第二四話 カエルに横隔膜はありません その4
最初に目に入ったのは、煌々と輝くまん丸い月だった。
その光景に軽いデジャ・ビュを覚える。
続いて聞こえてきた声に、その感覚は更に強まった。
「リズにもいつか海を見せてやりたいぜ」
わははははっと、脳天気な笑い声が夜空に響く。
この頭の悪そうな笑い声は!?
ガバリと体を起こしてみれば。
バルコニーの手すりにもたれているリズと。
バルコニーの手すりの上に立っている、赤いカエルのぬいぐるみ!?
なんで??
ハッと自分の体を見てみると、オレンジの腹に緑の手足。
ケロタン四号、ミリーである。
どうなんてんの!?
頭を抱えようと手を挙げれば、おめでたい程デカイ花に阻止された。
一瞬花をむしり取りたい衝動に駆られたけれど、縫いつけてあるので勿論無理だ。
驚きと苛立ちが綯い交ぜになり、アタシは脳天気に喋り続ける赤いカエルを恨みがましく睨んだ。
「バカだなリズ。百聞は一見にしかずだぜ。四角い額縁に納まった絵なんかにゃあ、海のデカさは収まりきらない。海を見たら、そりゃもうぶったまげるぜ!」
それは間違いなく、数時間前にアタシが言った台詞だ。
赤いカエルのぬいぐるみは、アタシの記憶にある通り意味もなく月を指差す。
端から見ていると、何か、物凄く頭が悪そうだ。
アタシは一号をバルコニーから蹴落としたい衝動に駆られた。
恥ずべき過去は抹消せねば!
けれど勿論、一号を蹴落とすわけにもいかない。
過去が変わってしまう。
タイムパラドックスとか何とか、そう言うのが起こって面倒な事態になると困る。
一体何が起こるのか皆目見当も付かないけれど。
或いは、そういうのが起こらない様に過去には干渉できない様になっているのかもしれない。
試してみる価値はある?
狙いを定めるつもりで、アタシは赤いカエルの背中を見据える。
けれど不意に我に返って気が付いた。
四号が一号を蹴飛ばすなんてことはあり得ない。
これが三号だったなら「何頭の悪い事言ってんのよ!」と蹴飛ばしてもおかしくはないけれど。
面倒見の良いお姉さんキャラのミリーは、五号以外のケロタン達を「あの子」と呼んで「バカな子程可愛い」という態度をとっている。
つまり、リズに四号の暴挙など見せるわけにはいかないのだ。
アタシは全身の力を抜いて、カウチに背中を凭せ掛けた。
そもそも一体全体どうしてこんなことになってるのか。
あのカエル共はアタシに何をしたのか?
ひょっとして、前回五号から二号に移った時も、時間の重複があったんだろうか?
ただ、別の場所にいたからそれと分からなかったってだけで。
てことはつまり、あの薄暗い空間では時間を遡れるんだろうか?
アタシの乏しい知識によれば、通常有機生命体は同時に二つ以上の場所には存在し得ない。
でも今ここにいるのもアタシなら、あそこで意味もなく笑っているのもアタシである。
う~~んと。
え~~と。
そうか!
アタシは今、少なくともこの世界では「有機生命体」ではない!
布製カエルに憑依している何モノかだ!
……………。
自分で言って何だけど、何か、微妙なイキモノになっちゃった気分だ。
アタシは微妙に落ち込んだ。
そうこうしてると。
一号がリズを連れて部屋に戻ってきた。
間違っても一号とは視線を合わさぬ様にと虚空を見る。
アタシはぬいぐるみ! タダのぬいぐるみよ!
と、恵美の演技指導を思い出して、自分にそう言い聞かせた。
あの時は何でこんな事やらされるのかと思ったけれど、まさかソレが役に立つとワ!
「リズ、眠れないんなら、何時だったか女の子と旅した時の話をしてやろう。竜巻に家ごと吹っ飛ばされて無事だったっていう、不幸なんだか幸運なんだか分かんねえ女の子なんだがな」
「ええ!?」
そんなことを話しながら、リズと一号がアタシの前を通り過ぎていく。
あの時、アタシはここにいたんだ。
つまり既にアタシは、このワケの分からない状況に陥ってたってことである。
そう考えると、ゾッとなった。
一体全体アタシに何が起こってるのか。
アタシは悩んだ。
『スタートレック』と『スターゲート』、どっちが参考になるだろう。
……………。
ま、全ては夢だといえば夢なのだ。
今更深刻ぶったところで、この不条理から逃れられるわけもない。
だったら、この状況を最大限に利用するだけの話だ。
夢の中で子育てしてきたなんていう九年間の「非常識な経験」値は、伊達じゃないのだ。
一号とリズが天蓋のカーテンの内側に入ったのを見計らって、アタシはソロリと起きあがった。
心が決まれば、やるべき事は唯一つ。
勿論、隠し通路を使って宰相連中の動向を探りに行くためだ。
本来ケロレンジャーの女子達は、「冒険」をしない。
というのも、リズには女の子が夜出歩くのは危険だと言い聞かせてあるからだ。
言ってる本人がそれを破ってちゃあ、意味がない。
タバコを吸ってる教師に、「タバコは百害あって一利なしだから止めなさい」なんて言われても何一つ説得力がないのと同じだ。
ただ、キッチリそれを守るのが四号で、敢えてそれを破るのが三号だ。
だから時々三号の足の裏は汚れてる。
それに気づいたリズが拗ねたり怒ったりするのが、これまた可愛いんだけどさ。
アタシは、一号に気づかれない様、カウチから這いずる様にして降りた。
ベッドとは逆方向に、匍匐前進で這っていく。
目指すは、飾り棚の奥の隠し扉だ。
地下水路へは、タペストリーの奥の隠し扉を使う方が早い。
けれど、その隠し扉を開けるには、壁に掛かってる風景画を回さなくっちゃいけない。
ところが、ケロタンの背丈じゃあ踏み台のための椅子が必要だ。
幾ら何でも、椅子を運んでたらバレるだろう。
だからちょっと遠回りになるけれど、飾り棚の奥の隠し扉を使うことにしたわけだ。
そこから続く隠し通路はレゼル宮内を巡ってるけど、地下水路への隠し通路とは隠し扉で通じてるのだ。
飾り棚は、高さが大体七十センチ、幅一メートル二十センチくらいだろうか。
脚はなくて、十センチ程のちょっと高めの土台がある。
アタシは飾り棚の意匠の一つをポチリと押した。
すると、土台から上の部分が滑らかにスライドする。
床にキズが付くのを防ぐための工夫だろう。
そのお陰か、隠し扉の作動音は静かなものだ。
時代が違うのか、仕掛けそのものが違うのか、地下迷宮のそれが派手な音を立てることを考えれば、物凄くありがたい。
まあ、隠し通路の存在が秘密ってこともあるだろう。
隠し通路ってのは、基本的に王と王太子にしか知らされてない。
といっても、彼らの側近達は知っている。
そのくせ、他の王族には知らされない。
他家に嫁ぐ王女や、謀反を起こすかもしれない他の王子、代が替われば出て行く妃。
そんな彼らに、教えられるわけねぇだろうってことらしい。
じゃあ何のための脱出路なんだって話になるんだけどさ。
アタシが思うに、邪魔になった彼らを暗殺するために使ったんじゃないかと思う。
王家なんてものは、血なまぐさいのが基本だ。
そんな隠し通路の存在を、先王が病に伏せるアディーリアに教えたのは、気まぐれだったのか、或いは慰めだったのか。
今となっては分からない。
ただ、アタシはその恩恵を十二分に利用させてもらうだけだ。
アタシはポッカリと開いた入り口にスルリと入り込んだ。
内側からレバーを回して、飾り棚を元の位置に戻す。
すると辺りは真っ暗になった。
けれど優れもののケロタン・アイは、暗視スコープもビックリの視界の良さだ。
さて。
リズの寝室は二階にある。
三階は女官や侍女さん達の部屋で、一階は厨房とダイニング、殆ど使ったことのない応接間なんかがある。
タペストリーの裏の隠し扉だと直ぐに階段があって地下に直通なんだけど、こちらの隠し通路は先ず建物を半周してから一階に下りて、また半周すると隠し扉がある。そこから地下への階段と合流するようになっている。
因みに逆に回れば、三階へ上がる階段に繋がっている。
隠し通路には各部屋からの話が漏れ聞こえる様、通風口の様な配管がある。
深夜と言うこともあって、そこから漏れてくる声は殆どない。
アタシはそれを背後に流しながら、地下へと急いだ。
どれくらい時間があるのかわからない。
二号の二の舞はゴメンなので、取り敢えず連中が地下を調べたかどうかが分かればいい。
地下水路へは全速力で走れば十五分くらいだろうか。
但し、それは疲れを知らないケロタンだからこその時間である。
地下へ入ると周囲の壁は、荒削りの岩になる。
階段を下り、慣れた道を左へ右へと曲がってく。
やがて、流水音が聞こえてくる。
「とうっ」
勢いづいたアタシは、思わず一号の様な掛け声を上げて、地下水路へと躍り出た。
その瞬間。
「誰だ!?」
激しい誰何と共に、目映い光に晒された!
くっ。
暗闇に慣れた目が、一瞬だけ眩む。
けれどケロタンの目はしっかりと捉えた。
四つの人影を。
まさか、鉢合わせするなんて考えていなかった。
ていうか、こういう場合、鉢合わせするのを避けようとするんじゃないだろうか。
それとも、連中も鉢合わせを避けるだろうと見込んだのは、手札の揃っていないアタシの希望的観測でしかなかったのか。
アタシは一瞬怖じ気づいたけど。
連中の顔にも、動揺があることを見て取った。
若干一名、全く表情がなかったけれど。
ふん。ケロタン・アイを舐めるなよ!
アタシは、背筋をピンと伸ばして彼らと向かい合う。
「あら、相手の名を知りたければ己から名乗るという礼儀は、もう失われてしまったのかしら? 人の世というのは、何とも移ろいやすいものなのね」
四号ミリーは、礼儀を重んじる淑女だ。
但し、リズ以外の人間を毛嫌いしてる。
それが、恵美と練り上げたミリーの新たな隠し設定だ。
隠し設定ってのは、つまりリズにはバレないようにするってことだ。
アタシはクッと顎を上げて、彼らを見据える。
ケロタンの体には、動機も息切れも目眩もない。
彼らにアタシの動揺は伝わらない。
「名乗るべき名がないのなら、お引きなさい」
だから、アタシ、ケロタン四号は、高飛車に言い放った。
恵美ちゃんの「ぬいぐるみの演技指導」は、キタジママヤが人形役で舞台に立った時の稽古を真似たもよう。
でも人形ではなくぬいぐるみなので、竹で手足を縛られたりはしませんでした(笑)。
敵軍は一名足りません。さて誰でしょう。