第四話 カエルは全方向視界です
リズの住むレゼル宮には、少なくとも隠し扉が三つある。
一つ目は、主寝室のどデカいタペストリーが掛かっている壁。
タペストリーを捲ったところで一見何もないけれど、斜向かいの壁の小さな風景画を右に一回半、左に半回、更に右に二と四分の一、最後に左に四分の一まわすと、壁が動いて隠し通路が現れる。
その通路は地下水路に繋がっていて、水路からは後宮の他の建物や、王と王太子の住む中宮にも通じている。水路が何処に通じているのかは確かめたことはないけれど、多分いざって時の脱出用の抜け道なんだろうと思う。
二つ目は、同じく主寝室にある飾り棚。意匠の彫刻の一つをポチリと押すと、棚が動いて隠し通路への入り口がポッカリと顔を出す。
ここからは、レゼル宮内の隠し部屋や隠し通路に通じていて、廊下や部屋を覗くことができるようになっている。きっと、客だとか使用人が主人がいないところで何をくっちゃべってんのかコッソリ覗いてやろうって腹なんだろう。物凄く悪趣味だとは思うけど、まあ、金持ちだとか権力者ってのは、大抵悪趣味なもんだ。かくいうアタシも、情報収集も兼ねて何かと活用させてもらってるので、言えた義理じゃぁないんだけど。
実はこの二つ目と一つ目の隠し通路、隠し扉で繋がっている。
なんで一々隠してんだろうって思うけど、イロイロと都合があるんだろう。
三つ目は、、ウオークインクローゼットの更に奥、ウオークインシューズクローゼット(要するに靴部屋だ)にある一番奥の棚。
壁についてるレバーを右に回すと、棚がスライドして更に奥の棚が現れるんだけど、ニュートラルの状態から左に回すと隠し階段が現れる。左に回すにはコツがあって、レバーの下のちょっとした素材上の出っ張りとしか思えない部分を押しながらじゃないと、左には回らない。
階段は降りていて、地下水路よりずっと深い。その先には沢山の横道や部屋があって、殆ど迷宮といってもいい程複雑な構造になっている。
部屋の中には、やたらと豪勢な部屋があったり、やたらと少女趣味な部屋があったりと、なかなかにバラエティーに富んでいる。ただしどの部屋の調度品も、素人目にも高そうで、ついつい売ったら幾らくらいになるんだろう、な~んて考えちゃうのはしがない庶民の業ってヤツだろう。あと、図書館さながらに本が並んでいる部屋や、用途不明の道具が積まれている部屋、それから標本が所狭しと陳列されてる部屋なんてのもある。標本も虫とかだったらいいんだけど、動物とかになるとハッキリ言っていただけない。でも何が一番いただけないって。
あの台所の黒い悪魔。
そう、アレ。
標本ってのは、ぶっちゃけ死体だ。つまりアレの死体がっ。大小様々なサイズの、薄茶色から真っ黒と色とりどりに、ずら~~~~~っと壁一面にぃいいいいいいいい!
はあ。思い出したら、頭皮かきむしって叫びたくなっちまったぜ。
アタシは、断固たる決心で、その部屋の扉にバイオハザードのマークを描いたよ!
アレは、万が一アルマゲドンがやってきても、決して公にしちゃいけないものだ。
一体全体、どんなマッドな精神構造の人間がそんな部屋を作ったんだ? てな疑問を持つのはヒトとして当然のことだろう。
それでアタシは思ったんだけど、この地下通路には、公にはできないヒトやモノを隠していたんじゃないだろうか。
例えばご乱心な王族とか、禁書だとか、禁忌の実験だとか。
それから、黒い悪魔の標本だとかっ。
それが、何でレゼル宮にしか通じていないのかは分からないけれど。
で、リズが寝入った後、アタシは三つ目の隠し扉を使って、地下迷路に向かったわけ。
ていうのも、地下の部屋に読みかけの本があったから。
アタシは、真っ暗な中を明かりもなしに降りていった。
実は、ケロタン達の目は優れもので、暗視スコープなんかよりもずっと闇夜に目が利く。
地下迷路を歩くのにランプも松明もいらないし、真っ暗な部屋で本を読むこともできる。
でもそれだけじゃない。
本物のカエルと同じく、上下左右殆ど全ての方向をカバーしているのだ。
それに一体何の利点があるのかっていうと。
例えば。
アタシが背中を向けているとき、リズが悪戯か何かをしようとしたりしたりする。
「リズ、ダメよ。そんなことしちゃあ」
「ええ!? どうして分かったの?」
「ふふふ。アタシにはリズのことならな~~んだって分かるのよ」
「すご~~い!」
てな会話を楽しめるってことよっ。へへん。
まあ、それはさておき。
お目当ての本は、アタシが勝手に「緑の間」って呼んでる部屋にある。
深い緑と茶色を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋で、寝室と書斎に分かれてる。
書斎には、どうやって運び込んだんだってくらいデカい机があって、全面の壁には天井から床まで本がずらら~っと並んでいる。上の方は一々梯子を使わなくちゃいけないのが面倒だけど、中には面白い本があったりするのだ。
その本は入り口から右手の棚の上の方にあって、前の時に上巻を読み終えていて、その日から下巻を読み始めるようとしたとこだった。
アタシは梯子を上って、下巻を手に取って。
ふと違和感を感じた。
下巻の隣の本が、なんかおかしい。
むうん?
アタシは目を眇めて、まじまじと本を眺めた。
そのときアタシは、その本が他の本よりほんの少しだけ奥行きが長いことに気がついた。
多分五ミリくらい。
今まで、何度も隠し扉を見つけてきたアタシのカンが囁きかける。
これじゃね? と。
アタシはとりあえず目的の本を置いておいて、そっちの本を手に取った。
題名は『世界のため池百選』。
なんだそりゃ。
湖とか沼とかさ、せめて水辺なんてのならともかく、ため池ってなんだよ、ため池って。
そんな本、カエルかアメンボくらいしか読みたがらないんじゃないかと思う。
仮にもカエルになってるアタシへの挑戦か?
と思ったけど、勿論そんなことはない。作者だって、まさか布製とはいえカエルが読むなんてことは想定していなかっただろう。
きっと広い世の中には、ため池マニアってのがいるのに違いない。そしてそこには、アタシの考えが及びもしない程ディープな世界があるのだっ。
な~んて思いながら、パラパラとページを捲る。
ダミー本かと思ったのに、意外にも中身はちゃんとしていた。
それらしいイラストが描いてあって、マジか? とツッコミを入れたくなるくらい、熱くそのため池の見所について語っていた。
………。
まあ、人の趣味はそれぞれだよね。
アタシは無理矢理納得して、本を元に戻した。
ただ戻すだけじゃなくて、思いっきり奥に押し込んだ。
奥行き五ミリ分。
すると、ガコンッとどこかで鈍い音がして、次いでズズズーと何か重い物が動く音。
けれど、書斎には何一つ異変はない。
ふむ。
アタシは梯子を下りて、寝室の方へと移動した。
案の定、クローゼットがスライドしていて、人一人通れるくらいの穴がポッカリと開いていた。
アタシは、久しぶりの隠し扉の発見に、興奮した。
ドキドキしながら覗き込むと、ずっと奥まで通路が延びている。
アタシは迷わず、更なる暗闇の中へと踏み込んだ。
何分か歩くと、上り階段が現れた。
上ってみて初めて、階段が意外な程長いことに気がついた。
そのとき、頭の隅にちょっとだけ、マズイかな? という考えが過ぎった。
けれど好奇心に負けて、アタシはそれを無視した。
やがて二メートル四方程の小部屋に出た。
そして、人一人が屈んでやっと通れるくらいの、つまりは今のアタシにはジャストサイズの扉がそこにはあった。
多分アタシは、ここで一度引き上げるべきだったんだろうって後になって思うんだけど、それこそ後の祭りってヤツである。
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2010年、農林水産省主催の「ため池百選」が選定されてます。びっくり。