第十三話 カエルは水を経皮吸収するんです その3
何故一緒に食べる人間のことを考えて食べないのかと、まるで子供にするような説教を、恵美に言って聞かせようかとも思ったけど、
「半分というのは、具と麺を分けるのじゃなく、具も麺も分けることだ」
と言っただけだった。
この台詞も、正直どうかと思うけど。
その後お昼時になって本格的に混んできたので、アタシ達は店を出た。
けれど、炎天下にブラブラして熱射病やら日射病やらになる趣味は全く持ち合わせてはいない。
「どっか行く?」
本屋かレンタルビデオ屋かカラオケか。
アタシが訊ねると、恵美は一言だけ言った。
「眠~~~い」
そりゃまあ、あんだけ泳いでたらふく食べりゃあ、眠くもなるわな。
ビート板も、あれだけ酷使されれば本望に違いない。
いっそ幼児が腕に付けてる浮き袋でもした方がいいんじゃないの?。
てか、あんだけ泳いでて、なんで自力で泳げないんだ?
「どうする? 帰る?」
「何言ってんの。今日はアンタんちに泊まるのに」
何時の間にそんな取り決めがあったのか。
ていうか、泊まるにしては、荷物が少なくないか?
着替えはどうすんだ?
いや、そもそもコイツが着替えを持ってウチに泊まったことってあったっけ?
アタシはイロイロ考えたけど、残念なことに、恵美に通じると思われる言葉は一つしか思い浮かばなかった。
「じゃあ、ウチに帰るか」
アタシがそう言うと、恵美はコクンと頷いて、スタスタとバス停に向かって歩き始めた。
市民プールからウチまでは、バスで二十分くらいの距離である。
バスから降りて、更に歩くこと十分弱。
オートロック式の十五階建てマンションで、ウチは上から二番目の階の角部屋だ。
「いらっしゃ~~い」
新婚さんのエピソードを面白可笑しくトークする例の長寿番組風にアタシは言って、恵美を迎え入れた。
「とりあえず、何か飲む?」
素足でペタペタと廊下を歩く。
一番奥のリビングに入って、とりあえずエアコンのスイッチを入れた。
高性能のエアコンは、直ぐにゴウッと冷たい風を吹き出した。
四LDKのマンションは、天井が高く部屋一つ一つが大きくて、贅沢な作りになっている。学生の一人暮らしには贅沢だけど、本来の持ち主である叔母が渡米しているので仕方がない。アタシ達がここに引っ越してきたのはアタシが高校を卒業してすぐ。アタシが大学入学とほぼ同時に渡米してしまった叔母は、結局このマンションには殆ど住まなかったことになる。外資系企業に勤める叔母には、以前からアメリカ行きの話はあったらしい。キャリア志向が強い彼女には、アメリカ行きは願ってもない話だったけど、アタシの大学進学まで待ってくれていたと後になって聞いた。逆に言えば、叔母は何年か待ってでも欲しい程優秀な人材というわけだ。
「叔母さん、この夏帰国すんの?」
「あ~、うん、そうらしいけど。去年もトンボ帰りだったから、あんまり無理しないように言ってある」
「外国の企業ってさ、長いバカンスとかあるんだと思ってた」
「ふふ、甘いよ、恵美君。アメリカの経済はね、自虐的なまでに勤勉な一部の人間によって支えられているんだよ」
勿論叔母も例外ではない。仕事こそが一番のストレス解消法だと豪語する叔母には、願ってもない環境だろうけど、壊滅的に家事に向かない叔母を一人暮らしさせるのは未だに物凄く心配だ。会社から紹介して貰ったハウスキーバーさんに来て貰っているというが、その人が耐えられるかどうかはなはだ疑問だ。叔母の優秀な頭脳には、片づけるという概念がそもそもないのだ。仕事は迅速に片づけられるくせに。何故だ??
「冷たいお茶でいい?」
「うん」
アタシ達は冷えたほうじ茶を啜って、ソファーに寝転がった。
隣に公園があるせいか、十四階にいても蝉の声がよく聞こえる。
水滴を纏ったグラスの中で、カランッと氷が鳴った。
「あのさ~、ケロタンが動いた云々ってのは、宰相側は最初は言わないつもりだったみたいなんだよね。一応、国王侍医の失言ってことになってるんだけど」
アタシはエンボス加工の天井を眺めて言った。
レゼル宮の「本物の」レリーフや絵画で飾られた天井とはほど遠い、チープな天井だ。
分譲だから、施工前に契約していれば、内装にもいろいろ手を加えられたらしいけど。
「宰相側の当初の言い分、『落ちてたのを廊下で拾った』ってのは、ちょっと聞くとなんだそりゃって感じの主張だけどさ。仮にも一国の政治の中枢にいる人間がよ、そんな子供みたいな主張が通るとは普通思わないよね」
「う~ん。宰相側がアリバイを証明できれば、その主張も通るんじゃないの? お姫様に聞けば、盗まれた時間はある程度限定できるだろうし。いや、アリバイを証明しても意味ないか。本当に悪いヤツは自分では手を下さないって言うし」
性格は悪そうだったけど、悪いヤツには見えなかった。とは思うけど、政治なんて綺麗事だけじゃあやってけない。
「連中が悪人かどうかは分かんないけど、高い地位持ってんだからさ、生半可な証拠じゃあ捕まえられないだろうね」
「ああ、確実に盗んだっていう証拠ね。今んところは、宰相のトコにそのカエルのぬいぐるみがあるってだけだもんね」
証拠なんかあるはずがない。
連中は盗みに入ってなんかないし、盗ませたわけじゃない。
アタシはそれを知ってるけれど、あの連中だって知っている。
けれど、それを証明するのは難しい。
「そもそもさ、宰相ってのが盗んだんなら、なんでそんな見つかるような場所に放置してたんだって話になるよね?」
恵美の言葉に、アタシはなるほどと思う。
何も知らない第三者から見れば、確かにその疑問は浮かぶ。
「まあ、盗んだんなら普通は隠すよね。けど、ケロタンの事は後宮に噂が回ってくる程、多くの侍女が目撃してる」
「アンタの話だと、宰相はさ、国王の側近で、国王との関係も良好。つまり今一番イケてる政治家ってことだよね。普通に考えて、そんな人間がさあ、危ない橋渡るかね? てかさ、お姫様のぬいぐるみ盗んでどうすんのよ? 子供の嫌がらせじゃないんだからさ」
「あ~、思わないね、普通。下手したら神殿との関係も悪くなるし。政権交代の危機だよ」
「となるとさ、宰相を陥れる陰謀じゃね? って話も出てくると思わん?」
アタシはあの異様に顔の整った鉄面皮を思い浮かべる。
アレを陥れるのは、そうとう骨が折れそうだし、失敗したら報復が怖そうだ。
「神殿との関係を悪くさせて、宰相を陥れようって? だとしたら、リズのとこに忍び込むのは最適だと思う。なんせ後見人が大神官だから、神殿に真っ向から喧嘩売ってるようなもんだもん」
けれど、実際にはそんな陰謀は存在しない。
少なくとも、この件に関しては。
でも、そういう動きはあるかもしれない。
「ああそうか」
その時アタシはピンと来た。
「政敵の陰謀だってことにして、政敵を片づけちゃおうって腹ってか?」
だったら、連中の行動が一見無防備なのは納得できる。ような気がする。
ケロタンが盗まれたとするんなら、時間帯はリズが寝入っている一晩中だ。その間のアリバイを証明することは難しいし、そもそもさっき言ったように証明しても意味がない。
不利な状況だけど、逆にそれを利用しようって考えだ。
「つまり連中は、ケロタンが動けば疑いが晴れ、ケロタンが動かなければ、政敵を片づけられる。あ、でも、王サマは動かなかったら何らかの処分するって言ったらしいけど、それはどうするんだろう」
「そんなん幾らでも何とでもなるじゃん。政敵にまんまとぬれぎぬ着せられたらさ、その女子軍だって、そうそう強くは出れないよ。せいぜい三日停学とかじゃね?」
いや、学校じゃないから。
「宰相的には、ぬいぐるみは動かない方がよかったかもね」
「てことはさ、娘子軍も神殿も、連中に利用されちゃったってこと?」
「だとしたら、アンタもね」
アタシのことはいい。
けれど、そんなつまんない政治的な駆け引きのために、リズが泣いたと思ったら、物凄く腹が立ってきた。
まだ確信はないけれど。そう思ったら、物凄くそんな気がしてきた。
どっちにしても、リズが泣いたのはヤツらのせいだ。
「そうだ。報復しよう」
アタシが決然とそう宣言すると、恵美は艶やかに笑って言った。
「カエルのぬいぐるみが動いた時点で、多少の意趣返しにはなったとは思うけど。それじゃあやっぱり足りないよね。目はえぐれ、歯は全部折れって言うしね」
それはひょっとして、「目には目を、歯には歯を」のアレンジだろうか?
それにしては、物騒過ぎるし、怖すぎる。
そして恵美は生き生きとしすぎている。
「うっしゃ。一寝入りした後、夕飯食べながら作戦練ろうぜ!」
キラリンッと美貌を輝かせて、恵美は言った。
その笑顔は、物凄く悪人臭かった。
ところがアタシとしたことが、昼寝で夢の世界に行ってしまった。
全く作戦練れてないのに。
一応携帯のアラームは設定してるけど。
向こうでどれだけ時間が経つのか分からない。
出来るだけ早く目覚めることを、望むのみだ。