第四七話 カエルの擬態にハンパはありません
轟々と水が唸る。
両側の石畳に派手に飛沫を飛び散らせながら、凄まじい勢いで水が流れる。
走馬燈の様に過ぎ去っていく極彩色の壁画。
浮き沈みするアーチ型の天井。
あ、浮き沈みしてんのはアタシの方だった。
ケロタンの軽い身体は激流に巻き込まれ、上へ下へとグルングルン回転しながら、木の葉の様に流されていく。
コノハガエルというカエルがいる。
その名前の通り木の葉の様な姿をしたカエルだ。
当然だけど、動物の姿形には意味がある。熱帯の森に生息するそのカエルは、木の葉に擬態して敵から身を隠す。その擬態の精度には、一切のハンパがない。
けれどケロタンの姿には、意味はない。
単なるアディーリアの好みだ。
ああ、アディーリア! アディーリア! アディーリア!
確かにちょっと珍妙だけど、アンタのセンスは嫌いじゃないっ。
「うひょおおおおおお!!」
怒濤の勢いで急カーブを曲がってく。
迫り来る壁面とあらゆる接合部分がもげそうなほどの激流に、アタシはもう一生ウォータースライダーには乗らなくていいと思った。
正直、ケロタンの身体だから痛くはない。痛くはないんだけどさ。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
くすぐったいんだよっ。
幼児に何されても「楽しめる」様に作られているケロタンは、痛みを感じない代わりにくすぐったくなる。
カーブを曲がりきると、高かった天井は一気に下がり狭い暗渠に入る。
そこからはもうウォータースライダーですらなくて。
ウォーターチューブ。
要するに配水管だ。
ゴボゴボゴボゴボッ。
ケロタンの中の体内に辛うじて残っていた空気が、水圧で押し出される。
ケロタンが息してなくてよかった!!
マジで!
どのくらい流されたのか、進行方向に光が見えた。
ドドドドドドドドドド。
大量の水が何処かへへ落ちる音が、近づいてくる。
ケロタンの身体は怒濤の勢いで、光の中へと吸い込まれていった。
ザッパ――――――――――ン!!
「キャ――――――――――!!」
無数の金切り声が響く中、ケロタンの身体が空中で弧を描く。
幾百もの蝋燭の明かりに、水飛沫がキラキラ光る。
ベッチョン!!
ケロタンの身体は、たっぷりと水を含んだ頭部から無残にも床にたたきつけられた。
シ――――――――――ン。
張り詰めた沈黙が支配する中、アタシは床に両手をついて身体を起こす。
ボタボタボタ――。
鏡みたいにツルッツルに磨き上げられた床に、水滴がしたたり落ちる。
そこに映り込むのは、黒いカエルのぬいぐるみ。
解像度の悪い鏡像だけど、パッと見た感じでは目立つほころびはない。
目とかもげちゃってたらどうしようかと思ってたけど。
大丈夫、黄緑色の目は二つともある。
ホッとしつつ顔を上げれば。
正面の壁に垂れ下がる茨の蔓に囲まれた<尾のない獣>の青い旗。
デカいな~。確実にウチのリビングよりはデカい。
どうやら、目的地には着いたらしい。
確かにあの少年、いやあの男は、嘘は言わなかった。
言わなかったけど。
ジョボジョボジョボジョボ。
スーパー銭湯なんかでよくある「打たせ湯」にそっくりの注ぎ口から、絶え間なく流れ落ちる水。
そして半裸の巫女さん達。
ポロリもあるよ☆
どころじゃないよ!
ここってどう見ても、シャワールームなんだけど!?
アタシはなるべく視線をぼかしながら立ち上がると、ケロタンの両腕を絡ませて、どうにか水気を絞り出す。
ジャ――――。
痛い。
イヤ別に、身体が痛いんじゃなくて。
固まったままコチラを凝視している彼女たちの視線が、物凄く痛いのだ。
「………イシュ・メリグリニーアに取り次ぎを」
ジャ――ッと身体を絞りながら、アタシは漸くそれだけの言葉を絞り出した。
あの男、絶対この事を知っていたのに違いない。
さて。
どこから遡って話せばいいんだろう。
話すったって、一体誰に話してんだよって話だけれどもさ。
敢えて言えば、アタシだ。
アタシはアタシに話してるのだ。
多分。
ムダメンどもが消え去った後、突如現れた謎の少年。
いや本当は、「少年」じゃなかったんだけど。
今はまあ、謎の「少年」にしておこう。
んでもって、少年は言った。
「余の名は」
何とかかんとか・ロルド・イスマイル・何だかんだ・イス・イスマイル。
ぶっちゃけ言って、覚えられたのはそれだけだ。
相変わらずムダに長い名前である。
テストの時に名前書くスペースに、絶対入りきらないだろうな。
それともアレだろうか? 向こうの世界のテストは、名前書くスペースはデカいんだろうか? というか書いてるだけで、ムダに時間を浪費しそうだ。
だけど向こうの人間に言わせれば、大変合理的な名前らしい。
名前を聞けば、父方の血筋と母方の血筋と、家門が分かるから。
血筋だけでいいんじゃね? とかって思うけど、養子縁組とかって場合もあるから、家門もちゃんと必要らしい。
それを「面倒くせ~~」とか思うアタシは、だから多分向こうの人間の名前を覚えきれないんだろう。
それでもまあ、合理的ってのは認めてもいい。
たったコレだけでも、分かる事があるからだ。
まず「イス・イスマイル」。
「イス・イスマイル」は、イスマイル国王の嫡出子って事。
つまり国王と正妃との間にできた子供の事だ。
妾妃との間に出来た子供は当てはまらないので「イス・イスマイル」とは名乗れない。
それはすなわち、王位継承権を持ってないって事になる。
庶子は王の許可があれば「イスマイル」を名乗る事ができる。
けど、それじゃあ王統でも「王の子供」じゃない嫡出子、例えば王弟の子なんかと差別化ができないので、「家名」の前に来る修辞詞で区別する。
当主つまり国王は「ロルド」、女王なら「ロルカ」。皇太子は「ロシェス」で、皇太子が女子なら「ロシェーヌ」となる。それ以外なら男子は「ロエル」、女子なら「ロラン」。
それが「庶子」の場合は、何もつかない。
下手したら、家名も名乗らせてくれないらしい。
名前一つでその人の立場が分かる、ある意味残酷な制度だ。
だからアタシは、合理的だとは思うけど、同時に「ムダ」だとも思う。
だってさ、血筋や家名で人間性は分かんないじゃん?
まあ、アタシが言っても仕方のない事なんだけど。
それはともかく、この少年の場合「ロルド・イスマイル」だからイスマイル国王って事になる。
……………。
「えええええええええええええええええええええええええええええ!?」
アタシが叫ぶと、少年はビクリと身体を揺らせた。
いやいやいやいや。
この間会った国王は、こんなに若くなかったよ!?
いやだけどっ。似てる?? 確かに、物凄くよく似てるけど!
どう見ても高校生じゃん!
いやまてよ、向こうの人種は日本人の目から見ると老けて見える。
下手したら中学生!?
中学生!?
こんなに偉そうなのが?
こんなにふてぶてしそうなのが??
アタシがマジマジと見つめていると、少年は何故か懐かしそうに眼を細めて言った。
「そなたからは、アディーリアの気配がする」
「!?」
アディーリアの神聖名を呼ぶなんて、今の国王はしたりしない。
神聖名を呼んで良いのは、両親と配偶者だけだ。
義理の息子が、義母を神聖名で呼んだりしない。
その時アタシは気がついた。
少年の目が、紫色だということに。
今の国王の目は青い。
母親譲りの、深い深い海の色。
だったと思う。
「アンタ………」
紫の瞳を見ていると、アタシの頭の中にアタシのじゃない記憶が湧き上がる。
アタシはこの少年の、いやこの男の名前を耳にした事はない。
いやまあ、さっき聞いたけど。
覚えてないから、ノーカウントだ。
けれどアタシの中にすっかり馴染んだ、アタシのじゃない記憶が、男の名前を紡ぎ出す。
ナイアルド=クルスト・ロルド・イスマイル・アウラ・エナ・エラハルド・ハジェク・イス・イスマイル。
前イスマイル国王にして、アディーリアの夫、そしてリズの父親。
男はアディーリアの記憶の中で、キラキラと輝いていた。二昔前の少女漫画みたいに。キラキラと、そりゃもうキラキラと。修正液をぶちまけたいくらいにキラキラと。
そのキラキラ男には、もう一つ名前があった。
セラーディス・アヴィスレーダ・クルスト。
玉の聖者クルスト。
アディーリアは男の事をたまに巫山戯て、「私の瞳」と呼んでいた。
その呼び名を浮かべるのと同時に、全く別の記憶が蘇る。
蝋燭の頼りない灯火の中、「お義父様」と「師母様」が何かを囁きあっている。
――「エス・エイシアン」王統に漸く生まれた聖者、我が「彩の聖者」と「掛け合わせる」のに相応しい。
何これ!?
こんな記憶知らない!
今まで見た事がない!
男の葬儀は、イスマイル王国とユージェニア大神殿とが共同で主催し、それはそれは盛大なものとなったという。
半年も前の事だ。
そう、半年前。
アタシは、この瞳の主に言った。
アディーリアからの手向けの言葉を。
「何で…!?」
アタシの声は、殆ど叫び声に近かった。
何で今更!? てか! なに若返ってんの!? アンタ四十半ばのオッサンじゃん!!
アタシの頭の中で、色んな疑問がグルグルと高速で旋回する。
一体ここの時間はどうなってんだ?
何時からおかしくなったのか?
最初からおかしかったのか??
そもそも「今」は「何時」なのか??
二日前? 半年前?
アタシが時間を移動してんの?
それとも連中の方が移動してんの??
何かよく分からない心のゲージがグングンと上がっていく。
その時だった。
「……………ッコ」
咳き込む様な鳴き声に、アタシはハッと顔を上げ。
ソレを見つけた。
金色の頭の上にちょこんと乗ってる黒いソレ。
若草色の目が、ギョロリとアタシを見つめてる。
「カエル――――――――――!!」
アタシは。
心細くて。
懐かしくて。
思いっきり跳びかかった。
じゃなくて抱きついた。
結果的に、少年姿の男を突き飛ばしてしまった事は、不可抗力だったと言っておこう。