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第十七話 カエルの子供は共食いします その2

 冷蔵庫に入っていたのは、ナスの浅漬けとキュウリと発泡酒。

 基本的に自炊派のアタシだけど、叔母さんが渡米して一人暮らしになってからは、どうしても手抜きになりがちだ。おまけにこう暑いときては、料理する気なんか失せるってもんだろう。冷蔵庫の中身が乏しいのは、決してアタシの怠慢じゃない。ハズだ。

 ナスの浅漬けはスライスして芥子を添えて、もろみ味噌があったのでそれをキュウリに乗せてみた。

 あとは炙ったスルメがあると最高なのに。

 まるでどこかのオヤジの如く思うアタシは、れっきとした二一の乙女であることを敢えて主張しておきたい。

 時計は六時を過ぎたところで、空はまだ明るくて気温はまだまだ暑かった。

 アタシは冷えた発泡酒を飲みながら、セルリアンナさんとのやりとりを説明した。

 恵美はそれを、発泡酒片手に中華デリと宅配ピザと宅配寿司のメニューを見比べながら聞いていた。

 泳ぎ疲れと昼寝の気怠で自炊も外食も面倒臭くて、出前を頼むことになったのだ。

 麗しいはずの恵美のその姿は、まるで競馬予想に明け暮れているオヤジのようだった。

 アタシが話し終えると、恵美はやおら立ち上がって冷蔵庫からマヨネーズを取り出した。

「それ、何にかけんの?」

 アタシがそう尋ねると、恵美は物凄く思慮深い表情で、

「もろキュウにかけたら美味いんじゃないかと思ってさ」

 それはまるで、最高裁の裁判長の如き厳かさだった。

 だからアタシは、被告人たるもろキュウのために尋ねってやった。

「もろキュウに?」

「もろキュウに」

 恵美は力強く頷いて、もろみキュウリにマヨネーズをぶっかけた。

 「もろキュウにマヨネーズをかけたくはない」というアタシの意思は、ものの見事に無視された。

「マヨネーズはキュウリにも味噌にも合うから、イケると思うんだよね」

 そりゃそうかもしれないが。

 美味いもの同士を合わせたからといって、美味いものになるとは限らない。

 いい加減それを学習してくれないかと、アタシは思う。

 それとも、プリン風味の冷やし中華を美味いと感じるような恵美の味覚に、それを望むのは無謀だろうか。

 それでもアタシは問わずにはいられない。

「アンタさ、今日は何でそんなことになってんの?」

「それはね、太陽が眩しいからさ」

 なんだそりゃ。カミュか? 『異邦人』か!?

 アタシの魂の叫びが聞こえたのか、恵美は言った。

「殺人より全然マシじゃね?」

 確かにそれはその通りなんだけど。

 トンデモ食と殺人を同列にされた日にゃあ、太陽が眩しくて殺されてしまったアラブ人も浮かばれないだろうな。

 ノーベル賞作家の不条理小説よりも、恵美の思考の方が余程不条理に違いない。

 なんてことを思ったけれど、アタシはそれを口には出さなかった。

 なんてったってアタシときたら、不条理の代表格たる夢の世界での陰謀なんてものに立ち向かおうとしてるんだから。

 その居た堪れない事実の前には、恵美の不可解な味覚など瑣末な問題に違いない。多分。

「状況を整理するとさ」

 マヨネーズのたっぷりかかったもろキュウを睨みながら、リズの顔を思い浮かべてアタシは言った。

「宰相側は政敵の追い落としを計画してたかもしれないけど、神殿は神殿の思惑があって、敢えて宰相側の話に乗ったみたいなんだよね」

 セルリアンナさんの話を聞いたリズは、綺麗な紫の瞳を不安に揺らめかせていた。

 「神人」は人々の尊敬を崇拝を受けるけど、既に王族としての教育を受けているリズには、ただそれだけじゃないことを十二分に理解しているんだろう。

 王族は国の道具だが、神人は神教の最強の武器だ。

 神教はそれを最大限に利用しようとするだろう。

 ましてやリズには、他にも神教が欲しがる理由がある。

『大丈夫よ。アタシ達が絶対にリズを守ってみせるから』

 世の中「絶対」なんてありえない。

 けれどもアタシは自分自身に言い聞かせるために、敢えてそう口にした。

 その時のリズのアタシを信じ切ったような表情が、何よりアタシを奮い立たせる。

 アタシは、何が何でもあの表情に応えなくちゃいけないのだ。

 アタシは何故だか決意を試されているような気がして、マヨもろキュウを思い切って口の中に放り込んだ。

 ボリボリボリ。

 咀嚼する音は小気味よく、口腔内に広がる味は美味いとは言えないものの意外と食べられる味だった。

「あ、普通に食える」

 アタシがそう呟くと、恵美は感心しように頷いた。

「へ~、じゃあ食べてみるか」

 てか、トンデモ食を作った本人がまだ食ってなかったのか!

 アタシはちょっと嵌められたような気がして、恵美を睨みつけた。

 恵美はそれを涼しげな顔で受け流して、マヨもろキュウを口の中に放り込む。

「ちょっと思ったんだけどさ、そのセルリアンナさんって何者?」

 恵美の意外な質問に、アタシは戸惑いながらも答えた。

「え? リズの侍従武官だけど?」

 アタシにはそうとしか答えようがないけれど、それは恵美の望む答えではなかったらしい。

「そうじゃなくて。宰相ってのと神殿は、裏取引みたいなことしたわけだよね?」

 アタシは恵美の言葉に頷いた。

 セルリアンナさんの話によれば、今回の件で娘子軍の動きが鈍かったのは、神殿の指示によるものらしいとのことだった。

 なんでも、ケロタン二号が行方不明になった次の日には、神殿から宰相側に接触があったらしいのだ。

「王宮に神官が来るのは珍しいことじゃないんだよね。王宮内の礼拝堂で定期的にお祈りするし。王族の教育係になることも多いし。でも神官長クラスの高位の神官が動けば直ぐに噂になるから、多分普通の神官が接触したんだろうって」

「つまりさ、最初神殿側は表ざたにするつもりはなかったわけじゃん?」

「多分ね」

「でも結局、神官長のお出ましで大々的に公にしちゃったわけだよね」

「そう」

「でさ。アンタの話を聞いた印象じゃあ、女子軍は宰相側との裏取引めいたものがあったのは知ってたかもしれないけけど、ケロタンの事は心底バカバカしいと思ってたって感じなんだよね」

 なるほど。

 娘子軍の宰相側に対する警戒心は、ひょっとしたら容疑者に対する疑心じゃなくて自分たちの行動を制限された苛立ちからくるものだったのかもしれない。

 でも確かに、二号のことは心底驚いていた様子だった。

「でもさ。そのセルリアンナさんとやらのカエルに対する態度はさ、不自然なくらい友好的じゃね?」

 恵美の言葉に、アタシはまた頷いた。

 あの中で、セルリアンナさん程、すんなり二号の存在を受け入れていた人はいないと思う。メリグリニーアさんに関しては何とも言えないけれど。

「それってさ、神殿がアンタのお姫様をそのシンジンにスカウトしようとしてるってことを知ってたんじゃねえの?」

 いや、芸能プロの新人スカウトキャラバンじゃねえから。

 アタシは内心でツッコミつつ、反論した。

「なんでそうなるわけ? 二号を受け入れるかどうかはセルリアンナさんの個人的な問題だと思うけど」

 何を受け入れ何を拒絶するかは、その人の心のありようの問題だ。

「神殿の思惑通りに事が運んでるのを喜んでるからって見方もある」

 穿った見方だとは思うけど、それを否定しきる程アタシはセルリアンナさんを知ってるわけじゃない。

「ええと、それはセルリアンナさんが神殿関係者だから…?」

 それでも一応弁明を試みる。

 だってさ、リズが懐いている人だもん。

 けれど、だからこそアタシが警戒しなけりゃいけないってことも分かってる。

「そもそもさ、神殿直属の女子軍が知らないさそうなことを、どうして後宮勤めの人間が知ってると思う?」

「うぐっ」

 恵美の指摘に、アタシは息苦しさを覚えた。

 ていうか、マヨもろキュウを喉に詰まらせてしまった。

「ゲホゲホゲホッ」

 咳込んだアタシは、慌てて発泡酒を流し込む。

 発泡酒の炭酸が喉を洗って、胃の滝つぼにマヨもろキュウを落とし込む。

「ふう…」

 もうちょっとで、マヨもろキュウで窒息死してしまうところだった。

 そんな死に方は嫌だと心底思った。

 恵美はそんなアタシの様子を、背中をなでることもなくジッと見ていた。

「そのセルリアンナさんってのを、全面的に信用するのは、ちょっと待った方がいいだろうね」

 アタシは恵美の冷静な意見に、神妙に頷いた。

 一つ分かったら、一つ謎が増えてしまった。

 セルリアンナさんの身元について調べる方法を考えなくちゃいけない。

「でさ」

 落ちこむアタシに、恵美が畳みかけるように言う。

「宰相側はさ、神殿側に裏取引を承諾させる代わりに何をしたと思う?」

 神殿相手じゃなければ、賄賂とでも答えたいところだけれど。

「政敵を追い落としできるくらい噂が広まるまで女子軍の動きを止めてもらうために、宰相側はさ、何を差し出したと思う?」

 アタシは思いもつかなくて、ジッと恵美を見返した。

 すると恵美は、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて言った。

「或いは、何のネタで強請ったか」

 一瞬思い浮かんだネタに、アタシは気が遠くなるような気がした。

 最早アタシの頭の中は殆ど飽和状態だった。

 分かった事実よりも深まった謎の方が多い。

 謎が謎を呼ぶというのは、こういうことに言うんだろう。

 恵美が指摘してくれないとアタシには思いもつかない事だけど、恵美のせいで謎が深まったような気がしてしまう。

 完全に八つ当たりなんだけれどもさ。

 いやまだ当たってないから、八つか。って「八つ」って何だよ!

 アタシはアタシの混乱した思考に、頭を抱え込んだ。

「あとさ」

 まだあるのか!?

 アタシは恐恐とした気持ちで恵美を凝視した。

 すると恵美は、今まで以上に真剣な表情を浮かべて言った。

「エビチリとカニマヨと照り焼きチキンと、どれにするがが問題だよね」

 その恵美の手元には宅配ピザのメニューが確りと握られている。

 恵美の厳かな言葉に、アタシは一言だけ呟いた。

「アタシはマルゲリータがいい」

 それが、その時のアタシには精一杯の言葉だった。


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