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「お兄様、遅くなってごめんなさい」
「本当に遅いぞ、フラン。おかげで話が盛り上がってしまったよ」
扉を背にして座っていたセシリオは、座ったままの状態で振り向いた。そこに笑みはない。どちらかというと怒っている感じだ。だけどディエゴたちの表情から、フランシスカたちが遅くなったことに対して怒っているわけではないと、ナタリアは察した。
「どんな話で盛り上がったの?」
「いろいろだけど、僕がパウラと結婚するなんてありえない、という話と、伯爵家を不正に乗っ取ろうとした証拠が出た話。それから王宮にも報告が上がっているって話かな」
「あら、説明する手間が省けたわね」
フランシスカが「捕らえて」と一言発すると、フランシスカの前に構えていた男たちがディエゴを拘束した。一瞬のことだった。ディエゴは抵抗する暇もなく、座っていたソファから引きずり降ろされて床に押さえつけられる。
「殿下、これは一体どういう……?」
「お兄様が説明したのではなくて? 伯爵代理は次期伯爵家当主となるナタリアを導くどころか虐げ、不当に伯爵家を乗っ取ろうとした。それでお父様から取り押さえる許可が出たの」
「陛下から?」
フランシスカが護衛を伴ってディエゴに近付く。途中でマリセラに「それ以上は」と止められ、その場にしゃがんだ。書類をディエゴに見えるように広げる。
ナタリアも先程見たその書類には、ディエゴを捕らえておくように、と記されている。
「これがその書類よ」
「そんなものは偽物だろう?」
「国王陛下が署名したものを偽物扱いした、という罪が加わったわ。記しておいて」
「はいィ」
マリセラが元気よく答え、ディエゴは目を丸くして焦り出した。
「何かの間違いでは?」
「間違いだったらよかったわ。あなたたちがナタリアを慈しんで育て、いずれ伯爵になった時には支えてくれるようであれば、わたくしもお兄様もこのようなことはしなかったもの。陛下だってこんな書類を書かずにすんだのに」
フランシスカがディエゴを睨みながら肩を落とす。
ディエゴがどのような罪になり、今後どうなるか、ということはまだ決められていない。ディエゴは貴族なので、その状態では王女であっても勝手に拘束はできなかったのだ。
ちなみにミゲラとパウラは平民なので、罪が明らかであれば捕らえることは可能だ。
「証拠は?」
「よくそれを聞けるわね。ありすぎて困るくらいなのに、身に覚えがないとでもいうのかしら。とりあえず使用人からはたっぷり証言を得ているわ。執事長と侍女長に処刑も辞さないって言ってたと伝えたら、なんでも教えてくれたの」
「な……」
執事長と侍女長はフランシスカの手の者が見張っている。ディエゴたちが不都合な話をされる前に手を出す可能性もあると考えたからだ。
実際にディエゴは接触を謀ろうとしたようだが、その牢には二人はいなかった。拘束する場所はいくつかある、ということをフランシスカとナタリアは知っているが、ディエゴは知らない。
二人に助命する代わりに証言を求めたら、あっさりと話してくれた。王都から来ている調査官も立ち会っているので、しっかり報告されるだろう。
「それから王宮の調査官も伯爵家の書類を調べているし、お兄様は直接話まで聞いてる。あなたの口から、しっかりとね」
ディエゴはギリと奥歯を噛んで、赤い顔でセシリオを見てからフランシスカを睨んだ。拘束されているディエゴは動きようがないが、マリセラがフランシスカを守るために一歩前に出る。
フランシスカは立ち上がると少し戻り、反対にナタリアは部屋に踏み込んでフランシスカに近付いた。
ディエゴがナタリアに視線を移し、さらに怒りを露わにする。
「ナタリア、おまえっ! 父に向かってこのようなことをしても良いと思っているのか? さっさと私を放すように言え!」
言い逃れは難しいと悟ったのか、ディエゴはナタリアに向かって汚く叫ぶ。その目が血走っているように見えた。
もう怖がる必要はないのだとナタリアは理解している。だけどそれでも、まだこの人が怖かった。
ナタリアの袖をそっとフランシスカが引く。彼女を見ると、心配そうな目をしていた。だけど、あなたが言いなさいと後押ししているようでもあった。
ナタリアは大きく息を吸って、吐いた。
「わたしはあなたに娘として接してもらったことは一度たりともありません。だからわたしは、あなたを父だとは思っていません」
「なんだと?」
「お言葉をお返しします。娘であればどのようなことをしてもいいと、あなたは思っていたのですか? あのような扱いを受けていながら、それでもまだわたしがあなたを父として慕うと、そう思っていたのですか?」
ディエゴは唖然としてナタリアを見る。ナタリアはその目を、まっすぐに離すことなく、睨むように見下ろした。
ディエゴは、声を荒げておけばナタリアは従うはずだと思っている。だけどナタリアは、もうそうしない。
「領政を執ろうとせず、領民を守ろうともせず、ただ伯爵家を好き勝手にあなたの都合でひっかき回すだけ。そのような人は、必要ありません」
「必要ないだと?」
「もう一度言います。ルシエンテス伯爵家に、あなたは不要です」
ナタリアは声を荒げることもなく、静かに淡々と告げた。
ディエゴは愕然とした顔をした。
ふいに横にいたはずのマリセラがタッと動いた。ナタリアが驚いてそちらを見ると、ミゲラがマリセラに拘束されていた。
「あら、命拾いしたわね、ミゲラ夫人。わたくしに傷のひとつでもつければ極刑だったわ」
なぜか少し残念そうにフランシスカが言う。ディエゴと向かい合っていたナタリアは気が付かなかったが、状況が不利であることを悟ったミゲラがナタリアとフランシスカがいる方に突進してきていたようだ。どうやらナタリアかフランシスカを人質にでも取ろうとしたらしい。
「ナタリアァ!! おまえ、父に向かってなんということを! なっ? 何をするの!」
ミゲラは拘束された状態で暴れながら、すごい形相で睨んでくる。
マリセラがミゲラも床に押さえつけた。
「ナタリア、おまえ! 育ててやった恩を忘れたというの」
「育ててもらったことなどありません」
ナタリアはきっぱりと言い切る。
そしてもう一度深呼吸して、ミゲラにも静かに告げた。
「ミゲラ夫人、あなたもこの伯爵家には不要です」
「ナタリアァ!!」
ミゲラが汚く叫ぶ。マリセラはミゲラの口に布を巻いて、声が出ないようにした。ミゲラはただ唸っている。
それを見ていたパウラが目を丸くして口を押さえた。フランシスカがパウラを見る。
「パウラ、あなたはどうしたい? ナタリアは、使用人の部屋だったら使ってもいいと言っているわ。ただし、使用人としてちゃんと仕事をするならね。それとも両親と一緒に牢に行くのがいいかしら?」
「わたくしが、使用人?」
理解できない様子でパウラが首を傾げる。
「当たり前でしょう。あなたは平民なの。こちら側にパウラの部屋などないわ。この伯爵家においてあげると言っているのだから、ナタリアに感謝すべきね」
どこかで聞いたことがあるなと思った。
ミゲラがナタリアの居場所を奪ったときに、そう言っていた。まさか言われる側になるとは思っていなかったのだろう、パウラはその場にへたりこんだ。
ディエゴは自分たちが完全に不利だとわかったらしい。ナタリアに向かって優しく諭すような声を出した。
「おまえには私が必要なはずだ。未成年のおまえには、後見役がいなければならない。そうだろう? 私がいなくなれば困るはずだ。だから……」
「あぁ、それはたしかに少しだけ困るんですよね。もう成人まであと少しですけれど、それまで後見役がいなければいけないのは確かなので」
ディエゴの言葉を遮って、セシリオが言う。それに味方してもらったと思ったのか、ディエゴがハハッと乾いた笑いを浮かべた。
「そうだろう? だから放すように言ってくれ。これからはおまえを部屋に戻そう。食事も一緒にとってもいいし、ドレスも買ってやる」
「その必要はありませんよ。そもそもそれは当然ナタリアが持っていた権利のはずでしょう? なぜあなたが与えてやるみたいな言い方になるのか、理解できませんね」
擁護したかに見えたセシリオが冷たく言い放つ。
「あなたが教えてくれたんですよ。ナタリアが爵位を継いだとしても、外に出さなければいいだけだって言ったではありませんか。だからあなたも外に出なければ問題ない。そう思いませんか?」
セシリオがニッコリとディエゴに笑顔を向けた。笑っているのに優しい顔ではない。怒っている顔だ。それを見たディエゴは蒼白になる。
「ナタリアが成人するまで、あなたは体調を崩している、ということにでもしましょうか。あなたがいなくても仕事は十分に回ることは確認済みです。だから安心して牢に入っていてください」




