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母が王女に転生したそうです  作者: 海野はな


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 トントン、とノックの音がした。中からミゲラが扉を開ける。


「セシリオ様、お待ちしていました」


 ディエゴは立ち上がってセシリオを迎え入れた。王女のせいで不利な状況の中、セシリオは味方であり、助けになってくれるはずだとディエゴたちは信じている。

 セシリオは彼の護衛を連れて部屋に入ってきた。王の子でもあるセシリオは、どのような時でも必ず護衛を連れている。


 ミゲラとパウラが横の椅子にずれ、ディエゴの対面にセシリオが座った。侍女がお茶を置いて下がると、扉が閉まると同時にディエゴは雑談もせずに本題を切り出した。


「早速で恐縮ですが、私たちはあの殿下にほとほと困り果てております。ミゲラとパウラを平民だと蔑み、侍女長たちを捕えて伯爵家を混乱に陥れている。子供だから、我儘だから、では済まされません」


 ディエゴに続いてミゲラも乗り出し気味に訴える。


「わたくしとパウラはもう耐えられません。早く帰っていただくことはできないのですか?」

「それは難しいですね。国王陛下からも日程を記した書状をいただいていますから。今帰そうとすれば、伯爵家を追い出された、とフランが陛下たちに訴えるかもしれません」

「殿下のほうから帰りたいと言っていただくわけには?」

「難しいでしょう。ナタリアと楽しく過ごしているみたいですから。むしろ、帰りたくない、延長してほしいと言いそうなほどですよ」


 セシリオがクッと笑って答えると、ミゲラとパウラは絶望的な顔をした。パウラは泣き出しそうな顔でセシリオを見た。


「セシリオ様、何とか言ってくださいませんか? セシリオ様の言うことであれば、殿下は聞いてくださるかも」

「フランは自分で決めたことであれば、僕が何を言っても聞きませんよ。それに僕は兄ではありますが、フランの方が身分が上なのでね。彼女には逆らえません」

「そこをなんとか」


 強く願われて、セシリオは少し前かがみになった。そしてきっぱりと言い切る。


「僕が必要を感じないので、何かを言うつもりはありません。むしろフランにはしばらくこちらにいてほしいと思っていますよ。フランが言い出す前に、僕から陛下に延長を願い出ようと考えているところです」


 セシリオの顔に笑みはない。

 パウラの願いを撥ねつけるとは少しも思っていなかったディエゴは、唖然としてセシリオを見た。セシリオはパウラを気に入っていたはずである。パウラが助けを求めれば、聞かないはずがないと思っていた。


「な、なぜ、そのようなことを……。私たちが困っているのを、セシリオ様は見ているでしょう?」

「何に困っているのですか?」

「ミゲラとパウラは食事すらできていないではありませんか」

「食事ができていないって、食べられないわけではないのでしょう? ただいつも食事に使っていた部屋を使えていない、というだけではありませんか。むしろ今までのほうがおかしかったのだとは思わないのですか?」


 ミゲラとパウラも唖然とした顔をする。まさかセシリオまでもが王女と同じように、ミゲラたちは同じ食卓に着くべきではないというようなことを言うとは思わなかった。


「でも朝食は言わないと持ってきてくれないのですよ。わたくし、今朝は食べそびれてしまいましたの」


 パウラは泣きそうな顔で訴える。

 今までは何も言わなくても当然のように用意されていたものが、いくら待ってもこない。朝食はどうしたのかと使用人に問えば、そのような時間はすでに終わったと言われた、と。

 セシリオは小さく息を吐く。


「使用人の食堂に行けばいいのでは? ナタリアはそうしていたではありませんか。朝から掃除と洗濯をすれば出してもらえますよ」

「使用人の……」

「ナタリアはそれでも時折抜かれていたようですが、それを指示したのがミゲラ夫人なのですから、抜かれることもないでしょう。何も困ったことはありませんよね」


 ミゲラはあんぐりと口を開ける。そして、何をおっしゃっているのやら、とでもいうように乾いた笑いを浮かべた。


「なんの冗談を言っているのですか。わたくしたちに使用人のような生活をしろ、と?」

「そうですよ」


 そんなことは言っていません、と返ってくると思っていたミゲラは、セシリオが即座に返した言葉を吞み込めずに目を瞬く。


「立場がずっと上のナタリアにそれを強いておいて自分はやらないとは、どれだけ偉いのですか、あなたは? そんなことができるのはフランくらいなものだと思いますけどね」


 ディエゴは信じられない思いでセシリオを凝視する。セシリオはただ静かに淡々と述べている。冗談を言っているようには見えなかった。

 分が悪くなっているのを悟り、ディエゴは明らかに焦った様子で机に手をついて乗り出した。


「セシリオ様はいいのですか。このままではナタリアに伯爵家を奪われますよ」

「奪われるとはどういうことでしょうか。伯爵家はもともとナタリアのものでしょう?」

「で、ですが、それではセシリオ様はパウラと結婚しても伯爵家の実質当主になれなくなるではありませんか。常にナタリアが上に立つことになってしまいますよ」


 ディエゴにとっては切り札のような問いだった。そう言えばセシリオは困るはずだからだ。

 セシリオはパウラを気に入っているはずだ。だけどそれ以前に伯爵家を得たいと思っているからこそパウラに近付いたのだということは、よくわかっているつもりだった。


 セシリオは肩を落としてハァと大きくため息をつく。


「そんなもの、僕は最初から望んでいませんよ。僕は当主を無理やり従わせて自分が上に立とうだなんて、これっぽっちも思っていないんです。伯爵代理、あなたと一緒にしないでいただきたい」

「伯爵家を、望んでいない?」

「ええ、そうですね。正しく言うならば、伯爵家がほしくて婿入りしたいと言っているわけではない、ですね」

「それでは、そこまでパウラを想って……」


 予想外ではある。どうやらパウラはセシリオに夢中のようだが、セシリオのほうはといえばどこか冷静にパウラを見ているとディエゴは思っていたのだ。だけどお互い様で、パウラのために婿入りしてくれるというのならば喜ばしい。

 ディエゴは少しホッとしたが、それはすぐに覆ることになる。

 セシリオが眉間に皺を寄せ、ひどく不機嫌な顔になったからだ。


「ナタリアのものを全て奪った挙句、それを当然だと思っているような人に惹かれる部分など全くありませんよ」

「セシリオ様はパウラを気に入って下さっていたのでは?」

「そんなはずがないではありませんか。それからパウラと結婚って何ですか? 僕がいつパウラと結婚するなんて言いました? ありえません」

「セシリオ、様……?」


 パウラが信じられないという目をセシリオに向ける。気付いているはずだが、セシリオはその視線に応えない。


「で、ですが、そのつもりでこちらにいらしたのでは?」

「違いますよ」

「伯爵家に婿入りしたいとおっしゃったではありませんか」

「それは言いましたし、今でも思っています。だけどパウラと結婚するとは一言も言っていません」

「では……」

「僕はナタリアと結婚して婿入りしたいのです。そのためにここに来たんですよ」

「まさか、あの卑しい娘と?」


 思わずディエゴの口を衝いて出た言葉に、セシリオが目を細める。ディエゴはその瞳の奥に怒りを感じ取ってゾッとした。ディエゴの頬を、冷たい汗が伝う。


「部屋も立場も全てを奪って虐げていながら平気な顔をしているパウラと、奪われても健気に仕事をこなしていたナタリア。性根が卑しいのはどちらでしょうね?」

「わ、わたくしは、何も奪ってなどいませんわ」

「本気でそう思っているならば、ただの馬鹿ですね。それとも伯爵代理とミゲラ夫人の教育の賜物でしょうか」


 セシリオは話にならないと言わんばかりに溜息を吐く。それから顎に一度手を当て、できの悪い子供に言い聞かせるように静かに言う。


「仮に。仮に、の話ですよ。僕が伯爵家を欲しているとしましょう。そうだとして、正当な後継者であるナタリアがいるのに、ただの平民を選ぶ利点がありますか? 伯爵代理だって平民のミゲラ夫人ではなくアデリナ様と結婚したではありませんか」

「それは私には決定権がなかったからだ」

「本当にそれだけですか?」


 聞き返されてしまうとディエゴは言葉に詰まる。伯爵家を手に入れた上でミゲラを呼ぶほうが都合が良かったのは確かだからだ。


「もし仮に。仮に、の話ですよ。ありえないことですが、僕がパウラを想っているとしましょう。そうだとしても、ナタリアと結婚して伯爵家を手に入れた上でパウラを愛人にするほうが都合がいい。そう思いませんか、伯爵代理?」


 まさに思っていたことを言い当てるようにセシリオが言う。ミゲラが口を開けてディエゴを見た。自分たちの境遇と重なるところがあったのだろう。


「お分かりいただけたでしょうか。政略的に考えても僕がパウラと結婚する必要など全くないのですよ。まあ、したいとも全く思いませんし、頼まれても嫌ですけどね。もちろん、愛人にと言われてもお断りです」


 パウラが息も絶え絶えの様子で口を押さえる。

 本気で涙を流して初めて、セシリオはパウラに目線を向けた。だけど見ているのは首元だ。パウラが泣いているというのに、セシリオの顔色は全く変わらない。焦ることもなければ、慰めようとも助けようともしない。

 パウラはその視線をたどって、首元のネックレスに触れた。


「それ、返してもらえますか? 僕がナタリアに贈ったものです。なぜパウラが持っているのでしょう?」

「ナタリアに……?」

「そうです。ナタリアに似合うように、長く使えるようにと一生懸命選んだものだから、間違いありません。ナタリアが手放すとは思えないから、パウラが奪ったのでしょうね」


 はくはくと口を動かすだけでもう返事ができなくなったパウラの代わりに、ミゲラが口を出す。


「パウラが奪うはずがありません。きっと同じデザインのものなだけだわ」

「公爵家お抱えの職人が作った一点ものですよ。パウラでないならミゲラ夫人ですか? まあもうどちらでもいいです。とにかくそれはナタリアのものだ。返してください」


 真剣な顔でセシリオはパウラに手を差し出す。だけどパウラはぎゅっとネックレスを握って、取る様子はない。

 セシリオは肩を落として手を戻し、今は諦めた。どちらにしてもパウラが長くつけていたそのネックレスを、もはやナタリアにつけてほしくない。


「セシリオ様はナタリアと面識が?」

「そうですよ、伯爵代理。結婚を約束した仲です。ナタリアに会えるのを楽しみに隣国から帰国したんですよ。それなのに、久しぶりに見たナタリアはぼろを着てやせ細り、顔色も悪かった」


 セシリオは怒りを押し殺すようにギリと奥歯を噛む。ゆっくりと深呼吸して、静かに問う。だけどその目には隠せない怒りが滲んでいた。


「それを見たときの僕の気持ちがわかりますか、伯爵代理?」

「ぐっ」

「そうそう、フランが何を考えているのか、というお話でしたね。ルシエンテス伯爵家を元のあるべき姿に戻したい。それからナタリアに幸せでいてもらいたい。そう考えているのですよ」


 セシリオは「もちろん、僕も」と付け加える。

 ディエゴとミゲラはもう言葉が出なかった。味方だと思っていた。パウラと結婚する相手で、いずれ義理の息子になるのだと、そう信じていた。セシリオの存在はディエゴたちの輝かしい未来を約束してくれるものであるはずだった。


「最初からそのつもりでここに来たんですよ。そして調べさせてもらいました。そしたらまあ出るわ出るわ。あなたたちがナタリアを蔑ろにし、この家を不正に乗っ取ろうとしてきた証拠がわんさかと。すでに王宮にも報告が上がっています」

「なっ……」

「そろそろ迎えがくるはずなんですけど」


 扉の外が騒がしくなった。多くの靴音が聞こえ、そしてバンッと乱暴に扉が開く。


「あぁ、来ましたね」


 セシリオは本当に小さくだけ笑った。

 扉の外には武器を携えた数人の男性。そしてその後ろにフランシスカとナタリアの姿が見える。


 ディエゴは思い描いていた未来がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。

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