第二七話 カエルに横隔膜はありません その7
フェロモン男の名前は、ディンゼア=ナンタラカンタラ・ムニャムニャムニャと言うことらしい。
うん。覚えきれん。
とは勿論言えないので。
「これを機会に改名してはどうかしら?」
なんてことを言ってみる。
「どんな機会だよっ」
ツッコミ早いな~。ここまで早いと天晴れだ。
「そう? いい名前なのに」
アタシは心底残念そうに呟いた。
実際、心の底から残念だ。改名してくれたら、名前を覚える手間が省けるのに。
「そんなワケの分からん名前、いるかっ」
フェロモン男は心底イヤそうに言った。
まあ、そりゃそうだろう。「ジャイアン」はこちらの言葉では「天然ボケ」の意味になる。
誰だって、「俺の名前は『天然ボケ』さ!」なんて言うのはイヤだろう。
しかしまあ、所変われば品変わるとは良く言ったもんである。
ザ・ジャイアニズムの提唱者「ジャイアン」が、まさか「天然ボケ」に成り下がってしまうとは。
天然ボケが「オレのモノはオレのもの、お前のものはオレのモノ」なんて言っても、全然全く迫力がない。ただのボケに終わってしまう。
「いいか、二度とそんな名前で呼ぶなよ!」
フェロモン男が念を押す様に言う。
だけど勿論自信のないアタシは、敢えて「うん」とは言わなかった。
てか、絶対言ってやろうと思う。
「おいっ。聞いてんのか!?」
そんなアタシの気配を敏感に察知したのか、フェロモン男が念を押す。
そこへ黒髪腹黒が容赦なく割って入った。
「そんな事はどうでもいいんですよ」
一瞬フェロモン男が黒髪腹黒をムッとした表情で睨んだけれど、黒髪腹黒はものの見事にスルーした。
「あなた方が、我々を犯罪者呼ばわりすることについて、話し合う必要があると思うのですが」
アタシは黒髪腹黒の真っ黒い微笑みが怖すぎて、思わずフェロモン男の方を見てしまった。
「………貴方のお名前を覚える練習をしましょうか」
黒髪腹黒と話し合うのはイヤだと、目線でフェロモン男に訴える。
「お、おう。そうだな」
するとどういうワケか、フェロモン男はアタシの話に乗ってきた。
ひょっとして、フェロモン男も黒髪腹黒の黒さに怖じ気づいているんだろうか?
そんなことを思いつつ、アタシは心の中でフェロモン男に感謝した。
けれどその目論みも空しく終わる。
「もう一度言うぞ。俺の名前は…」
「黙れ! こんガキャッ!!」
罵声の主を振り返ると。
怒ってるのに笑ってた。
お前は竹○直人か! と物凄く突っ込みたいけど突っ込めない。
「ナ、ナジャ?」
金髪直情が、戸惑いながら黒髪腹黒の名前を呼ぶ。
「どうどう、鎮まれ、どうどう」
フェロモン男が、何故か馬をなだめる様に声をかける。
鉄面皮は数秒沈黙を守ってたけど、
「確かに、我々は犯罪者ではない」
と、重々しい口調で言った。
すると黒髪腹黒はフッと真顔に戻り、
「というわけなので、王女殿下や神官長殿に、その旨伝えていただけないでしょうか?」
まるで先程の罵声などなかった様に、穏やかな口調で言った。
けれど勿論、目は笑っていない。
う~~ん。
現実的な地位はともかく、コイツらの力関係みたいなもんが見えた様な気がする。
それにしても、怖いよ、腹黒!
けれどお陰で、見えてきたことが一つある。
どうやら誘拐犯云々で神殿から攻勢を掛けられているらしいって事である。
アタシは勿論、内心でニンマリとする。
ヤツらが困ってるなら、困らせておけって正直思う。
だからアタシは、関係ありませ~~んって顔で言う。
「それはクリスに言わなくてはね。私たちは、クリスから話を聞いただけだもの」
「海賊やら山賊やらに攫われて、女性と愛の逃避行、ですか? そんないい加減な話を信じると?」
「でも、以前実際にあったことだもの」
「………は?」
一瞬キョトンとする黒髪腹黒に、畳みかけるべくアタシは言った。
「あの時はね、女性は四人じゃなくて六人だったわ。それに相手は海賊でも山賊でもなくて、何かの宗教の狂信者だったわね」
勿論出鱈目である。アタシはそんな目に出くわした事など二一年間一度もない。
「随分、波瀾万丈だな」
「狂信者がカエルを攫って何をするというのか?」
「っていうか、カエル相手に逃避行する女が本当にいんのか?」
三人三様の呟きに、「んなわけね~~~~だろっ」と激しくツッコミたかったけれど、淑女たる四号になりきって必死で堪えた。
いやそれよりも、腹抱えて今にも笑い出しそうだ。
微妙に緩んだ空気に、けれども黒髪腹黒はそれに流されはしなかった。
「あくまでも、言葉を撤回しないと?」
ここであんまり突っぱねると、何か恐ろしい事になりそうだ。
だからアタシは、その場凌ぎだとは知りつつも、
「それはクリスに言いなさい。当事者たる彼が納得すれば、私たちは別にあなた方が犯罪者だろうと親切な保護者だろうと、構わないのよ?」
「では、クリス殿と話し合いたいのですが、彼はいつ現れますか?」
へっ、「お話し合い」ときやがったか。
話し合いする気なんざ、サラサラないくせに。
きっと自分達の都合の良い話をごり押ししてくるつもりだろう。
アタシは心の中でそんなことを考えながら、肩を竦めた。
「さあ」
勿論、アタシの答えに連中が納得してくれるとは思わない。
けれど、実際そうとしか答えようがないから仕方がない。
「それは、拒絶ととっても?」
黒いオーラを垂れ流しながら、黒髪腹黒が脅す様に言う。
てか、多分実際脅してる。
だからって、怯んでる場合じゃない。
この手の連中は、弱味を見せたら何処までも付け込んでくる。
ならばアタシはどこまでも、お前らの事なんかこちとらどうでもいいんだって強気な態度を崩すわけにはいかないのだ。
「どうとでも。そもそも人というものは、物事を見たいようにしか見ない生き物でしょう?」
その瞬間、ブオッと効果音が出そうな勢いで、黒髪腹黒の背後から黒いオーラが吹き出した。
その勢いたるや、天井までも覆い尽くさんばかりである。
他の連中も、仲間の余りの黒さに退き気味である。
くっそう。
可愛いリズのためなら、真っ黒いオーラだってそよ風のように受け流す! フリくらいはしてみせる!
リズのクルンクルンの睫。リズのキッラキラの瞳。リズのぷっくぷくの頬。
ケロタンの掌よりも小さかったリズの手を、ケロタンの首に回りきるまで育てたのは、このアタシなんだという自負が、どんな時でもアタシを支えてくれるのだ。
「あら。怒っているの? ふふ。人というものが図星を指されると怒るというのは、本当なのね」
「ミ、ミリュリアナ殿、こ、これ以上の刺激はっ」
「謝れ! 取り敢えず謝っとけ!」
「アンタ、死ぬぞ」
なんでか味方みたいな事を言う三人には悪いけど(しかもフェロモン男すらっ)。
ここで退いたりなんかしたら、女がじゃなくって、ケロタンが廃る!
だから考えろ! アタシ!
何が一番コイツらにとってイタイかを!
「そういえば、ねえ、あなた方。この国が亡くなった後は、どうするの?」
アタシはグルグルとまだ考えの纏まらない頭のままで、気が付くとそう口にしていた。
いきなりの方向転換に、黒髪腹黒の気が僅かに緩む。
「何を突然」
アタシは黒髪腹黒の言葉には敢えて答えず、
「神殿はイスマイルの解体など瞬く間に終えるでしょうね」
と如何にも感慨深げに連中を見渡した。
「そうれはどういう?」
戸惑う声は誰のものだったのか。
多分この時のアタシは、一種のトランス状態だったんだと思う。
テンションの高くなり過ぎたアタシの頭には、判別がつかなかった。
黒髪腹黒の黒いオーラが収まっていたことにすら、気が付いてなかった。
それでもアタシは言葉を紡ぐ。
「そもそも、この国はリズナターシュを生み出すためだけに創られた国ですものねぇ」
それはアタシの予想を超えた、けれどアタシの頭の片隅でいつの間にか芽吹いていた考えだった。
そんなSFじみた考えはバカげてると直ぐに捨てた考えだけど、いつの間にか根付いてしまっていたらしい。
計画的な、アディーリアと前国王との出会い。
アヌハーン神教の真の目的。
そして、あの地下図書館で読んだ、イスマイル王国の隠された建国の歴史。
今までバラバラだったものが、この瞬間一つの点へと、リズナターシュへと収束しているように思えてならなかった。
「奇跡」の話を聞いた時、なんで気が付かなかったんだろう。
これまで現れた六人の「神人」は、何れも「聖地」で生まれ、「聖地」で奇跡を授かった。
イスマイルなんて小国に大神殿が置かれているのは、この地が「聖地」だからだ。
そして「神人」を生み出した「聖地」は、漏れなく神殿の直轄地「神領」となっている。
あながちアタシの推測は間違いじゃないと思うのだ。
アタシはゾッとなった。
アタシの可愛いリズが、アヌハーン神教なんていう巨大な力にワケも分からず飲み込まれようとしているのだ。
途端にアタシは、リズの顔を見たくなった。
こんなどうでもいい連中の顔じゃなく、リズの健やかな寝顔を見たかった。
「私はもうそろそろリズの元に戻らなくてはなりません」
アタシはそう言って、イロイロと訊きたいだろう連中を放り出すことにした。
ぶっちゃけ今すぐ駆け出したい。
「次お会いできるのは何時ですか!?」
必死に問いかけてくる声が邪魔くさくて、アタシは素っ気なく返す。
「それは我が主の御心次第です」
我が主とやらが誰かは全く知らないけれど。
取り敢えず、アタシの意志で何時誰が来るかは分からないってことくらい承知しておいて貰いたい。
「主というのは!?」
尚も追いすがる質問に、アタシはふと悪戯心を覚えた。
以前チラッと思った事を試してみようと。
「我が主の名を知りたいですか?」
振り返りもしないアタシの問いかけに、全員が全員、必死な顔で頷いた。
う~ん、全方向視界ってのはこういう時に便利である。
それなら言ってぇ聞かせやしょう!
アタシは大きく息を吸い込むと、一気に吐き出す様に言った。
「『寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処やぶら小路の藪柑子パイポパイポ パイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助』よっと」
おっしゃ! 言い切った!
フン! 覚えられるもんなら覚えてみやがれってんだ!
アタシは心の中でガッツポーズを取りながら、意気揚々と振り返った。
連中の困った顔を想像しながら。
ところが、なんてこったい!
全員その場で、気絶していた。
「寿限無」に関しては第十話でスミちゃんは思いました。