第一話 カエルも脱皮します
「ぶはははははっ。マジでウケるっ」
周りからのいただけない視線を感じながら、美人は大口を開けて笑っても美人なのだと、アタシは思う。涼しげな眼差しをした和風美人の恵美ちゃんは、黙ってさえいれば楚々とした大和撫子に見えるのに、口を開けば豪快なことこの上ない。口は悪いし手は早い、足はもっと早くて、一度敵と見なせば容赦がない。その容姿に魅せられて不用意に近づこうものなら、鼻の穴に割り箸突き刺されて奥歯ガタガタ鳴らされる程、苛烈な性格なのだ。
「いやいや、ウケてる場合じゃないよ。今日朝起きてさ、アタシはマジで自分の精神を疑ったね。いつの間に逆ハー願望なんか持ったんだよって」
そう言って、アタシはズズズッとアイスラテの残りを啜る。
「まあ、意外と自分のことは自分が一番分かってなかったりするからね」
言葉は慰めているみたいだが、顔は確実に笑ってる。
アタシはズズッとまた啜って、窓の外へと視線を逸らす。
ガラスの向こうでは、焼けるような日差しがアスファルトを焼いている。
人影はチラホラとあるものの、みんな日陰から日陰へと縫うようにして歩いてる。
大方の試験が終わって閑散としてきた構内だけど、カフェは何故か満席で、チラチラと恵美のことを盗み見る男子の視線が、鬱陶しい。それらを丸っと無視して、恵美もまたズズズッとミックスジュースを啜った。アールグレイとかの紅茶が似合いそうな女だが、恵美がそんな小洒落たものを飲んでいるのを見たことがない。真っ昼間から餃子屋でビールを飲むような女だ。
「えっと、もう十年だっけ?」
「もうすぐ丸九年目」
「で、九年目にしてやっとでてきた男が、そろいもそろって美形って。しかもいっぺんに五人って。スミってば、ひょっとして溜まってた?」
「何がよ」
「だって、もう二年は彼氏いないじゃん」
「そうだけどさ~。だからってアタシ面食いじゃないし。そりゃ鑑賞する分には、顔がイイにこしたことはないけどさ。けど、アレはアタシの想像の域を遙かに超えてるよ」
恵美こと桧山恵美子は、アタシの例の夢のことを知る、唯一人の人間だ。
恵美とは小学校六年生のときに、転校先の学校で知り合った。その後同じ中学に進んで、二年の時に恵美が転校していった。結構仲はよかったけれど、子供の頃の友情なんて離れてしまえばあっけない。当時から美少女のくせに乱暴だった恵美は印象が強くて、たまに思い出すこともあったけど、ただそれだけだった。それがなんと、大学に入ってから再会したのである。
声をかけてきたのは恵美からで、恵美が言うには「中学校のときから姿形が全く変わっていない」から直ぐに分かったのだという。
再会は嬉しかったが、正直微妙な気持ちだ。暗に子供体型だと指摘されたようなものだ。
肉の付いていない手や足は女子からは羨ましがられることはあるが、胸にも全く肉がないので、嫉妬の対象には決してならない。中学の時からすれば身長は五センチのびたが、スリーサイズは殆ど変わりない。
これでショートカットだと、マジで小学生なので、せめてもと思い肩下まで髪を伸ばしている。この長さだと半年くらい放っておいても分からないたとか、そいういう副作用を期待してないわけじゃないんだけれどもさ。
「いやあ、ひょっとしたらさ、その内の一人と恋愛してキス、なんてことになったら脱皮できるって、設定かもよ」
恵美の言葉で、魔女にカエルにされた王子様が、お姫様の心からの愛のキッスで、呪いが解ける、なんておとぎ話があったことを思い出す。
「メルヘンじゃないんだし。てか、脱皮してもカエルだし、カエル脱皮しないし」
「するよ、カエルも脱皮」
「マジで?」
「マジで。ま、どっちにしても、ワタシはカエルと恋愛できる男は嫌だな。あのおとぎ話のお姫様は、間違いなく勇者だよっ。てか猛者だね!」
「アタシだって、嫌だよっ。そんなヤツ」
カエルの王子とお姫様の話は、感動的かもしれないが、カエルが喋る時点で、アタシなら逃げる。そして恵美なら。
「ワタシだったら、どっかの研究機関に高値で売りつけるね」
そんな女だよ、アンタは。
「でもさ、あと何年?」
不意に恵美が訊いてきた。
「ええと、今十二歳だから、あと四年かな?」
「四年後ってことは、こっちは二五歳か」
「二五ってばさあ、彼女が亡くなったっていう年齢なんだよね」
「彼女って?」
「お姫様のお母さん。第四正妃アディーリア」
彼女は二二で王女を産んで、二五で亡くなった。
王女は今十二で、アタシが王女と初めて会った歳になった。
符号めいているけれど、多分単なる偶然だろう。
王女はあと四年であの国での成人になる。
アタシと王妃の契約は、王女が成人の儀を迎えるまでだ。
その後はきっと、あの夢を見なくなる。
毎日見るわけじゃないし、たまに一ヶ月くらい見ないこともある。
そでもあの夢はこの九年間で、アタシにすっかり馴染んでしまってる。
それがなくなるとなると、酷く寂しく思うに違いない。
「ふうん」
恵美の気のない返事。所詮は他人事だ。けど、アタシの話を気味悪がらずに聞いてくれるのは、多分恵美だけだ。
「ちょっとさ、アタシちょっと思ったんだけどさ」
「何を?」
「ひょっとして、あの中からリズのお婿さん探せってことじゃないのかな?」
リズってのは、アタシがつけた王女の愛称である。本名は、ちょっとどうかと思うくらい長々しくて、正直覚える気がしないようなシロモノだ。
アタシと王妃の契約は、リズの成人まで。夢の中のあの世界では、王族や貴族は、成人と同時に婚約するか結婚することが多い。リズの異母姉は、確か成人してすぐ他国に嫁に行ったはず。でもそのこと自体は、何年も前に決まってた。
「お姫様十二歳よね。ヤローどもは幾つくらいだった?」
「外国人(?)だもん、よく分かんない。見た感じ二十代後半だけど、ひょっとしたらもっと若いかも」
「どっちにしても二十歳すぎてんじゃあ、歳離れすぎてるよ。ロリコンじゃん。変態だよ、変質者だよ、犯罪者だよ。美形だからって何でも許されるなんて思うなよっ。そんなことのたまうヤツぁ、前に出て歯ぁ食いしばれ!」
うわぁ、殴る気満々だよ。相変わらず容赦ないなぁ恵美は。でもまあ確かに気持ちは分かる。
「アタシらのジョーシキじゃあ、あり得ないよね。キモイし。けどほら、キゾクとかオーゾクだと、政略結婚とかが殆どじゃない? だからもうそろそろ婚約者選び始まってると思うんだよね」
できればリズには、ちゃんと恋とかして、好きな人と結婚して欲しいけど。
後宮から一歩も出られないあの子には、そんな機会ありそうにない。少なくとも成人までは。成人すれば社交界にデビューしたりして、出会いもあると思うけど。変な虫が付かないうちに、さっさと嫁に出してしまう場合も多いらしい。
「あ、分かった。アンタの役目はさ、そいつら変態の魔の手からお姫様を守ることだよ。お姫様のお母さんはさ、政略結婚をさせないように、アンタを派遣したんだよ」
「派遣って。でも、う~んと、そうなのかな?」
アタシの問いかけに、恵美は力強く頷いた。
「うん、絶対そう。お姫様、お母さん似の美少女なんでしょ? 青田ガリとか先物取引とかってヤツ?」
う~ん、イロイロ微妙に言葉の使い方が違うような気もするけど、言いたいことは十分分かる。
「光源氏ってやつだね」
「そう源氏。マザコンのロリコンなんていう最悪ヤロー。うわっ、キモッ。だからさ、スミは絶対ヤツらをお姫様に近づかせないようにしないとっ。今までみたいにぼんやり徘徊してる場合じゃないよ。最悪殺してもいい! てかコロセッ」
美少女だった恵美ちゃんには、ロリコンだとか変態に対する積もり積もった恨みとか辛みとか殺意とかが山盛りあるのだろう。
「う、うん、分かった。ガンバッテコロシマス」
とりあえずアタシの、奴らに対する態度が決定した、らしい。
その夜早速夢を見た。
確かに連夜の訪問だったにもかかわらず、かの国では三日経ってた。
ケロタン二号は、まだ帰ってきていなかった。