第五八話 カエルの世界は四原色です その4
遅くなって申し訳ありませんでした!m(_ _)m
寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処やぶら小路の藪柑子パイポパイポ パイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助よ。
その日の夕食は高級和食だった。
所謂会席とか言うヤツである。
目立った看板もなく、一見普通の家じゃねえの? と訊きたくなるような佇まいの店だった。いやまあ、普通の家と言うには相当デカいんだけど。
当然ながら全席が個室で、庭を眺めながら食べるという優雅さだ。
通された部屋は茶室っぽくて、ふすまの向こう側に枕二つ並べた布団が敷かれてんじゃないかと疑いたくなる程の豪勢さはないけれど、何とも言えない――というか、どう言っていいのか分からない――風情があった。
「うわ~。一体どんなアコギな手を使ったわけ?」
躾の行き届いた仲居さんが一旦退出すると、アタシは開口一番にそう言った。
「別にぃ。たまたまココを瞬兄が予約してたんだよ。カノジョとしっぽりするために。けど瞬兄が都合でいけなくなったって言うからさ。それを貰い受けただけ。謂わばリサイクルだよ。ほら、ワタシって地球に優しいじゃん?」
恵美は肩に掛かる美しい黒髪をサラリと流しながら、優雅に微笑んで言った。
確かに恵美は地球には優しい。WWFの会員になってるくらいだから。
しかしそれと同じくらい、人には優しくない。
恵美は「貰い受けた」と言ったけど、きっと無理矢理奪い取ったに違いない。
まあ、そんな義妹を溺愛する瞬市さんなら、デートだろうと恵美のためにドタキャンするのも厭わないんだろう。
ていうか、彼女いたんだ…。
気の毒に。
アタシは心の中でまだ見ぬ――そもそも会う予定もないないけれど――彼女に手を合わせた。
ついでに目の前に並べられた高級食材にも手を合わせる。
凝った器に上品に盛られた料理は、先付けというらしい。
仲居さんが何やら解説をしてくれたけど、分かったことは「ウニとアワビは夏が旬」ということだけだった。
ウニはともかく、アワビなんて二十一年間生きてきて食った事なんかあっただろうか?
瞬市さん、ありがとう! アナタが変態で本当によかったよ!!
「いっただきま~す」
アタシは決して値段の事は考えまいと、箸をのばした。
「ハモってもっと生臭いんだと思ってた」
「伊勢エビだって! 伊勢エビだって!」
「なんだこりゃ。天然鮎って、こんなに美味いもんなの?」
「何このトマト! 甘っっ」
「出汁はあご? 顎?? 何の顎?」
「白桃のソルベ? ソルベって何? シャーベットじゃねえの?」
正直に告白しよう。
アタシ達はバカ丸出しだった。
というかぶっちゃけ、頭が悪いヒトだった。
いいや! 美味いモノを前にすると、人は誰しも阿呆と化すのに違いない!
良く躾けられた仲居さんは、最期まで吹き出しもせずアタシ達につきあってくれた。
最期に出てきたこれまた上品なお菓子と抹茶で、やっと一息つく。
「おそるべし、会席。肉出てねえのに、この満足感」
満足した猫の様に目を細めながら、まるで何かの標語の様にそう言う恵美に、アタシは頷きながら言った。
「アンタ、肉スキーだもんね~」
恵美はこのお上品な顔に似合わず肉が好きだ。牛も豚も鶏も、羊もイノシシも鹿も食う。
ついでに言えばヘビもカエルも食うらしい。
「で?」
茶をすすりながらそう問いかけてきた恵美に、アタシはオウム返しに問い返す。
「でって??」
「何かあった? てか何があった?」
唐突にそう言い出した恵美に、どうせ殆ど野生じみた勘で言ってるんだろうと思いつつ、一応根拠を訊いてみる。
「なんでそう思うワケ?」
「顔が変?」
「なんだそりゃ」
速攻で返ってきた答えに、これまた速攻でツッコんでみる。
そりゃ確かに、アンタの顔と比較すりゃあ、大概の人間は「変」の部類に入るだろうけど。
微妙に疑問形なのは、アタシへの気遣いだと信じたい。
「う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん」
恵美の問いに、何と答えたもんかと考える。
言いたくないワケじゃなく、何をどう言えばいいのか分からない。
端的に言ってしまえば、「何もなかった」ワケだし。
「現実」には何もない。
この世界では、何も起こっていない。
全てはアタシの夢の中の出来事だ。
ま、今更の話だけど。
「………あのさ、中学校の時なんでか『寿限無』って流行ってたじゃん?」
だからアタシは夢の話じゃなくて現実の話をすることにした。
「………ああ、一年の時だったっけ? なんでかやたらと流行ったね」
恵美は訝りながらも話に乗ってくれる。
「確か、幼稚園に行ってる誰かの妹だか弟が『寿限無』が言えるんだとかなんとか、そういうのがきっかけだったと思うけど」
「確か小松崎だったよ。小松崎の妹だか弟がやたらと年離れてて。幼稚園児ができるんだから、中学生ができないはずはないとかさ~」
「なんでワタシら幼稚園児と張り合おうとしたのかね?」
恵美の今更なツッコミに、アタシは和菓子にぶっとい楊枝みたいなのを突き刺しながら答えた。
「それが所謂チュウニビョウってヤツじゃね?」
「中一だし」
「じゃあ中一病」
「なんじゃそりゃ」
あの頃は、子供って脳みそ柔らかいから、とかなんとか言ってできない事の言い訳をしてたけど、今思えば中学生も十分、てか思いっきり子供だ。
私服だった小学生から制服のある中学生になって、やたらと大人になった様な気がしたんだろうな。
リズも年からすれば来年中学生って事になる。
リズの教育は完全家庭教師制だけど、そういう子にもチュウニビョウってあるんだろうか?
リズがチュウニビョウ。
それはそれで微笑ましい様な気がする。
なんて内心でニヤけていると、恵美が行儀悪くも太楊枝でアタシを指しながら訊いてきた。
「で? それがどした?」
アタシは恵美の問いには直接答えず、鞄の中から昼間元カレから殆ど無理矢理渡されたCDを取り出して見せた。
恵美はそれを手にとって、マジマジと裏と表を眺め見る。
「『更屋敷』『宇治の柴舟』『寿限無』? どしたのコレ?」
「小杉祐輔に貰った」
アタシが口にした名前が一瞬誰の事か分からなかったのだろう、恵美はキョトンとした後、
「はぁ? なんでアイツが、今更?」
恵美の意見は尤もだと思う。
「分かんね。昼間さ、図書館でいきなり渡してきやがったんだよ」
「だからなんで?」
「だから分かんないんだって。前にアタシが『寿限無』の事で何か言ったらしいんだけどさ。別れてからまともに話した記憶すらないのに。何年前の話って話でさ~」
付き合ってる時でさえ意味不明だったのだ。
付き合いのなくなった今は、今更の尚更だ。
アタシがそう言うと、恵美が不思議そうな顔をする。
「ん? ヤツのキモい行動が問題なんじゃねえの?」
アタシは恵美の言葉に、ひらひらと手を振った。
「小杉祐輔はただのきっかけであって、問題じゃないんだよ」
てか、ヤツがアタシの中で今後問題になる事はないだろう。
「じゃあ、何が引っかかってんのさ」
恵美の当然の疑問に、アタシは大きく嘆息した。
「うん、それがさ~、アタシ思い出したんだよね」
「何を?」
「アタシ、昔『寿限無』言えなかったんだよね」
「子供の頃の話?」
「てか、つい最近までの話。多分」
「『多分』て?」
「何時までだったのか定かじゃないから」
アタシの言葉に思うところがあったらしい。
恵美が思案げな顔で訊いてくる。
「スミさ、この前、向こうの変質者共を『寿限無』唱えて気絶させたって言ってなかった?」
そうなのだ。
アタシは恵美の言葉に頷いた。
「言ってた」
「ええと、それってつまり。子供の時できなかった事が大人になって出来る様になった。という、報告?」
なんじゃそりゃ。
「なんでアタシがアンタにイチイチそんな事を報告しなきゃあならんのよ」
てか「寿限無」にどんだけ一生懸命なんだって話だよ。
あたしゃ落語家かっ。
「う~んと、自慢?」
「になるかっ」
幼稚園児が普通に『寿限無』を言えるらしい昨今、二十歳を過ぎたアタシが言えたところで自慢になるはずもない。
バンコクの本当の名前を言える方が、余程凄い事だと思う。
どちらも日常生活では必要ないだろうけど。
「じゃあ、何なのさ?」
恵美にはアタシの言いたい事が分からないらしい。
そりゃそうだ。言ってるアタシにだって、よく分かってないんだからさ。
アタシは。
小さい頃は言えた。
もっと小さい頃。
おとうさんと一緒に、ひいおばあちゃんの前で披露した。
なのに。
中学一年生の時は言えなかった。
読んでも読んでも、まるで言葉が上滑りする様に頭に入って来なくて。
その内頭がぼんやりとしてくる。
言えない子なんて沢山いた。
だからそういうモンなんだと思ってた。
なんであの時不思議に思わなかったんだろう。
前は言えたのにって。
そして、この前なんで思わなかったんだろう。
前は言えなかったのにって。
練習した覚えもないのに、何故あの時スラスラ言えたのか?
まるで何かのスイッチが入ったみたいに。
その直前のトランス状態とは、何か関係があるんだろうか?
一歩進む度に何かの疑問が湧いてくる。
それがどうにもまどろっこしい。
アタシの記憶には齟齬がある。
記憶なんてモノは大概齟齬だらけなモンだけれどさ。
アタシの場合、メタ的な記憶にこそ齟齬がある。
「結局さ、『寿限無』が一体何だって言うわけ?」
いつまで経っても答えないアタシに焦れて、恵美が問う。
そうなんだよ、恵美子君。
問題は、そこなんだけれどもさ。
「それが、アタシにも分かんないっちゅうか…」
「寿限無」で目覚めたと言っていたアディーリアであってアディーリアじゃないアディーリア。
アタシは肘をついて顎を支えながら、恵美の後ろの何やらもったいぶった文字の書かれた掛け軸を見る。
そういやあ古文書学のレポートも書かないとな。
と、飽和した思考に「現実」が割って入ってくる。
古文書読めっつったってな~。
課題として出された古文書のウネウネとした文字を思い出すとウンザリする。
まあ、課題に出される様なモノなんて、既に解読済みのモノなんだけれどもさ。
それを敢えて「自力で」解読しろってトコロがミソだ。
学生にそんな事ができるワケがない。
そして、答えは既にある。活字になって、この図書館にも入ってる。
つまり、見事解読できてたら、それが逆に「不正解」って事になる。
正解が不正解で、不正解が正解。
そこでふと気がついた。
アディーリアが目覚めた一方で、ムダメン共は気絶した。
でも意識を失くしてたのはヤツらだけじゃない。
夢の中でのアタシは、意識があった。
けれど。
現実のアタシは。
「You Got a mail!」
全く記憶にない着信音に、アタシの思考は中断された。
しかも、なんだこのスーパーハイテンションな口調。
アメコミの悪役だってここまでハイテンションにならんだろうって感じの声だ。
疲れている時に聞いたら、確実にイラッとするに違いない。
こんなモノ、一体どっからゲットしてきやがったんだ??
目の前の確実に犯人である恵美を軽く睨んでから、アタシはメールをチェックする。
叔母さんからだ。
アタシはメールを開いて文面を読む。
「……………」
その内容に、多分微妙な表情をしていたのだろう、恵美が気遣わしげに訊いてくる。
「どした?」
「叔母さん、この日曜、帰国するんだって」
急に時間が空いたからって書いてあるけど、確実にこの前の「昏睡未遂事件」が影響してるに違いない。
さて、どう言い訳しよう。