第三一話 カエルの鼓膜は剥き出しです その3
「ほぼ生まれた時から日本語しゃべってますが?」
我ながら何で敬語なんだろう、とか思いつつ、アタシは当たり前の事を噛み砕く様に言った。
「知ってるわよ!!」
そこで怒られても、アタシとしてもどうにもしようがないというか?
「アレはただの『日本語』じゃなかったわ! 一体どういう事なのか、説明しなさい!」
アレってのは、やっぱり「寿限無」のことだろう。
何かよく分からないけど、宰相連中が気絶したのと関係あるんだろうか?
「説明って言われても…」
「寿限無」の説明と言ったら、やっぱりアレしかないだろう。
アタシはコホンと一つ咳払いして。
「え~、ここに縁あって夫婦になった二人がおりまして、そんなこんなである日ポッコリ子供が生まれやした」
「一体何の話をしてるのよ!」
ここで恵美ならパスコ~~ンと一発入れられるトコだけど、育ちのいいアディーリアが殴る何て事はない。但し時々つねられるけど。
「だから、お笑いを一席?」
「落語か!」
アディーリアが何で「落語」なんて言葉を知ってるのかはさておき。
「てか、落語だし」
「誰が落語を話せと言ったのよ!」
「言ったじゃん。たった今」
「私が言ったのは、あの奇妙な『日本語』について説明しろと言ったのよ!」
「だから説明なんじゃん」
「落語が!?」
「落語が」
「………………………………………………………………」
「………………………………………………………………」
「ひょっとして、私たちの間に、何か齟齬があるのではなくて?」
「多分ね」
アタシ達二人は、ここに初めて一つの合意を得たのであった。
なんて言ってる場合じゃなくて。
「あのさ。アタシは今までだって結構向こうでも日本語話してきたよね?」
今でこそ向こうの言葉――エル・イダール語に不自由こそしないけど、昔は一々頭の中で翻訳しながら話してたのだ。ポロッと日本語が出た事も一度や二度や百度じゃ済まないくらいだ。
「リズに日本語で子守歌を歌ってたし」
アタシがそう言うと、アディーリアは思案顔で呟いた。
「私は、貴女の中でずっと微睡んでたわ。それが突然何かによって無理矢理目覚めさせられたのよ。そしたら貴女が、『日本語』で訳の分からない事を言ってるじゃない? 奇妙な感じだったわ。日本語だと分かるのに、意味が分からないくて」
その時の事を思い出しているのだろう、アディーリアは僅かに顔を顰めた。
「アレは訳の分からない事じゃなくて、れっきとした人間の名前だよ」
但し、そんな名前の人間は会った事も見た事も食ったこともないけれど。
「随分と長いのね」
「アディーリアのだって相当長いよ」
「ちゃんと意味があるもの」
「『寿限無』にだって意味があるよ。アレはねえ、子供の幸せを願って、お目出度くもありがたい言葉を並べてあるんだから」
ポンポコピーだとかポンポコナーの何処が目出度いのかは分かんないけど。
「『聖文』の様なものかしら?」
聖文ってのは、神官が儀式の時に唱える祈りの言葉の事だ。
そんなに大それたモノじゃないけど。
一々説明してたらキリがないし、第一名前の由来全てを知ってるワケじゃない。
ので。
「うん、そんな感じ」
アディーリアはほんの少しだけ納得いかない様な顔をしてたけど、
「時間がないんじゃないの?」
と言ってやったら、渋々頷いた。
「実はね、アレを聞いてる内に無理矢理引きずり出されるような感覚があって、気が付けばサウザードの中に入ってたの」
それから、アディーリアは金色の眼差しをピタリとアタシに向けて言った。
「ねえ、貴女。あの時、貴女、変じゃなかった? といっても、貴女大抵変だけど」
「………何で一々一言多いんだろうね、このお妃様は」
そんなことをブツブツいいつつ、確かにあの時のアタシはおかしかったと思い出す。
「物凄くテンション上がって思考は纏まりがなくてバラバラなのに、どっか頭の芯は冷静で…」
今まで関係ないと思ってた事柄が、たった一つの事を指し示している様にしか思えなくなって。
「千ピースのパズルが一瞬で解けたみたいな感じだった」
そこまで言って、アタシはふと思い直した。
いや待てよ。
あの時、アタシは、最初に何を言った?
――この国が亡くなった後は、どうするの?
バラバラのピースが一つの絵になったのは、その後だ。
アタシはまるで、最初から答えが分かってたみたいだった。
「………」
こうして振り返ってみると、我が事ながら不気味すぎて、言うべき言葉が見つからない。
するとアディーリアが、ふと思い出した様に言った。
「昔、貴女と同じような状態の人間を見た事があるような気がするわ」
「随分曖昧な言い方だね?」
アディーリアにしては珍しい。
「五歳前後の記憶だから…」
曖昧なのよと、アディーリアじゃないアディーリアはそう言って、何かに耐える様に唇を噛んだ。
二二でリズを生んだ彼女は、生きていれば三四だ。
その彼女が五歳の頃というと、二九年前。母国クリシアが滅んだ頃だ。アディーリアは神殿に保護されて戦禍を免れたけど、ゴーシュの侵攻は凄惨を極めたという。
幼かったアディーリアには逃げるしか道が無かったとは思うけど、その事が成長して後、彼女の心に影を落とす。
国民を捨てて逃げた王女だと。
恐らく、アディーリアは戦禍を見たのだろう。
多分それが、罪悪感に繋がっている。
我が儘いっぱいに育ったようなアディーリアだけど、どんな人間にだって光の差さない部分はあるのだ。
アタシは何か言葉をかけるべきかと思ったけど、平和ボケした日本人のアタシには言うべき言葉が見つからない。
「まあ、五歳の頃の記憶なんて、大抵定かじゃないもんね」
アタシはそう言って、この話題を打ち切った。
どっちにしろ、曖昧な記憶にヒントを見つけようとすること自体、無理な話だ。
「それより、アディーが目覚めたのと、連中が気絶したのって、関連性があるんだろうか?」
一方は気絶して一方は目が覚めるって、全く真逆のようだけど。
タイミング的には合っている。
「取り敢えず、ここでもう一回『寿限無』を唱えてみるってのはどうだろう?」
もしアディーリアが、何某かの異常を感じたら『寿限無』が何らかの原因だって事が分かる。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! もう一度アレを聞くのなんて嫌よ!」
アディーリアは大げさなまでに耳を押さえ、身を捩った。
その仕草がこれまた何とも言えず艶めかしかったけど、
「まあまあ、そんな我が儘言わないで。カエルもホラ、応援してるから」
アタシの言葉に応える様に、カエル共は鳴いた。
「ゲコ~」
「オゲェ」
「ケロロ」
「キュルッ」
「………」
相変わらず約一匹無言のままだけど。
「何その気の抜けた声! 全然応援なんかしてないじゃないっ」
「仕方がないなあ。じゃあ、もう一回いい?」
アタシはカエル共に向かって、指を構えた。
それを指揮棒の様に振り下ろして。
「サンハイ」
「オゲェエエエエ」
「キュルル~~~」
「ゲコオオオオオ」
「ケロロ~~~~」
「………………ッ」
「いやあああ! そんな応援、嫌よぉお!」
アディーリアは髪を振り乱して叫んだ。
そんな狂気じみた姿も、これまたビックリする程美しい。満月の下でなら、きっと尚皿美しいのに違いない。
とういうか、アディーリアの反応は、まるでカエルが何を言っているのか分かっているみたいじゃないか?
「ひょっとして、アディー、カエル語が分かるワケ?」
「カエル語なんて分かるわけないじゃないのっ! っていうかカエル語って何よ!!」
「ああ、やっぱり?」
アディーリアの最後の言葉は無視をして、そりゃそうかと思う。幾ら非常識な程の美女だとしても、流石にカエル語は分からんか。
なんて納得したのもつかの間。
「だから、どうして貴女には、彼らがカエルに見えて、カエルが鳴いているようにしか聞こえないのかって訊いてるのよ!!」
アタシは、アディーリアの言葉に軽い既視感を覚えた。
ええと、カエルがカエルに見えて、カエルがカエル語を話すのは当然だと、また最初から言わなければならないんだろうか?
それだと、「ふりだしに戻る」みたいに、また話がループするんじゃないだろうか?
アタシがその時思ったのは、面倒臭いの一言だった。
けれど、いや待てよ、と思い直す。
アディーリアは、その後なんて言ってたっけ?
アタシがこの世界を形作る?
「ねえ、もしかして、アタシがカエルと思ってるからカエルに見えるってコト?」
「だからそう言ってるでしょうっ。ここには貴女の『常識』が反映されてるのよ」
「キュルッ」
「ゲコッ」
「オゲェッ」
「ケロッ」
「………」
アディーリアの言葉を後押しするかの様に、カエルが鳴いた。
そんな彼らを一匹一匹吟味する様に見詰めてみる。
けれど、どこをどう見ても、カエルはカエルだ。
「オゲッ、オゲェー」
「ゲコゲコ、ゲコ~」
「キュルルルルッ」
「ケロ、ケロケロロッ」
「…………ッ」
そしてカエルはカエルの声で鳴く。
「っていうかさ、アタシの常識じゃあ、カエルは腹の虫の音や嘔吐してるような音では鳴かないよ」
もしリアルで「カエルの鳴き真似をしてみて」と言われて「オゲェ」だとか「キュルキュル」とか言った日にゃあ、確実に常識を疑われる。
常識なんて所詮「所変われば品変わる」程度のモノだけど、そんなものでも疑われれば人間関係に支障を来す。
「せめて『ワン』とか『ニャア』とか鳴いてくれるように言ってよ」
ニャアは知らないけれど、ワンと鳴くカエルは存在する。
「どうして犬猫のマネをさせるのよ!! 人語を話すようにすればいいじゃない!!!」
おお、流石死んでも聖者、あったまいい~~。
と思った瞬間、ポンッとアディーリアが消えた。
「ええ?? ちょっ、アディー!?」
時間が無いって、こういうコト??
と言った瞬間、パッとアタシは目が覚めた。
眩しいくらいの光が降り注ぐ視界に最初に映ったのは、何故か涙ぐんでる恵美で。
「スミのバカ~~~~!!」
と恵美は叫んで、駆けだして行った。
「な、何事??」
世の中、夢も現実もままならないと、諸行無常を噛みしめたアタシだった。
夢の終わりは唐突です。