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「みぃつけた」
ルシエンテス伯爵家の広い庭。お茶会を終えてナタリアが探すと、セシリオは低木の陰に隠れていた。
伯爵邸の中にはセシリオが隠れるポイントがいくつかある。そのうちのひとつがここだ。
セシリオは少し慌てたようにあたりをキョロキョロと見回し、口の前に人差し指を立てて静かにしろというポーズをした。
「馬鹿、つけられていないだろうな?」
「うん、大丈夫だよ」
ナタリアもさっとしゃがんでセシリオの隣に隠れる。
あとから考えれば、少し離れた場所で侍女や従者が見守っていたのだから、つけられるもなにもない。最初から見つかっていたのだ。だけどその時は、誰にも見つからずに上手く隠れていると信じていた。
「何してるの?」
「アリ釣り」
セシリオはアリの巣と思われる小さな穴に細い枝を入れている。それをナタリアの目の前でゆっくり引き抜いた。アリは釣れていなかった。
「やっぱり木の棒だけじゃダメか。何か甘いものをつけると釣れるんだけど」
「へぇ、そうなんだ」
巣の周りにはアリがちらほらいるから、使われていない巣というわけでもないのだろう。
「あ、棒にはつけられないけど、甘いものなら持ってるよ」
ナタリアはじゃーんと効果音をつけてクッキーを取り出した。
「お茶会で出たやつ。セシーと食べようと思ってもってきたの。アリさんも食べるかな?」
「よし、あげてみよう」
ナタリアはセシリオを「セシー」と呼んでいる。小さい時にセシリオと発音できなくてセシーになり、それが今でもそのままなのだ。ちなみにセシリオはナタリアのことを普通に「ナタリア」と呼んだり、「ナータ」と愛称で呼んだりする。
ナタリアはクッキーの一枚をセシリオに渡し、もう一枚を割って小さなクズをアリの前に落としてみた。アリはすぐに気がついてそれを手にする。
「セシー、見て。食べてる食べてる!」
「おおぉ。じゃあ、もっとおっきかったらどうするかな?」
セシリオは手に持っていたアリ釣りの細い棒をポイッと投げ捨て、クッキーを大きめに砕いた。それを別のアリの前に落とす。アリはすぐに見つけたものの、自分の体よりも全然大きいその欠片に上っては下り、また上っては下りている。
「困ってるよ。大きすぎて食べられないんじゃない? あ、諦めて帰っちゃった」
「このクッキーが美味しくないのかも」
セシリオは手に残ったクッキーをパクリと口に入れた。そして「美味しい」と言う。ナタリアも同じように口に入れた。そして同じように「美味しい」と言った。
「見て。別のアリが見つけたよ」
そのアリもまた、アリにとっては大きすぎるクッキーの欠片に上っては下り、上っては下りている。そうしているうちに、先程戻っていったアリ……かどうか見分けはつかないけれど、アリが仲間を連れて戻ってきた。わらわらとクッキーに群がっていく。そして少しずつ切り崩しながら、巣へと運ぶ。
「おおぉ、運んでる」
「運んでるね」
「ナータ、クッキーまだ持ってる?」
「もってるよ。はい」
ナタリアがクッキーを差し出すと、セシリオは先程よりもさらに大きい欠片にして巣の近くに置いた。それにもアリが群がっていく。
「おおぉ」
「アリさん、クッキー好きなんだねぇ。そうだ、セシー。わたしたち、大人になったら結婚するんだって」
ナタリアは先程のお茶会を思い出して言った。セシリオはバッとナタリアに振り向く。
「誰に聞いたの?」
「お母様に聞いたの。さっきのお茶会で。セシーのお母様もいたよ」
「なんで僕がいないところでそんな話するんだよ」
「セシーがお茶会に来なかったんじゃない」
「あ……」
セシリオはそうだった、と目を泳がせる。急に都合が悪くなったのか、彼はアリに目線を移した。なんとなく、ナタリアもクッキーに群がるアリを見る。
セシリオは俯いたままで、どことなく憂鬱そうな感じにも見えた。
「セシー、知ってたの?」
「うん、母上に聞いた」
「……嫌だった?」
不安になって聞くと、セシリオはガバッと顔を上げた。
「嫌じゃないよ!」
「そうなの?」
「そうだよ。嫌なわけないよ。ナータは嫌?」
「嫌じゃないよ。結婚したらずっと一緒にいられるんだって。だから嬉しい」
ナタリアはニッと笑ってみたが、セシリオはどこか不満そうだ。
「どうしたの。何かダメだった?」
「母上が言ってたんだ。僕には兄上がいるから、公爵家には残れない。ナータと結婚できるのは、僕にとっていいことだって」
セシリオは三男だ。兄がいるし、それ以上に複雑な事情もあって、公爵家を継ぐことはない。
一方のナタリアは長女で、今のところ伯爵家の唯一の子だ。この国の爵位継承は男性が優先されるが、男児がいないなどの場合に限り女性にも認められる。つまり、このままいけば、いずれナタリアが継ぐことになる。
「ナータはいずれ誰でも選べるようになるんだから、好きになってもらえるように努力しなさいって。僕は別に、僕が家を出なきゃいけないからナータに好きになってほしいんじゃないのに」
「うーん? よくわからないけど、わたしはセシーのこと好きだよ?」
「う、うん」
「だから結婚できたら嬉しい」
「……うん、僕も……嬉しい」
アリが列を作って少しずつクッキーを運んでいく。セシリオはその道筋に葉っぱを一枚置いた。いきなり邪魔が入って列が乱れる。
「あー、置いちゃダメだよ。アリさん困ってるじゃない」
「うん、でもまた道を作ってるよ」
「わたしのお父様はあまり家にはいないんだけど、セシーは結婚したらずっと一緒にいてくれる? お母様は、一緒にいたいならそうできるって言ってたの」
「ずっと一緒は難しいよ。トイレは別のがいい」
「そういう話をしてるんじゃないの」
ナタリアはムッとしたような、不安なような、そんな顔をする。セシリオはちょっと慌ててナタリアの顔を見た。
「ごめんごめん。ずっと一緒にいるよ」
「本当?」
「本当。一緒に住んで、一緒にごはんを食べて、おやつも食べる。一緒にお仕事もするかもしれない。あとは、そうだ、一緒に舞踏会に出てダンスもする」
ナタリアたちにはダンスのお稽古の時間もあって、二人で踊ってみましょうか、と先生に言われて昨日練習したばかりだった。それを思い出して、ナタリアはふふっと笑う。一緒に踊ったのは楽しかった。
「楽しそう」
「じゃあ、大人になったら結婚しよう。約束だよ」
セシリオは真面目な顔をして小指を立てた。
この国では約束するときに、お互いの小指を絡める習慣がある。といっても強制力はないし、子供の遊びのひとつのようなものだ。
ナタリアは迷わずに自分の小指を出した。
二人の小指は絡まった。