろそう言う意味では平等だった。
「ヴィセリウス大神官は、アディーリアの後見人ってんで大した家柄でもないのに大神官までのし上がったんだよね」
一介の神官に過ぎなかったヴィセリウスが、戦渦の中からアディーリアを救いだした縁で後見人に収まり、翌年には神官長、そして数年後には大神官の地位に収まった。普通ではあり得ない程の大出世のスピード出世だ。
救い出した時点でアディーリアが皇統だって事をヴィセリウスが知ってたかどうかは定かじゃないけど、大国からの総攻撃を受けてる王都から王女を救い出すのって当然命がけだ。そこに野心があったとしても、それはそれで凄いと思う。
勿論アディーリアが皇統ってのはトップシークレットだから、知る人間は神教内でも限られている。だからヴィセリウスの大出世はイロイロと物議を醸し出したワケだけど。
「ああ、だからか」
「ニャに?」
「いや、ヴィセリウスが大神官になってから、ていうか大神殿に赴任してから二十年は経ってんのに、なんで神殿騎士団を掌握できてないのかなって思ってたんだけどさ」
「神殿騎士団ねえ。ご大層ニャニャ前からして、腕良し頭良し家柄良しじゃねえと入れニャいってんじゃニャいの?」
「正解。特に大神殿付きのはさ、相当審査が厳しいらしいよ。家柄の」
てことは、セルリアンナさん達も、相当な家柄って事になる。
「つまり、家柄の低いニャり上がり者の大神官を、嫌がったってか?」
「多分そうだと思う」
「うわ~。ニャにその選民意識。流石『神』だニャ。ご立派にも差別しまくり。ぎゃははははっ」
恵美の言葉は紛うことなく辛辣なのに、謎の「ニャ」語のせいで、巫山戯てるとしか聞こえない。
「そうニャると、物凄くドエラいモンにニャっちゃうお姫様の後見人がニャり上がり者ってのは、物凄く反感買うだろうニャ」
なるほど。そう言う見方もあるか。
けれどそうなると、ヴィセリウス大神官を殺す動機がある人間は、一気に増える事になる。
となれば、メリグリニーアさん達は誰かを庇ってるって説も出てくる事になる。
勿論、庇うからにはそれ相応のメリットがあるんだろうけど。
「けど、それでも死んでるのを隠す理由が見えて来ない」
「『殉教』ってのは決定事項ニャんだよね?」
「ケロタンとリズの前でそう言ったんだから、それで処理すんのはほぼ確実」
「ところでさあ素朴ニャ疑問ニャんだけど」
「何?」
「その死体、今どうニャってんの? 向こうは今ニャつで、当然ドライアイスとかニャいんだよね?」
あ。
それは考えたことなかったな。
日本じゃあ火葬が普通だし。偉い人だと、焼いた後に大々的な葬式とかしたりするから、そういうもんだと思ってたけど。
不意に空腹を覚えたアタシは、意を決してお握りを一つ掴む。
夏って言っても、高地だからそんなに気温も上がらないし。
ドライアイスはないけど、一応周囲の高山から取ってきた氷はある。後宮に専用の氷室があるんだから、大神殿にだってあるだろう。
けど、氷だけで四日も持つモンだろうか?
「当然エライ人ニャんだから、葬式するんだよね? そんとき腐乱死体晒すことニャんかできニャいよね? 臭いし臭いしくっさいし」
何で三回繰り返すのか。
疑問に思ったけれど、そこら辺は恵美だから問うだけムダだ。
何て事を思いつつ、お握りにパクついた。
途端に口に広がる激しい辛みっ。
「あがっ!」
余りの辛さに視界が歪む。
殆ど暴力としか言いようのない辛さに目を瞑る寸前、グニャリと歪んだ恵美が何かを言った。
「澄香!? 澄香ったら!!」
「はへ?」
呼ばれて目を開ければ、三頭身のチビアディー。
ハリセンを振り回しながら、プクプクのほっぺを更に膨らませて言った。
「もうっ。急に眠り出すからっ、ビックリするじゃないのっ」
あれ?
夢?
いや、今も夢だけどっ。
どこからどこまでが?
一体誰の夢??