第九七話 カエルの引きこもりは辛抱強いです
目を開けると、夕焼け空が広がっていた。
オレンジ色に染まる空と、黄金色にたなびく雲。
それは特に珍しくもない光景だった。
けれど、夢の世界の話となれば別である。
アタシは、咄嗟に周囲に誰もいないコトを確認すると、ダダダダダッと窓辺に駆け寄った。
ガラスに張り付いて、徐々に紺色に染まっていく空を見つめる。
残念ながら、西向きではない部屋からは夕日は見えなかった。
けれども、十分感動的だった。
いや、衝撃的だったと言った方がいいだろう。
おおおおおおおおおおっ。
初めて見た!
夜空以外の空を!
夢の世界の夕焼けは、現実世界と同じに、どこか郷愁をそそる。
そういやあ、ここ何年も、夕焼けなんてジックリと眺めるコトもなかったな。
オレンジ色の空が、東の方からゆっくりと紫紺色に染まっていく。
その様子を眺めながら、アタシは考えた。
チビアディーは言った。
ド変態と契約すれば、昼間も動けるようになるのだと。
確かに太陽は拝めた。
いや、拝めなかった。
拝めたのは太陽光だけだ。
コレを、どう解釈すれば良いんだろう?
何て言うか、微妙としか言いようがない。
こんな微妙な時間帯にこっち来れたとしても、殊更何か変わるとは思えない。
ま、所詮はド変態との契約だ。効果なんて、期待する方が間違いだろう。
それでも、ド変態との契約は遂行しなくちゃいけない。
そのために、アタシがするべきコトは、信頼できる人間を見つけること。
いや違うか。
何があってもリズの味方でいてくれる人間を見つけること、だ。
手近な候補としては、やっぱりレゼル宮の人間だけど、彼女達もまた神教側の人間だ。
神教とリズとの間に立たされた時、リズを優先するとは限らない。
彼女達にだって家族はいる。
その家族を盾に脅されたり、家族に説得されたりなんかしたら、やっぱり向こう側に立つだろう。
神教のことだ、そんなエゲつないコトも、平気でやるに違いない。
それでも、リズを選んでくれる人間がいるかもしれない。
と、アタシはセルリアンナさんの顔を思い浮かべる。
ジェイディディアの中に入っていたせいか、どうもセルリアンナさんには、情のようなモノを感じてしまう。
彼女は一体どこまで知っているのだろう。
全てを知っているとしたら、或いは、と。
気がつくと、とっぷりと日は暮れて、空には一番星が瞬いていた。
部屋の中も真っ暗で、窓ガラスには、緑のカエルの姿が映っている。
その頭には、おめでたいくらいにデカい花。
ふむ、四号か。
と本日のケロタンを確認した途端。
おおおおおおおっ、あっぶなかった!
と、心の中で叫んだ。
淑女な四号が、窓に駆け寄って、窓ガラスに張り付くとか、キャラ的にあり得ないっ。
マジで、誰もいなくて良かった!!
てか、咄嗟に確認した自分に乾杯だっ!
どんな時でもキャラになりきる自信があったのに、どうやらアタシは、思っていた以上に衝撃を受けてたらしい。
ふ~~は~~ふ~~は~~~、と心の中で深呼吸する。
いやだって、ケロタン、息してないから。
深呼吸も心の中でしかできないのだ。
心身共に落ち着いた頃、アタシは壁に掛けられた時計を見た。
針が示すのは、午後五時過ぎ。
夢の世界では一日が十八時間なので、現実世界で言えば、ええと、午後七時ってトコロだろう。
丁度夕食時である。
なるほど、だから寝室に誰もいないのか。
てことは、今頃リズは食堂か?
ふむ。
何時も寂しく一人で食事しているリズを、サプライズで訪ねるのもいいかもしれない。
勿論、リズの周りには侍女さんやら侍従武官やらが控えているけど、彼女達が一緒に食事を摂ることはない。
まあ、ケロタンも食事はしないので、同じ様なモンかもしれないけれど、話し相手くらいにはなるだろう。
ケロタンが本物のカエルなら、食事に付き合うことはできただろう。
けれど、本物のカエルだったら、とは勿論思わない。
本物のカエルだったら、そりゃただの両生類である。心優しいリズなら、ペットとして買ってくれるかも知れないけれど、食事してるリズの隣で、ムシやらクモやらを喰うのは忍びない。ていうか、イヤだ。世界には、ムシやクモを普通に食べる食文化もあるけれど、残念ながらアタシにその手の趣向はない。
そんなコトをするくらいなら、何も食べずにいる方がいい。
因みに、カエルの中には一年くらいなら何も食べなくても平気なヤツがいる。
基本的に地中にいて、繁殖と食事の時くらいしか出てこないんだとか。
殆ど一年中地下に引きこもってるカエルは他にもいるけれど、一年何も食べないって、どんだけ辛抱強いんだって話だよ。
その辛抱強さがあれば、世間に出て立派にやっていけるだろうに。
なんてツラツラとどうでもいいことを考えていたら、カチャリと扉が開いた。
明かりが部屋に差し込んで、どうやら侍女さんが明かりを点けに来たらしいと知れる。
夢の世界の照明は、基本的には蝋燭だ。
但し裕福な家では、ガスのランプが使われる。
尤も、ガスったって、パイプラインが整備されてるわけじゃなく、基本カセットコンロ状態だ。
詳しい構造は分かんないんだけど、燃料の元になる液体と固体がそれぞれカートリッジ式になっていて、バルブを調整して明るさを変えられるようになっている。
ランプ本体は色んなトコが作ってるらしいんだけど、カセット燃料は神殿の専売らしい。
そのためだろう、離宮の明かりは全てカセットコンロ、じゃなくてカセットランプを使っている。
蝋燭よりもずっと光量の大きなランプは、本来は明るいハズなんだけど、侍女さんの持ってるランプは精々手元が見える程度だ。
省エネか??
人間の目には見えづらいだろうに。
とはいえ、勿論ケロタンには関係ない。
なので、ボンヤリと侍女さんの動きを眺めていると。
何故か侍女さんは、タンスの引き出しを開けてゴソゴソご中を探り始めた。
「……………」
侍女さんが、タンスの中を探るのは、別におかしいコトじゃない。
そもそも、リズは滅多に自分でタンスを開けたりはしないワケだし。
でも誰もいない部屋でゴソゴソと探るのは、どう考えてもおかしい。
よくよく見ると、服装こそレゼル宮付きの侍女さんの制服だけど、顔に見覚えがない、ような気がする。
全員の顔を知ってるワケじゃないので、断言はできないけれど。
それでもアタシの中で彼女に対する不信感は、確実にふくれあがる。
疑わしきは罰せず、なんて言うけれど、そんな悠長なコト言ってる場合じゃない。
だからアタシは、そっと侍女さんの背後に忍び寄り。
「あなた、一体そこで、何をしているのかしら?」
「ひっ!!」
ガシャンッ!
驚いた偽侍女(仮)さんが、ランプを落とす。
うおおいっ!
火事になったらどうすんだっ!
アタシは慌てて、ランプの火を吹き消そうとしたけれど。
ああっ! ケロタン、息してないから、吹き消せないっ!
あわわ、どうしようっ!
イヤ待てっ!
燃料がなければいいんだっ!
アタシは素早くランプからカセット燃料を取り出した。
ガシャガシャン!
火は直ぐに消え、アタシはふうと息を吐く。
いや、吐いてないけど。まあ、気持ち的にってコトで。
カセット燃料自体は不燃性なので、放置してても問題ない。
誰が考えたか知らないけれど、ホント良くできてるよ、カセットランプ。
なんて心の中で賞賛しながら、偽侍女(仮)さんに声を掛ける。
「それで、もう一度だけ訊くわ。あなた、一体何をしていたの?」
「ひぃいいいいっ!」
偽侍女(仮)さんは、尻餅をついたまま後じさる。
ふるふると小刻みに震えている姿は、まるで怯えているかのようだ。
「………」
失礼な。
そんな化け物でも見たみたいな目で見なくても。
いやまあ動くぬいぐるみなんて、確かに化け物じみてるけどさ。
ていうか、ケロタン相手に怯えるような繊細な人間、ここにいたんだ…。
言っちゃあなんだけど、レゼル宮の侍女さん達は、逞しいていうか、図太いっていうか、要するに結構キモが座ってる。
地震の前に四号が演説ぶちかました時だって、みんな驚いてはいたけれど怯えたりはしてなかった。
となると、マジでスパイとか??
後宮じゃあ鉄壁の守りを誇る娘子軍が構えてるから入れないけど、その娘子軍も今はいない。
後宮だと出入りの業者も厳選されてるけど、離宮じゃあそうはいかないだろう。
それでも多分、神教御用達とかそういう業者なんだろうけど。
神教も一枚岩じゃない。
大神官の後継争いもあるだろうし。
リズの寝室で一体何を見つけようとしてるのかは不明だけれど…。
ガッシリ。
アタシは偽侍女(仮)さんの手首を掴んだ。
「ひっ!」
掴んだ腕は、ガタガタとおかしなくらい震えてる。
年の頃は、二十歳ちょっとってトコロだろうか。
亜麻色の髪と、新緑を思わせる緑の瞳。
顔立ちは甘く、ぽってとした唇が色っぽい。
ついでに言えば、胸はアタシより確実にデカい。
言っておくけど、別に羨ましいワケじゃない。何せ、今のアタシは布製品。胸のデカさは関係ない。
だから、彼女の耳に囁く声が低いのは、八つ当たりでもなんでもない。
「お前、死んでも酷い目に遭うのと、死ぬより酷い目に遭うのと、どちらがいい?」
「ひいいいいいいっ!!」
偽侍女(仮)さんは白目を剥いたかと思うと、ガックリと首を仰け反らせ。
ゴンッ!
後頭部を強か床に打ち付けた。
うわあ、痛そうっ。
てか、早々に気絶するって、どうよ?
スパイなんだから、もっと根性出せよ。
なんて思いつつ、偽侍女(仮)さんの顔に手を翳して息しているかどうか確かめようとした瞬間。
バタンッ!!
荒々しくドアが開かれ、強烈な明かりが向けられる。
「そこまでだ!!」
「神妙になさいっ!」
そう叫びながら慌ただしく入ってきたのは、セルリアンナさんを始めとする侍従武官の人達で。
「なっ??」
「ケロタウロス様!?」
戸惑う彼女達の顔を見た瞬間、アタシは分かった。
一体何時から潜り込んでいたのかは不明だけれど、偽侍女(仮)さんは、泳がされていたのだと。
つまり、彼女達は、そうと知っていて危険な人間をリズに近づけたのだと。
そう考えた途端、アタシの中でスウッと急激に何かが引いていくのが分かった。
「お前達、リズナターシュを危険に晒したわね」
それは、自分でも驚く程低い声だった。
急展開?
遅くなって、申し訳ありませんでしたm(_ _)m。