挿話 夜霧よ、今夜もありがとう
「出せっ! 出しやがれっ! テメェら一体何考えてやがんだっ!?」
「いい加減にしろっ! 我々が朝までに戻らなければ、大事になるぞっ!」
「いまなら戯れで済ませてあげますよっ。速やかにここから出しなさいっ」
「きゃ~~! たぁすけて~~!! お~かされ~るぅ~~~~~っ!!」
バキッ! ガコッ! ドガッ!!
シンと静まりかえった室内に、苦々しい空気が立ち込める。
それを振り払うかのように、第一近衛隊副隊長ディンゼア=セアフェル・ハジェク・ド・フィアマス・アウラ・ロトゥルマはキッチリと掛けられた制服のボタンを無造作に外しながら呟いた。
「一体何を考えやがんだ? 侍女風情が王佐と近衛を監禁するなんざ、前代未聞だぜ? こっちには聖者までいるってのによ」
昨日の御前会議において、急遽被害の激しい王都周辺から避難した王族達に見舞いの使者を出すことが決定された。
第一正妃の元へは宰相と近衛隊総隊長及び副総隊長が、第三王女の元へは自分達が、そして第二正妃と第三正妃の元へは可もなく不可もない者を使者として立てることとなった。
先王からの引き継ぎ組である総隊長と副総隊長を向かわせることで第一正妃の顔を立てつつ、次いで第三王女に重きを置くことで第二正妃と第三正妃に自分達の立場を知らしめる。
被害状況すら全て把握しきれていない現段階では時期尚早との意見もあったが、混乱に乗じて第二正妃と第三正妃の勢力が動き出すのを牽制するためだと言えば、そんな反対意見もなりを潜めた。
かくして周到に用意された案件は決議されたわけだが、本当の理由――青いカエルに己の身柄を第三王女の元へ返すようにと言われ、従わざるを得ない状況に陥った――を、あの場では気絶していたくせに、天才的頭脳で殆ど正解に至ってしまった国王侍医の茶々が入った。しつこく強請られ、あげく同行を承諾したのは、もし強行に突っぱねれば、あの無駄に天才的な頭脳で更に推論を重ね、藪蛇になりかねなかったからだ。
同じ聖者ということで王女が幾ばくかでも打ち解けてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きつつ、一行は第三王女の仮の住まいであるカディナ離宮へと出発しのが、今日の昼過ぎ。
カディナ離宮へは、朝出発すれば夕刻には着く。
それを昼過ぎに出たのは、夜のみ動くという珍妙な布製カエルとの邂逅を期待してのことだった。
カエル共の真意はいずこにあるのか? それを是非とも確かめたかったのだ。
そして彼らは目論見通り、布製カエルに会うことができたのだが。
彼らが今まで出くわした青でも緑でもなく、そのカエルの色は赤。
謁見が始まるやいなや、その赤いカエルは目を覚まし、その場にそぐわない陽気な態度で第三王女と意味不明の会話を繰り広げたあげく、今度は病的なまでの賑やかさで意味不明の謎かけを仕掛けてきた。
それに応じたのは、天才的頭脳を誇る国王侍医。
だが、その天才的な頭脳を持ってしても、赤いカエルの謎かけに正解することはできなかった。
というか、アレに正解したら、逆に怖い。
という心の声を押さえ込みつつ、
「ったく、役に立たない聖者様だぜ」
ディンゼアは、爪先ですっかり伸びてしまった国王侍医シャルルート=ネルゼス・アウラ・ネネーシディ・ハジェク・ネラスラスの脇腹を小突いた。
とはいえ、ディンゼアはそれ程現状を悲観していなかった。
幾らなんでも朝になれば自分達を解放せざるをえないのは必定。
この扱いは気に入らないが、もとより神殿関係者ばかりが閉めるこの離宮で、自由に行動できるとは思っていなかったからだ。
その事は他の二人も重々承知しているはず。
先程の取り乱したような罵声は、あくまでも彼女達に向けた演技なのだ。
そんな風に思いを巡らせながら、己の上官であり親友でもある男に目を向ければ。
「………陰謀だっ。策略だっ。やはり、青いカエルの罠だったのだ!!」
ワナワナと震えながら、ブツブツと同じ言葉を繰り返していた。
「………(オーランド、お前……)」
ディンゼアは、心の中でだけ強敵の名前を呼んだ。
例の青カエルとは相性が最悪だからな。
ディンゼアは、そう己を納得させる。
実直な男と軽薄なカエルは、恐らくこの先決してわかり合うことはないだろう。
そんな事を心の中で呟きつつ、恐らくこの場で最も冷静であろう王佐に視線を向ける。
「あの赤いカエルッ。どうしてくれましょうっ」
「………(ナジャ、お前もか……)」
いつもの冷静さは何処へやら、ドス黒い何かがダダ漏れである。
王佐はよく目には見えない黒いモノを背負う事があるが、それらは全て意識してのことだ。それは、異教徒でありながら将来的に国王側近の座を約束された少年が、自衛のために身につけた技である。あくまでも冷静に、相手への心理的効果を十二分に分かった上で、出したり引っ込めたりしているのだ。
なのに、今ナジャから滲み出している黒いモノは…。
「何か、何時もと違う?」
「そうっ。よく分かったね! ジャイアンッ」
自分の呟きに答えが返ってくるとは思ってもいなかったディンゼアは、瞬間ビクリと身体を揺らす。
しかし振り返っても、声の主と思しき人物はおらず。
「ボケボケだねっ! ジャイアン! 灯台もと暗しとは、正しくこの事ダヨっ」
足下から聞こえてきた呼び声に、初めてそう呼ばれた日のことをまざまざと思い出し、同時に緑のカエルの淑女然とした姿が脳裏に浮んだ。
「クソッ」
甚だしくイラついたディンゼアは、反射的に爪先でグリグリと踏みにじる。
「ぐえっ」
カエルが踏みつぶされたような声に、僅かに溜飲が下がるものの。
「酷いよっ! ジャイアン!」
続く言葉に、苛立ちは更に募った。
「天然ボケ言うなっ! 寧ろジャイアンはお前だろうっ」
彼らは知らなかった。
異なる世界では、ジャイアンとは暴君の代名詞であることを。
にも関わらず、彼らの会話はある意味正しかった。
傍若無人という意味において、国王侍医シャルルートもまた暴君に他ならならないからだ。
「てえいっ!」
シャルルートは己を踏みにじる足を払いのけると、勢いよく立ち上がる。
「僕のボケは天然じゃないっ。何故なら、全て計算だからだっ」
「余計質が悪いじゃねえかっ」
ディンゼアの渾身のツッコミも、だがしかしシャルルートはあっけない程スルーした。
「いいかい? ナジャの黒いモノは、いつもなら背中から触手の如く生えている」
シャルルートの言葉に、ディンゼアの眼裏にいつぞやの夢で見た光景が蘇る。
それは、王佐の背中から生えた黒い触手に、振り回される自分達。
その光景を見たはずもないシャルルートの的確な言葉に、天才とはこいう事をいうのかと、一瞬ディンゼアは感心しかけたが、
「今はホラッ! 衣の裾から漏れ出してるって感じだろう? 制御ができてないのさっ! その有様は、例えるなら山神の寝ゲロの如し!」
その雄叫びのような台詞に、直ぐさまその事を撤回した。
山神の寝ゲロとは、噴火の事である。
ディンゼアは、噴火というものを実際に見たことはなかったが、絵画などで見知っていた。
山頂から吹き出した溶岩が瞬く間に裾野へ流れ落ち、麓の街や村を飲み込んでいく。
その猛威は恐怖そのもの。
今ナジャから感じるソレは、確かに恐怖を覚える程禍々しかったが。
何故敢えて、ゲロに例える!?
確かに、山神もまた寝ゲロを制御できないだろうが。
単に寝ゲロと言いたいばかりに、シャルルートは言葉を選んでいるとしか思えない。
ここで王佐が正気であれば、懐から部屋履きを取り出し、シャルルートに容赦ない制裁を下すところだろう。
しかし当の王佐はといえば、
「おのれ赤いカエル。今度会ったら、必ずや…っ」
不自然な程赤いカエルに敵愾心を燃やしていた。
「おい。シャルルート」
「何だい?」
「ナジャと赤いカエルは、会話らしい会話はしなかったハズだよな」
「う~ん。ていうか、赤いカエルとまともに会話ができたのは、王女殿下だけだったよネ」
シャルルートの言葉に、第三王女と赤いカエルの会話を思い出す。
――大大大大好き――!
ただそれだけを互いに言い合っていただけの会話を、「まともな会話」と呼ぶべきなのか?
身体の弱い、深窓の姫君。
佳人薄命の言葉通りに、若くして儚くなった第四正妃に生き写し。
確認した者は皆無にも関わらず、そんな噂が飛び交う第三王女。
誰ともなく儚げな美少女を思い浮かべていただけに、あの奇妙な高揚を伴った会話は意外どころではなく、あれは本当に第三王女だったのか? そんな疑問すら喚起させる程だった。
しかし、天才的頭脳の持ち主である国王侍医の考えは違うらしい。
「君らが思っている以上に、あの赤いカエルの性質は特異なんだよ。それを受け止められるだけの度量が、王女殿下にはあるということさ」
珍しく真剣な表情でそう言ったシャルルートに、
「そうじゃないでしょう」
王佐が固い声で反論する。
「第三王女殿下は、良くも悪くも深窓の姫君。しかも僅か十二歳であらせられる。無邪気な殿下は、アレがまともではないとすら存じ上げないのだろう。万が一にも王女殿下を王太子として立てることになれば、他のカエルはいざ知らず、あの赤いカエルだけは必ず排除しなければなりません」
ナジャがそう言い終わるやいなや、ブオッと黒い霧が衣の裾から吹き出した。
その禍々しさに一瞬怖じ気づきながら、それでもディンゼアは勇気を振り絞って言う。
「まともじゃねえとは思うが、排除する程でもないだろう」
「いいえ、必ず排除しなければなりません」
「シャルルートだって、似たようなもんじゃねえか」
「全然違いますっ!」
「ぜんっぜん違うよ~!」
二人は声を揃えてそう言うが、ディンゼアには赤いカエルとシャルルートとの違いが全く分からない。
「おい、オール。お前、違いがわ…」
思わず上官兼親友に意見を求めたディンゼアだったが、
「次に青いカエルに会ったら、あの忌々しい口を封じるために、まず舌を引っこ抜こう。……ヤツに舌はあったか? いや、無くても引っこ抜こう。うむ、そうしよう」
そんな事をブツブツと言っているオーランドに、今はそっとしておこうと心に決める。
「シャルルートも、赤いカエルも、空気読めないとこなんざ、そっくりだと思うがな」
親友の援護を頼めなくなったディンゼアは、ややヤサグレながらそう言った。
「そうじゃありません。シャルルートは、空気が読めないわけではないのです。空気を読んで、尚且つその場にそぐわない行動をしているのです」
質悪ぃな。
ディンゼアは心の中でだけ呟いた。
何故ならば、話の腰を折ると、あの黒い霧が触手となって襲ってきそうだと思ったからだ。
「それに対してあの赤いカエルは、空気を読めないのではなく、空気があることすら知らない、そういった類の生き物です。そこが、赤いカエルとシャルルートとの、決定的な違いなのです」
そう王佐に力説されたディンゼアが、考えたことはといえば。
アレって、生き物なのか?
微妙にズレていた。
「ナジャの言う事は正しいかもしれねえが、それが排除する理由にはなるとは思えねえな。排除するというのなら、寧ろ緑のカエルの方だろう」
「いいえ。赤いカエルです。重要な会議中に、空気を読まない国王など、誰が欲しいものですかっ」
「別に国王に据えるわけじゃねえんだし」
「万が一のことを考えて、行動するべきだと言っているのです。いいですか? 空気を読まないカエルが一匹でもいれば、キャラバンが全滅しかねないんですよ!」
空気を読まないカエルが百匹いたところでキャラバンは全滅しないだろうが、興奮しているナジャは、その事には気がつかないらしい。
それはナジャだけでなく、その場にいる誰もその事に気づくことはなかった。
「だったら、緑のカエルも排除しろよっ。上品ぶった緑のカエルが一匹いれば、キャラバンの空気が悪くなるだろうがっ」
「そうかもしれませんが、赤いカエル程の危険性はありません」
「どう考えても、緑のカエルの方が危険だろうっ。悪い空気は、内部分裂の元だっ」
徐々に熱を帯び始めた二人の会話に、更に別の声が加わった。
「いいや! 青いカエルだ!」
「オール!? 正気に戻ったかっ!」
「ディン、何を言っている? 俺は元から正気だ」
「い、いや、それならいいんだが」
ディンゼアは、オーランドに一人称が「俺」に戻っているぞとは敢えて言わず、
「オール。お前、赤いカエルと緑のカエル、どっちが危険だと思う?」
「赤いカエルも緑のカエルも問題じゃない。俺は断固として、青いカエルを排除するべきだと思う。あの様な破廉恥な生き物は、王女殿下の情操教育にもよろしくない」
「それを言うなら、緑のカエルだってそうだろう。上品ぶって腹の中じゃあ何考えてんのか分かんねえヤツなんかが側にいてみろ。確実に、根性ねじ曲がるぞっ」
「ミリュリアナ殿は、お前の母親じゃない」
「それを言うなら、青いカエルだってテメエの父親じゃねえっ」
「ハイハ~イ! 僕は赤いカエルじゃないで~~すっ!」
「万が一あなたが赤いカエルになったなら、即刻極刑ですよっ」
人はカエルにはならないし、カエルを極刑にしても精神を疑われるだけの話だ。
連日の激務で思考が鈍っているのか、はたまた思いがけない監禁で神経が高ぶっているのか、彼らはそんな事すら分からなくなっているらしい。
「緑のカエルだ!」
「いいや! 青だ!」
「赤いカエルです!」
「もういっそ、白とか黒もアリだと思う~」
そんな彼らの会話を、密かに聞いている者達がいた。
「ディンゼア卿は、ミリュリアナ様が苦手っと」
「オーランド卿は、クリストファル様が苦手みたいね」
「ナジャ卿は、アンドリュー様ねえ」
「ものの見事に、好み、じゃなくて苦手な相手が違うわねえ」
彼女達は、フィオリナ王女付きの侍女である。
カディナ離宮には至る所に様々な仕掛けがあり、王佐達を監禁した部屋には、離れた部屋で会話が聞けるようにパイプが通されている。
彼女達はそれを通じて、王佐達の会話の一部始終を書き留めているのであった。
「セラーディス・ネルゼスは、今のところ苦手なケロタウロス様はいないみたいだけど」
「セラーディス・ネルゼスはいいわ。あの方は、特殊だから。それよりも問題は、この場にいないクラリス卿よね」
「あの美貌の鉄仮面が崩れる日が来るのかしら?」
「やだ~。それって、ちょっと楽しみっ」
盗聴という些か後ろめたい行為をしているにも関わらず、彼女達はお茶請けにクッキーをつまみながら、まるで恋バナでもしているかのように弾んだ声で語り合う。
「あら、そろそろコンスタンスさんの特製睡眠薬入りスープができあがる頃じゃない?」
「彼ら、飲むかしら?」
「礼儀として、一口は飲むわ」
「一口飲めば十分」
「五口以上飲むと昏睡状態になるから、一口でいいのよね~」
「大丈夫、三口も飲まないウチに、寝ちゃうからっ」
まだ年若い彼女達がキャラキャラと笑えば、部屋中がパッと華やいだ。
例え、その会話の内容が犯罪スレスレ、というか完全に犯罪だったとしても。
「さ、朝までにまとめて、聖下に報告しなくっちゃね」
「聖下、ケロタウロス様が邪険にされるのを酷くお厭いになるから」
「きっと、聖下の『未来日記・報復編』に、きっちり書き込まれるわねっ」
自分達の会話に夢中な余り、いつの間にかパイプの向こうから一切声が聞こえなくなったことに気がつかないまま、彼女達の夜は更けていくのであった。
前から書こうと思っていた挿話を、ここで入れてみました。
副題に、特に意味はないです。
そしてここでまさかのリズ腹黒疑惑が…(-_-;)。
リズは無邪気ですが、夢見る少女じゃいられない、のですよ。
6000字超えで物凄く長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m。