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第四十話 カエルの瞳孔は縦・横・三角です

東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されて今尚困難な状況におかれている方々のご無事とご健康をお祈り申し上げます。また行方不明の方々が、一刻でも早くご家族の元に戻られますように。

 瞳孔が開いた様に光が拡散して、視界からは色が薄れ輪郭がぼやけていく。

 全てが曖昧になる、薄暗がりの薄暮の世界。

 たそかれは。

 かはたれか。

 落下してるのかも上昇してるのかも判然としない浮遊感が、アタシの輪郭を希薄にし、「今」と「ここ」が曖昧になる。

 アタシからアタシがゆっくりと滲み出す。

 滲み出た「アタシ」が、「今」でも「ここ」でもない何処かへと漂ってゆく。

「スミ」

 呼び声に振り返ると、恵美がいた。

「退院手続き終わった?」

「うん」

「じゃあ、葉兄が来てるから、帰ろうぜ」

 恵美に付き添って貰って、昼前に病院を出た。

 送ってくれるのは瞬市さんじゃなく、弟の葉爾ようじさんらしい。

 葉爾さんは、IT会社に勤めてて、プログラマーをやってる。

 プログラマーというと何となくオタク臭いイメージがあるけれど、葉爾さんにはオタク臭さは欠片もない。但し、甚だしく胡散臭い。

 癖毛だという髪を明るい茶色に染めて、何時もちょっとどうかと思う柄のシャツを着て、何時もそれもどうかと思う色のメガネを掛けている。

「さ、乗って」

 と紳士的にドアを開けて貰って乗り込んだ黒のゴルフは、特注だというサイケデリックなシートのせいで殆ど異次元と化していた。ディーラーの人が見たら、多分、いや確実に泣くだろう。

 車が動き出すと、恵美が言った。

「あのさあ、来週辺り、バイトしない?」

「バイト?」

「うん」

「何故にいきなり?」

「祖父さんがさあ、去年の年末死んだじゃん?」

「ああ」

 亡くなったのは、確か元華族だとか言う実の父方の祖父に当たる人だった。

 何でも大学の教授で、言語学者だったとか。

「祖母さんがさ、祖父さんの蔵書をどっかに寄付するらしいんだけど。それを整理して欲しいって言ってさ。んで、相当な量があるし、一人じゃ無理だから、友達に手伝って貰って良いかって言ったら良いって言ってたから」

「なるほど。何日くらい」

「とりあえず3日? ざっと仕分けして、後は専門家に見てもらうって話だから。衣食住は祖母さんが保証するってさ」

「分かった。まあ、こっちにしても臨時収入は助かるからね」

 バイトは時々単発でしているだけだから、今回みたいに臨時出費があった時のバイトの話は助かる。

 高校生の時、ファミレスでバイトをしたら、何処からか聞きつけてきた親戚に叔母さんが責められた。

 子供を働かせるなんて、不自由させてるんじゃないの? やっぱり血の繋がりがないから…。

 それ以来、長期的なバイトはしない。

 叔母さんが責められるくらいなら、学生の間は奨学金貰って、社会人になってから借金返す方がほっぽどマシだと思ったからだ。

 大体、学費も光熱費も全部叔母さん持ちだし、家賃も要らない。本は図書館で借りて、教科書は中古で安く買う。服はファストファッションで、食事は学食で摂ればいい。

 贅沢しないで時々遊ぶ程度なら、それで十分やってけるのだ。

「そいうやあ、恵美のお祖母さん家って、どんなトコ?」

 この前チラッと聞いた事がある様な気もするけれど。

「すげぇ田舎。山と田んぼと畑ばっかりで、後はカエルだらけ」

 恵美の言い方だと、生き物はカエルしかいないみたいに聞こえるけれど、勿論そんな事はないだろう。ちゃんと人間だっているはずだ。

「何? スミちゃん、カエル好きなの?」

 葉爾さんがアタシ達の会話に割り込んできた。どうやらカエルに反応したらしい。

「嫌いじゃないですが、特に好きでもありません」

「でもスミちゃん、カエルに似てるよね?」

「はい?」

「目とかさ」

「は??」

 カエルに似ているというのは、どういう事だろう。

 しかも「目」って、何でそんなピンポイントなんだ??

 葉爾さんにどう訊ねるべきか思案していると、恵美がニヤニヤしながら言った。

「そりゃそうだよ。だって、スミはカエルの『ご主人サマ』だからね」

「恵美!」

「え? 何何? ソレ? ご主人サマって??」

 あからさまに好奇心を示してくる葉爾さんに、アタシは撥ね付ける様に言った。

「何でもないですっ」

 この人の好奇心は放っておくと際限がない。

 けれどきっちりシャットアウトしとけば、それ以上は突っ込んでこない。

 そこら辺は、どんなに目が痛くなる様な服装をしていても、ちゃんと「大人」の人なのだ。

「それじゃあさ、スミちゃん、知ってる?」

 赤信号で止まると、葉爾さんが笑顔で振り返りながら言った。

「カエルの瞳孔ってさ、縦だったり横だったり三角だったりするんだよね~」

 その葉爾さんの笑顔が、炭酸飲料の細かい泡で塗りつぶされる様に急速に滲んでいく。

 泡はアタシの細胞膜までも溶かして、そこからまたアタシが零れていく。

 「今」が「何時」なのか、「ここ」が「何処」なのか、時間と空間の感覚が薄れていく。

 不意にまた視界に色が戻って、いつの間にかアタシはスツールに座ってた。

 淡い黄色のカーテンが視界の端で靡いて、柔らかい風が頬を撫でていく。

 そこは病室で、全体的に柔らかい色合いでコーディネートされた個室だった。

 ベッドには真っ白い髪をしたやせた老女が、枕を背もたれ代わりに座ってた。

 桜の花びらが一片、アタシの手の甲に落ちて、また風に掠われていった。

「大祖母ちゃん」

 アタシは彼女に呼びかけた。

 父方の曾祖母で、アタシにとっては祖母よりも余程馴染みが深い。

 父は祖父母とは折り合いが悪く、曾祖母に懐いていたらしい。

 父の兄と言う人が言うには、大らかな父と生真面目な祖父母とは、考え方があまりに違った、という事らしい。

 その影響で、アタシも自然と祖母よりも曾祖母に良く懐いた。

「良く来てくれたわね、澄香ちゃん。今日はね、とても気分がいいのよ」

 曾祖母は、アタシの顔をみて嬉しそうに笑って言った。

「敦也は、お祖父ちゃんの影響で落語が好きでねえ」

 お祖父ちゃんというのは、正確には曾祖父の事だ。

「ねえ、澄香、覚えているかしら? あなたがまだとっても小さかった頃、お父さんと落語をってくれたのよ。時そば、藪入り、饅頭恐い、寿限無…」

 アタシ自身は演った覚えはなかったけれど、父親が演った時に側にいた様には思う。

 父親はロボットアニメオタクの落語マニアで、ドライブのBGMはアニソンと落語と決まっていた。

 但しアニメはリアルタイムのものじゃなく、学校で歌ったら誰も知らないという悲劇に見舞われた。

 その日、彼女は沢山喋った。

 曾祖母が亡くなったのはその半月後で、アタシは小学校六年生になっていた。

「澄香ちゃん。今度は    と一緒に来てね」

 末期癌で、ふさふさの白髪は鬘だったのだと、後になって知った。

 曾祖母の何かを振り切ったような晴れやかな笑顔が、泡の中へと消えて行く。

 幾つもの断片的な記憶が、現れては消え、消えてはまた別の記憶が現れる。

 記憶の欠片が万華鏡の様にクルクルと様相を変えていく。

「お父さん、もうアニソンはいいよ~。お腹いっぱい、口からアニソンが出てきそう」

「澄香は凄いな~! もうそんな特技を持っているのか!!」

「持ってねえわっ!!」

「ツッコミもますます鋭くなって。けどお父さん、できたら澄香にはお笑いじゃなくて落語家になって欲しいな~」

「どっちもならねえし!」

「しかしその才能を潰すのは惜しい気も…」

「アナタ、何時までも頭の悪い事を言ってないの」

 お父さんは子供みたいにはしゃいでて、お母さんは口調は冷めてたけど機嫌良かった。

 アタシはお父さんにバッカじゃないのと、心の中でも外でもツッコみをいれつつ、楽しんでいた。

「冷たいなあ、お母さんは。分かった、愛しい家族のために、今度はラップにでもするよ!」

「そんな事言って。アニソンラップじゃないの?」

「いんや。落語ラップ」

「いらんわ!」

 風景が音もなく、ガラスが割れる様に飛び散った。

 破片が皮膚に突き刺さって、拡散したアタシが痛みで急速に収束する。

 アタシが再構成されて、アタシはアタシを取り戻す。

 ふと気がつくと、暗闇の中で漂っていた。

 時間の感覚は尚も曖昧で、一体何時から漂っていたのか、或いはもうずっとこの状態だったのかもしれないと、まるで他人事の様にぼんやりと思う。

 自分の手すら見えない闇の中、このまま漂い続けるのに何ら支障はない様にも思われた。

 けれど遠くの方に、鈍く輝く光を見つけた。

 それは春の滲んだ月にも似て、淡くかそけく今にも消え入りそうな程頼りなかった。

 何故だか懐かしい様な気がして、誘蛾灯に誘われる羽虫の如く光に向かって闇を掻く。

 早くあの光に触れたいと思うのに、闇が全身に纏わり付いて中々思う様に進めない。

 漸く辿り着いてみると、それは膜に包まれた何かだった。

 どうやら膜が発光しているらしい。

 膜には弾力性があるのか表面が小刻みに波打っている。

 膜の中は何かの液体が満ちているらしく、その中で海草の様に何かが揺れていた。

 目を凝らしてみると、それは紫色をしていた。

 馴染み深いその色の正体を見定めようと、用心深く膜に顔を近づけた時。

 アタシの気配を察したかの様に、それは振り返った。

 金の瞳と視線が重なる。










 アディーリア!!











 アタシを視界に捉えたアディーリアが、微笑みながら手を伸ばす。

 アタシも釣られた様に、手を伸ばす。

 アタシの指が柔らかい膜に触れて、互いの指が重なる寸前。

 突然、暴力的としか言い様のない力で後ろへ引っ張られた。

 見る見る内に、膜が、アディーリアが遠のいていく。

 離されまいと藻掻くアタシの頭の中に、誰かの記憶が浸食する。

「おめでとうございます。ご懐妊です」

 ベッドの脇に立つ神官が厳かにそう言った。

 彼女は私の教育係でもあり、主治医でもあった。

 彼女の後ろで、乳母のノリーシェを初めとする女官や侍女達が、感極まった様に打ち震えていた。中にはまだ若いコンスタンスの姿もあった。

 彼女たちは「おめでとうございます」と口々に言う。

 ――愛する人との子供。身の内に宿ったこの命が、愛おしい。

 ――この子は私の家族。ずっと欲しかった家族。

 ――何より愛おしい。

 ――ああでも、もし生まれ子供が    だとしたら!

 ――何故!?

 ――いいえ、そんなはずはない。

 ――愛おしいのよ! 何よりも!

 ――なのに何故!

 ――同じくらい、厭わしい!!

 ――何故そんな目で見るの!? 何もかも上手くいくとでも言いたげな目で!!

 ――私は道具じゃないわ! ただ愛しただけよ!

 ――誰か助けて! 心が引き裂かれそうよ!!

 産みの苦しみが、強烈に脳天を突き抜ける。

 全身が痙攣して、体中が引き裂かれそうな痛みに悲鳴を上げる。

 誰かが叫んでいる。獣の様に。咆吼している。嘆く様に。呪う様に。

 ――ああ、貴女も、いているのね。愛しい子。

 ――人が生まれてきて最初に哭くのは、生きる事の辛さをもう知っているからね。

 ――愛しているのよ。愛しい子。誰よりも何よりも、世界よりも、私自身よりも。

 嵐の様な感情がアタシに入って、過ぎ去っていく。

 膜の中のアディーリアの姿が、脳裏に浮かぶ。

 アディーリアは、お腹を守る様に手を添えていた。

 そうか。

 アディーリアは、腹に子供を宿しているのだ。

 

連載再開一話目です。あんまり明るくないですが、拙作を楽しんでいただくことで、少しでも明るい気分になっていただければ思います。

今後地震に関する描写がある場合は、前書きに注意文を書かせていただく事といたします。

また、余りネタバレするのはどうかと思うのですが、時期が時期なだけに敢えてここで予告しておきたいと思います。


作中の地震で、死者はでません。


元々その予定ではあったんですが(基本コメディーですから<の割りに最近暗い?)。今後そうかなと思われる場面が散見されますので…。

その点については、どうぞ安心して読んでいただけると思います。

では、これからも拙作をよろしくお願い申し上げますm(_ _)m。

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