第十九話 カエルの子供は共食いします その4
チャイムの音と共にピザが来た。
恵美がインターホンに出て、恵美が玄関で受け取って、恵美が箱をビリビリに破いて、ついでにピザも破くように千切って食らいついた。
余程腹が減ってたのか、その姿は飢えた野獣のようだった。
人間なのに。
美人なのに。
恵美は全くもって残念な人間だ。
お陰でピザはハーフ&ハーフ頼んだ意味がない程、混沌とした状態だ。
ピザの切れ目が悲しそうに震えてさえいるようじゃないか?
アタシはため息をつきながら、照り焼きチキンにのし掛かられてるモッツァレラチーズを救出した。
「神人になったら、一生神殿に軟禁状態だし。結婚相手だって選べない。でもさ、王族だって同じようなもんなんだよね」
王族である以上リズに自由恋愛なんて望めないし、多分どこかの王家に嫁ぐだろうから結婚しても自由に出歩くなんてことはできないだろう。
神人は宗教儀礼に明け暮れるけど、王族は政治行事に明け暮れる。
結局のところ、リズに本当の意味での自由なんてものはない。
「国に利用されるか、宗教に利用されるかってわけか。だったらさ、シンジンってのになっちゃった方が、下手なことされなくなるんじゃね? なんせ『奇跡の人』ってわけだしさ」
なんだそりゃ、ヘレンケラーかよ。
ただでさえ、「王族」で「聖者」なんて二重苦なのに。
そこに「神人」加えて「奇跡の人」なんてもんにしてなるものか。
いや、もう一つあるから、やっぱりもう既に三重苦かも…。
アタシはヤサグレた気分になって、グビリと発泡酒を煽る。口の中に広がる味がやけに苦い。アタシはそれを打ち消すように、ちょっぴり甘い照り焼きソース風味のマルゲリータに食らいついて、トマトと酸味とバジルの爽やかな風味のコラボレーションを堪能した。
一息ついたアタシは、とある言葉を口にする。
「フィオリナ=リズナターシュ・ロラン・イスマイル・ハジェク・イス・イスマイル」
アタシは久しぶりに舌に乗せたそれを、つっかえずに言えたことに満足する。
「何の呪文?」
恵美の言葉にアタシは笑う。
「リズの名前」
「長っ」
「だよね」
初めて聞かされた時、アタシも同じことを言った。
その時アディーリアは自然に覚えるだろうから、気にしなくていいと言った。
その言葉の通り、何年か経って、アディーリアの記憶がすっかりアタシに馴染む頃には自然と覚えていた。
そして同時に、その名前の重みも知った。
「フィオリナが個人名で、リズナターシュは神聖名。ロランは王族女性の修辞詞で『ロラン・イスマイル』はイスマイル王家の王女って意味。ハジェクは父性の前にくる冠詞みたいなもんで、母姓だったらアウラがつく。んで、『イス・イスマイル』はイスマイル王統の血筋ってこと」
「さっぱり分かんねえよ」
恵美はそう言って、チーズと照り焼きソースで汚れた指を舐めた。
それは世間では艶めかしい仕草のハズだが、恵美がやると悪ガキのソレにしか見えないから不思議だ。けれどそれは、アタシの目にはそう映るってだけの話なのかもしれない。どんな暴挙に出ても、恵美がモテる女であるのは間違えようのない事実だからだ。
「まあ、分かんなくていいよ。で、ちょっと話飛ぶけどさ」
「うん?」
恵美は発泡酒を煽りながら、視線だけこちらに寄越す。
空いた手は、見てもいないのに正確にマルゲリータのピースを掴んでいる。
きっと恵美の優美な指先には蛇のような嗅覚センサーか何かついていて、食べ物の匂いを敏感に嗅ぎ分けているのに違いない。
「アヌハーン神教ってのはさ、『世界の秩序の守護者』ってのが存在理念なんだよね」
「ふ~ん」
「でさ、秩序の一つに血筋ランキングってのがあるわけよ」
「何それ?」
「その名の通り。王侯貴族の血筋の格付けやってんの」
「血筋ってのは、家名とは違うわけ?」
「微妙に違う。そうだな~。恵美、アンタのお母さんの旧姓は?」
「有吉だよ」
「アンタはさ、今は桧山だけど、元は梶川だったよね? つまりさ、アンタの血筋は有吉と梶川で、家名は桧山。向こう風に言えば、『恵美=エカテリーナ・ニアン・桧山・アウラ・有吉・ハジェク・梶川』ってことになる」
「ニアン」てのは貴族の女性につく修辞詞だ。
「エカテリーナって何?」
「たった今アタシがつけた、アンタの神聖名。洗礼名みたいなもんだよ」
由来はロシアの女帝エカテリーナ。ついでに言えば、専制君主として知られる二世の方だ。
「じゃあさ、ワタシの子供はさ、有吉と梶川と桧山のどれを受け継ぐわけ?」
「有吉か梶川のどっちか。大抵は血筋ランキングが上位の血筋を受け継ぐみたいだよ」
因みに、母系血筋にしろ父系血筋にしろ、より高い方がその人の血筋ランクとなる。
「それにどんな意味があるわけ?」
「そうだなあ。う~んと、例えばさ。イスマイル王家は国こそちっさいけどさ、血筋ランキングは三位なんだよ。でさ、今向こうじゃあ、デカイ国が三つくらいあるんだけど。血筋はイスマイル王家より下なんだよ。んで、デカイ国が勢力強めるために、周辺諸国に人質代わりに嫁寄こせとか言うじゃん?」
「ああ。ひょっとして、血筋ランクが下だとどんなに国がデカくてもそれができないわけか」
「そう。やったら漏れなく神教から茶々が入る」
「でも、そういう血筋こそ欲しがられるんじゃね?」
「勿論。イスマイル王家の女子は引く手数多ヨリドリミドリ。まあ、政略結婚には違いないんだけれどさ」
「ふ~ん。じゃあ、世界ランキング三位のアンタのお姫様はモテモテってトコか」
「ところがさ、実はリズの血筋ランキングは三位じゃないんだよ」
「だって、さっき三位だっていったじゃん」
「父方の血筋はね。問題はさ、リズには公にされてない母姓があるんだよ」
つまりは、アディーリア由来の血筋だ。
アディーリアは公には平民出身の聖者ということになっているけれど、実は三十年程前に滅んだ、大陸西部の小国クリシアの王族だ。
西の大国ゴーシュによるクリシア侵攻は炎のごとく瞬く間に小国を滅ぼし、神殿が調停に入る間もなかったらしいけど、元を正せばクリシア王家のゴーシェ王族への不当な非難が発端だったため、周辺諸国のクリシア王家への同情は薄い。それでも今でもレジスタンス活動が活発なきな臭い地域なのだ。
神殿は「聖者の保護」の名目の下、アディーリアの家名と血筋を伏せることにした。
恐らくイスマイルでその事実を知るっているのは、前王と当時の宰相だけだ。
だから、リズに母姓がないことを不思議に思う人間はいない。
アディーリアの正式な名前は、サタシアナ=アディーリア・ロラン・クリシア・ハジェク・クルス・クリシア・アウラ・エス・エイシアン。
だけど、重要なのはクリシア王家の血筋じゃない。
「アディーリアの母姓『エス・エイシアン』。エイシアン王統って意味なんだけどさ」
「うん」
「これがさ、なんと血筋ランキング一位なんだよね」
王族で聖者で血筋ランキング一位。
やっぱりリズは既に「奇跡の人」かも。
「それって最強じゃねえの?」
「そこが問題なんだよ」
「どういうこと?」
「この『エス・エイシアン』の由来なんだけどさ」
「王統ってんだから、どっかの王家のものなんじゃないの?」
「エイシアン王統を王族に戴く国は、現在ないんだよ」
「じゃあ、どこ由来なわけ?」
「『名の秘された皇国(仮名)』って国なんだよね」
「何ソレ」
「千年前に滅んだっていう、全大陸統一国家」
「てか、その(仮名)ってどういうこと」
「本当の名前はもったいないから秘密だけど名前がないと不便だから仮名つけてみました、ってヤツ」
「なんじゃそりゃ。ホント、もったいぶってるな!」
「本当の名前は神教のごく一部の上層部しか知らないって話」
「なんで宗教関係者が知ってんのかの方が不思議だけど」
勿論それには、ちゃんとした理由がある。
「そもそもアヌハーン神教は『名の秘された皇国』の国家宗教が母体なんだよ」
「んん? なんかきな臭い匂いがする」
勘の良い女だ。
「でさ、一つ言い伝えがあるんだよ」
――貴き名を戴く神人の導きにより、皇国は再び立つ。
アヌハーン神教の聖典の最終章は、厳かにそう締めくくられている。
「アヌハーン神教の究極目的は『名の秘された皇国』の復活なんだよ」
つまりリズが「神人」になるってことは、神教が切望して止まない手駒になるってことだ。
アタシは深いため息をつきながらピザに手を伸ばした。
腹が減っては戦ができぬっていうからね。
と思ったのに。
いつの間にかピザは、一切れ残さずなくなっていた。
そう言えば、恵美は会話中ずっと何かを咀嚼してた様な気がする。
ああ、アタシの愛しのマルゲリータ。
まだ二切れしか食ってなかったのに………。
てか、そんだけ食って何故ヤツの腹はペチャンコのままなのか?
既に胸よりも腹が出ているアタシは、一体どうすればいいのか??
アタシは何だかやたらと悲しくなって、何も考えずにソースナスをパクリと食べてしまった。
哀愁を噛み締めるようにポリッと一噛みすれば。
「ゴホッ」
瞬間ナスが口の中から飛び出した。
「うわっ。汚ねっ!」
恵美が罵声と共に非難がましい眼差しを向けてくる。
美人ってヤツは顰めっ面でさえ美しい。
けれど今更アタシが恵美のそんな表情に見とれるはずもなく。
「アンタね! なんてもんを創りやがったよっ! マジで不味い!」
アタシは口の中に残った奇妙な味を消すために、発泡酒を流し込んだ。
一体どういう味覚を持てば、あんな風に満足気にコレを咀嚼できるのか??
それは、人間が食べて良い味をしていなかった。
何というか。
ウスターソースの甘さを含んだスパイシーさとナスのほんのりとした酸味と塩気がビックリするほどミスマッチなシロモノだった。
アタシがその事を告げると、
「そこがいいんじゃん」
恵美はニッコリと艶やかに笑って言った。
恵美。
アンタ、随分遠いヒトになっちゃったな。
アタシは親友の遙かなる旅立ちを祝福すべきかどうか、遠くを見ながら考えた。