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第三四話 カエルは意外と毒性が強いです その3

 次に現実というものを認識した時には、一人でベッドに寝かされていた。

 白い天井と、白い壁と、白いドアと、点滴と。

 知らない内に世間は夏休みに入ってて。

 アタシの枕元には、叔母さんだけがいた。

 他の親戚はたまたま遠くに住んでいて、叔母さんだけがたまたま近くに住んでいた。

 ただそれだけの話だった。

 アタシはそれを利用した。











 病室に入ると、恵美が豪勢な重箱弁当を広げてた。

「ほはへひ」

 成人女子が口の中を食べ物でいっぱいにして喋るなと言うべきかどうか迷ったけれど、言うのは止める事にした。

 そもそもそんな事に気が回る人間なら、とっくの昔に実践してる。

「ただいま。その豪華弁当、どうした?」

「はやほひゃんが、ひょひょへへふれた」

 亜矢子さんが届けてくれた、と言いたいらしい。

 亜矢子さんというのは、桧山家のお手伝いさんだ。

「なんで?」

「ひょういんひょくはあひへないらろうって」

「病院の食事は味気ないだろう?」

 我ながら良く聞き分けられてんなと思いつつ、一応確認のために鸚鵡返しに訊き返す。

 いや、この場合鸚鵡返しとは言わないか。

 恵美はアタシの言葉にコクンと頷くと。

 モグモグモグモグモグゴクンッ。

「ワタシにって」

 何故そこだけハッキリと言う必要があったのか。

 恵美の思考は相変わらず謎だけど、亜矢子さんの行動も謎だ。

 入院しているのはアタシであって、つまり病院食を食うのはアタシなのだが、何故恵美に弁当を持ってくるのか?

 恵美の子供時代を顧みるに、桧山家に入ったから恵美がこうなったわけではないことなど十分知っているけれど、桧山家に入った事で増幅されたことは間違いないに違いない。

「ていうか、今夕方だし。こんな中途半端な時間に食ってどうすんの」

 アタシが恵美の隣に腰掛けながらそう言うと、

「弁当は別腹だから」

「ああそう」

 訊いたアタシがバカでした。

 脱力していると、恵美が割り箸で突き刺した唐揚げを向けてくる。

「一日半何も食べてないアタシへの嫌がらせか、それは」

 アタシはそう言って右手を伸ばし、恵美の頬を容赦なく抓る。

 ついでに左手も伸ばして、もう片方の頬も抓る。

 恵美の柔らかそうだが無駄な肉もなさそうな頬は、予想に反して良く伸びた。

「ひょんじょうでふえ」

「根性で食えるか。胃が油で爛れるわ」

 リズのプクプクの頬程じゃないけれど、コレはコレで触り心地が良くなくもない。

 恵美は頬を伸ばされているのにも拘わらず、里芋の煮転がしを口の中に放り込む。

 モグモグモグモグモグモグモグモグ。

 凄いな、こんだけ頬抓られてんのに、気にもせずに食っている。

 人間やってやれない事はない、って感じだけど。

 やらない方が良い事もある。

 すっかり形相の崩れた(てか崩してんだけど)恵美を見ながら、しみじみと思う。

「スミちゃん。もうそれくらいで勘弁してくれないかな? 恵美子の顔が変形するから」

 すっかり存在を忘れてた瞬市さんが、やんわりと、けれども有無を言わさぬ口調で言った。

「へ~、瞬市さんは、恵美の顔が変形したくらいで、恵美への愛情が減るんですか?」

「まさかっ。そんなわけがないだろう」

 頭の良い瞬市さんの事だから挑発だとは分かってるとは思うけど、それでも引っかかっちゃうのが変態シスコンの悲しい性というヤツだ。

「恵美、瞬市さんは恵美の顔がお気に入りだから、恵美の顔に少しでも傷が付くとお気に入りじゃなくなるんだとさ」

「そうだとは言ってないだろうっ」

「じゃあ、恵美の顔がどうなってもいいですよね?」

「良いわけがない!」

「ふ~ん。じゃあ、この顔が好きですか?」

「それは勿論、物凄く好きに決まってる!」

 うわあ。言い切っちゃったよ。分別ある(ハズの)大人なのに。

 瞬市さんも、言ってしまった後で気がついたんだろう。

 ハッとして、愛しい義妹を恐る恐る伺い見る。

 果たして彼の視界に映ったものは。

 冷たい目をした義妹であった。

 なんちゃって。

 アタシが手を離すと、恵美は言った。

「瞬兄。今日はもう用事ないから、帰りなよ。てか、帰れ」

 恵美は世にも麗しいその顔のせいで、イロイロと嫌な目に会ってきた。

 勿論、得な事もあるだろう。てかあるんだけど。

 嫌な思い出ってのは、心に残るもんなのだ。

 というわけで、恵美はその顔を好きだと言われるのがとても嫌いだ。

 それを十分承知している瞬市さんは、自分の失言に日頃の柔和さもぶっ飛ぶ程狼狽えてる。

「え、恵美子、これはその」

「バイバイ、オニイチャン」

 恵美はそう言ったっきり、瞬市さんの方を見ようともしない。

「スミ、もったいないな。亜矢子さんのこのローストビーフが食えないなんてさ」

「弁当にローストビーフ? さっすが、お金持ちは違うねえ」

「くっ。スミちゃん、やってくれたなっ。いつかこの借りは返して貰うよっ」

 瞬市さんは、どこの悪役だよとツッコミたくなる様な捨て台詞を吐いて出て行った。

 アタシは瞬市さんの去って行ったドアが完全に閉まるのを確認してから、

「スマン」

 恵美に言った。

 恵美は、顎を思いっきり仰け反らせて、目一杯開いた口にローストビーフを落とし込もうとしているところだった。

「どうせ、瞬兄がスミの気に入らない事言ったんじゃないの?」

「まあ、そんなとこ」

 アタシのハッキリしない言葉を恵美は特に追求する事もなく、デカいローストビーフをそれ程大きくもない(ハズの)口に見事収めきった。

 うわあ、スゲぇ。物理的に無理にしか見えなかったのに。

 恵美だって、瞬市さんが恵美の顔だけを好きだなんて思ってはいない。

 ただアタシの意図を察して乗ってくれただけだ。

 アタシと叔母さんの関係なんて隠す様なもんじゃないけど、その先にまで踏み込まれるのは正直言っていただけない。

 だから、ま、牽制も兼ねてのちょっとした嫌がらせだ。

「じゃあさ、食いながらでいいから、状況説明してよ」

「瞬兄から聞いたんじゃねえの?」

「聞いたよ。けどそっちじゃなくて、アタシの状況だよ」

「ああ、なるほど」

 瞬市さんによると、恵美から電話があったのが昨日の午後。

 たまたま非番だったので即刻駆けつけ、アタシの状態に異常を感じて知り合いの病院に運んだ。

 諸々の検査の後異常がないということで、栄養点滴刺して寝かせてた、と。

 まあ、寝てる間に終わった事を今更どうこう言うまい。

 問題は。

「抓っても叩いても起きなかったって?」

 アタシがそう訊くと、恵美は片手を顔の前に立てて。

「かたじけない」

 恵美なりに、アタシの顔がヒリつく程抓ったり叩いたりした事について謝ってるんだろうけど。

「それ、謝ってるのと違う」

「む。ゴメン被る」

「それも違う」

 それは寧ろ拒絶の言葉だ。

「ひかえおろうっ」

「水戸黄門かっ!」

「いや、寧ろスケさん」

「え? カクさんじゃなかったっけ?」

「違うよ。スケこましのスケさんだよ」

「ええ? スケさんってそういう意味? じゃあカクさんは」

「角刈りじゃね? んで、スケさんはスキンヘッド」

「ちょんまげだよっ。カクさんもスケさんもっ」

「そんなの分かんないじゃん。二人とも現実にはどうだったか誰も知らないんだからさ」

 スケさんもカクさんも、ちゃんと「良いところの子」なんだから時代のスタンダードちょんまげだったと思うけど。

 ぶっちゃけ言って、スケさんカクさんがスキンヘッドだろうが角刈りだろうが縦巻きロールだろうが、どうでもいい事だ。

「まあ確かに、絶対そうじゃなかったとは言えないわな」

「……………」

 恵美はアタシの言葉を聞いて絶句した。

 アタシは恵美を見つめて絶句した。

 恵美の綺麗に切れ上がった瞳に、またも涙が盛り上がる。

「うわあん! スミのツッコミが甘い! やっぱりどっか悪いんだ! ワタシが叩きすぎたせいだ!」

「…………………………」

 恵美の中で、アタシは一体どんな人間なんだろう。

 今更ながら疑問に思う。

 ――アタシだってツッコミが甘い時だってあるんだよ。

 ――だって人間なんだもの。

 とか言ってやるべきだろうか?

 しかし、そこまでする意味が全く分からん。

 アタシはドッと疲れが押し寄せるのを感じて、ガックリと肩を落とした。

「はあ」

 ため息を吐くと幸せが逃げるって言うけど、ため息程度で逃げ出す幸せって本当に「幸せ」なんだろうか、とか思ったり。

「お疲れだねえ」

 半分はアンタのせいだけどね。

 とは言わずに。

「うん。疲れたよ、精神的に」

「んで、何があったわけ?」

 恵美は再び弁当をつつきながら、どうでも良さそうに訊いてきた。

「何とさ」

 アタシはソファーに背中を預けて、天井を見上げながら言った。

「アディーリアが出てきたんだよ」

「死んだんじゃなかったっけ?」

「死んでるよっ。思いっきり」

「じゃあ、幽霊とかってヤツ?」

「それとも微妙に違うらしい。本人が言うにはね」

 アタシは夢の中であったことを、順を追って説明した。

 カエル間転送があった事。カエルの現地時間が重複してた事。

 無駄にイケメンな例の輩に出くわした段になると、恵美は前のめりで聞き入り、連中が何故か気絶した場面ではゲラゲラ笑って喜んだ。

「誰だよっ、『ご主人サマ』って!」

 そのツッコミは甘んじて受けよう。何せ自分でもどうかと思う発言だったし。

 なんで連中があの言葉に食いついたのかが、寧ろそちらの方が甚だしく謎だ。

「ええと、アタシじゃね?」

 ケロタンはアタシ自身だけど、いわば「宮本澄香」の下位人格みたいなもんだし。

「カエルのご主人サマ!!」

 恵美はアタシを指さして、更に笑った。

「だって、アンタが連中に何か訊かれたら、『裏のご主人様の言う通りとか言っとけよ』とか言うからじゃんっ」

「なんだそりゃ。カエルのご主人サマは裏街道の人間ってか!?」

「アンタの発言だ!!」

 アタシのツッコミにも、恵美はひたすら笑い続けた。

 個室じゃなかったら、確実に看護士さんに叱られているだろう。

 いや、個室でも夜だったら、叱られてるかもしれない。

「コレで報復が一歩前進したじゃん。目が冷めた時の連中の悔しがる姿を想像してみなよ」

 恵美の言葉に、アタシはニヤリと笑った。

「そりゃまあね。あの如何にもオレ達イケメンですって連中が、落書きされた顔を互いに見合ってさ、一体どんな顔をしたんだか」

「直ぐさま消したかっただろうね」

 しかし書いてあるのは意味深な定型詩。

「その場で消すわけにもいかず?」

「そのまま地上に戻る、と」

 アタシ達は目を会わせて盛大に笑い合った。

「ザマ~ミロ。変態ロリコン共めっ」

 別に連中が変態でロリコンだと決まった訳ではないが、アタシは敢えて否定しない。

「「ぎゃははははははははははははは」」

 恵美と目があって、思わず大爆笑して、その大音量に流石に我に返った。

「「シッ! シ―――――ッ!!」」

 慌てて互いの口を塞ぐ。

 二十歳を過ぎて看護士さんに叱られるなんて、幾ら何でも悲しすぎる。

「ダメだ。このネタはおいしすぎる」

 恵美はそう言いながら必死で顔を引き締めようとするけれど、自然と口が緩んで仕方がないといった感じだった。

 暫くしてどうにか平静を保てる様になったのか、ふと思い出した様に恵美が言った。

「でもさ、なんで『寿限無』で気絶?」

「全然さっぱり。アディーリアは逆にそれで目が覚めたって言ってたけどね」

 すると恵美は難しい顔をして訊いてきた。

「スミ、前にお姫様の母ちゃんに会ったのは何時?」

「アディーとは、初めに会って以来だよ」

「それって事故ん時?」

「そう」

「その時も、昏睡状態だったんだよね?」

「う~ん。正確には、昏睡とはちょっと違うらしいんだけどさ」

「それってさ」

 恵美はアタシの言葉を聞いているのかいないのか、独り言の様にポツリと言った。

「お姫様の母ちゃんが、昏睡の原因って事じゃねえの?」


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