第十五話 カエルの吸盤は強力です その2
リズは少し迷った後、天蓋からぶら下がっている紐を引っ張った。
紐は夜番の控えている部屋に通じていて、鈴を鳴らす。
通常、夜番は侍女と侍従武官が二人づつでやるんだけど、第三王女付きの侍従武官は四人しかいないので、侍女三人と侍従武官一人という構成だ。
といっても、レゼル宮の侍女さん達は大抵武術の心得があるので、それでやってけるのだろう。
昼間は可愛らしく笑ってるだろう侍女さん達が、夜中「はっ」とか気勢を上げて組み手をやってる姿はなかなかの見物だけれど、ちょっと怖い。いやだって、結構分厚い木の板とか煉瓦とか、普通に割ってるし…。
直ぐに姿を見せたのは、侍女頭のコンスタンスさんだ。
コンスタンスさんは、侍女の中でも古株だ。アディーリアが存命の頃から仕えてた彼女は、一度結婚で退職したものの三年後離婚して復職したのだ。
「いかがなさいましたか? フィオリナ様」
フィオリナというのは、リズの長ったらしい名前の一つだ。
こちらの王侯貴族連中は「個人名=神聖名・母方の姓・父方の姓」ってな長ったらしい名前をしている。母方と父方の名字は、順番が変わったりどっちかが欠けたりはすることもあるらしいけど、大抵はそんな感じだ。
個人名は親が付けたもの、神聖名ってのは神殿がつけるもの、クリスチャンでいうところの洗礼名みたいなものだ。
で、フィオリナは個人名で、アタシがいつも呼んでいる「リズ」ってのは神聖名「リズナターシュ」を略したものなのだ。
「あのね、セルリアンナと話がしたいの」
リズがコンスタンスさんと話してる間、アタシは隣で、力を抜いてダラリンと寝ころんでいる。そりゃ勿論、ただのぬいぐるみのフリをするためだ。誰にどこまでケロタン達のことが知られてるか分からない以上、そうそう正体をバラすわけにもいかないからだ。
「シエル・セルリアンナと?」
侍従武官の地位は女官よりも更に上なので、コンスタンスさんはセルリアンナさんに対して敬称の「シエル」を付ける。
「ダメ?」
リズがコトンと小首を傾げて訊ねる。
リズのこのおねだりポーズに逆らえる人間は、まずいない。
「………畏まりました」
コンスタンスさんが去った後、リズが不安げにアタシを見つめる。
リズはまだ十二歳だけど、ケロタン達が動くということの異常さをちゃんと理解している。
この世界には、魔法がない。
魔王もいなけりゃ、魔女もいない。勿論勇者は必要ない。珠を幾つ集めたところでドラゴンは出たりしない。
その点は現実世界と変わらない。
だからこそ、アタシは極力リズ以外の人間との接触を避けてきたのだけれど。
アタシは両手でそっとリズの顔を包んだ。
「大丈夫。アタシに任せときなさい」
そう言って、リズの頬をギュッと押さえつける。
「ひゃっ」
驚いたリズが目を丸くする。
ここで普通なら、笑える顔になるとこだけど。
う~ん、美少女ってのは顔を変形させても尚美しいときたもんだ。
「もうっ」
三号の白い腕を振り払って、リズはプイッとそっぽを向いた。
「あらあら、拗ねちゃったわね」
「ディーが変なことするからよっ」
「やあねえ。リズはどんな顔でも可愛いって、証明してあげたんじゃない」
「そんなのウソ!」
「ウソじゃないわ。可愛いわよ。どんな姿形でも、リズは可愛いって決まってるのよ」
心の底からそう思うから、自然とアタシの口調にも熱が入る。
「そ、そんな証明いらないもんっ」
照れ隠しに怒って見せる姿が、これまたなんとも愛らしい。
アタシはリズのサイドの髪を耳に掛けながら、安心させるように笑って言った。
「セルリアンナなら、きっと大丈夫」
アタシはセルリアンナさんの優しげな表情を思い浮かべた。
昨夜のセルリアンナさんは、クリスに対して誰よりも好意的だったように思う。
少なくとも、不信感一杯の宰相達や、目の前の現実と自分の中の常識との間で葛藤していた娘子軍の二人よりも、友好的だった。
コンコン。
ノックの音の後、セルリアンナさんの声がした。
「殿下、お呼びでしょうか?」
問いかけるようにこちらを振り返ったリズに、アタシはしっかりと頷いてみせる。
そのアタシに微笑み返して、リズが扉の向こうに声を掛ける。
「入って、セルリアンナ」
「失礼します」
セルリアンナさんは颯爽と部屋に入ると、ベッドの側で片膝を折った。
「殿下、お呼びでしょうか」
セルリアンナさんの優しく問いかける声に、リズが答えようとする。
「あのね」
「アタシが呼んで貰ったの」
アタシはリズの言葉を遮ると、ムクリと起きあがった。
一瞬ギョッとしたセルリアンナさんに、アタシは軽く挨拶する。
「ハアイ、セルリアンナ」
そして、チュッと音を立てて投げキッスをかました。
我ながらどうかしてるとは思うけど、三号は好みの相手には男女問わず秋波を送るクセがある。
けれど秋波と言われたところでよく分からないので、分かりやすい行動に出てみることにしたわけだ。
日本人のアタシにはぶっちゃけキビシイ行動だけど、これもそれもキャラクターを保つための試練ってヤツだ。
カエルに投げキスされたセルリアンナさんも残念だけど、してる方だって残念なのだ。ホラ、叩かれた人間だけでなく叩いた人間だって痛いとか、そういうアレだ。
ある意味本当にイタイんだけど。
「昨日はウチのバカがお世話になったわね。アナタにお礼を言わなくちゃって思ったの」
アタシは内心の葛藤をおくびにも出さず、可愛い子ぶって体をクネリとさせた。
や~~~め~~~ろ~~~~!
アタシの本能はそう叫んでるけど、理性で行動するのが人間ってもんだろう?
セルリアンナさんは一瞬パチクリと目を瞬いたけれど、直ぐに真顔になって、
「いえ、私は特に何も…。寧ろ私共の方が、助けていただいたようなものです」
多分、クリスが動いたことで、レゼル宮に賊が侵入した可能性がなくなって、セルリアンナさん達侍従武官の皆さんはお咎めを受けずにすんだってことなんだろう。
アタシはそのことにホッとするけど、それを表にしたりはしない。
「あらぁ、そうぉ? じゃあ、来て貰ったついでに、ちょっと訊いていいかしら?」
つけ込める時につけ込んで、必要な情報をゲットしておかなくちゃなんないのだ。
「私で答えられることでしたら」
カエル相手にすらこの言葉遣い。宰相達(特に直情金髪)とはエライ違いだ。
アタシとしては物凄く嬉しいんだけど、多分、連中の反応の方が人として当然なんだと思う。
ぶっちゃけ、化け物扱いで退治されてもおかしくないと思う。
最初に出くわしたとき、連中が剣を持って追いかけてきたのだって、仕方がないことなんだろう。だからって、連中を許すつもりはサラサラないんだけれどもさ。
けれど、とふと思う。
連中の行動がまともなんだとして。
一番退治に乗り出しそうな宗教関係者の方が、寧ろ態度が友好的というのも妙な話だ。
そもそもケロタン達は、この世界の人間にとってどう見えてるんだろう?
「ねえ、セルリアンナ」
不意にわき上がった疑問を、アタシは思わず口にしていた。
「率直に言って、アナタ達から見て、アタシ達ってどうなのかしら?」
「どうとは?」
いぶかしげな表情のセルリアンナさんに、アタシは態と戯けた口調で言った。
「化け物? 怪物? それとも、悪霊付きかしら?」
そのどれも神話や伝説の中だけの存在だけど、科学が未だ胡散臭さの漂う錬金術と見なされているこの世界では、人々の価値観は神話的世界観に則っている。
その中でケロタンという存在を説明しようとすれば、そんなところに落ち着くだろう。
問題は、それらが皆、英雄達に退治されるべき存在だということだ。
視界の端で、リズがアタシ達のやりとりを不安そうに見つめてる。
アタシはセルリアンナさんにピッタリと視線を合わせたまま、リズの手をそっと握った。
リズがギュッと握りかえす。
そこから伝わる熱が、アタシに勇気とやる気と心意気を与えてくれる。
「いいえ。とんでもない」
セルリアンナさんもまた、アタシから視線を逸らさずに答えた。
「ケロタウロス殿達が、悪しきものであるはずがありません」
「どうして言い切れるの?」
「フィオリナ様の周囲に、そのようなものが存在するはずがありませんから」
「リズの…」
王宮でも王族でもなく、リズ個人に要因があるような言い方だった。
それの意味することはただ一つ。
「はい。神々のご寵愛深き『冠の聖者』フィオリナ様であらせられますれば」
力強いセルリアンナさんの言葉に、アタシは内心で頭を抱えた。
――「聖者」。
その称号がこの世界でどれほど重いか、アタシはそれを知っている。
「アタシ達を人知れず排除するって手もあるわよ?」
黒髪腹黒じゃないけれど、ケロタン達を跡形もなく燃やしてしまえば、可能かもしれない。やったことないから分かんないけど。
「それは可能かもしれませんが、フィオリナ様の御心が神教より離れてしまいます。神教が、聖者様に呪われるようなことは、万が一にもあってはならないのです」
その揺るぎない眼差しは、何故かメリグリニーアさんの不可思議な銀色の瞳を思い出させた。
そういえば、メリグリニーアさんは、昨日の夜何のためにいたんだっけ?
オブザーバーって言ってたけど、そもそも何のオブザーバー?
単純に考えれば、カエル誘拐事件だけど。
あの夜集まっていた理由は、二号が動くかどうか検証するためだ。
そんな荒唐無稽な話に、神官長ともあろうものがどうして立ち会う必要がある?
「ねえ、セルリアンナ」
「はい」
「昨日の夜、神官長はどうしてあの場にいたの?」
「恐らく、イシュ・メリグリニーアは………」
セルリアンナさんは少しの逡巡の後、何かを決意したように言った。
「『奇跡』の裁定をされるためかと」
「!?」
アタシの絶句に何を思ったか、セルリアンナさんが力強く頷いた。
「ええ。ケロタウロス殿が『奇跡』として認定されれば、フィオリナ王女殿下は『神人』の称号をお受けになられるでしょう」
寝耳に水って、こういうことを言うんだ。
とアタシは思った。
もしくは、藪からスティック、青天にサンダーボルト。