第十話 カエルの恋は合戦です その4
あの男と初めて会ったのは、この世界に来始めて三ヶ月も経ったころだろうか。
勿論向こうは、アタシに「会った」ことなど知りもしなかったけど。
あの男は昼間は殆どリズに会いに来なかったくせに、時折リズが寝入った夜になってコッソリ顔を見に来ていたのだ。
その時アタシは三号で、リズに体が湾曲する程しっかりと抱きしめられていた。良く寝入るリズを覗き込んだあの男の顔は、妙に歪んで見えた。十二のアタシには分からなかったけど、アレは後悔だった。それから苦悩と、沢山の諦めと。
アディーリアの記憶の中の男との余りの違いに、アタシは驚いたものだ。
「イシュ・メリグリニーア。このような姿で御前に出ることをお許し願いたい」
一息ついてゆったりとした声音でヘイカが言う。
その姿には、一瞬垣間見た父親の面影などまるで無かった。
父親がどこか退廃的で爛れた雰囲気だったのに対して、息子の方は落ち着きと力強さが漲っている。それはアディーリアの記憶の中の男とも違っていて、顔立ち自体は驚く程似ているのに、まるで重ならない親子の不思議さをアタシは思った。
「ご機嫌麗しゅう存じます、カウゼル陛下」
メリグリニーアさんが胸の前で両手を組み、僅かに頭を垂れる。
神官独特の作法だ。
それにならって、アマリーアさんとイザベルさん、それからセルリアンナさんが胸に手を当てて上体をやや前傾させる。武官としての略式の礼だ。但し娘子軍の二人は左手を右胸に、セルリアンナさんは右手を左胸に。聖と俗では作法が左右逆になるのが通例なのだ。
「余り褒められたことではありませんが、時間が時間ですので、特別にお許しいたしましょう」
一国の主の前だというのに、メリグリニーアさんの流暢な口調には、緊張する様子が全くない。尤も、神官ってのは見習いだろうと神以外に跪かないって話らしいから、矜持もそれなりに高いんだろう。
「寛大なお言葉、痛み入ります」
意外な程腰の低い態度だけど、これはお約束ってヤツである。
国王といえど一信者にしか過ぎないということを、言葉や態度で示さないといけないのだ。一方で神殿側も国王としての地位に敬意を表する。
「国王ともあろうお方が、一介の神官などに気兼ねする必要などありません」
「いえ、まだ正式には即位しておらぬ身です。どうぞ以前のようにお呼びください」
「お父上亡き今、陛下がこの国における無二の国王であらせられられます。どうぞ我が敬意をお受け取りください」
「もったいなきことです。私こそ、一人の人間として、神々に仕える貴き方々に礼儀を尽くすのは当然のことなのです」
謙遜と敬意。
二人の会話は紛れもなくそれをお互いに差し出しているけれど、「譲り合い」は思いやりなんかじゃなくって、打算の産物ってヤツだ。
正直言って、素人目にも白々しいやりとりは聞いてて寒い。
生身のアタシなら間違いなく鳥肌ものだけど、ケロタンの毛穴一つ無いシルクの体は、ツルッツルのスベッスベだ。
……これくらい毛穴のない体が欲しいと、アタシは一瞬思った。
薄ら寒い会話を終えて、ヘイカがアタシを改めて見る。
「しかし、本当に動くとは…」
声の調子からは、感心してんだか呆れてんだか分からない。
好奇心はそこにはなく、寧ろ迷惑そうですらあった。
そりゃまあ、自分の城に得体の知れないモノが現れたら迷惑だろうけどさ。好奇心持とうよ、まだ若いんだからさ。
アタシは、父親そっくりだけどまるで違うヘイカの姿を全方向視界の隅に収めながら、ふと思い出す。
最後にあの男に会ったのは、男の臨終の時だった。
隠し通路を使って、会いに行ったのだ。
『もし契約期間中に、あの人が死ぬことがあれば』と、アディーリアがアタシに言付けていた言葉を伝えに。
ん?
そこでアタシはピンときた。
そうだ! あるじゃん!
麗華門を通らなくても、後宮から出る方法がっ!
あの地下水路に通じる隠し通路を使って。
行き先は、国王の住むサンデル宮だ。
即位式が終わるまでサンデル宮は主が不在で、忍び込みやすいし、サンデル宮から前宮へは、距離的に言えば直ぐ側だ。
ああ、でも。中宮と前宮の間には、近衛が警備する賢礼門がある。
う~~ん。
「………おい」
ひょっとしたら、サンデル宮と前宮とを結ぶ隠し通路があるかもしれないけど。
「おいっ」
サンデル宮には余り行ったことないから、そこまで探ったことがない。
「おいっ! 聞いてるのか!?」
さっきからずっと声を掛けられてたのは分かってたけど、アタシの容量の少ない脳は忙しい。
「聞こえているけど、聞く気はないっ」
アタシはキッパリ言い切った。
「きっ」
多分「貴様」と言いたかったんだろう。間違っても「きゃっ」ではないはずだ。
けれど、直情金髪の怒りは、低く静かな美声に遮られた。
「第一近衛隊隊長」
腰に来るような美声の主は、濃紺鉄面皮だ。
濃紺鉄面皮の顔に怒りはなく、どこまでも無表情なくせに威圧感は人一倍だ。下手すりゃヘイカよりも偉そうだ。
「陛下と神官長殿の御前だ」
宰相の静かな叱責に、直情金髪は見る見る間に落ち着きを取り戻す。
「すまん…」
直情金髪はそう言って、ヘイカの前に跪いた。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
それから向きを変えて。
「イシュ・メリグリニーアにもお詫び申し上げます」
「よい」
「受け入れます」
ヘイカは慣れた風に、メリグリニーアさんは鷹揚に、直情金髪の謝罪を受け入れた。
直情金髪はこちらを恨めしげに見ることもなく、ひたすら己の不徳を悔いているようだ。
多分、物凄く真面目なんだろうけど、真面目すぎて二号ごときの言動すら真っ直ぐ受け取っちゃうんだろうな、この人。
場が収まると、濃紺鉄面皮が今度はアタシを指し示して言った。
「陛下、コレなるはクリストファル・ウディノ・ケロタウロスと申すモノです」
凄いな、鉄面皮。一度聞いただけで二号の名前を覚えているなんて。伊達に鉄面皮じゃないらしい。きっと「寿限無寿限無」も一度聞いたら覚えるのに違いない。
「ああ」
と、ヘイカ。
「クリス、殿。畏れ多くも国王陛下であらせられる」
一瞬尊称を躊躇った辺りに、ヤツの心情が見て取れる。表情には一切でないけど、多分不本意極まりないんだろう。
「ふ~ん」
と、アタシ。
多分挨拶を要求されてるんだと思うけど、アタシは素知らぬふりをする。
「おい、立場を弁えろ」
直情金髪が、抑制の利いた声で言った。
先程注意を受けたにも拘わらず、どうやっても二号のことが気になるらしい。
小姑並みのしつこさだ。
なんて思いながら、
「立場って?」
と態ととぼけた口調で返す。
「国王陛下の御前だ」
ぬいぐるみの立場も何もあるわけねえだろう。そう言いたいのは山々だけど、それは二号のキャラじゃない。
「ねえ、君達に聞くけどね。女王蜂に敬意を表して跪くかい?」
「いきなり何です?」
と、黒髪腹黒。
「え~~、蜂にぃ?」
と、銀髪メガネ。
「はっ、まさか」
と、茶髪フェロモン。
「貴様! まさか陛下を虫ケラごときと一緒にしているのではあるまいな!?」
と、直情金髪。
濃紺鉄面皮は眉間に皺を寄せ、ヘイカはこちらの意図を探るようにただ見詰めてる。
「跪かない?」
「「「「「跪くか!」」」」」
期待通りの答えに、アタシはフッと笑って言った。
「僕はね、跪くよ」
「「「「「は!?」」」」」
完全に虚を突かれた連中の顔が面白い。
そこへ畳みかけるように、高らかに宣言する。
「だって、女王だよ! 女性だもの!!」
「「「「「……………」」」」」
絶句して言葉が継げない男達に代わって、そろそろとイザベルさんが言った。
「………つまり、陛下が女性ではないから礼をしないと?」
「ああ、美しい人。それ以外に何の理由がある?」
「ええと、他の理由が山盛りあっておかしくないと思いますが」
「いいや、美しい人。そんなものは一つもないよ」
そしてまた沈黙。
もはや彼らの二号を見る眼差しは、不気味さすら越えて理解不能の領域だ。
はあっと、大きなため息の後ヘイカは言った。
「分かった。女性ではない私に君の礼を受ける資格はない」
何かを諦めたようなヘイカの口ぶりは、寧ろ受けたくもないと言っているようだ。
言外の非難にめげず、アタシは言った。
「そうだね。無視しないだけでもありがたいと思って貰えるかい?」
「………そうかもしれん」
二号は呪文を唱えた。
ヘイカは心痛を受けた。
二号は六Gをゲットした。
ヘイカはアキラメを覚えた。
なんてね。
アタシが内心でほくそ笑んだ時。
ピピピピピ…。
不意に、頭の奥で聞き慣れた電子音が響く。
ピピピピピ…。
こちらはまだ夜だけど、現実ではもう朝らしい。
アタシは休みの日でも目覚ましを掛けることにしている。
一度こちらが夜だと思ってブラブラしてたら、とんでもなく寝坊をしたことがあったから。前の日十時に寝たのに、起きたらなんと夕方だった。
夢の世界と現実世界の時間の相関関係が不明な以上、下手をしたら何日も眠ってるなんてことになりかねないと、その時ゾッとしたのだ。
次第に視界が霞んでいく。
「おや、申し訳ない。時間切れのようだ。ふふ。三人の恋人達が鉢合わせたところでいきなりこっちに降ろされてね。戻ると修羅場かと思うと、ちょっと憂鬱だよ」
適当な事を言っていると、グラリと視界が揺れた。
ひょっとして、ミッションコンプリート?
だってアタシは、彼らに殆ど情報を提供していない。
報復とはいかないけれど、腹いせくらいにはなった。
「それは自業自得って、おい!」
「ちょっと待て!」
「このヤロウッ! 散々焦らしやがって!」
遠のく意識の中で、容赦ない罵声を聞いた。
う~ん、小心者のアタシとしては、次が怖い。
ちょっとくらいヒントでも置いていくか。
「ふふん。麗華門をくぐらずに後宮を抜ける方法なら、そこのヘイカとやらがよく知ってるじゃないか」
思わせぶりな台詞を連中のがどう捉えたかは、次回のお楽しみだ。
やっと一夜が明けました。長い夜でした…。