第二十話 カエルの子供は共食いします その5
結局インスタントラーメンが必要になったのは、アタシの方だった。
インスタントとはいえ調理をする気力がなかったので、ドンブリに麺を入れて湯をかけて蓋をして三分待つってだけけの、例のあの鶏ラーメンだ。
卵を落としたいところだが、残念なことに卵がない。
貧相な冷蔵庫の中身を思い、明日にでも買い出しに行こうと決心した。
「要するにさ。神殿を牽制しつつ、どうやって宰相共に報復するかってことだよね」
そう言った恵美の前には、同じくドンブリが置かれている。
どんだけ食う気だよ。
呆れてつっこむ気にもなれないが、真剣な表情で三分という時間を待つ恵美は、些かの汚点もない程楚々とした大和撫子に見える。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、というのは恵美のような人間を言うんだろう。
実際は、喋れば悪魔、食えば餓鬼、殴る姿は人でなし、てな人間なのに。
「でもさ、宰相達の政敵追い落とし云々ってのは、アタシ達の想像の域を出てないんだよね」
アタシがそう指摘すると、恵美は神妙な顔で頷いた。
「そう。ここはやっぱり、宰相共の正確な狙いを知っておきたいよね。相手のダメージを狙うなら、相手を知っておかなきゃだしさ」
但し「神妙」の対象は、目の前のドンブリであることを、敢えて言っておきたい。
ジリリリリリ…。
キッチンタイマーが三分経ったことを告げる。
恵美はすかさず蓋代わりの皿を取り、ズズズズズッと勢いよく麺を吸い上げた。
「ほら、スミも食え。ラーメンは作るのも食べるのもスピードが勝負だぜ?」
いや、インスタントだから。
作るという程のモンでもないから。
とは思ったけれど、インスタントだからこそ麺が伸びるのが早いのも事実だ。
アタシ達は暫し無言でラーメンを平らげた。
ズズズズズ。
年頃の女子二人が無言でラーメンを貪る姿は、余り美しいもんじゃない。
けれど、誰にも見られてないなら気にしないのが女子ってもんだ。
「アタシ、今日、炭水化物ばっかり食ってるような気がする」
食べ終わって、少し汗ばんだ額をぬぐいながらそう言うと、
「いいじゃん。グルコースが一杯とれて。考えることは沢山あるんだからさ。脳には栄養は必要だぜ?」
そう言って恵美は、ゴクゴクとハイボールを飲んだ。
酒類は、発泡酒からウイスキーに変わっていた。
ウイスキーは叔母さんのもので、アタシは飲まないから、氷の浮かんだグラスの中身はウーロン茶だ。
ていうか、食い物ないのに、なんで酒ばっかりあるんだ、ウチは?
「アタシ、ちょっと思ったんだけどさ」
「何?」
「連中の政敵が、リズの味方とは限らないんじゃないかって」
今、宰相達が追い落としたい政敵がいるとして、多分きっとそれは王位継承権が絡んだ問題だ。
つまり、第二正妃か第三正妃が相手ってことだ。
正確に言えば、二人の実家勢力ってことだけど。
二人とも、過去リズに嫌がらせをした張本人だ。
だから、二人が失脚すること自体は全然全く構わない。
ていうか、ぶっちゃけ言えば、諸手を挙げて歓迎したいところだ。
「ああ、そんなことはいいんだよ。重要なのはさ、連中の弱みを握るってことだから」
恵美はそう言って爽やかに笑った。
綺麗に並んだ白い歯が、ヤケに眩しい。
自分自身には何の被害も被ってないにも拘わらず、会ったことのない宰相達に思う存分報復しようとする親友の人間性について、一瞬アタシは考慮すべきかどうか考えたけど。
結局のところ、アタシにもリズにも被害はないから気にしないことにした。
「そうか」
向こうに行ったら、早速隠し通路使って情報収集せねば。
後宮だけじゃなく、中宮や王府の方まで足を伸ばした方がいいだろう。
「あ」
「どした?」
「いやさ。夕べ連中に会った時さ、去り際にチラッと隠し通路のこと言ったじゃん」
あの時は娘子軍に妙な嫌疑が掛けられないようにと、麗華門を通らずに王府に入る方法があることを仄めかしておいたのだ。
今思えば、そんな必要ななかったのかも知れない。
宰相側と神殿側を対立させた方が、良かったのかも。
そのことについて恵美に意見を求めると、
「いや。それはそれで良かったんじゃね? 神殿は凄くデカイ勢力なんだから、やたらと喧嘩売るようなマネは考えモンだと思う」
なるほど。
アタシは頷いて、二人分のドンブリを下げた。
流しには、発泡酒の缶が幾つも並んでて酒臭い。
その殆どは恵美が飲んだものだ。
「あのさ~~」
アタシはドンブリを洗いながら、恵美に呼びかける。
「ん~~?」
「宰相達も神殿も、ケロタン達に会いたいって手紙寄越してきたんだよね~」
「別々に?」
「別々に。それってさ、情報がある程度集まるまで、避けるべきかな?」
「いや~。寧ろ会うべきじゃね? 連中の口からでなきゃ聞けない情報もあるだろうしさ」
「そうか~」
問題は、それがアタシに出来るかだ。
再びリビングに戻ると、恵美がペンと白紙のチラシの裏を示して言った。
「ちょっと整理する意味で、時系列的に状況を並べてみてよ」
一瞬アタシは、ウチにはノートというものがあるんだと、恵美に教えるべきかどうか悩んだ。
けれど恵美が普段から、白紙の広告やミスプリントのコピー用紙を適当な大きさに切って、メモ代わりに持ち歩いていることを思い出して止めた。
それを見た大抵の人間はイメージとのギャップに顔を引きつらせながら、「桧山さんってエコなんだね~」とどうにか納得できる答えを探す。
けれど実際は、節約だとかエコだとかのタメじゃなく、単に恵美が自分のイメージなんてもんに全く頓着しない人間だからだ。
アタシはペンを取って、これまでの出来事を思い出す。
「う~んと。アタシが連中に捕まったのが、『カレーズの月十一日』の夜。十二日の朝には二号の行方不明が発覚。その夜セルリアンナさんは娘子軍に報告。セルリアンナさんによれば十三日には神殿側から宰相側に接触」
再度二号に入ったのが、六日目の夜。
その夜は『カレーズの月十七日』の夜で、彼らが寝ずの番をし始めてから二晩目だ。
「娘子軍が宰相側と直接交渉したのは、十五日かな。そんときケロタンが動く云々が国王侍医の口から洩れて、その夜から寝ずの番してたって話だから。で、十七日に二号が動いたと」
アタシは説明しながらチラシに箇条書きした。
「なるほど」
恵美は少しの間思案して、
「こうしてみると、その国王ジジイの『失言』ってのが、何か違和感ありまくりだよね」
う~ん。『ジ』が一文字多い。しかも残念ながらジジイじゃないし。イケメンですらあったし。
但し、かなりマッドな印象だったけど。
アタシは、向こうでは珍しいフワフワの短髪と銀縁眼鏡の奥の紫の瞳を思い浮かべた。
「ああ!!」
アタシはその事実に気づいて、思わず声を上げた。
「どした?」
「アタシとしたことがっ。うっかりしてた」
「大丈夫。スミは常々うっかりしてる」
親友よ、何の労りにもならない慰めをありがとう。
アタシは、恵美の言葉を無視して続けた。
「あの国王侍医てば、『聖者』だよっ」
紫の瞳。
つまり「玉の聖者」ってことである。
神教は特に医学に力を入れていることから、神官が医者を兼任したり、聖者が医者になることは珍しくない。
「神官の姿してないから、分かんなかった」
いや、聖者だからって神官とは限らない。
神殿は聖者の独占って批判を受けるのが嫌がるから、多分割合は半々くらいだ。
アタシは、自分が思ってた以上にテンパッてたらしい。
「じゃあさ、最初に宰相側にコンタクトを取った神殿側の人間って、ソイツじゃね?」
「その可能性は大きいね」
だとしたら、セルリアンナさんは、何故その事を言わなかったんだろう。
彼女なら、国王侍医が聖者だってことは知ってたハズだ。
やっぱり、セルリアンナさんのことも調べなきゃ。
「でも、なんでこのタイミングで言ったんだろ?」
アタシはトントンとその箇所をペンで突く。
宰相側の都合なら、宰相達は望みを叶えたってことになる。
けれど、もしアタシ達が考えてた通り政敵にケロタン誘拐事件の濡れ衣を着せるつもりなら、神殿の裁定がで出た後でなけりゃ不可能だ。
或いは、神殿側のタイムリミットがそれまでだったのか。
となると、宰相側が神殿側に待って貰う条件ってのは、神殿にとってそれ程重要なことじゃない?
アタシはグルグルと思考が空回りしていくのを感じた。
きっと脳みそはグルコースを山のように消費しているのに違いない。
「スミ、ストップ」
恵美の制止の声で、ハッとする。
お陰で、思考のスパイラルから抜け出せた。
バチリと恵美と目が合うと、恵美は大げさに嘆息する。
「取り敢えず、情報、集めてきな」
「わ、分かった」
直ぐに思考に埋没する自分を叱咤しながら、アタシは答えた。
そんなアタシに恵美は満足げに頷くと、一転してニヤリと笑って言った。
「でもそのためには、スミ」
悪戯っ子というには悪辣過ぎるその笑顔に、流石のアタシも引き気味になる。
「え、恵美さん?」
「アンタにはやるべきことがある」
明らかに良からぬ事を考えついたと分かる恵美に、アタシは返事をするのを躊躇った。
けれど、恵美の辞書に「容赦」という文字はない。
「スミ。今夜は徹夜ね」
「な、何で??」
言ってる意味が分からず問い返すと、恵美は至極当然とばかりに笑って言った。
「勿論、変態共にギャフンと言わせるためじゃん」
いや、その意見には賛成だけど。
「だからって、何で徹夜…?」
「いいこと! マヤ! 紅天女の道は遠いわ!」
「つ、月影先生!? 何で??」
「千の仮面を掴むのよ!」
その夜、何故かアタシは、恵美からたっぷりとケロタンの演技指導を受けた。
恵美の演技指導は、月影先生にも負けない鬼っぷりだったと断言できる。
漸く恵美から合格を貰ってベッドに入ったのは、すっかり夜が明けた後だった。
「く、くれないてんにゃっ」
その夜の最後の記憶は、恵美の意味不明の呟きだった。
疲労困憊したアタシは、すっかり目覚ましをセットするのを忘れてしまっていた。
長い「現実」でした。お疲れ様でした。
恵美の演技指導は名作『ガラスの仮面』を参考に想像してみてください。