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  挿話 誰がためにカエルは鳴く

 彼はソレを目にした時、咄嗟に腰の剣を握った。

 木々を渡る風の音、小鳥たちの囀り、威勢良い訓練の掛け声。

 それらが全て遠のいてゆき、ジリジリとした焦燥感だけが迫り上がる。

 殺られる前に殺れ。

 幼い頃散々聞かされた師の声が、耳の奥で木霊する。

 緊張で、指先が燃える様に熱かった。

 彼は意を決して、掌に力を込めた。

「あれ? 副隊長? 何やってんです? 道の真ん中でボ~~ッと突っ立って」

 気の抜けた副官の声に、第一近衛隊副隊長ディンゼア=セアフェル・ハジェク・ド・フィアマス・アウラ・ロトゥルマは、ガックリと肩を落とした。

 そんな彼の背中越しに、薄紅色の髪の副官がヌッと覗き込む。

 目が細すぎて虹彩の色すらよく分からない副官は、ソレを見つけると嬉々となった。

「あ、カエルじゃないですか。か~わいいな~~」

 ドンッ。

「おわっ」

 副官は容赦なく上官を押し退け、カエルを掌に載せる。

「うわ~、しかもコレ、『小さな淑女』な~んて言われているイスマイラル・ケロタウロス・エチエンヌじゃないですかっ」

 標高の高さの割に湿度が高いイスマイルには、様々な固有種が棲息するが、中でもイスマイルガエルはその鮮やかな色彩で人気が高く、熱狂的な愛好家までいる程だ。

 どうやら副官も、その一人らしい。

 細い目を更に細めて、副官は熱すぎる口調で言った。

「見てくださいよ~。このエメラルドの如き背中! 夕焼けの様な腹! この鮮やかなコントラスト! そして極めつけは、憂いを秘めた薔薇色の瞳! って、アレ? 副隊長、何やってんですか? ってさっきも訊きましたけど」

 カエルがどんな憂いを秘めているのかは定かではなかったが、それはさておき、副官は四つん這いになっている上官を不思議そうに見詰めた。

「キ~~ア~~ニ~~ス~~!」

 怨嗟の籠もった台詞を吐きながら、ディンゼアは振り向き様に剣を抜く。

 ガキィン!

 副官は、驚嘆すべき反射神経で上官の剣を受け止めた。

 彼は、利き腕を空けておく癖が身についていて良かったと心底思いつつ、必死で上官に訴えた。

「うわぁ、ちょっと! 副隊長!? カエル持ってんですよっ。握り潰しちゃいそうじゃないですかっ」

「握り潰せばいいだろう。いや、寧ろ、握り潰せ! 命令だっ!」

「わ~~! その顔で迫らんでくださいっ。力が抜けるじゃないですかっ」

 副官はそう叫びながら、ディンゼアの平均以上に整った顔から巧みに視線を逸らせた。

 何故ならそこには、どう考えても転けて作ったとしか思えない擦り傷があったからだ。

「擦り傷なんぞ、珍しくもないだろうっ」

「た、隊長とお揃いの擦り傷なんて、可笑しいだけですって」

「なら笑えっ」

「笑ったら、力抜けますっ」

「抜けばいいだろうっ。さあ! 思う存分斬ってやる!」

「あれ? 目的がカエルから俺に変わってる? ってぎゃああ、本気ですかっ」

 何処までも本気に近い力加減で剣を合わせたまま、巫山戯ているとしか思えない言い争いをする近衛騎士。

 そんな自分たちの姿が、誰かに見られているとは思ってもみない二人だった。










 二階のその部屋からは、教練場へと続く小道がよく見えた。

 特に意図があった訳ではなく、ただの気晴らしに窓の外を眺めていただけだった。

 そこへ飄々とした足取りで現れた人物が、不意に立ち止まったまま微動だにしなくなったのだ。

 おまけに何やら剣呑な気配まで漂い出すではないか。

 それが気になって、様子を見守っていた訳だが…。

「あの二人は、一体何をやってるのだ…」

 全くの時間の無駄だったと、溜息を吐きながら振り返れば。

「陛下」

 己を呼ぶ、王佐の黒い瞳と目が合った。

 イスマイル国王カウゼル四世は、黒曜石の瞳から一リグたりとも逸らさぬ様に見詰め返す。

 決して、額や鼻や頬に視線が揺らがぬ様に。

 腹心の王佐は、そんな主君の意図を正確に読み取ったらしい。

「陛下…」

 ヒクリと顔を引きつらせる王佐の肩に、カウゼルは宥める様に手を置いた。

 視界に入ったとしても注目してはならないと、己に強く言い聞かせながら、カウゼルは言った。

「揃ったようだな」

「…はい」

「そうか…」

 カウゼルは覚悟を決めたかの様に固く目を瞑り、クルリッと体ごと向きを変えて、眼を開けた。

 決して王佐をまともに視界に入れない様に。

 あからさますぎる国王の意図は、その場にいる者全員にバレバレだった。

「くっ」

「うぐっ」

「ぷっ」

 一瞬吹き出しそうになった彼らだったが、王佐の剣呑な眼差しを敏感に感じ取り、辛うじて耐える事に成功した。

 視界の端に黒いオーラがうねっているのは、うん、見えていない事にしよう。

 その時主従の心は一つだった。

「では、始めてくれ」

 そう言ってカウゼルが促すと、彼らはスッと背筋を正した。

 第一近衛隊の中隊長達である。

 近衛隊は第一から第三までがあり、それぞれが隊長、副隊長の下に三個中隊を抱える大隊規模の部隊である。

 近衛隊の主な任務は王族の警護と王城の警備だが、ほぼ全員が王太子親衛隊からの持ち上がり組という第一近衛隊は、国王の手足として様々な諜報活動も行っていた。

「報告致します」

 先ず口火を切ったのは、緑の髪をした第一中隊隊長エルリードである。

「ダスターシュ伯爵家、クレリード伯爵家、共に神殿との接触した事は間違いありません」

 ダスターシュ伯爵家は第二正妃の、クレリード伯爵家は第三正妃の実家である。

「ダスターシュ伯爵家はルクライン神官長を、クレリード伯爵家はヤーディッシュ神官長を自陣に引き込もうとしている模様ですが、お二人からはまだ確約を取り付けてはいない様です」

 ユージェニア大神殿には、ヴィゼリウス大神官の下に五人の神官長が在籍している。その内、ルクライン神官長とヤーディッシュ神官長は共に、ヴィゼリウス大神官の後継と目される有力な神官長だ。

 カウゼルは即位式の際に、己の後継者となるべき者を指名しなければならない。

 正式に王太子として立てるわけではないが、万が一の時のため、そして不要な争いを避けるため、そうする事が習わしなのだ。

 現在、カウゼルには男子がいない。

 イスマイルでは直系の男子がいない場合に限り女子の継承権も認められているが、王女は未だ幼すぎる。

 そのため、後継者は三人の王弟の誰かという事になるのだが。

 第二王子は第二正妃の、第四王子は第三正妃の腹で、第三王子はカウゼルと同腹である。

 カウゼルとしては第三王子を指名したいところだが、それでは第二正妃派と第三正妃派が黙ってはいない。彼らの後ろには、サザンプトン侯爵家とゼファードル侯爵家が控えている。第一正妃の後見であるノーザラン侯爵家に次ぐ勢力を持つ二家は、虎視眈々とその地位を狙っているのだ。

「さて。愚か者と臆病者と、どちらが無害かな」

 それを見極めるために、第三王女のぬいぐるみ紛失の件を、利用した。

 国王と神殿の間に亀裂が入るとなれば、彼らは間違いなく動くだろうと。

「けれど、まさかここまで分かりやすい行動に出るとは思いませんでしたね」

 王佐の呆れ返った様な言葉に苦笑しながら、カウゼルは自分達が仕掛けた罠が予想以上の効果を生んだ事に満足げに頷いた。

「ご苦労だった。卿らは引き続き、彼らの動向には注意してくれ」

「「「はっ」」」

「では、解散です。皆さん、職務に戻ってください」

 王佐のその一言で、その会議は終わるはずだった。

 しかし誰一人その場を下がろうとせず、互いの顔を見合わせた。

「何か気に掛かる事でも?」

 王佐の問いに一瞬躊躇いはしたものの、第一中隊長エルリードが意を決した様に口を開いた。

「陛下、一つお伺いしても宜しいでしょうか?」

 通常、家臣から主君に対して許可なく質問するなどという事は許されることではなかったが、カウゼルはその辺に関しては鷹揚だった。

「どうした?」

「今回、隊長と副隊長は別行動の様ですが」

「ああ。二人には、別の任務を与えてある」

「お差し支えなければ、どのような任務かお伺いしても?」

 他の者への任務に関しては、知らされない限り追求しないというのが不文律だが、それを破る理由が彼らにはあるのだろう。

「何故だ?」

「あの、お二人の様子が、ここのところ、時々、普段と違うようなので…」

 その言葉に、カウゼルは、第一近衛隊隊長オーランドに関する奇妙な噂を思い出す。

 ――オーランド卿は、カエルに甚だしい恨みがあるらしい。

 その噂を聞いた時、事実とはほど遠いにも拘わらず、真実にほどよく近いと言う事に妙に感心したものだ。

「なるほど。しかし教えることはまかり成らん。が、卿らの心配も分からんでもない。ただ、そうだな…。非常に複雑怪奇な問題だとだけ言っておこう」

 奇妙な表現ではあるが、そうとしか言いようがないというのが、カウゼルの正直な心情だった。

 そんな国王に、第二中隊長が恐る恐ると言った風に問いかける。

「あのう、それは…。隊長と副隊長が、宰相閣下と王佐殿とお揃いの傷を作っている事と関係が…?」

 途端に、視界の端でズズッとどす黒いオーラが広がった。

「「「ひっ」」」

「先程、副隊長が、カエルを潰せとかなんとか叫んでいたのとは…?」

 スズズッ。  

「「「ひっ!」」」

「あ、じゃあ、じゃあ、先日、隊長殿がカエルに向かって怒鳴り散らしていたのと関係は…?」

 ズズズズズッ。

「「「ひぃっ!!」」」

 問いかける度に王佐の背負うドス黒いオーラが大きくなっていく。

 しかし、長い付き合いの彼らが王佐の反応を予想しえないはずもなく。

 結局の所、怯えていても彼らもまたそれなりの性格の持ち主なのだろう。

 ひょっとしたら、度胸試しでもしているつもりなのかも知れない。

「陛下は、追求を禁じられたはずですが?

 トドメとばかりに、王佐が怨嗟の籠もった声で言う。

 その瞬間、ブオッとドス黒いオーラが一気に部屋中に広がった。

「「「はひぃいいっ!!」」」

 敬礼もそこそこに、中隊長達はその場から逃げる様に辞して行った。

 隊長と副隊長に対しては、遠慮会釈無く笑い飛ばした彼らだが、王佐相手にそれをできる胆力のある者はいなかった。

「ナジャ」

 カウゼルは遠い目で、彼らの去って言ったドアを眺めながら言った。

「はい」

「お前は挙動不審になるな」

「肝に銘じます」

 そう自信を持って答えた王佐を嗤う様に。

 ケロロロロ。

 窓下でカエルが鳴いていた。


副題の元ネタは、言わずと知れた文豪ヘミングウェイの名作『誰がために鐘は鳴る』です。


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