第五話 カエルの脚力をナメてはいけません
鉄の扉を抜けると、そこは物置だった。
その瞬間、アタシは思った。
アタシのトキメキを返してくれ。
だってさ。一年ぶりの隠し扉見つけたんだよ? 長々と階段上ってさ。生身だったら息切れするところをだよ? んで、ドキドキしながら重い扉を開けたらさ。
眼前に広がる、いかにも適当に積み上げましたって感じのガラクタの山。
ホコリ被ったヨロイだとか、ちょっと口の欠けた壺とか、なんか車輪の外れた馬車まであるんですけど。
むう~~ん。
アタシはいささかどんよりとした気分で、隠し扉を閉じた。見た感じ部屋は使われていないみたいだけど、念のためだ。
隠し扉は、物置部屋では壁鏡になっていた。黒ずんでいるから銀製と思うんだけど、縁の装飾を押すと開くようになっている。リズの寝室の飾り棚と同じ仕掛けだ。
アタシは、改めて周囲を見回した。
その部屋は、一言で言うとデカかった。
天井も高いし、面積も広い。
多分、ウチの四LDKのマンションが五、六個は入るんじゃないだろうか。
けど、物置は物置。いやむしろ産廃処分場?
明かり取りの天窓しかなくって。そこから差し込む月明かりに、キラキラとホコリが舞い踊っちゃったりなんかして。なんか出っ張ってる棒きれみたいなのに足引っかけて転んじゃったりしちゃったり。
ポスッ。
転ぶと、ホコリが胞子みたいに飛び散った。
「うわ~、。最悪」
青いカエルの黄色い腹が、真っ白になった。
はたいたら、手の方も汚れただけだった。
転んでも痛くはないけど、汚れるのは嫌だ。
ケロタン達が汚れたら、侍女さん達がちゃんと洗ってくれる。だけど、シルクでできてるからか陰干しなんだよね。だから乾きにくくって、夜も物干しにぶら下げられてる。その時にそのカエルに「降りた」ときのあのトホホホ感。アレはナイ。アレはナイわ~~。
アタシは悲しい記憶にゆるゆると首を振りながら、出口に向かった。
ギシリ。
そっと開けても軋む扉にヒヤヒヤしながら、外の様子を覗き見た。
深夜の廊下に、人の気配はない。
首が痛くなる程高い天井と、構造上は全く必要なさそうな装飾の施されたデカい柱。
これ見よがしに貴重なガラスをふんだん使った背の高い窓から、月明かりが遠慮会釈無く注いでる。
建築様式自体は後宮のそれと似ているけれど、後宮独特の華やかさがなく、どちらかといえば厳めしい。
王城ってのは大雑把に言うと、前宮、中宮、後宮の三つのエリアに分かれている。
前宮ってのは別名「王府」って言って、中央政府、日本で言えば霞ヶ関だ。大臣やら官僚やらがそこで働いてるってわけ。
中宮には国王の住むサンデル宮と、王太子のためのエルハラ宮がある。
んでもって、後宮には国王の正妃のための四宮と側妃が住む沢山の舎殿がある。
サンデル宮とエルハラ宮には、例の地下水路で通じているから、行ったことはある。
中宮は後宮とは逆に男の園だ。侍女がいなくて小姓がいる。
妙に小綺麗な男達がピーチクパーチクやってるのって、ハッキリ気持ち悪い。だから滅多に行かないんだけど。
中宮は王権の中枢だからか、何ていうか、目が潰れそうな程ゴージャスだった。
けれどここには、そんなゴージャスさもない。
それでアタシは、そこが王府なんじゃないかと見当をつけた。
なんと、九年目にして初めて訪れたエリアである。
これで好奇心が駆られなかったら、勇者の名が廃る。
いや、勇者じゃないけど。カエルだけど。
リザに話す新しいネタができる。
その時アタシの頭にあったのは、その程度のことだった。
アタシがそこで最初に見つけたのは、偉そうなオッサンが偉そうに馬に跨った肖像画だった。多分何代目かの王様なんだろう。王様しか身につけられない深紅のマントを着けてるから。
次に見つけたのが、子供が隠れられそうな程デカイ陶器の壺。
飛びついて中を覗いてみたけど、何もいなかった。残念。
ヨロイが飾ってあるかと思ったけど、意外と見あたらなかった。
突き当たりに行き当たると、また偉そうなオッサンの絵があって、左右に長い長い廊下が延びていた。
左に行くべきか右に行くべきか。もしくは戻るべきか。
アタシは、窓の外を見た。
月は変わらず空にあるけれど、今の季節は朝が。
「早いんだよね~」
と呟いたとき。
「何が早いって?」
背後から低い声がして、ヒヤリとした感触が肩に当たる。
全方位視界のアタシには、振り返る必要はなかった。
二人の男が左右斜め後ろに、アタシの退路を断つように立ちはだかっている。
右の男が金髪で、左の男は茶髪だった。多分、見回りの騎士なんだろう。
なんてこったい。
このアタシが、後ろを取られることになるなんて。
この男達、かなりできるっ!
な~んてね。別にアタシ、気配に敏感じゃないし。後ろが見えるってだけだから。
ただ、初めての場所で警戒を怠ったのは拙かった。
「貴様、何者、いや、何だ」
何だと聞きたくなるようなモノを脅すアンタらは、ある意味勇者だと思う。
アタシだったら、見て見ぬふりして何もなかったことにする。
かといって、その状況で連中を褒めようとは思わない。
「ふんっ。見て分かんないなら、聞いても分かんないぜ!」
アタシはそう捨て台詞を吐いて、猛然とダッシュした。
剣先が肩に当たって、ピリッと破れる。
こういう時に足がすくむのは、切られると痛いし、死ぬのが嫌だからだ。
けど、今のアタシは痛くないし、死にもしない。破れたら、侍女さんたちがちゃんと繕ってくれる。
「「待て!」」
「待てって言われて待つヤツがいたら、笑っちゃうね! ひゃ~ははははっ」
アタシは意味もなく笑いながら、ひたすら突っ走った。
現実のアタシは五十メートルせいぜい九秒前後と微妙だけど、今のアタシはひと味違う。
「カエルの脚力なめんなよっ」
アタシは右に曲がって左に曲がって、また右に曲がった。
男達との距離がぐんぐんと開いていく。
二人の姿が見えなくなった時点で、アタシは適当な扉を開けて直ぐさま閉めた。
扉に張り付いて、外の様子を伺う。
男達の足音は聞こえない。
「ふう。ここで暫くちょっと様子を見るか」
アタシが、一息ついてそう呟くと。
「『暫く』と『ちょっと』というのは、矛盾しているようですが?」
「アレ~、ホントだね~」
思いがけない声に、アタシはガバリと振り返った。
そこにいたのは、またもや二人の男達。
黒髪黒目に褐色の肌の男と、銀髪紫眼の男。
「おお驚かさないでよ!」
アタシは思わず叫んだ。
「私たちの方が先にいたのですけれどね」
黒髪の男が、優雅に笑って言い、
「そうそう。そっちが後から入ってきたんでしょ~」
銀髪の男が、好奇心丸出しの表情で言った。
それは確かにそうだけど、人間、図星を指されるとムッとするもんだ。
「だったら、使用中って書いといてよっ」
「ええ? どうして?」
「そんなの決まってんじゃんっ」
「そんな決まり、ありませんよ」
「決まりとかじゃなくって。ええと、マズイときに入っちゃったら、気まずいだろっ」
「マズイとき?」
「ああ、イチャイチャしてるとき?」
「そう!」
「そんなものですか?」
「だって! それが男同士で、しかも修羅場だったら、すっっっごくイヤだろ?」
アタシは、中宮で図らずも目にしてしまった小姓どもの愛憎劇を思い出して、物凄くイヤな気持ちになった。
「うわ~、それはヤダ」
「それは、女性同士ならいいってことですか?」
「ええっと、男同士はナマいけど、女の子同士ならエロいだけじゃん?」
アタシの頭はその時完全に男だった。女としてどうだろう? と頭の片隅で思ったけど、自分の女子力について考えてる場合じゃないしっ。
「おお、うまいこと言うね~」
「そういうものなんですか?」
「そうそうってっ」
おおっと、暢気に会話してる場合でもなかった。
「悪いがオレは急いでるんでね。邪魔したな、アミーゴ」
アタシは、爽やかな笑顔で無理矢理会話をブッちぎって出て行こうとしたけれど。
「いえいえ。邪魔だなんて」
黒髪の男が優雅に微笑みつつ、ダンッと扉を押さえつけた。
「そうそう。ゆっくりしていきなよ~」
銀髪の男の笑みから、剣呑さが漂い出す。
「死んでも嫌だねっ」
本能的な危機を感じて、アタシは思いっきり男の足を踏みつけた。
カエルの脚力は、すなわち地面を蹴り付ける威力なり!
「!!」
流石に痛かったんだろう、男はあくまでも無表情だったけど、扉を押さえる力が弱まった。アタシはその隙を見逃さず、慌てて隙間から飛び出した。
すると、先程の二人が。
「あ! いたぞ!」
「待て!」
「ちっ!」
「待ちなさい!」
「逃げないでよ~」
更に、部屋にいた男達まで出てきて、アタシの後を追いかける。
「逃げいでか!」
アタシはまた走った。
左へ曲がり右へ曲がり。
ああ。あのホコリくさい物置部屋が懐かしい。
けれど、あちこち走りすぎてもう戻る道が分からない。
タタタタタタタタタッ。
走っても走っても息切れしないのだけが、救いだ。このまま男達の体力が尽きるまで走るのもいいかもしれない。なんて思ったけれど、世の中思い通りにいかないもんだ。
「!!」
なんと、行き止まりに突き当たってしまったのだ。
そこには立派そうな扉が一つ。背後からは追っ手の足音。横道はなく、窓を蹴破ろうにも窓がない。
中に人がいるかもしれないし、或いはいないかもしれない。どちらにしても、窓くらいはあるだろう。
アタシは賭にでた。
バーーーンッ!
アタシは思いっきりドアを開いた。静かに開ける気遣いなど、今更だった。
そしてアタシは賭に負けた。
直ぐ目の前に、濃紺の鉄面皮がアタシを物凄い目つきで見下ろしていた。
初めてリズ以外の人間に見つかった夜。しかも、一度に五人もの人間に。
「ふ、ふははははははははははははは」
もう、笑うしかない。
そして、振り出しにモドル。