第十四話 カエルの吸盤は強力です
アタシの右に赤いカエル、左に緑のカエル、その向こうに黒いカエル。
そしてアタシは白いカエル。
今宵の装いは、ケロタン三号。
正式名エウリディケ・シルファド・ケロタウロス、通称ディーである。
白い体とピンクのお腹、頭の上には水色のドデカいリボン。色味の優しさから柔らかい印象を受けるけど、中身は小悪魔的で打算的、どんな相手だろうと利用することを躊躇わず、そのくせ本当に好きな相手に対しては純情一途、という複雑怪奇な女子である。その上王妃からは、仕草はあくまでもコケティッシュ、口調は蓮っ葉、そしてバイセクシャル、という何やらよく分からない指示が出ている。多分実在のモデルがいるんだろうけど、アタシにはギャルゲーか何かのキャラクターにしか思えない。
アタシはロココ風のカウチを下りて、リズの眠るベッドに向かった。
予想通り、青いカエルはリズの腕の中で、見事に脊椎損傷状態だ。きっと、折れた脊椎は内臓を貫通してることだろう。まあ、あればの話だけれど。
リズは顔を二号に押しつけるようにして、丸くなって眠ってる。
青い月明かりが差し込む中、長い紫の髪がシーツに広がって、まるで幻想的な絵画のようだ。
その腕にあるのが、珍妙なカエルのぬいぐるみでさえなかったら。
「リズ?」
アタシはベッドに上がって、リズの形の良い耳にそっと囁きかける。
リズはスースーと寝息を立てて起きる気配はない。
ここのところよく眠れていなかったから、熟睡してくれてるのはいいんだけど。
アタシはリズのまろい頬をチョチョイと突いてみた。
できれば、今の状況を聞いておきたい。
タイムラグがあるのかとか、誰かが何か言ってきたかとか。
かといって、わざわざ起こすのも忍びない。
アタシはゆっくりとリズの髪を梳いた。
枝毛の一本もない手入れの行き届いた髪は、引っかかりもせずに毛先までなめらかに指が通る。
因みに三号の手足には水かきはない。代わりに発達した吸盤がある。ついでに言えば一号にも水かきではなく吸盤がある。
勿論それも、瀕死の床の王妃の、文字通り精魂込めた作品だ。
王妃が言うには、二号と四号は半水棲で、一号と三号は樹上性なんだそうな。そして五号はなんと地中性らしい。
それだけ設定に凝る意味は何なのか。
しかしお陰で一号と三号は壁歩き(但し四足歩行)ができるので、この件に関しては文句は言わないでおくことにしよう。
とにもかくにも、二号をリズの元に返してくれるという約束は守られたことにホッとする。
後宮は、アタシにとってこの世界でのホームみたいなもんだから、安心度がやはり違う。
アウェー感バッチリの前宮で、明らかにアタシを不審ブツ扱いしてる連中の相手をするのは、正直言ってキツかった。
でも、後宮でなら連中に先ず会うことはない。
ここは未だに亡き先王の後宮で、現国王といえども出入りは制限されている。
各宮に先王の死を伝えられた後、後宮は服喪期間に入る。その間、新国王が後宮を訪れることはない。
表向きは喪に服す彼女たちに敬意を表するためだけど、なんてことはない、義理の母親達との間にまかり間違っても「過ち」がないようにするためだ。
彼女たちにとって、先王の死後一年間の服喪期間はある意味で勝負時だ。
国母である正妃は王太后として確たる地位が用意され、死ぬまで何不自由のない暮らしが約束されているけれど、他の妃達は違う。正妃達は実家の爵位に応じて伯爵夫人もしくは男爵夫人の称号を与えられるのと引き替えに、王族から籍を抜かれる。国からは恩給が支給されるものの、贅沢に慣れた彼女達にしてみれば十分とは言えない額だ。側妃ともなると、更に低い恩給が与えられるだけとなる。つまり、実家が余程裕福でもない限り、彼女達の生活は安泰とは言えないってわけである。
しかしそれも、新国王の命令一つで幾らでも変わる。
そのため彼女たちは、なんとか新しい国王と接触して、もっと多くの財産を得ようと画策する。実際、思春期真っ盛りの若い国王を、義理の母親が熟練した性的テクニックで骨抜きにして国庫を危うさせたって先例があったらしい。
今では直接交渉は難しくなったけど、それでも激しい手紙攻勢で奮闘しているとか。
どうぜ連中のことだから、適当にあしらってんだろうけど。
山のような手紙に埋もれて、窒息死すればいいのに。
なんて、非力な小娘の考えることに罪はない。きっと。
「………ん」
身じろぎしたリズが、小さな呟きを漏らす。
顔を覗き込むと、うっすらと開いた紫の瞳に、白い三号の姿が映り込んだ。
「ディー………?」
リズは目を擦って、パチパチと瞬いた。
「ハアイ、リズ」
アタシがそう声を掛けると、パッチリと目を覚ます。
「ディー!」
勢いよく起きあがって、今度はハッキリとした声で三号を呼んだ。
「ふふ、放蕩者は帰ってきたみたいね」
三号は胸の前で腕を組んで、口元に人差し指を当てて言った。
軽く肩を竦めるのも忘れない。
コケティッシュな仕草の意味が分からず、苦肉の策として編み出したのがこのポーズである。本当はウインクでもできればいいんだけど、残念ながらぬいぐるみには瞼の開閉機能はついていないのだ。
リズはアタシの言葉に、満面の笑みを浮かべた。
「そうなの! クリスが帰ってきたの!」
リズはそう言うと、二号の首をグワシッと掴んで、アタシの前に突き出した。
ああうん、リズの手も、ケロタンの首を片手で掴めるくらい大きくなったんだなあ。
アタシはリズの成長を感じて、しみじみとする。
でも何故だろう。ちょっと、育て方を間違えたかもなんて思っちゃうのは。
ケロタンのはいいけれど、他人の首は絞めないように言っておくべきだろうか? でも少なくとも動物の首を絞めたことはないので、まあいいか。
「何時帰ってきたの?」
「今朝早く。セルリアンナが連れて帰ってきてくれたの」
つまり、タイムラグはない。てか、今回は、現実の方が少し時間の流れが速いくらいだ。
「セルリアンナだけ?」
「コンスタンスも一緒だったわ」
侍女頭のコンスタンスさんは、単にその場に居合わせただけだろう。
「セルリアンナは、何か言ってた? クリスのことで」
「ええとね。迷子になってたみたいって」
迷子ねえ。確かに迷子ではあったけど。
どうやらセルリアンナさんは、リズには何も言ってないらしい。
「あ、手紙を預かったの」
「手紙?」
「そこに入れてあるわ」
そう言ってリズが指差したのは、優美な猫足のナイトテーブルだ。
引き出しを開けてみると、中には手紙が二通あった。
表には「ケロタウロス様へ」と書かれてある。
差出人の名前こそなかったけれど、封蝋の印璽で相手は直ぐに分かった。
一つはイスマイル王国の印璽。もう一つはアヌハーン神教の印璽。
イスマイル王国の印璽は葡萄の蔓と双頭の鷲の精緻な意匠で、アヌハーン神教のそれは「尾のない獣」。らしいんだけど、よく言えば素朴、ぶっちゃけて言えば小学校低学年の子供が図画工作の時間に作った芋版並みに稚拙なため、「多分四本くらい足があると思われる何かよく分からない生物」にしか見えなかった。まあ、「尾のない獣」ってのが空想上の動物なんだろうけれど、それにしたってこれはない。
アヌハーン神教の歴史は千年以上にも渡る。その長い歴史の間に、一人くらいもうちょっとマシなデザインにしようっていう人間はいなかったのだろうか??
アタシは下の引き出しからペーパーナイフを取り出して、手紙を開けた。
細かい言葉遣いや言い回しこそ違えども、手紙の内容は殆ど同じだった。
――次にご来臨される日をお知らせ願います。
これをどう受け取るべきだろうか?
昨日の続きがしたいだけなのか?
或いは、また別の思惑があるかもしれない。
第一、カエル誘拐事件は決着ついたのか? 決着ついたのならどうついたのか。
疑問は積もるばかりで、やっぱり答えは見つからない。
アタシだけの問題ならどうにでもでなりそうだけど、リズが絡んでくるとなれば話は別だ。
傍らを見ると、リズは手紙のことを訊ねたくてウズウズしていたらしい。
「ねえ、ディー」
上目使いにちょっと甘えた口調でそういうリズは、甚だしく愛らしい。
「いやね! この子ったら! 可愛いじゃないの!!」
感極まったアタシは、リズの頭をギュウッと抱きしめた。
こういう時、あからさまな感情表現ができるのが三号の利点だ。
アタシはリズの顔にキスの雨を降らせた。
と言っても、端から見たら、顔面アタックかましてるようにしか見えないだろうけど。
「ちょ、ディーってばっ」
「ん~~~! 可愛い!!」
アタシはついでに、ぐりぐりと頬摺りした。
このぷくぷくと柔らかいほっぺを守るために、アタシに何ができるだろう。
「ディーったらあ」
リズの可愛らしい文句に、ニマニマしながら考える。
やっぱり、必要なのは情報だと思う。
アタシがこの世界に関して持ってる情報といえば、アディーリアの記憶と地下迷宮の書物から得たものだけだ。ナマ情報は殆どといって良い程持っていない。盗み聞きや覗き見で得られる情報なんて知れたものだ。
散々リズの頬肉の弾力具合を堪能してから、アタシはリズを解放した。
「もうっ」
グロスなんか付けなくてもプルンプルンの唇を、少し尖らせてリズが言う。
元からバラ色に染まった頬が、散々布に擦られたせいで、更に赤い。
アタシはその頬を、吸盤のついた指でプニッと突っつく。
「ねえ、セルリアンナは、今日はどうしてんの?」
「昼間はお休みしてたけど、今晩は夜番だから隣の部屋にいると思う。セルリアンナがどうかした?」
「だって、クリスを連れて帰ってきてくれたんでショ? お礼言わなくっちゃなんないわ」
セルリアンナさんは、昨夜のメンバーの中で一番リズに近い位置にいると思う。勿論、神殿とのつながりは無視できないだろうけど、直接リズに接しているということは大きいと思うのだ。
セルリアンナさんからの情報は、多分信頼できると思う。
信用できるかどうかは、また別の話だけど。