第九一話 カエルは胃袋を口から出して洗います その2
アヌハーン神教は、タブーの少ない宗教だ。
食の制限はないし、聖職者だって結婚できる。
愛人との間に子供作っても、同性愛者だとしても、ペナルティはない。
タブーとされているのは、殺人、強姦、暴虐、偸盗。
それは、タブーって言うより犯罪だ。
そんなのは、法律が裁くので神教の出る幕はない。
アヌハーン神教という宗教は、タブーによって聖俗を差別化する宗教じゃなく、事細かな行動様式によってそれをする。
晴れて神官になった暁には、食事の仕方、歩き方、服の着方、風呂の入り方、それこそ気が狂いそうな程の形式尽くしの日々が始まる。
その細かさを皮肉って、寝返りの打ち方で神官かどうかが分かる、なんてジョークがある程だ。
それはさておき。
そんなアヌハーン神教の数少ないタブーの最重要事項となるのが、自殺である。
といっても、自分を粗末にするなとか、神サマから与えられた命云々、なんて教訓めいた理由じゃない。
自殺者がある一定数に達すると虚無神が目覚める、とされているからだ。
何でも夢の双性神の創造物である人間が自殺すると、夢の双性神の力が弱まるんだとか。
夢の双性神の力が弱まれば、虚無神が目を覚ます。
そして人間が存在できるのは、虚無神が眠っている間だけ。
なんでそうなるんだとかは、アタシに訊かないで欲しい。アタシには宗教的教義なんてものはサッパリなのだ。
分かるのは、自殺者の数が人類滅亡へのカウントダウンになっているってコトだけだ。
なんか、自殺のタブーって、殆ど脅しに近いような気がする。
それがどれほどの抑止力になってるのかは不明だけれど、夢の世界での自殺者数は年間数人程度らしい。年間三万人前後が自殺者する日本とは、雲泥の差だ。だけどアタシが思うに、自殺だと神官が葬式でお祈りしてくれないから、隠してるんじゃないかと思うんだよね。
そんな神教最大のタブーを、元クリシア国王ヴィセリウス大神官が、何時から自分の死に方として考えていたのかは分からない。ヴィセリウス神官とすり替わった時からなのか、或いはごく最近なのか、ド変態は知ってるかも知れないけれど、ド変態の知識は教えてくれない。
記憶がないってコトは、多分そういうコトなんだろう。記憶は多重多層に積み重なっていくけれど、知識ってのはひたすら上書きされていくだけなんだと思う。
その知識がアタシに教えてくれるのは、ヴィセリウス大神官が、ド変態の死後一年以内に自殺するつもりだったというコトだ。
大神官の自殺というスキャンダルで神官の権威を貶めるため、という理由はアタシでも直ぐに考えつくけれど、ド変態はそれだけではないと考えていたらしい。けれどそれが明確な思惟となる前に、ド変態は死んでしまった。
ひょっとしたら告げられたのは、病床でなのかもしれない。
大神官とド変態は、謂わば共犯関係だ。
死に行く共犯者に、大神官なりの手向けだったのか。
全ては推測の域を出ない。
ぐるぐると回る思考に没頭し過ぎて、アタシは今の状況をすっかり忘れてしまっていた。
「あの、黒のケロタウロス様?」
慣れない呼び名を一瞬無視しそうになったけど、間一髪で我に返る。
途端に気づく、セルリアンナさん達の注視。
「……………どうかしたか?」
「あの、ですから、赤のケロタウロス様は…」
「……………」
エセルヴィーナさんの遠慮がちな言葉に、アタシは頭が痛くなった。
そうだった。
取りあえず、元クリシア国王の自殺の動機は置いといて。
今は一号の撒いた種を刈り取るコトが先決だ。
――ヴィセリウスを殺したのは、何故だ?
あの時はさ、本当に思ってたんだよ。
こりゃ間違いなく殺人事件だって。
恵美も言ったし。夢だったけど。
これがさ、一号ならさ、「いやはっはっは、思いつきで言ってちょっと見ただけだ!」とかなんとか言っちゃったりなんかしちゃったら、セルリアンナさん達が勘弁してくれる、ワケもないか。
だからって二号ならもっとややこしいコトになりそうだし、三号なら…。
いや、止そう。他のケロタン達の場合を考えたところで、何の解決にもなりはしない。
くそうっ。こんなコトなら、リズのトコロに直行だなんて考えずに、一旦現実の方に戻るべきだった。そんでジックリ対策練ってから、こっちに来るべきだった。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
沈黙が痛い。
そして成り行きを固唾を呑んで見守ってるマールさんの、五号を掴む指がガッツリと食い込んでくすぐったい。
よしっ!
決めた!
「リズのトコロへ戻るか」
スルーの方向で!!
「黒のケロタウロス様!?」
「何故お答えになってくださらないのですか!?」
やっぱりっ。ダメか!
だけど、ココで引き下がる五号じゃない!
「我が答えることに、意味はあるのか?」
「え?」
「そなた達人の子は、常に意味を欲しておる」
突然何を、とでも言いたげなセルリアンナさん達に、アタシは遠い眼差しで諭すように言った。
「意味とは、人の心に巣くう虚妄よ。そもそも世界は意味など必要としていない」
これぞ秘技! ネガティブ隠者の咆吼!
言い終えた瞬間、呆気にとられているマールさんの指をすり抜けた。
ふはははは。
三十六計逃げるに如かず!
昔の人は良いこと言った!!
アタシは心の中で哄笑を上げながら、扉に向かって駈けだした。
いや、駆け出そうとして立ち止まった。
はっ! いかんっ! これじゃあまるで一号じゃないかっ!
てか一号の時と同じコトをしようとしてる!?
つまり、単なる問題先送り。
アタシは愕然となってその場に立ち尽くした。
ダメだ。
アタシ、全然成長してない。
二週間も他人の夢に入ってたのにっ。
いやまあ、それは関係ないけど。
ダイジェスト版だったし。
けどさ、苦労して一国の主の知識受け取ったんだから、何かいい案が浮かぶはず。
と思ったけど、受け取ったばかりの他人の知識なんて、データベース化されてない図書館みたいなモンである。
う~~~~~~~~~~~ん。
と考え込むアタシをどう思ったのか、セルリアンナさんが神妙な口調で言った。
「『猊下の殉教』を英霊様はお怒りなのでしょうか?」
ん? なんのこっちゃ?
「他殺という結果をお望みなのであれば、我らは英霊の御心のままに…」
ハーネルマイアーさんがそう言うと、四人の侍従武官が一斉に跪いた。
「誰が贄に選ばれようとも、我らは受け入れましょう」
そして恭しく頭を垂れる。
え? 何事??
と一瞬戸惑ったけど、直ぐにピンと来た。
ああ。
確か「大神官は英霊に祈りを捧げて殉教した」んだった。
けど、偽の殉教をでっち上げようとしているコトを、英霊が怒ってて。
殺人犯と言う名の生け贄をよこせと、言っていると。
んでもって、その生け贄に自分達がなろうってか??
凄いな! 宗教! そこまで深読みができるなんて!
どうやったらそんな思考回路が育つんだ!?
アタシは全然全く思いも付かなかったよ!!
ていうかさっ。
リズの周りから殺人犯が出たら、マズくね??
いや、リズの後見人が自殺者ってのよりマシか。
ていうか、そもそもこっちの神サマって、生け贄とか要求するタイプだったっけ??
いや、この場合神じゃなくて英霊か。
どっちにしたってさ。
そんなコトされた日にゃあ、リズが傷つくだろうがよっ。
下手したら自分から殺人犯だと言い出しかねない面々に、忠義なのか信心なのかは分かんないけど、是非とも釘を刺しとく必要があると感じた。
「英霊は贄などいらん」
「ですが!?」
「人の魂など貰っても迷惑なだけだ」
他人の記憶背負い込んじゃうしさ、脳内に三頭身キャラは住み着くしさ。
面倒くさいことばっかりだ。
確かに面倒なんだけど、救われるなんてコトもあったりもしなかったりもなかったりもするかもしんないけれどもさっ。
なんて心の声は、勿論セルリアンナさん達には聞こえない。
「そ、それはそうかもしれませんが…」
「聖者以外には興味などあらせられないやもしれませんが…」
狼狽えるセルリアンナさん達に、だめ押しとばかりに言い放す。
「リズナターシュの心を傷つける事は許さん」
アタシの言葉に、セルリアンナさん達がハッとする。
「わ、我々は…」
「何と言うことを…」
「聖下の名誉を傷つけぬ事ばかりを考えて…」
「聖下のお心にまで考えがいたりませんでした…」
顔を青ざめさせて、狼狽の余りかプルプルと震え出す。
いや、そこまで狼狽えなくても。
とは思ったけど、コレで無実の罪で自首するなんてバカな考えは放棄してくれたに違いない。
よっし。
今日はここまで!
アタシよ、よくぞ頑張ったっ。
何が達成できたのかは自分でも不明だけれど、きっとアタシは何かを成し遂げたに違いない。
この溢れんばかりの達成感が、そうだと告げている。
ということで、リズの元へ。
と思ったけど。
「では何故!?」
「赤のケロタウロス様は何故あの様なことをっ!?」
おっと、そう来たか!
けれどアタシには、こんな時のための秘策がある。
一号はフリーダムなキャラだ。
そのフリーダムを目一杯体現するために、アタシは思いつく限りの突拍子もない事をイロイロとしでかした。その度に、リズが他のケロタン達に訊ねるのだ。何故一号はあんなことをするのかと。
その時二号だったなら、「男の心理を考えるなんて僕にはムリだね」と言い放ち、三号だったなら「バカだからよっ」と一刀両断し、四号だったなら「全く困った子だこと、許してやってちょうだいね」と微妙に答えを避ける。
そして五号だったなら。
「アレの事はアレに聞け。我にはアレの事は全く分からん」
これぞ最終奥義丸投げ!
虚を突かれたように呆気にとられたセルリアンナさん達を尻目に、アタシはスタスタと出口に向かう。
けれど、やはり只者ではないセルリアンナさんは立ち直りが早かった。
アタシがドアノブに手を掛けた時。
「お待ちください! 王佐達の処遇は!?」
そう言われて、アタシはピタリと動きを止めた。
あ。
そっちの問題もあったか。
すっかり忘れてた。
う~ん。
二号返して貰ったから、もう連中に用事はないんだけれど。
流石にこんな真夜中に追い出すわけにも行かない。
アタシにだって、それくらいの常識はある。
例え相手が、女手ばっかりの離宮に夜やってくる、なんて不作法をしでかした連中だろうとも。
「夜が明けた後、送ってやれ」
「「「「御意」」」」
まだ王都は混乱してるだろうから、あんな連中でも必要なのに違いない。
アタシって、親切ぅ。
この時アタシは、まさかこの一言が、事態を一変させるとは思ってもいなかった。
更新が遅れて申し訳ありませんでしたm(_ _)m。