24
翌朝ナタリアはすっきりと目覚めた。久しぶりにしっかりと寝た感じがする。
隣にフランシスカが寝ているのを見て、夢ではなかったのか、と思った。
フランシスカの寝顔はあどけない。なにせまだ七歳だ。そんな彼女は一日にしてナタリアの状況をひっくり返してしまった。
ナタリアはフランシスカを起こさないようにそっとベッドから出ると、クローゼットを開けた。数あるパウラの服はたっぷりの布を使用していて、豪奢なものが多い。その中からシンプルで動きやすいものを選んだ。
それでもナタリアが求めている服とは違い、もったいない気がする。だけどここに使用人の服はないのだから仕方がない。
なんとか自分で着替えられるだけやってみるが、令嬢の服というのは一人で着られるようにできていない。音を立ててしまったからかフランシスカが動く気配がした。
「ん、ナタリア?」
「おはようございます。起こしてしまいましたか?」
「むしろなんで起こしてくれなかったの」
母の記憶があるとはいえ、身体はまだ七歳。本来ならばもう少し寝たほうがいいのだろうけれど、もう起きるつもりらしい。
フランシスカは目をこすりながらむくっと起き上がると、扉まで歩いて中から軽く叩いた。外から同じだけノックされ、もう一度フランシスカが叩くと静かに扉が開いた。
「おはようございます、殿下、早いお目覚めですね」
入ってきたのはフランシスカの侍女だ。
「おはよう、マリセラ。準備を手伝ってくれる?」
「もちろんです」
マリセラと呼ばれた侍女は外にいた別の人に何かを指示すると扉をしっかりと閉め、まずはナタリアの服を着つけた。あまりの速さに、ナタリアは驚いてしまった。そんなナタリアをクスッと笑い、フランシスカは自慢げに胸を張った。
「マリセラは優秀な侍女であり護衛なの」
「お褒めに与り光栄ですわ。殿下の服やお水は取りに行かせていますので、少しお待ちくださいませ」
「わかったわ。それで、首尾は?」
「ばっちりでございます」
マリセラがふふふ、と笑う。歳のころは二十代半ばくらいだろうか。彼女の笑った顔に隙がなさすぎて目を見張った。
「今頃殿下や王家の手のものが四方八方に駆けておりますわ。ご心配なく」
着替えが終わると、マリセラはこちらもすごい速さでナタリアの髪を整える。そもそも優秀でなければ王女の侍女にはなれないだろうが、フランシスカが胸を張るだけある。
「ナタリア様、今まで大変でしたね。わたくしたち殿下の部下一同、伯爵家の状況と伯爵代理たちの態度に怒り心頭でしたのよ」
「わたくし、昨日は誰かが飛び出すんじゃないかって、少しハラハラしていたのよ」
フランシスカと話しつつも手を動かす速度が変わらないのがすごい。今感心すべきところはそこではないかもしれないけれど、これが王家の侍女か、とナタリアは思った。
「ふふ、わたくしたちは殿下の従者ですもの。殿下の意に沿わないことは基本的にはしませんわ。……どうですか?」
軽く整った髪を押さえながら、マリセラが鏡越しにこの髪型で大丈夫かと聞く。顔周りが編み込まれ、動きやすい髪型にしてくれていた。
「とても素敵です。ありがとうございます」
「わたくしたち殿下の部下一同に敬語は必要ありませんわ。ナタリア様、わたくしたちも貴女様の部下だと思って何でも命じてくださいませ。昨日はおとなしくしておりましたけれど、ご用命とあれば思う存分暴れますわ」
「マリセラが本気で暴れたら伯爵家が壊されてしまうわ」
「あらいやだ。そんなことしませんわよ、ふふ」
軽口を叩き合っていると扉の外から合図があり、フランシスカの服や水を受け取る。今度はフランシスカの身支度を整える。
「さて、行きましょうか」
やってきたのは使用人の食堂である。そしてそこの掃除を始める。ナタリアの日課だ。いつもと違うのはフランシスカとその従者もいることだ。
さすがにフランシスカを働かせるわけにはいかないので、座って見てもらっている。代わりにフランシスカの従者の一部が手伝ってくれている。
その様子を伯爵家の使用人が見つけて騒ぎ出した。次第に使用人たちが集まってきて、どういうことかと見ている。誰かが呼びに行ったのか、朝早い時間にも関わらず侍女長がやってきた。
「一体これは……、何をしているの」
カツカツと靴音を鳴らしてナタリアに近付くと、赤い顔で侍女長がナタリアに詰め寄った。
「いつもの通り、掃除をしています。わたしに毎朝ここの掃除をするようにと命じたのは侍女長ですよね」
「どうして殿下までこちらに? 殿下に来ていただくような場所ではないことくらいわかるでしょう」
「わたくしが勝手についてきたのよ」
侍女長は否定はせずに、ナタリアを窘める。
フランシスカは座っていた椅子からぴょこんと飛び降りた。
「近い将来伯爵家を継ぐ方はどんな生活をしているのか参考にさせてほしくて、いつも通りに過ごしてほしいとお願いしたの。そうしたら朝は掃除から始めると聞いて驚いたわ」
「殿下、それは、その……、ナタリ……お嬢様。このお話はあとでするとして、伯爵家の掃除を殿下の従者の方にやらせるのはいかがなものかと思います」
フランシスカの手前強く言えないのか、侍女長は微妙な笑みを浮かべながらナタリアを睨むという器用なことをする。ナタリアの代わりに一歩踏み出したのは、テーブルを拭いていたマリセラだった。
「わたくしたちが勝手にやっていることですわ。ナタリア様は伯爵家のご令嬢でもうすぐ伯爵になるお方。ずっと立場が上の方が動いていらっしゃるのに、ぼーっとそれを眺めていることなどできましょうか?」
マリセラはよく通る声で言う。他の使用人にも聞かせているようだ。
ちなみにマリセラは男爵家の出身だそうだ。自身も貴族であり王女の侍女をしているマリセラと、平民出身の伯爵家の侍女長。単純に比較はできないにしても、マリセラのほうが立場が上であることは間違いない。
「そもそもナタリア様ほどの立場の方に掃除をせよと命じる神経がわたくしには理解できませんけれど、何か特別な事情がおありなのかしら。お聞かせ願いたいわ」
侍女長はぐっと詰まった顔をする。周りの使用人もハラハラして見ているのが伝わってきた。
「そ、それは、ナタ……お嬢様が自主的にやって下さっていることで……」
「ナタリア様、そうなのですか?」
「いいえ。やらなければわたしだけでなく、わたしを庇ってくれる使用人もひどい目にあうのでやらざるを得ないだけです」
「お嬢様! 冗談はよしてください」
侍女長は真っ赤な顔で声を荒げる。
いつもだったら黙って侍女長の命令を受け入れるところだけど、今はもうそうしない。
「冗談を言っているかどうかは、ここにいる使用人の皆様に聞けばわかるのではありませんか? ……ひとまず、ここを早く終わらせなければいけないのです。邪魔をしないでいただけますか、侍女長?」
目も口も丸く開けた侍女長をそのままにして、ナタリアは掃除を再開する。それを見たフランシスカの従者たちもまた動き始めた。伯爵家の使用人たちはどうしたらいいかわからない顔をしていた。
掃除を終えると、次は朝食の準備の手伝いだ。伯爵家の人数分だけでなく滞在しているフランシスカとセシリオそれぞれの従者の分も作らなくてはいけないので、料理人は大忙しなのだ。
フランシスカの従者を連れて入ってきたナタリアを見て、料理長と料理人が目を丸くした。見習いの服を着たナタリアの味方の料理人だけは、ナタリアにしかわからないように目配せをして小さく笑う。
ナタリアはいつものように芋の皮むきを始める。
「ナタリア様、申し訳ございません。わたくし料理はからっきし駄目で、包丁を絶対に持つなと殿下に厳命されているのです」
「わたくしが風邪を引いたときにリンゴを剥いてくれたのだけど、血だらけの謎の物体に変化を遂げていたのを見た時は思わず叫んだわよ……」
それ以来リンゴが少しトラウマで、とフランシスカが遠い目をして言うので、思わずクスッと笑ってしまった。なんでもできそうに感じていたマリセラにも苦手な事があると知って、少し嬉しく思ってしまう。
マリセラは包丁を持たない代わりに食器を磨き、他の従者が芋むきや雑用をしてくれる。人手があるので、いつもの何倍も早く終わった。
続いて洗濯をこなしてから使用人の食堂で食事をとる。
フランシスカの従者の中には貴族階級の人も多く、その人たちは基本的に貴族区域で食事を取ってもらうことになっている。だけど今朝はナタリアに合わせて使用人の食堂だ。
食事を終えると貴族区域に向かい、ディエゴたちが食事をした片付けをするのがナタリアの日課だ。いつも通りにその部屋へ向かうと、ディエゴとミゲラが待ち構えていた。おそらく侍女長あたりから報告を受けたのだろう。
「ナタリア、殿下を使用人区域に連れていってそちらで食事をさせるとは、一体どういうつもりだ」
「伯爵代理、わたくしが勝手について回っているだけよ。ナタリアの日課を見せてもらっているの。実に興味深かったわ」
「殿下、それはナタリアが勝手にやっていることです。ナタリアは変わったところがあると申しましたでしょう。付き合う必要はございません」
ディエゴたちは扉を塞ぐようにして立っている。次にナタリアがやるべきことがわかっているからだろう。
ディエゴは大きく息を吐いて、まるでいい父親であるかのような顔をした。ナタリアに向かって諭すように柔らかい声を出す。
「庭に見頃の花がある。殿下をお連れして、散策してくるといい」
「お父様たちが食事をした後に片付けをするように命じられています」
「片付けならば済んでいる」
「そうですか、ありがとうございます。それでは、書類仕事をして参ります」
「ナタリア、せっかく殿下がいらしてくださっているのだ。おもてなしをするべきではないのか?」
ナタリアは顔を上げてディエゴを見る。
やはり怖いと感じて身がすくむ。だけど隣にフランシスカがいる。ぐっと拳を握った。
「わたしが書類を出さなければ、伯爵家に食材が届きません。わたしたち伯爵家だけでなく、殿下やセシリオ様、従者の方の分の食事がなくなります。日用品も届かず不便な生活を強いることになります。かまいませんか?」
ディエゴがぐっと詰まった顔をする。食材の発注は基本的に毎日だ。まとめて頼んでいるものあるけれど、もって数日だろう。
「お父様のお酒も、ミゲラ夫人とパウラが頼んでいる新しい服も届きません」
「そのような物はあとでもかまわない」
「王都に定期的に送って販売している特産品のチーズも、他領と取り引きしている麦も、許可の書類を作成しなければ送ることができません。納期に間に合わなければ賠償金が発生してしまい、領民に迷惑をかけることになります。かまわないのですか?」
普段であれば領民など知ったことではないとでも言いそうだけれど、さすがにフランシスカの前では呑み込んだようだ。
「そのようなものは他にやらせればいいだろう」
「誰か代わりにできる人がいるのですか? それともお父様が代わりにやってくださいますか?」
使用人でもできる書類もあるけれど、そうでないものの方が多い。体調を崩して休んでいた数日でさえ、決定権のあるディエゴは何も手をつけなかった。そもそも自分ではやらずにずっとナタリアにやらせてきたのだ。書類を見たところでどう処理していいのか、わかるはずもない。
ディエゴはとても苦い顔をして奥歯をギリッと噛んだ。
 




