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  挿話 騎士は布製カエルの夢を見る、かも

 壮麗な柱廊に午後の日差しが降り注ぐ中、紳士淑女達がさざめき合いながらゆったりと往来する。

 王府は立ち入り禁止区域が殆どだが、この中庭は憩いの場として多くの者が利用している。

 といっても、利用しているのは外来の客が殆どだ。

 大抵は貴族や中産階級の者、若しくはその使者で、陳情に来た者、申請に訪れた者、或いは行儀見習いとして王城に娘を出仕させる手続きにやって来た者など、要するに役所仕事に付きものの膨大な待ち時間を潰しているのだ。

 そこにあるのは、礼儀正しく静かではあるが、どこか間延びした空気感。

 天候と健康と無責任な噂話が花開く。

 そこへ、厳めしくも規則正しい足音が割り込んだ。

 カッカッカッカッカッカッカッカ。

 精悍な美貌を彩る翠の瞳、歩くたびに揺れる癖のない金の髪。

 意志の強そうな眉と、堅く引き締められた口元。

 黒い近衛の制服を一分の隙もなく着こなし、真っ直ぐ前だけを見据えて歩く。

 そんな彼に紳士達は神妙な顔で道をあけ、淑女達はヒソヒソと囁きながら頬を染める。

 それに一々反応しないのは、別段無視をしているわけではなく、余りにも日常的すぎて視界に入っていないからだ。

 彼、第一近衛隊隊長オーランド=ジャスティア・ハジェク・ド・アルラマイン・アウラ・チェザリスは、その清廉な美貌と人柄で、人をして騎士の中の騎士と言わしめる人物である。

 と同時に、些か融通の利かない人物でもあった。

 彼の真っ直ぐに伸ばされた背筋は、彼の真っ直ぐな人柄をよく表している。

 そんな彼の背中に、間延びした声が掛けられた。

「お、たいちょ、おはよ~さん」

 第一近衛隊副隊長ディンゼア=セアフェル・ハジェク・ド・フィアマス・アウラ・ロトゥルマである。

 少し癖のある茶色の髪を結いもせず、上着を羽織っただけという姿は、オーランドに比べて如何にもだらしがない。それでも剣技も知力もオーランドと比べて何一つ遜色がないことは周知の事実であり、寧ろ知略に置いては、融通の利かないオーランドよりも優れていると言えた。

 そんな己の副長に、オーランドは振り返りもせず言う。

「もう『お早う』という時間ではない」

「あっはっは、そりゃそうだ。でもさっき起きたから『お早う』でいいんだよ。お前だってそうだろう?」

 ディンゼアはそう言って、オーランドの横に並ぶ。

 そんな彼をチラリと一瞥しただけで、オーランドは直ぐに前に向き直った。

 二人は夕べ夜番でもないのに、明け方まで起きていた。

 青いカエルのぬいぐるみが動き出すかどうか、一晩中見張るために。

 そしてカエルは動いた。

 いや、動くこと自体は知っていた。

 実際それを既に目撃していたのだから。

 あの優秀な宰相は、動き出すことも想定して計画を立てていた。

 だから、動き出したとしても、こちらの予定にさしたる支障はなかった。

 はずなのだ。

 それでも、五日間もピクリとも動かなかったのだから、あと二日くらい動かずにいればよかったものを、とオーランドは思わずにはいられない。

 そうすれば、少なくとも自分はこのような鬱屈を抱え込むことはなかったのに。

「いや、他人のせいにしてはいかん。全ては己の未熟が招いたことだ」

 オーランドは自分に言い聞かせるようにそう呟くが、言った側から夕べの青いカエルとのやりとりを思い出し、

『五月蠅いハエだと思ったら、なんと君、誘拐犯君じゃあないか』

 ガッ。

 反射的に壁を殴りつけていた。

「……………」

 正直痛かった。

 痛いどころか、物凄く痛かった。

 何せ我を忘れての行動だ。力加減も何もあったもんじゃない。

 オーランドは決意した。

 今後は、手の甲も鍛えようと。

「おいおい、いきなりそんなことしたら、痛いの決まってんだろう」

 ディンゼアの呆れ返ったような声に睨み返したいのは山々だったが、痛みの方が勝って身動きがとれなかった。

 左手で顔を覆い、どうにか痛みをやり過ごす。

 しかし日頃の鍛錬の賜物か、立ち直るのにさほど時間はかからなかった。

 ふうっと息を吐き出して、姿勢とともに気持ちを立て直す。

「大丈夫かよ~」

 ディンゼアの口調はあくまでも軽いが、長いつきあいから心配しているのだと分かる。

「すまん。ちょっと思うところがあってな」

 平静を取り戻し、再び歩き出そうとするが。

『あ、君らはいいよ。男の名前は覚えない主義だから』

『女性が目の前にいるのに、一体どうして男と話をする必要があるんだい? 僕は男色家じゃないんだよ?』

『正直この国の将来なんかどうでもいいから、まあいいか』

 次々と青いカエルの無礼な台詞が思い出されて、怒りが再度こみ上げる。

「くっ、あやつっ。あのっ…」

 オーランドは皆まで言えなかった。

 言ってしまえば、止め処ない怒りに捕らわれそうで。

 騎士たるもの容易く取り乱してはならぬ騎士たるもの容易く取り乱してはならぬ騎士たるもの容易く取り乱してはならぬ騎士たるもの容易く取り乱してはならぬ騎士たるもの容易く取り乱してはならぬ騎士たるもの容易く取り乱しては…。

 と、一心に師の教えを心の中で唱えるが。

「ああ、ひょっとしてあのカエルのこと思い出してんのか」

 ディンゼアの不用意な言葉に、オーランドはカッと目を見開いた。

「私の前で今後二度と『カエル』の話はするな!」

 時間が止まった。

 と、ディンゼアが一瞬そう思ってしまうほど、辺りが静まりかえった。

 それまで行儀良く見て見ぬふりをしていた紳士淑女の視線が、二人へと集中する。

 任務中や訓練中に声を荒げることはあっても、普段は多少無愛想な感は否めずとも抑制の利いた物静かな人物と思われていただけに、周囲のオーランドを見つめる瞳は驚愕に彩られていた。

 しかも大声で言った内容が内容だ。

(カエル? カエルって言った?)

(カエルってあの? 水辺とかにいる?)

第一近衛隊隊長殿ジルド・エトゥ・コンデシルドはカエルが苦手なのか??)

(まさか! あのオーランド殿だぞ!?)

(しかし、震えてるぞ?)

(苦手なんじゃなくて、怒ってるんじゃないのか?)

(カエルにか??)

 とても耳がよいオーランドに全ての会話が筒抜けになっているなどということなど露知らず、余人の会話は進んでいく。

(おお、確かにっ。あの冷静沈着な隊長殿が震えておられる!)

(怒りか!? 憎しみか!? はたまた嘆きなのか!?)

(オレには分かる! オーランド卿から尋常じゃない憎悪を感じる!)

(カエルにか!?)

(ああ、お労しい! オーランド様!)

(一体何があってそこまでカエルを憎むんだろうな)

(さあ。さっぱり思いつかんか、しかし余程のことがあったに違いない)

(((((………一体カエルに何されたんだろう??)))))

 紳士淑女達は、第三王女のぬいぐるみが盗難されたらしいという噂は知っていたが、それがカエルのぬいぐるみだということまでは知らなかった。

 そのため、幸か不幸か、オーランドの口にした言葉と第三王女が結びつけられることはなかった。

 お陰で第一近衛隊隊長オーランド=ジャスティア・ハジェク・ド・アルラマイン・アウラ・チェザリスは、何かよく分からないがカエルに甚だしい恨みを持っている、ということにされてしまった。

(う~~ん。ある意味では間違いじゃないんだけどな)

 第一近衛隊副隊長ディンゼア=セアフェル・ハジェク・ド・フィアマス・アウラ・ロトゥルマは、何も知らない彼らの無責任な噂話に真実が含まれていることに妙な感慨すら覚えた。

 チラリと隣を伺い見れば、上官であり親友であり幼なじみでもある男が、常ならぬ己の失態に酷い自己嫌悪に陥っている。

 オーランドは普段とても上手く隠しているため、実は彼が直情型の人間だと知る者は少ない。近衛の中にですら、そうと知らない者もいる程だ。

 それを、夕べはここ数年見ないほどの直情っぷりだった。

 神官長、娘子軍、そして王女付き侍従武官の前で、それを晒してしまった。

 態度にこそ出さないが、そのことに酷く落ち込んでいることを、ディンゼアは知ってる。

 あの青いカエルの自分たちに対する態度は、神経を逆なでするのが目的としか思えないようなものだったが、オーランドがあそこまで感情を露わにするのを、実はディンゼアでさえ内心で驚いた。

(多分、相性ってヤツが悪いんだろうな)

 ディンゼアはそう心の中で結論づけると、慰めるようにオーランドの肩に手を乗せた。

 そして一言。

「………それは無理だろう」

 今後も、カエルの話をしないわけにはいかない。

 ディンゼアは心の中でだけ付け足した。

 勿論、水辺にいる罪のない両生類のことではなく、真っ青な色をした布製品の方である。

 アレが生物なら、間違いなく有毒だろう。

 オーランドがどんなに望もうとも、あの珍妙な青いカエルとは暫く関わらずにはおれないことは明白だった。

 少なくとも、先王第三王女殿下がこの王城を去るまでは。

 それにはどんなに短くとも、あと半年はある。

「………分かっている。分かってはいるのだっ」

 何かを堪えるように堅く拳を握りしめるオーランド。

 親友の深い苦悩が刻まれた横顔を気の毒そうに見つめるながらも、その実面白がっていたディンゼアは、自分が同じ立場に陥ることをこの時はまだ知る由もなかった。


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