第五一話 カエルの首は回りません
「つ、疲れた…」
アタシは色のない地面に手をついて、吐息と共に呟いた。
そう言葉にしてみると、確かに疲れているのだと自覚する。
いやだってさ。
本当に疲れたんだよね。
精神的に。
何て言うの?
腹に一物、どころか百も二百も隠し持ってそうな人間を相手にするのは、ホント気疲れするんだよ。
しかも、一応協力関係にあるわけだから、下手な事も言えないし。
これがさ、あのムダメン共だったらさ、適当に八つ当たりしつつ殴る蹴るの憂さ晴ら…ゲフンゲフン。
まあともかく、何をどう思われても大して支障がない連中よりは、余程気を張らなくちゃいけないワケで。
顔を上げると、天と地との境のない茫洋たる空間で。
殺風景な事極まりないにも関わらずホッと和んじゃうのって、人としてどうよソレ?
なんて思わず微妙な気持ちに陥っていると、
「キュルル~」
どこからともなく腹の虫が…。
え? アタシ、腹減ってんの?
身体ないのに??
戸惑うアタシを余所に、再び腹の虫。
「キュルルルルルル~」
それは右の方から聞こえてきた。
音源はどうやらアタシの腹じゃない。
音源を辿って振り向くと、白いカエルがチョコンと座っていた。
何故かパチパチと、音が出そうな勢いで瞬いている。
敢えて控えめに言えば頻りに何かを訴えているみたいな、ぶっちゃけ言えばアゲ嬢がカモに何かをねだっているみたいな仕草にしか見えないんだけど…。
え? 何?? 次は三号なワケ? 四号は? 何時になったら四号に入れるワケ??
今度は一体何をさせられるのかと戦々恐々としながら白いカエルを見つめていると。
「ゲコ~」
今度は別の方向からカエルの鳴き声。
誰だ??
と思って振り返ると。
青いカエル。
え? 二号なの? 二号は今頃靴部屋で靴に埋もれてるじゃん!
「オゲェ、オゲゲゲゲェ」
ハッ! このゲロ吐いてる様な鳴き声は?
声の方向に視線を向ければ、予想通りに赤いカエルが。
てことは、一号?
ええええ? どれ!?
どれに入れっちゅうの??
対外的にはもうできることはやったと思っていたアタシは、あと何すればいいっちゅうねん!? というのが正直なところだった。
冷静に考えればやるべき事は幾らでもあるんだけれど、早くリズの元へ行きたくて気持ちが急いていた。
てかこの気疲れを癒したい。癒されたい。リズを抱きしめて頬ずりして、リズの笑顔で和みたいっ。
で、その肝心の緑は何処よ? 緑のカエルは一体何処にいやがんだ??
アタシがブンブンと首を回して目当てのカエルを探していると、
「何をキョロキョロとしておる?」
良く言えば鷹揚、ぶっちゃけ言ってまるっきり他人事ってな感じの余裕ぶった声に、むかっ腹が立った。
「見てわかんねえのかよっ。さっさと四号出せ! 出しやがれ!」
「く、苦しいっ。離さんかっ、余を誰と心得る」
「貴様なんぞ、ロリコン変態じゃあ、こンのクソボケェ!」
「う、うぐぐっ…」
向こうの連中ってのは背が高い。
中身は中年親父、見かけは十代半ばのリズ父は、一五八センチのアタシより十分でかい。
けれどまあここは夢の中なので、アタシは片手でリズ父を吊し上げることができた。
身長差のせいで相手の足はキッチリ地面とくっついてるけど。
まあ、そこら辺はご愛敬。
ああ、夢ってスバラシイ!!
なんて高らかに叫びたくなるほど、アタシってば荒んじゃってたんだよね。
数時間、神官や神殿騎士や巫女さん達の、見たいんだけど正面から見る勇気はないんだけど、一体何なのアレ!? 的な視線に晒されたストレス?
それを思う存分リズ父に八つ当たりして悦に入っていると、
「ケロ、ケロケロケロッ」
どこからどう聞いても蛙の鳴き声なのに、なにやら諭す様な響きのあるこの鳴き声は!?
「四号!」
アタシはリズ父をポイッと放り投げると、若干逃げ腰に見える緑のカエルを素早く掌に掬い取った。
「探してたんだよ~。も~、変態とかロリコンとか若作りとかに絡まれてさ~」
「ケロケロ、ケロケロロ、ケロッ」
「え? 変態もロリコンも若作りも同じヤツじゃないかって? まあそりゃそうなんだけどさ~」
「ケロケロ、ケロロロロケロ、ケロッケロッケロロ」
「あ、そんなに心配しなくても大丈夫。変態はキッチリ葬る予定だから!」
「………見事に会話がかみ合っておらんな」
「大事なのは気持ちだから。大丈夫大丈夫」
「ケロロケロロロケロッ」
「ほら、カエルも大丈夫だって」
「………確実に、言ってはおらんな」
むう。
アタシとカエルの仲に水を差そうってか?
性格悪いなあ。
まあ、専制君主なんて性格悪くなけりゃあできない職業だとは思うけどね。
てか、アディーリアに次いでコイツもカエル語が分かるのか?
それでいて何でアタシには分かんないんだ?
カエルとの意思の疎通なんて、アタシにこそ必要だと思うんだけど。
アディーリアとこの若作り変態にあって、アタシにないもの。
もしくは、アディーリアとこのロリコン中年とに共通してて、アタシには共通しないモノ。
う~ん。
二人が王族だから?
なわけねえか。んじゃ、聖者だから?
目や髪が紫ってだけで? なんだそりゃ。遺伝子レベルの差別か?
いや、そもそもここじゃあ肉体がないんだから、遺伝子の問題じゃないんじゃないだろうか?
あとは、う~ん、あの二人とアタシの違いなんて、死んでるか生きてるかくらいしか思いつかない。
そう思いつくと、なんだか本当にそんな様な気がしてくる。
死んじゃうと、種の壁なんか関係なくなるとか?
アタシが思案に耽っていると、カエル達が口々に鳴き出した。
「オゲェ、オゲゲ、オゲェゲェエエエ」
「ケロロロ、ケロケロロ、ケロケロケロ」
「キュル、キュルルルル、キュル~、キュルル」
「ゲコーゲコ、ゲコゲコゲコゲコ、ゲコ」
「………ッ」
若干一匹鳴けてないけど。
ていうか、いたのか黒いの。気がつかなかったよ。
黒いカエルは鳴嚢に問題があるのか、殆ど鳴かない。
なので仕方なく、前回(五号に入る前ね)意思の疎通を図るべく、イロイロと打ち合わせしたんだけど。
ハイなら右手、イイエなら左手を、挙げるって。
「頷く」と「首を振る」でもよかったんだけど、何せカエルには首を横に振る機能がない。頸椎が一つしかないので、頷くことは出来るけど首を回すことは出来ないのだ。
というワケで、手を挙げるって事で落ち着いたんだけど。
え? 何でカエルの意見が必要なのかって?
イロイロ入れ知恵してくるリズ父の言葉を、鵜呑みにする様な事はしたくなかったから、まあ要するに、第三者的冷静な意見が欲しかったワケだ。
カエルに意見を求めた時点で、人としてどうなのって気もするけど。
結論から言えば、上手くいかなかった。
何て言うか。
アタシ自身、世の中イエスとノーのどちらかに振り分けられる事は、実際問題余りないって事を失念していたというか。
何か問いかける度に、「どちらとも言えない」という事を表現するためだろう、両手を挙げようとして、その度にコテンと転んじゃうカエルが不憫で不憫で。
思わず涙で視界が滲んだよ。うん。
決して腹抱えて笑ったとか、笑い過ぎて涙出たとか、そういう事ではないからね。
「ところで、首尾は如何であった?」
思案深げなリズ父の言葉に、アタシはむうんと考えた。
「上手くいったよ、多分」
「多分、とは?」
「大神殿周辺にいる人間の避難はほぼ出来てたとは思うんだけどさ」
アタシは大神殿の大門から広場に出た途端視界に入った人々の群れを思い出す。
逆にアレだけ沢山いたら危ないんじゃないかと思うけど、神殿騎士団に促されて殆ど全員座ってたから、まあドミノ倒し的な被害が出ることはないだろう。
ただ。
「被害状況が分かんないんだよね。揺れた、と思った途端ここにいたからさ」
正確に言えば、五号から離脱してここで目覚めるまでの間には、タイムラグがあるんじゃないかと思う。
あの、自分自身の境界が希薄になるような真っ暗な空間。
多分、アタシはまたあの場所を通過している。
脳裏に残る一瞬の閃きの様な映像が、アタシにそうだと告げている。
けれどそれをこの男に言うのは憚られた。
だってさあ、アンタの奥さんが死後妊娠してるなんて話、どう話しゃいいんだって話だよ。
「なるほど。しかしそなたは出来ることはやったのだ。後は、神の御心のままだ」
「………」
この男の言うことは、確かにそうかもしれないけれど。
二一世紀の日本人としては、いるんだかいないんだか分からない神サマとやらに、何もかもを預けきるなんてのは無理だ。
天災が起こるのは、仕方がない。
アタシ達人間は、ううん、全ての生物は、それを受け入れるしかないワケだし。
でもさ、もしこれが日本の出来事で、何らかの手段で正確な地震予知ができたら?
その事で警鐘を鳴らさなかったら? 避難勧告をしなかったら?
それは間違いなく人災だ。
知らせなかった人間は、紛れもない加害者だ。
その時の後悔を考えると、とてもじゃないけど耐えられそうにない。
ふと思う。
結局の所、リズのためだとか言って、アタシはアタシ自身が加害者になるのがイヤだっただけかもしれない。
でもそれで結果として、リズの将来を決定づけてしまった。
リズはケロタンがいなくても、確かに「神人」になっただろう。
だからと言ってアタシの責任がなくなるワケじゃない。
自分から能動的に関わることで、アタシ自身がその責任から逃げないようにしたつもりだけど。或いは顔も知らない不特定多数の責任よりも、リズ一人に対する責任を背負う方がまだマシだと計算しただけかもしれない。
とか思い悩んだところで、もう後戻りはできないし、するつもりもないんだけどね。
「で?」
ロリコン変態若作り中年ヘイカが、不意に声音を変えて問うてきた。
「『で?』って?」
アタシは顔を上げて、希有な紫の瞳を見つめ返す。
リズの瞳が何処までも透き通る様な、けれども濃い紫なのに対して、この男の瞳の色はもう少し淡くうっすらと白みがかっている感じだ。
「余と契約する決心は付いたか?」
男の質問に、思案する。
決心、ねえ。
アタシはアディーリアと契約した時の事を思った。
あの時、アタシには「契約」が必要だった。
何故なら、もしアディーリアと契約しなかったら、アタシはそのまま死んでいたから。
アタシは生きたかった。
生きたかった。
目眩がするほど、生きたいと願っていた。
もう誰も、家族はいないと分かっていても。
何故という疑問をどんなにぶつけても、生きいという思いしか残らなかった。
アタシのその思いがアディーリアを引き寄せたんだと思う。
ま、多少の悪あがきはご愛敬ってトコで。
だってさ、誰だって自分のエゴを正面から突きつけられるのはイヤじゃねえ?
でもさ。
今回は、アタシの何が、この男を呼び寄せたんだろう。
だからこの男との「契約」を先延ばしにするのは、ある種の警戒からだ。
「アタシこそ、アンタの覚悟を聞きたいね」
「ほう?」
「アンタさ」
「何だ?」
「アタシに魂喰われるってことちゃんと分かってる?」
「ぎぃいやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
男の答えは聞けなかった。
何故なら、男が口を開く前に堕ちていたからだ。
「だから何で毎回毎回不意打ちなんだよ~~~~~~~~!!」
アタシは自由落下に身を任せながら、果敢にも拳を振り上げて叫んだ。
ここからが、アタシのホントの正念場だった。