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第六十話 カエルの母性と父性は、ちょっと恐い その2

お客様からのご指摘により副題の誤り(父性と母性の順が逆)を訂正しました。ご指摘ありがとうございましたm(_ _)m

 日本は自由な国だ。

 と、ここ何年か墓参りに来る度に思うようになった。

 両親のお墓は「宮本家代々の墓」じゃなくて、お父さんが新しく作った墓だ。

 祖父母と折り合いが悪いからそうしたのか、或いは「宮本家代々の墓」が遠方にあるからなのかは分からない。

 お墓はお寺が管理しているただっ広い霊園にあって、代々の檀家じゃない人のお墓も多いらしい。

 多分そのせいだろうと思うのだ。

 五、六年前から宮本家の墓の右隣にミーアキャットの群れ(恐らく家族と思われる)を模した墓石が立つようになり、一昨年からは左隣にTレックスの形した墓石が立つようになったのは。

 恐らく職人さんは殆どやけっぱちで技巧の限りを尽くしたのだろう。

 冷たいはずの御影石には、今にも動き出しそうな躍動感ががある。

 ぶっちゃけ言えば、Tレックスがミーアキャットを今にも喰い殺さんばかりである。

 止めなかったんだろうか、家族は。

 いやきっと、止められなかったんだろうな、誰も。

 何かよく分からないけれど、職人さんの心意気だけは伝わってくる。

 墓の主の心理は、全く伝わっては来ないけど。

 なんて事を考えながら、お墓を清め、花を供える。

 花は白い百合や菊じゃなくて、花屋さんで適当に見繕って貰った色とりどりの花束だ。

 母親の好きだった花は供えた事がない。

 アタシだってできればそうしたいけど、何せあの人、大型サボテンが好きだったからな。

 日本は自由の国かもしれないが、サボテンを供える度胸をアタシは持っていない。

 空は真っ青で、太陽はかんかん照りで、入道雲はモクモクとわき出して、蝉の声がわんわんと辺りに鳴り響く。

 世界は生命力に溢れ過ぎてて、線香の香りの中厳かに手を合わそうにも、空々しい気分になってくる。

 或いは。

 それはアタシの心理がそうさせるのか。

 死を悼もうにも、その時の記憶のないアタシには、いつまで経っても突然降って湧いた様な喪失感があるだけだ。

「叔母さん」

 手を合わせ終えたアタシは、叔母さんの背中に呼びかけた。

「事故の話、聞かせてくれる?」

 それは、アタシがこの九年間一度たりとも口にしなかった言葉だった。











 大体の事は知っている。

 態々訊かなくても、誰かが教えてくれるものなのだ。

 そういう事は。

 簡単に言えば、大型のトラックが直線道路であるにも関わらず中央車線を越えて突っ込んできた。

 ブレーキを踏んだ痕跡はなかった。

 どうやらドライバーは事故の瞬間には、既に死んでいたらしい。

 何ヶ月もの超過勤務で疲労が積み重なり、心臓麻痺を起こしていたそうだ。

 加害者も被害者だったという、なんともやりきれない事故だったとか。

 運転席にいた父親はほぼ即死、後部座席にいた母親は外傷による失血死。

 アタシが殆ど無傷で生きていたのは、母親が咄嗟に庇ってくれたから。

 けれどアタシは、その日から二週間意識不明だった。

「MRIも脳波も異常なし。呼吸も心音も正常。医者が言うには、とても深く眠っているだけとしか言いようがない、という事だったわ」

 アタシと叔母さんは木陰に移動して、冷たいペットボトルのお茶を飲んでいた。

 お墓に自動販売機があるって便利だけど、どうなの? と思わなくもない。しかもクジ付き。整然と墓石の並ぶ霊園に賑やかな電子音が鳴り響く様は、違和感ありありなどころじゃなく、真夜中に是非肝試しのネタとして利用しろというメッセージにしか思えない。

「うん、そうらしいね」

 予想していた事だけど、叔母さんから特に目新しい情報は得られなかった。

 ああ、うん。目覚めたら一体何を最初に食べたがるだろうかと思案する余り、色んなモノをお取り寄せをしてお陰で太ってしまっただとか、アタシの着替えのパジャマは芋虫柄にしようかゴーヤ柄にしようか物凄く迷っただとか、そんな話はもういいよ。

「じゃあ一体何が聞きたいの?」

 端的に言えば、それは事故が起こった瞬間の事だ。

 けれど叔母さんがそれを知ってるハズもない。

 叔母さんだけじゃく、誰も知らない。

 当事者は、アタシしか生き残ってないんだし。

「アタシ、事故の時の記憶がないじゃん?」

 記憶がないのは、「有害」だから。

 アディーリアであってアディーリアじゃないアディーリアの、腹の中に封印した。

 でもアタシの「記憶」は、今まさに生まれようとしている。

 多分、きっと、次にアディーリアに会ったら。

 アタシは、それを受け止めきれるんだろうか?

 アタシはそれを何より怖れてる。

 足下が崩れそうな不安に、途方に暮れる。

 ひょっとしたら、そのせいでアタシは向こうの世界に行けないのかもしれない、なんて思う。

「何かを失くした事は分かってるのに、何を失くしたのかしたのかが分からないのって、最近ちょっとどうなのかな~と思ってさぁ」

 アタシは極力何でもないかのように言ったつもりだったけど、自分で思うより沈んでいたんだろう。

 叔母さんがいつになく慰めるような口調で言った。

「強い衝撃で記憶が飛ぶ事なんか、良くある事よ。私なんか、学生の頃酔った勢いで記憶がなくなった経験なんて山ほどあるわ」

 微妙に、慰めになってなってないような気もするけれど。

 叔母さんの言い方では、まるで「酔って何かの拍子に何処かで頭を打って記憶がなくなった」みたいに聞こえるけれど。

 アタシが思うに「酔った勢い」と「記憶がなくなった」の間には、「頭を打った」だけでは済まない膨大な何かがあるのに違いない。「酔った勢い」でやらかしたモロモロの出来事、つまり「記憶をなくす」ような衝撃的な出来事が。そして恐らく衝撃を受けたのは、叔母さんよりも寧ろ周りの人間なのではないかと…。

 叔母さんがアタシの前で醜態を晒した事はないけれど、酔うとオッサン化する事は知っている。しかも相当豪快だ。それでも古い友人達に言わせれば、随分と大人しくなったという話だから、学生の頃の叔母さんはそりゃもうドエラい状態だったに違いない。

「あ~、う~ん。そりゃそうなんだけどさ~。最近ちょっと、思い出したことがあってさ~」

 空を見上げながら言ったアタシの言葉に、叔母さんは意外なくらい食いついて来た。

「何か思い出したの!?」

 その勢いに気圧されながら、意味が分からないものの否定する。

「あ、いや、ううん。具体的に何かってんじゃなくてね。『忘れてた』事を『忘れてた事』に気がついたっていうか…」

 すると叔母さんは難しい顔のまま、ゆっくりとした口調で訊いてきた。

「事故の事に関して何かを忘れていたということ自体を忘れていたという事かしら?」

「ううん、事故の事じゃなくて。何て言えばいいのかな。事故の前はできた事が、事故の後には出来なくなっていた。アタシはその事について違和感を持ってなかった。最近になってまた出来る様になったんだけど、その事にも違和感がなかった」

「つまり、できなくなったっていう自覚も、またできるようになったっていう自覚も無かったという事?」

「そう」

「じゃあ何故その事、違和感がなかった事について気がついたの?」

 う、そう来たか。

 いやまあ、当然と言えば当然の疑問だけれどさ。

 だからって、元彼がどうとか言って叔母さんの好奇心を無駄に煽ることはしたくない。

「つい最近さ、とある人間が突然昔話初めてさ」

「昔話?」

「二年くらい前の話らしいんだけど、どうやらあたしができなかった頃の事をソイツに話してたらしいんだよね。それで、最近普通にできてたもんだから、何時からまたできる様になったんだろうって」

「疑問に思ったわけね。具体的に、『出来る様になった事』って何か訊いてもいいかしら?」

「ああ、うん、ゴメン。抽象的なままじゃあ、意味不明だよね」

「もし言いたくないのなら…」

「ううん、そういうワケじゃなくて。えっと、あのさ、落語なんだよね」

「落語?」

「そう、『寿限無』」

「『寿限無』って、子供に物凄く長い名前を付けるって言うアレ?」

「そう、ソレ」

「………そういえば、お義兄さん、落語好きだったわよね」

「うん」

「でもそれって、練習したからできるようになったのではないの?」

「練習は、してない。子供の頃以外は。事故の後何でか「寿限無」を言えなくなってたんだけど、ついこの間、ヒョイッと言えちゃってね。それが何て言うか、まるで今まで切れてたスイッチがパッと入ったみたいな感じ?」

「………澄香は、『寿限無』ができなかった事と事故との間に、何らかの因果関係があると思っているのね?」

 叔母さんは静かな声で訊いてきた。

「それは、よく分かんない」

 アタシは、我ながら甘えてんなと思いつつ、ちょっと拗ねた口調でそう言った。

「………」

「バカみたいな事言ってるとは思うんだけど、さ」

「バカみたいだとは思わないわ。記憶というのは、忘れていても無くなったわけじゃなく、そこにアクセスできなくなっただけって言うじゃない?」

「うん」

「澄香はスイッチが入ったっていうけど、正しくその通りで、単純に器質的な意味で、アクセスできる様になっただけかもしれないわ」

「多分ね」

「でも澄香は違うと感じている?」

「そう思いたがってるだけかもしれない」

 頭上の梢から、蝉の声が降り注ぐ。

 その力強さに、その命の重さに、押しつぶされそうな錯覚を覚える。

 何年も地下で過ごして、やっと地上に出たと思ったら数週間で寿命が尽きる。

 鳴き声の力強さに反する寿命の短さが、命の儚さを感じさせるけど。

 よく考えたら、地下で何年も生きてるわけだから、蝉にしてみりゃ「何勝手に感傷に浸ってんだ、バーカ」って感じかもしれない。

 何年もっつったって、人間みたいに八十年も生きるワケじゃないけど。

 彼らは彼らでちゃんと生きてるわけだから、それこそ余計なお世話ってヤツだろう。

 そう。

 余計なお世話だった。

 包み込む様な同情も、寄り添う様な感傷も、慈しむ様な哀れみも。

 それを差し出してくれた母方の親戚は引き取りたがり、それを差し出さなかった父方の親戚は引き取りたがらなかった。

 そしてアタシはどちらにも行きたくなかった。

 古い記憶が、蝉の声のリズムに乗って蘇っては消えていく。

 父方のじーさんの気難しげな顔、ばーあちゃんの悲しげな顔。

 伯父さんのどこかホッとしたような顔や。

 それから、叔父さんの痛ましそうな顔。

 あの頃は、何もかもが磨りガラスの向こうの光景の様に、他人事めいて見えた。

 アタシと彼らを繋ぐモノはもうないのに、なんでこの人達はアタシの前にいるんだろう?

 そんな疑問ばかりが頭を巡ってた。

「澄香が目覚めて直ぐ会ったわね?」

 叔母さんが不意に口を開いた。

「目が覚めた時に側にいたのは、叔母さんだけだったよ」

 アタシは頷きながら答えた。

「まあ、他に近くに住んでる人間がいなかったからね」

 叔父さんは九州に転勤した後だった。そもそもその転勤が、離婚の切欠みたいなものだったらしい。

「今だから言うけど。あの時、私、思ったのよね」

「何を?」

「この子の目は、まるでぽっかりと空いた何もない穴をジッと見つめているみたいだなって」

「………」

「澄香は、そろそろ穴を埋めたいと思ってるのかもしれないわね。或いは」

 叔母さんはそこで言葉を切って、ペットボトルのお茶を飲み干す。

「或いは、そうね。澄香の深層心理が、もう思い出しても丈夫だと、思っているのかも知れないわ」

 記憶の喪失には、精神的な負荷も原因となるらしい。

 なるほど。

 でもさ、そうなるとやっぱり「寿限無」の役割が分からない。

 「寿限無」はただの落語だ。伝統芸能だ、

 事故とは直接関係ない、はずなんだけど。

 それだって、本当のトコロは分からない。

 思い出す時期に来ている。

 そうなのかも知れないし、そうじゃないのかもしれない。

 けれど多分、思い出した先に何かがあるのだろう。

 多分、きっと。

 そしてそれは、アタシに必要な何かなのだろう。

 

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