第二五話 カエルに横隔膜はありません その5
アタシの予定としては。
先ず十分に情報収集をして、丹念に対策練って、その後何時に何処そこで会いましょうと約束して、対決する。
というつもりだったのに。
予定は未定とは、よく言ったモンである。
ぶっちゃけ、アタシの頭の中のデスノートは白紙のままだ。
何せ連中の名前すら覚えていない。
だからといって、ここで弱腰なところを見せたりなんかして、つけ込ませるワケにはいかないのだ!
「まさか挨拶の仕方も教えてもらってないのかしら? 一体どういう躾けをされてきたの?」
何か近所の小五月蠅いオバさんみたいな台詞だな。
とは思いつつ。
「昔の子達は、もう少し礼儀を弁えていたと思うけど」
アタシは右手を頬にあてて、小さく首を振った。
今度は懐古趣味のバアさんみたい。
う~~ん。もう少し嫌味の勉強をした方がいいかも、アタシ。
自分で自分がいたたまれない。
アタシはつい連中から視線を逸らして、見るともなく壁を見る。
地下水路の壁には、極彩色の壁画が描かれている。
壁画っていうと、高松塚古墳やピラミッドに描かれてるものや、『最後の審判』や『アテネの学堂』なんかのフレスコ画を思い出すけど。
ここのは何を描いてるのか分からない、抽象的なものだ。
ジッと見てると、アレに似てる。
視点をぼかすと何かが浮き上がってくるっていう、ステレオグラム。
描かれた年代は、よく分からないらしい。そもそもこの地下水路がいつ頃誰によって造られたかも分かんないって話だし。
大抵そう言う場合は、『名の秘された皇国』時代のものだってことにされる。
仮にも史学を学んでる人間としては、その大雑把さはどうかと思う。
まあ、科学的な年代測定法なんてないだろうから、調べようもなんだろうけど。
そういやあ現実世界でも、ネアンデルタール人が描いたなんてウソかホントか分かんない説もある壁画があったな、なんてことを思い出す。
それって何年くらい前のものだったっけ?
フランスのナントカって場所にある。ラスコーじゃなくってさ。
アタシはこの時、本格的に現実逃避に入ってた。
現実じゃなくて夢だけれどもさ。
そんなだから。
「『昔』というのは、いつ頃ですか?」
誰だかからの問いかけに、無意識に答えてた。
「そうねえ、三万二千年程前だったかしら?」
口調だけは四号のままだったのが、救いと言えば救いと言えるかもしれないけれど。
……………。
アタシ今、誰の質問に答えた?
ハッととなって振り返ると、四人の男達の姿が目に入る。
瞠目してるのは直情金髪と黒髪腹黒。胡散臭げに見てるのはフェロモン男。鉄面皮は相も変わらず一ミクロンも表情筋が動いてない。
そう言えば、マッドなインテリメガネがいない?
まあ、隠し通路探検なんて、医者のすることじゃないけれど。
それを言うなら、宰相や王佐のする仕事でもないはずだ。
何て事を頭の隅で考えながら、口から出た言葉といえば。
「あら、まだいたの?」
一気に空気が悪くなった。
「嘘くせえ」
直ぐさま鼻で笑ってそう切り捨てたのは、フェロモン男だ。
勿論、三万二千年云々のことについてである。
どうやらアタシの無意識の呟きは、認識されてしまったらしい。
「俄には信じがたい話ですが…」
何やら信じる気配さえ見せる黒髪腹黒。
腹黒な人間が、そんなに簡単に信じちゃいけませんって教わらなかったんだろうか?
「くっ。カエル如きに礼儀を諭されるとはっ」
ええ? 今その話? とツッコミたくなる事を呻いてるのは直情金髪。
何故だろう、その苦悶の表情を見てると、何かホッとしてくるよ。
「……………」
無言のまま、思わず視線を逸らしたくなっちゃう程見つめてくるのは鉄面皮。
怖いよ、その沈黙が。一番怖い。
ぶっちゃけ言って逃げ出したかった。
だって大の男が四人がかりで睨んでくるだもん。
小娘のアタシが逃げ出したくなっても、しょうがないと思うのだ。
連中の持ってる明かりを叩き落とせば、真っ暗闇になってその隙に逃げられるかも。
なんてことまで考えるけど。
淑女である四号にそんなことはさせられない。
「困った子達ねえ。一々『お名前は?』と訊いてあげなければ答えられないの?」
そう言って、できの悪い子供を見つめる様に生温い視線を投げかける。
勿論、呆れたように溜息をつくことも忘れない。
何で気管のないケロタンに、溜息がつけるのかは謎なんだけれどもさ。
同じような仕草を、小学校の頃先生によくやられたものだ。
アタシは目立った子供じゃなかった。
叱られもしなければ、褒められたりもしない。
ただ授業中の居眠りが多かったので、時々職員室に呼び出された。
けれど、アタシの「家庭の事情」を知ってる先生達は、アタシを強く叱れない。
根本的な原因は本人にはないからと、ただ溜息まじりに首を振って軽く注意しただけだ。
その度に、叱られない事にホッとするよりムッとした。
知ったかぶんなっ、アンタがアタシの何をしってやがんだよっ。
てのが、アタシの当時の正直な考えだった。
今思えば、先生達の態度も分かんないでもないんだけどさ。
でも今でも同じ事があったら、やっぱりムッとすると思うんだよね。
だから連中も、怒ると思ったのに。
怒って、三万二千年云々のことは綺麗サッパリ忘れて欲しい。
だってこの先、三万二千年前はどうでしたか? とか訊かれたら困るじゃないか。
と切実に願うのに。
なのにヤツときたら、なんとまあ! 怒るどころか、バサッと長衣の裾を払って跪いたのだ!
「これは失礼致した。お初にお目にかかる。我が名はクラリス=レヴィド・エルド・ノーザラン・ハジェク・ソルダーク。イスマイル王国宰相の地位を預かる者だ」
と、言葉こそぶっきらぼうながら最上級の礼をしやがった。
跪くと、丁度顔がケロタンの目線の高さになる。
アタシの視線は、鉄面皮の金色の眼差しと真っ正面からぶつかり合った。
………キモッ。
正直言ってその一言だ。
だって、物凄くお綺麗な顔が、無表情で喋ってんだもん。
しかも超良い声で。
物凄く良くできたCG見てるみたいで、逆に不気味だ。
そんなことを思いながら、アタシは鷹揚に頷いた。
こうなっては、もう早々に立ち去れないと覚悟しながら。
鉄面皮に続いたのは、黒髪腹黒だ。
「私は王佐を勤めさせていただいております、ナジャ・エリアーデ・アウラ・カディスと申します」
そしてフェロモン男。
「第一近衛隊副隊長のディンゼア=セアフェル・ハジェク・ド・フィアマス・アウラ・ロトゥルマと申します。この度は、お目にかかれて光栄です」
と、ちっとも光栄とは思っていない口調で言った。
態とらしくつり上げた口角が、これまた更に胡散臭い。
最後は直情金髪だ。
「………第一近衛隊隊長、オーランド=ジャスティア・ハジェク・ド・アルラマイン・アウラ・チェザリスと申す。以後お見知りおきを…」
こういう場合、身分の高い方から挨拶するもんだと思うけど。
多分、カエルに礼儀を質された後遺症が後を引いているんだろう。
それにしても、相変わらず名前が長い。
二号のときは、覚える気がないって態度で誤魔化せたけど。
今回こそは、覚えなきゃいけないんだろうな。
覚えられる自信がない。
なんて思ってることはおくびにも出さず。
「ふふ、良くできました。褒美に我が名を授けましょう」
ま、何処までも上から目線ってのはご愛敬。
連中の、少なくとも黒髪腹黒とフェロモン男と直情金髪のこめかみに、血管がビシッと浮き上がりはしたけれど。
布製カエル如きに跪いた時点で、貴様らの負けなのだ!
「私はミリュリアナ・アシェス・ケロタウロスの名を戴く者です。この度の出会いも何かのご縁でしょう。宜しくお願いしますわ」
アタシは礼儀正しく、右足を下げちょこんと膝を折った。
身分の高い女性が対等な人間、若しくは目下の者にする礼だ。
言外に、お前らなんかと馴れ合うつもりはないってことだ。
だから敢えて「立て」とは言わない。
見下ろされてると威圧的で、ぶっちゃけ怖いってのもあるけれど。
「ところで、あなた方の態度から察するに、私達のことはご存じの様子。もしや、クリスの言った誘拐犯というのは、あなた方の事かしら?」
ピシッと空気が割れる音がした。
おや、アタシとしては、話の糸口を差し出したつもりだったのに。
あれえ、おかしいな、ミリーは癒し系なのに。
何て言う気はサラサラないけど。
いい年した大人の割に、ちょっと怒りすぎじゃないだろうか?
まあ、犯罪者扱いされれば怒るとは思うけど。
「あんの青カエルのお陰で、俺たちがどんな目にっ」
直情金髪が、拳を握りしめて言う。
どうやら何かあったらしい。
「………我々のことは、クリス殿から聞き及びではありませんか?」
そう言って、黒髪腹黒がゆっくりと立ち上がる。
誘拐犯扱いするヤツに、膝を折るつもりはないってことだろう。
その証拠に、優しげな笑顔が物凄く黒い。
髪も目も真っ黒だけど、腹ん中はもっと黒いって感じである。
他の三人も、続いて立ち上がった。
お陰で物凄い圧迫感を感じた。
思わずたじろぎそうになったけど、アタシはリズの笑顔を思い浮かべて踏み止まった。
可愛いアタシのリズを泣かせたのは、何処のどいつだ?
そうだよっ、コイツらなんだよ!
アタシは怒りを燃え上がらせて、自分で自分を奮い立たせる。
けれど勿論四号は、怒りをぶちまけたりはしない。
無害を装って、不思議そうに呟いた。
「そうねえ。私が聞いた話では、何でも海賊だか山賊だかに襲われて、牢に閉じこめられていたのだとか。そこで四人の美しい人間の女性と出会って、愛の逃避行をしたとかしなかったとか…」
出鱈目にも程がある。
とは思うけど、二号なら間違いなくそんな話をリズにするだろう。
てか、するつもりなんだけど。
「なんでそうなる!?」
案の定、直情金髪が怒って言った。
素直というか真っ直ぐというか、相変わらず食いつきがいい。
ここで他のケロタンなら、更に気持ちを逆なでするようなことを言うとこだけど。
四号は違う。
「そうよねえ」
一度は相手の意見に同意を示す。
「私も思うの。幾ら何でも無茶だって」
「ふうん。ミリュリアナ殿は話が分かるらしいね」
そう口を挟んできたのは、フェロモン男だ。
本人自身その言葉を信じてないって分かる程、嫌味ったらしい口調だった。
何だろう? 二号の時より嫌味成分が増えてないか?
とは思いつつ、アタシはそれには全く気が付かないふりで。
「だってそうじゃなくって? 四人と一度に交際するのは、余り褒められたことではないわ」
「「「「そこか!!」」」」
全員につっこまれて気が付いた。
ん? ひょっとして落としどころ間違えた?